押しかけ探偵事務員の受難


05


 茂木探偵の朝は比較的ルーズだ。事件に追われている時は興奮剤でも打たれているかのようにぱちりと決まった時間に目を覚ますのだが、ぱったり依頼が止むと途端にの知らぬマダムと遊び歩き始める。もちろん、情報収集の内であるに決まっているが。そうでなければはどんな顔をしたらいいのかわからない。なんとなく嫌な予感はしているのだけれども、面接の時に自分が抱いた無責任な感想に手痛いしっぺ返しを食らった記憶は新しく、は手負いの猫にそっくりな様子で口をつぐむしかない。
 茂木探偵自身、に余計な詮索は求めていなかった。金銭の関わる間柄ではあるものの、茂木探偵との信頼関係はいまだ薄い。二人が接するようになってからまだ一週間と半分しか経っていないので、当たり前と言えた。

 そんなことはさておいて、緊張の一瞬を乗り越えたあの日の夕方にさかのぼる。愉快な出会いは、コナンに引き寄せられでもしたか、にもまとわりつき始めていた。
 働き口を見つけたはぼんやりしながら電車に揺られ、米花駅を二駅乗り過ごしたところで我に返った。最近は呆然とすることが増えている気がする、と頭を振る。鞄を抱え直し、彼女は反対回りの電車に乗り込んだ。勇気を出して徒歩で帰ったほうが頭が冷えそうだとも考えたが、考えるだけでやめてしまう。
 携帯電話の存在を思い出したのは、鞄のポケットを探った時だった。
 電車のアナウンスをBGMに、はメールを確認しようとした。コナンに報告とお礼を言わなければならないし、登録したばかりの名前を眺めて現実味を感じたい気持ちもあった。
 茂木遥史。
 探偵業界に疎いは彼の名前をまったく知らなかった。正直に伝えると探偵はフッと笑い、「こういう商売じゃあそれが正解だ」と言った。意味はにもすぐにわかった。
 鞄に手を突っ込んだまま、は硬直した。緊張とは違う寒気がゾーッと手首の辺りから胸まで奔った。

(落とした)

 顔面蒼白である。何度捜しても答えは変わらない。

(ど、どうしよう……。今すぐ時間止まんないかな……。もしくは魔法が使えるようにならないかな……)

 物を呼び寄せられたら一発で解決するのに。
 米花駅の一つ前で降りる。寒い風に吹かれると自分がみじめで情けなくて仕方なくなる。空腹を思い出すとより気分が沈みこんだ。あたたかくて甘い紅茶でも買って落ち着こう、と自動販売機にICカードをかざすと残高が足りなかった。は目当ての飲み物のボタンが無情に点滅し、待ちくたびれたように消えるのを見送った。今日はもうだめかもしれない。
 後ろに人の気配を感じ、は横に避けた。風の通りが良い駅ではこの季節、自動販売機が最大手である。昔の友人がよく言っていたなとぼんやり思い返した。がまだ『サイオオテ』の意味もよく掴めていなかった頃、年末の忙しい時期に突然とある駅へ呼び出され、「一生のお願いだから荷物を持って帰るのを手伝って」と頼み込まれたことがある。一生のお願いは三度続いた。
 後ろに並んでいた男の人の指先を横目で見ていると、彼はと同じものを選んだ。ぴ、と音がする。
 取り出し口に落ちた温かい缶を取り、青年はニコリとに微笑みかけた。

「はい、どうぞ」
「え、……ええっ?」
「あれっ、すみません。これじゃありませんでした?」
「あ、いや、これだけど」

 新手の詐欺かと疑われているのがわかった男は苦笑した。すみません、ともう一度言う。

「つい、見てしまったもので。随分落ち込んでいるようでしたし、こういうのって余計に気が滅入りますよね」

 ぴょんと跳ねた髪が揺れる。青年は学生服の上にコートを着ており、寒さからは幾分か遠くにいるらしかった。
 目が合うと、青年は人好きのする笑顔を浮かべた。
 の心がじわりと緩む。どこからどう見ても悪人とは思えない青年にころりと転がる。高校生と思しき青年は、その年齢にしては大人びていた。口調も立ち居振る舞いも、まるで何通りにでも簡単に変化させられるかのようによどみがなく、実に自然である。
 自分が高校生の頃はこんなにしっかりしていなかったかも、とは思った。

「ケータイを落としちゃって、どうしようかと思ってたの。紅茶、どうもありがとう」

 青年は目を丸くした。それがあまりにもの気持ちに寄り添おうとして見えたものだから、は余計に心の隙間を埋められた気分で安心してしまう。
 親切な青年は駅員の所までを連れて行った。
 二人は途中でいくつか話をし、は青年の巧みな話し方に釣られてあまり必要のないことまで暴露していた。例えば、奇妙な小学生との不思議なメールのやりとりの一端とか。
 ははあ、と青年は感心げに頷く。

「とても賢い子供なんですね」
「そうなの。絶対私より落ち着いてるし機転が利くよ。顔も広そう」
「顔ねえ……。小学生なのに?」
「勝手に周りに人が集まって来る、みたいなさ」
「ああ、なるほど」

 くすくすと笑い合う。
 はふとした思い付きから『毛利小五郎』と『江戸川コナン』について検索した時のことを思い出した。少年探偵団の子供たちも言っていたし、コナンの顔の広さには本当に驚かされる。

「怪盗キッドって知ってる?」
「え?」
「あ、ごめん、急だったよね。その子が怪盗キッドからの予告状の謎を解いちゃったこともあるっていうのを思い出したの」
「……へー……」

 あれ、とは首を傾げ、すぐに戻した。反応が芳しくないが、怪盗キッドが博する女子からの人気は絶大でも、男子には特に影響していないのかもしれない。なにせ白いスーツとマントとシルクハット、加えてモノクルをつけた薔薇の似合う月下の紳士である。
 米花からは少し遠い場所にある高校の制服を身に着けた、年齢に似合わない紳士さを持つ青年はの視線に気がつくと、深い思慮の眼差しとは打って変わってけろりと笑ってみせた。

「携帯電話、見つかるといいですね」

 ぱちん、と指を鳴らした彼の手には薔薇が一輪。造花だが、そうとわからないほど色鮮やかだった。

「え、あ、え?」

 あまりにも唐突な奇術に面食らい、は背を向けた親切な青年にお礼を言いそびれてしまう。
 紳士的に押し付けられた薔薇を手にする彼女は、駅員に話しかけられるまで、ぽかんとしたまま雑踏を見つめていたのだった。

 ちなみに携帯電話は親切な区民によりきちんと駅に届けられていた。予想よりも事が簡単に済んだことに安心したは、持てあます薔薇の写真を撮ってコナンに送った。コナンは夕食前にひと口ジュースを飲んでいたところだったのだが、受信したメールを見て喉を詰まらせた。のちの電話では、こんな会話が繰り広げられる。

さんって、そういう感じの人に縁があるんじゃない?」
「茂木さんとか、薔薇の男の子とか?」
「そうそう」
「男の子はともかく、茂木さんはコナン君の紹介じゃない?」
「でも、一日に二回もああいうのに会うってスゴいよ」
「ああいうのって」

 は声を上げて笑った。





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20141222