押しかけ探偵事務員の受難
03
どうにもこうにもうまくいかない。断るに断り切れず、は土曜日の午後、ちょうどおやつの時間に駅前で待ち合わせをすることになった。
時は季節の変わり目、風はなんの悩みもなさそうに吹き抜ける。円形の花壇を囲むベンチでは老夫婦が孫の到着を待ち、営業に出かけるサラリーマンが重そうな鞄を片手にうんざりした顔で改札を通り抜ける。ICカードとは何と便利なものか。もそっけないデザインのカードを持っている。
駅と駅向かいが挟む道路には車が行き交う。時おり、細いタイヤの自転車が素早く自転車路を駆け抜けた。幾人かが目だけで運転手の後姿を追いかける。最近は珍しくもないが、米花町ではあまり見ない光景だ。もちろん、のスケジュールとはまったく関係がない。
ぽかぽかと射す陽光が、並木の影を歩道に落とす。影は葉の動きに合わせて揺れ、人の靴に模様をつけた。
は駅向かいの小さな書店に居た。
個人が経営している店は、もともとはローカルなコンビニだったのだが、商売が回らなくなって撤去されたらしい。良い機会を逃さず、経営者は絶好の立地に店を構えたという。金持ちの道楽だ、と表現に反する好意的な声で受け入れられている。賑やかな街にも、切り取られたように静謐な空間が必要だという証か。
本を読むふりをして通りに目を向けるのも飽きてきた。空調が効いているから店内にいるだけで、欲しい本があるわけではない。見通しのいい窓の向こう、駅前に子供のグループを見つけるのが容易く、また居心地のいい場所を探したらここに辿り着いた。ただそれだけだ。
待ち合わせの時間から20分遅れて、子供たちは改札の外に姿を見せた。きょろきょろ周りを見まわしているのは、の姿を求めているからだろう。は本を閉じ、店を出た。店員と目が合い、何も買わない気まずさに負けて小さく会釈をする。
服の襟元を正し、サッと道を渡る。横断歩道のないところを走り抜けたから、情操教育に悪かったかもしれない。気づいたのは、少女に叱られてからだった。
「ダメよ、おねえさん。信号は守らなきゃ!」
「あ……、ごめん」
「コナン君もたまに道交法を無視しているふしがありますけど、こういうのはキチンとしなくちゃいけませんからね」
大人びた口調で言った少年の名は円谷光彦。が「えらいんだね」と感想を言うと、そばかすの散る頬を掻き、視線をちょっと彷徨わせた。照れたのだ。
すぐあとに、遅れてすみませんと謝罪があった。午前中は別の所へ遊びに行っていたので、電車の乗継に失敗したのだという。
「私のバイト先を探してくれるらしいけど、本当にそんなこと……」
余計なお世話、とは言えない。相手は子供で、稚拙な理屈を捏ね、振り回されるのはだと決まっているのだが、ここには彼らなりの思いやりがある。簡単に断れるほどは強くなかった。経験もない。もっとも、経験があれば良いのかと問われると答えられないのだが。
ズボンのポケットに両手を入れ、ひたすらにを見上げてくる少年に、は引きつった挨拶をする。
「コナン君、……ええー、と。喉渇いてない? 大丈夫?」
「大丈夫だよ。ありがとう、おねえさん!」
わざとらしいほどにこやかだ。何を求められているのかが読めず、はますますとっつきづらさを感じた。腕時計に目をやる大人しい少女がため息をつく。まるで、「いつまで続けるの?」と訊きたげな雰囲気だった。
は子供たちがあれこれ意見を交わす姿を見下ろしながら、この不思議な空間から逃げ出したくてたまらなかった。何が悲しくて小学生に手伝ってもらわなくてはならないのか。情けなくてしょうがない。
しかし、現実は非情である。に向いていそうな職業を列挙した少年探偵団は、江戸川コナンの一声によって動き出した。
「そこにバイト紹介雑誌があるぜ」
「あっ、ホントだ!」
「ねーちゃん! あそこあそこ!」
「はあ」
勿論既読である。
雑誌を読むという口実で、たちは駅前のファミレスに入った。大所帯だ。
広い席に案内され、早速メニューに目を通す子供たちを尻目に、の隣に座る眼鏡の少年はの手元を覗き込んだ。手持無沙汰に眺めていた雑誌を読んでいる。
たちは窓に面したソファ席に居た。奥のソファの壁際から順に元太、歩美、光彦が座り、反対の椅子には同じく順に哀、コナン、。
ドリンクバーで飲み物を調達した子供たちは、テーブルに求人雑誌を広げ、ああでもないこうでもないとお喋りをする。新しいおもちゃを見つけた気分なのかな、とはぼんやり彼らを観察した。
「ねえ、さん。さんがカフェ・ヒグチを辞めたのって、いつ頃の話?」
横からさしはさまれた突然の質問に面食らう。は右隣に心持ち身体を向け、頭の中で日めくりカレンダーのページを丁寧に戻した。そこまで前の話でもない。
「二週間くらい前だね」
「バイトを探し始めたのは?」
「……二週間くらい前だね」
「もう一つ質問いいかな」
江戸川コナンは一拍置いた。はドキドキしている。勘のいい子供は苦手だし、問い詰められてもニーナとアレキサンダーの行方はちょっと知らないのでご勘弁願いたい。
「秋竹さんが逮捕されたあと、……ううん、被害者が殺される前から、さんが辞めるまでの間、おかしなことは起こらなかった?」
色々な意味で予想外の問いを口にした彼は今、何を求めているのだろう。
の頭に疑問符が浮かぶ。
「店長が殺されたこと以外は、なにも。少なくとも、私が知る限りでは」
「……そう」
なぜ? と訊ねる。コナンは鋭い眼差しをスッと引っ込め、無邪気に口角を上げた。もう確実にわざとらしいものにしか見えなかった。
「別に、ちょっと気になっただけ」
納得できるはずもない。
店長が殺されたこと。
後輩が逮捕されたこと。
が職を失ったこと。
そのすべてを繋ぎあわせるのは簡単だ。挙げた通りの工程を踏み、この現実が組み上がった。
けれど、とは目を細める。どうやらこの少年は、簡単な平面パズルをバラバラに壊し、複雑な多面体を作ろうとしているようだ。どんな答えを欲しているのか、には予想もつかない。ただ、ヒヤリと背筋に冷たい鉄棒を触れさせられたような気がした。
が目を逸らしたふりをすると、コナンは顎に手を当てた。彼の落ち着いた深い思考の湖に手を入れ、冷たい水をかき分け、砂のように底に沈む真実を掴みとれたらどれだけ楽だろう。コナンは決して質問の意図を明かさないだろうし、も永遠に知ることはないのかしれない。それはしかし、とても残酷なことに思えた。
「俺たちと同じタンテイっていうのはどうだ?」
「ああっ、そうですよ! そうしたら僕たち、時には協力して事件を解決できますし!」
「あら、報酬で揉めそうなことを言うのね」
えぐいなこの子。の頬はみたび引きつる。
「私に探偵は向いてないよ」
「おねえさん、やってみなくちゃわからないわ! それに、向いてないなんて言ってたら何もできなくなっちゃうし……」
痛いこと言うなこの子。少年探偵団所属の女の子は二人とも強かった。
「でも、ほら。探偵事務所を開くお金もないし、アルバイトみたいな気持ちで挑める仕事じゃないだろうし、求人だってないでしょう?」
「うーん……いい考えだと思ったんだけどなあ」
「っつーか雑誌関係ねーし……」
「可愛らしくていいじゃない。発想も小嶋くんらしいわ」
でも、探偵なんていう発想はにはなかったし、きっと一生出てこないものだった。と、思うと貴重な意見として戴くのも悪くない。
「な、な。のねーちゃんは何ができるんだ?」
「えーっと。……居ないふりをするのが得意だよ」
「なんだそりゃ……」
「影が薄いってこと?」
「隠密行動にぴったりですね!」
「じゃあやっぱり探偵だろ!」
「いやいや、だから」
は首を振る。自分のグラスが汗をかき、テーブルに水たまりをつくっているのがやけに目についた。
なぜ自分がこんなに慌てているのか、はわからないと嘘をつく。新しいことに挑戦するのが怖いのか?
違うな、と胸中で失笑する。違う。彼女が怖がっているのはチャレンジなどではない。探偵事務所を開業するのはどう考えても無理だ。アルバイトとして雇ってもらうにも、良さそうな探偵社と求人情報を集めるところに注力しなくてはならない。が怖いのはその先だ。時間をかけたすえ、落ちた時を考える。何日かかるのかはわからないが、その間に稼げるお金もあるはずだ。数万円を逃すのは、の財布に痛かった。
ああ。
は口を閉じ、言葉を選ぶ。内へ内へ分析していく中、彼女はいつの間にか未知の仕事への憧れを抱くようになっていた。意識したせいで、新しい日常に挑んでみたくなったのだ。カツカツの生活には厳しい夢。は三回唱えた。カツカツだからダメ。カツカツだからダメ。カツカツだからダメ。
するとしても、もう少し生活を安定させてから。
「いやいやいや、非現実的だし」
何を血迷っているんだ、私は。は慌てて水を飲む。ちょうどパフェが運ばれてきて、会話は打ち切られた。子供たちは背の高い器に盛り付けられたフルーツとソフトクリームに夢中だ。白色のバニラにかけられた苺のソースが、実においしそうである。にしても、子供というのは季節に関わらずいつでもパフェを選ぶイメージがある。は少年探偵団を見て、その印象をより濃くした。
「……僕、探偵さんの連絡先知ってるよ」
「えっ」
コナンはアイスコーヒーのストローに口をつけ、思わせぶりに眉を上げた。すました顔で座っている。歩美がフォークでバナナを刺し、食べる。飲み込み、首を傾げた。
「おじさんのこと?」
「おじさん?」
「ハハハ……」
乾いた笑いは、『おじさん』への複雑な感情を含んでいた。まあ、呆れ、とか。毛利探偵事務所には今日もビールの空き缶が積まれている。
「おっちゃんじゃなくて、前に会ったことがある私立探偵だよ。優しいオジサンだった……、ぜ。うん。ハードボイルドだし」
まあ正確にはくせがあるけどあえて言わなくてもいいか、と付け加えられそうな口調だった。
「優しいオジサン、ね。私たちの知ってる人じゃなさそうね」
「確か、会ったことはなかったと思うぜ。で、さん。連絡してみようか?」
「……」
はぐるりと少年たちに視線を向け、少なからぬ心配の気持ちを寄せられていると察した。一度会っただけの女に、よくぞここまで感情移入できるものだ。には彼らの純粋さが遠く思えたし、押しが強くて怖いなとも感じた。
「どうしてそんなことまでしてくれるの?」
コナンは瞬時に本心を押し隠した。窓の外の電線から鳥が飛び立ち大きく羽ばたいたのと同時に、本音を笑顔の裏に押しやる。いつも通り、誰に対してもやっているように、少年の姿をした青年は大人の手腕をふるう。見とめたのは同じ境遇の哀だけだった。は断片なら読み取れても、どんな本性が隠れているのかまでは理解できない。先の殺人事件で言葉巧みに捜査方針を操った少年の動きは注視すれば不自然だったが、あの時のには余裕がなかった。今も、騙されてしまう。
「さんが放っておけないだけ」
素直に頷けない。
だけど。
「じゃあ、……お願いします」
窓側の席から歓声が上がる。眼鏡の奥の笑顔が深まり、罠に絡め取られたような気がした。
「でも、ダメでも怒らないでね?」
「怒るわけないじゃない」
先ぶれもなしに子供からあっせんの電話を掛けられ、頷く大人がどこにいるのだ。は当たらない前提で話を進めているのである。
「だけどこれだけ教えて」
今度は情けない声が少年探偵団に向けられた。質問を受け、彼らはきょとんとする。哀だけがくすりと喉の奥から声を漏らした。
「コナン君って何者なの?」
人生を狂わせる数ある殺人事件で容疑者になっただけの女を、たまたま居合わせただけの少年がわざわざ呼び止め、近況を聞き出した挙句、あり得ないコネを使って就職の面倒まで見ようとしている。絶対に、あり得ない。
「少年探偵団の一員ですよ!」
「歩美たちの大切なひと!」
「大事な仲間だぜ!」
「そうね。ただ、少し変わっているだけよ」
コナンは大きな目を強気に輝かせる。を品定めしているようだった。
「僕はただの小学一年生だよ」
あ、そうですか。
頭が痛くなって来たので、彼女はメニューを手に取った。甘いものでも食べるとしよう。先行きが不安で仕方がなかった。
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20141216