押しかけ探偵事務員の受難


21


 茂木の探偵事務所はすっかり片づいていた。
 元から整然とはしていたのだが、どこか視界にちらついていた積み上げられたファイルなどが綺麗になくなっている。仕分けと整理を進行させたの手柄と言って良いのではないだろうか、と決して褒めない一国一城の主の目を盗んで自画自賛する。
 真っ直ぐ探偵事務所にやって来たは、今日も今日とて斜め上あたりから世を眺めているような浮世離れした煙をくゆらせる上司にコーヒーを淹れた。だいぶ上手くなったが、こちらもまだ素直に褒められたことはない。

「悪くない、と言いてえところだが、評価するには今一つ物足りねえな」
「すみません」
「バンビーナは紅茶か?」
「バ、……。ええ、まあ、そうです。私はコーヒーよりも紅茶が好きなので」
「知ってるぜ。もうそれなりにあんたの好みは把握してるつもりだ」
「『探偵』らしいですね」
「そうでなきゃ、電話は鳴らねえ」

 茂木は余裕たっぷりな動きで電話を示した。
 今日はまだ一度もかかって来ていないが、昨日は目が回るほど忙しかった。依頼のために茂木が出かけていたのでがすべての対応を任されていたのだが、電話は鳴るわ訪問者は絶えないわと茂木の実力がいかほどのものかが身にしみて理解できる繁盛ぶりだった。茂木がニヒルな笑みでこう言うのも納得できる。
 こう見えて、凄腕の探偵なのだ。
 は自分が評価されたような気になって、ほわりと胸が暖まるのを感じた。
 不意に微笑んだを訝ったが、茂木は追及しなかった。どうせ土産のフィナンシェをいつ食べようか予定を立てているのだろう、と凄腕の探偵にしては三流の推理を組み立てる。
 そのまま視線をから窓の外へ滑らせる。いい天気だった。
 二本目の煙草を灰皿に押しつけ、思い出したようにデスクの引き出しを開けた茂木は、封筒を取り出してに差し出した。
 カップを置いたがそれを受け取る。宛名も差出人の名前もない無味な封筒は軽かった。
 渡されたのは開けろという意味だろうと察して中を覗くと、チケットのようなものが一枚入っている。
 その紙が招待状であることは、取り出して見ればすぐにわかった。

「なんですか、これ」
「何に見える?」
「招待状、ですかね」
「その通りだ、お嬢ちゃん」

 まともに会話する気があるのかないのかわからないほど、茂木の台詞は回りくどい。
 招待状に名前はなく、ただ『ツインタワービル オープンパーティーご招待状』と大きく飾り文字が印刷されていた。

「ツインタワービル?」
「西多摩市に今度オープンする建物らしいぜ。随分高く造られてて、天国にも届いちまいそうだとさ。見たことくらいあるだろ?」
「ああ、そういえば……あるかもしれません。どうして茂木さんに招待状が?」
「推理してみな」

 やはりまともに会話する気はないようだ。は嘆息した。
 紙をよく見てみることにする。
 飾り気といえば大きくスペースを取るチケットのタイトルくらいなものだが、紙自体はしっかりしていて、ゆるく折り曲げた程度では跡もつかなそうだ。胸ポケットに入れるのにちょうどいいサイズで、角が鋭い。
 裏を見ても宛名はない。
 関係者に知り合いでもいるのかもしれない。探偵業で築き上げた交友関係の中に、このビルの建築に関わった人間との繋がりがあってもおかしくはなさそうだ。招待状を都合するとなると、かなり影響力のある人間なのだろう。
 常盤、という会社には見覚えがある。電子機器を中心に扱う会社ではなかっただろうか。なんとなく、探偵に縁もありそうだ。

「常盤に昔の依頼人がいる、とか」
「まあ、当たりってことにしておくぜ。オーナーの常盤美緒の身辺調査を頼まれたことがあったんだが、どうにも胡散臭い依頼人だったんで一悶着あってな」
「茂木さんが解決の手助けをしたんですか」
「そんなところだ。にしても、招待状を送って来るたぁ律儀なマダムだとは思わねーか?」
「いつの話なんです?」
「さあ? よくは憶えてねえが、最近じゃあねえな」
「じゃあ、律義ですね」
「数合わせだろうがな」

 ひと言付け加えなくては気が済まないのかもしれない。

「どうするんです?」

 茂木はひらりと手を振った。

「嬢ちゃんが行きてえなら持って行きな。パーティーだぜ」
「茂木さんは行かないんですか?」
「一人じゃ寂しいってか?」
「いえ、茂木さんが招待されているのに私が行くっておかしくないかなって」

 ここで茂木が喉を鳴らして笑った。

「行く気にさせたいなら言葉が違うぜ?」

 行く気にさせたいわけじゃないんだけどな、と思いつつも、はこれも給料の内だと考えることにした。
 そもそも茂木は誘われたいのか? 招待状を貰っているのは茂木なのだから、むしろ誘われるのはの方ではないのだろうか。そんな疑問がの頭を混乱させる。
 ただ単に面白い玩具をいじくり回しているだけだとは、流石に思い至らなかった。
 困り切って眉根を寄せたは、招待状と茂木の間でうろうろと言葉を迷わせてから、「あの」と口火を切った。茂木は四本目の煙草に手をつける。

「寂しいので一緒に行ってください」
「いいぜ」
「なんか納得いかないんですけど」
「まだまだお嬢ちゃんだな」

 釈然としないものを抱えつつ、はもう一度招待状に視線を落とした。
 オープンパーティーは来週だ。どんな格好をすればいいのか、考えなくてはならない。
 こういう時、男の人は便利だなと思う。スーツを着こなしていればいいのだから。
 もっともこんなことを茂木に言えば、一に対して百以上もの講釈が返って来るのだろうけれど。





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20150503