押しかけ探偵事務員の受難


20


 その日、コナンは落ち込んでいた。
 大きな手掛かりになるだろうと思っていた事件を取り逃がしてしまったのだ。
 確かに総力を挙げて追いかけていたとは言えなかったが、注意を払っていたつもりだった。ジョディに事情を打ち明け、独自のルートから捜査をしてもらいもした。それでも、こればかりはどうしようもないのだろう。人の生き死には誰にも予知できない。
 比喩になるが、コナンは目前に迫ったヒントを掴み損ねた。その悔しさは、偶然街中で出会ったが眉をひそめるほど、子供の丸い瞳に表れていた。
 どうしたのと訊ねられても、答えられるはずがない。彼女を巻き込まないと決めたばかりで、手を引くよう忠告したのもコナン自身だ。
 のすぐ近くで行われていた、過去の職場での薄暗い取引き。黒の組織が関わっていたそれ。

(クソッ……)

 ぎりりと歯を食いしばり、すぐに何事もないふうを装った。こういう隠し事が増えていくのは少々負担だったが、こうする以外にどうしようもない。

「なんでもないよ、さん」
「……そう?」

 決してそうは見えないのだが、は納得することにした。下手に藪をつついて蛇を出すこともあるまい。
 気軽に世間話をできそうな雰囲気でもなさそうだったので、早めに退くことにする。
 それじゃあね、と以前に比べればずっと明るくなった表情で控えめに微笑んだの背中に、コナンは声をかけた。

「ねえ!」

 振り返るの姿は、日常を体現していた。
 彼女にとっての日常。それから、きっとこれから彼女が向かう事務所で待つ茂木の日常。ひょんなことから知り合ったコナンたち小学生組と出会い、世間話をして笑顔を交わし、今がしたように「それじゃあ」と別れて街を行く日常。
 太陽の光が降り注ぐのと同じように、はこのまま生きていくのだろう。
 その彼女の領域は侵しがたかった。
 一度、非日常に突き落とされたは、自力で這い上がって来た。コナンが焼いたお節介は良い方向に転んだようだが、あの癖の強い探偵と一緒にやっていけているのは自身の努力のおかげだ。凄惨な事件を忘れようとつとめ、実際に、平穏な生活に戻りかけている彼女に、これ以上何を言えるだろう。
 実際は、コナンが思うほどの生活は凪いではいないのだが、それは少年にはわからないことだった。
 一見するとは、ちょっと不幸な一般事務職なのだ。

「……なんでもない。茂木さんによろしくって言っておいて」
「う、うん」

 怖いなあ、とは思った。この少年が時おり出す、年齢に似つかわしくない低い声。何もかもを悟ったようなそれが、はちょっとだけ苦手だ。見透かされているような気持ちになる。
 けれどコナンはそれ以上は何も言わなかったので、踵を返して今度こそ歩き出す。
 背中に向けられる、さまざまな感情を含んだ悔しげな視線には、気づかなかった。
 そう。
 ジョディがコナンに連絡をしたのは、今朝のことだった。
 の元職場において行われていた黒の組織との深い接触。
 その当事者と思われる男がすでに死亡しており、更にその死因が、殺害される前のカフェ・ヒグチ店長その人の凶行だったと言われれば、落胆の程度の一端は理解できるというものだ。
 なぜならもう、それらの手がかりは二つとも、この世から消えてしまっているのだから。

(……くそッ……)

 コナンは灰原哀の隣に戻り、少年探偵団から二歩遅れて歩きつつ、もう一度歯を食いしばった。
 哀はそっとコナンを横目で見る。彼が悔しそうにしていると、もうやめてしまえばいいのに、とどこかで思ってしまう。
 しかし決して立ち止まらないこの小さな探偵は、哀のためらいと愁いを知りながらも先へ行く。
 目指す場所から光が漏れ出ているのがわかるから、哀も必死に進むのだ。

「もう彼女に危険が及ぶことはないわね」
「……ああ、そうだな」

 哀が論点をずらすと、コナンは目を瞠ってから哀の発言に乗った。
 はもう、危険ではない。組織との、あるのかないのかわからないほど細い繋がりは完全に切れた。

「悔しいけど、仕方ねえか」
「ええ」

 顔を見合わせた二人を呼ぶ声がある。元太たちだ。
 今行く、と返事をして、ランドセルを背負い直した。





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20150503