押しかけ探偵事務員の受難


19


「Hi! I'm glad to meet you! How are you?」

 薄く、少し硬い手のひらで手を包み込まれ、右手での握手を受けたは緊張で笑顔が引きつるのを感じた。
 失礼だとは思いつつも、英語は得意ではないので焦ってしまう。
 しかしよく考えれば目の前のひとはこちらの言葉に堪能だ。
 英語教師、なのだから。

「ナ、ナイストゥーミーチュー……トゥー。ええと、……あ、あいむふぁいん……」
「Rearlly? I see that you are strained. 」
「とんでもないです!」
「Are you OK?」
「い、いえす」

 本当はまったくOKではない。
 ジョディ・スターリングは眼鏡の奥の、事件の時は鋭く光るだろう瞳を陽気に輝かせにハグを贈った。カチコチのは細身の身体に腕も回せず、全身で女性のぬくもりを感じるだけだ。
 離れた彼女はニコニコ顔でもう一度の手を握り、上下に振ると、さり気なくを褒めてから適切な距離へ身体を戻した。

「とてもキュートな女の子ね。コナン君の言っていた通りだわ」

 どのような話があったのかはわからないが、悪い話題ではなかったのだろう。ジョディの表情からは好意が読み取れる。
 そうですか、とあたりさわりなく相槌を打ったを見て、緊張がまだ解けていないとわかったのだろう。FBI捜査官は「お茶でもしない?」とを誘った。
 まだ背の低い子供のコナンが、の服を引く。

「いいじゃない。時間、あるんでしょ?」
「うーん……」
「あら、忙しいかしら。ちゃんの話を聞きたいのだけど」
「わ、私はあまり面白い話はできないと思います。英語も得意じゃないし」
「見ての通り、私は日本語もできるから気にしなくていいわよ。もし本当に時間がないのなら諦めるけれど、コナン君のお友達なんでしょう? このボウヤの年上のお友達なんて、気にならない方がおかしいわ。違う?」
「まあ、確かに、私も気になりますけど」

 自分がそんな話を聞いたら、きっと訊き返してしまう。なんて災難な人なんだ、と。

(でも、自分のこととなると、ちょっとなあ)

 詮索されるのは少し嫌だ。
 事件や黒い話題とは何の関係もない人間だと思われているのが幸いだが、それ以外はあまり宜しくない。
 ジョディは自分がFBIの人間だとは一度も名乗っていない。けれどは知っている。コナンが『工藤新一』であると知ることを隠すのと同様に、ジョディが犯罪組織を追って訪日したことを。
 うっかり洩らしては大変だ。シャレにならない。もしかしたら太腿かどこかに巻き付けて隠してある――かもしれない――拳銃を突きつけられて尋問されてしまうかもしれないし、の立場はとても悪くなるだろう。
 これ以上、負担を増やしたくない。の正直な気持ちだ。
 だが、予定がないのも事実。
 喫茶店でお茶を飲んでいて、窓の外に目をやってしまったのが悪かったのか。窓際の席を選んだのも良くなかった。コナンとの視線はばっちり合い、はコナンが無邪気な笑みを浮かべるのを直視した。隣に立つ女性とコナンが二言三言交わし、こちらを指さしたので、は飲み終わっていたジュースのグラスと空の皿を置いて会計を済ませ、自分から外へ出たのだ。
 がそうしてカフェでティータイムを楽しんでいたと知っていながら再びのお茶を勧める。これはもう、逃がすつもりはないと見て良いだろう。
 抵抗を諦めた年下の女性が、サッと鞄に目をやったのを見て、ジョディは明るく言ってやった。

「もちろん、奢るわよ」
「だってさ、さん」
「……ははは……」

 この世界では善意の気遣いが心に刺さる。

 日当りのいい喫茶店で、三人は内寄りのテーブルを囲んだ。これはジョディがさり気なく誘導した結果だ。窓際の席はあまり選ばないようにしていた。
 そんなジョディは日替わりの紅茶を。は二杯目になるので、味を変えてホットコーヒーを。コナンはレモネードを頼む。
 ケーキをつけるかとメニューを向けられたが、こちらも二皿目になってしまうので、は丁寧に断った。「そう」と微笑んだジョディは、が『奢る』と言った自分に気を遣って断ったのだと思い、目の前に座る女性の印象をより良く感じた。
 飲み物が運ばれてくる。
 は砂糖もミルクも入れずカップを傾けた。

「随分大人な趣味なのね」
「大人なふりをしたい、かなって」
「素敵な心掛けだと思うわ」
「ありがとうございます。……そういえば、コナン君もいつもアイスコーヒーを飲むよね。すごく大人っぽいなって思ってたんだ」
「え、……あははは……。僕はあれが好きだから」

 少し意地悪をして溜飲を下げたところで、ジョディがミルクを紅茶に注いだ。誰が注いでも下手くそなマーブル模様ができるものだと思っていたが、コツを知っているのか、ジョディのカップには綺麗な渦巻きが浮かび上がった。
 ソーサーにスプーンを置く音は、店内の雑音に混じって聞こえない。
 どんな本題を切り出されるのだろうか。
 一人首を傾げた探偵秘書に、英語教師の仮面をかぶる女性はコナンとの出会いを訊いた。
 にとってはあまり話したくない出来事がきっかけなので、説明はコナンに任せて、コーヒーを飲みながら時おり頷いて話の進行を助ける。
 ひと通りの事情を理解すると、ジョディは痛ましげに、どこか馴れ馴れしくの方へ顔を寄せた。

「大変だったのね」

 彼女は既にコナンから事情を聞かされていたが、初耳な顔をしての不幸を嘆いた。

「えっと、それで、スターリングさんはどうして私とお茶をしたかったんですか? 私が話せることなんて何もないですよ」
「日本のお友達を増やしたいって気持ちもあったの」
「そうですか。私で良かったらぜひ」

 言いながら、は自分を頭の中でひっぱたいた。心にもないことを言うとは、随分と大人になったものだ。

ちゃんは探偵事務所に勤めているんですって?」
「あ、はい。雇ってもらってます」
「押しかけだけどね」

 コナンの合の手に、今度はジョディが首を傾げた。

「押しかけ?」
「まあ……。仕事がなくて困っていたので、コナン君に紹介してもらって、探偵は渋っていたんですけど無理やり押しきったんです」
「意外と気が強いのかしら?」
「そうでしょうか。やっぱり人間、生活が懸かると必死になるんですよ。ジョディさんはどうして日本に?」
「仕事でドジっちゃってね。傷心旅行に来てるのよ」
「……はあ、そうなんですか」

 そんな設定だったっけ? はぱちりと瞬きを繰り返した。
 英語教師じゃないの?
 口には出さないが、怪訝そうな表情が浮かぶ。それを見て、ジョディは苦笑した。

「こちらでいう警察みたいな仕事でね。ミスが大きくて、ショックが強かったの」
「け、……けいさつ?」
「ええ。恥ずかしいから秘密にしてくれる?」
「え、あ、はい、まあ、それは、あの、はい」

 彼女の驚きは、傷心旅行で単身日本にやってきた警察の関係者が目の前にいることへのものだと思われた。
 そうなのよ、とジョディは重ねて強く押した。

「秘密よ」

 英語教師の仮面をかぶり通しているものだと思っていたは、想像していなかった事態にしどろもどろになってしまう。
 それに、こんなに簡単に暴露してしまって問題はないのか。
 無理やりに秘密の共有者にされたはたまったものではない。

「あ、あの、どうして私にそんな大事なことをばらしちゃうんですか」

 情けない顔を見て、ジョディは口元に手をやった。

「コナン君のお友達で、これからは私のお友達でもあるもの。内緒にはしておけないわ」

 もちろん、嘘である。
 ジョディはコナンから、が黒の組織と関わりのあるカフェで働いていた過去を聞いていた。
 組織との関係の疑いは――コナンの中では事実上――晴れているものの、本来ならばジョディが身分を一部でも明かすことはありえない。
 だが、今やかなりの数の人間がジョディの正体を知っているうえに、はコナンの知人だ。
 『一般人』の枠組みに身を置く彼女だが、コナンと友情関係を結んでしまったことですでに危険の中に片足を突っ込んでいる。有能な探偵のもとで働く秘書となれば余計に、意図せずとも『組織』と接触してしまうかもしれない。
 ジョディはそんな時、彼女が頼れる人間でありたかった。
 こうして立場を明かしたことで、何かあった時、相談できる窓口になれるかもしれない。
 そんな思いを隠しつつ、ジョディはこう仄めかす。

「何かあったら遠慮なく言ってくれて構わないから。ストーカーに遭ったりとかね。日本の警察とは別の方向から退治の方法、教えちゃうんだから」
「は、……はい」

 ジョディの真意を読み切れないまま、はこくりと頭を動かした。
 携帯電話のアドレス帳に、知っているのに知らない名前がまた一つ増える。
 何かに外堀を埋められていくような気がして、胃がしくしくと痛んだ。





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20150322