押しかけ探偵事務員の受難
18
コナン。
江戸川コナン。
毛利蘭。
毛利小五郎。
鈴木園子。
そして、。
これだけのメンバーが揃っていて、何もないなんてありえない。
わかっていたはずなのに、は真っ青になっていた。
信じられない気持ちでいっぱいだ。僅かに残った希望を胸に園子の家の車に乗り込み、気を遣い、そして遣われながら、楽しい旅路を過ごしていたはずだ。
だが途中、立ち寄ったサービスエリアで事件は起こった。
「イヤアアアッ! タカシ! タカシーッ!」
走り出したコナン、小五郎、蘭に続いて、園子とも嫌な予感に苛まれつつ彼らを追いかける。
辿り着いた男子トイレの前、女子トイレとの分岐路には人だかりができ、絶えないざわめきがあった。
彼らをかき分けた探偵たちは目を見開く。
座り込んだふうの男は壁に凭れ、無機質な眼差しを自身の爪先に向けて絶命していた。
警察の登場を待つ間、小五郎とコナンは自主的に事情聴取を繰り返す。
手帳に何事かをメモする小五郎の姿をどこかで見たことがあるのか、何人かが彼の正体を言い当て傍観者たちをどよめかせる一幕もあった。
やがて到着した警察官の中に、背が高く、身体つきのしっかりした男がいた。
彼は小五郎とコナンに目をとめ、彼は大きな口で豪快な声を上げた。
「毛利さん! 毛利さんじゃありませんか!」
「げっ、静岡県警の横溝……」
「参悟です!」
「知ってるよ、ンな声を出さなくても」
コナンは自分よりも数倍背の高い横溝の横顔を見上げた。
(なるほどな。そういえばここはもう静岡だった)
殺人事件となれば、県警捜査一課の横溝参悟が出てくるのは当然といえる。すぐに駆けつけられたのは、他に目立った事件がなかったからだろう。
横溝警部は小五郎に会えたことを歓んでいたが、死体を前にすると表情を一変させた。急にきりりと鋭い目つきになったため、観察していたは面食らった。
「この死体はいつからここに?」
「『第一発見者』が誰かはわからない程度には長く居たみたいだな。血がじわじわと垂れて来なきゃあ、誰かに身体でも揺さぶられない限り気づかれなかっただろうよ。遠目からは具合が悪いか、酔いすぎたかのどっちかに見えるようだし」
「サービスエリアで酔いつぶれるっていうのもなかなか珍しいけどね、おじさん」
「うるっせぇなあ、オメーは。蘭たちと一緒に固まっとけ!」
「まあまあ、毛利さん。この子が居ると何かとインスピレーションが働きますし……」
「えへへ」
「えへへじゃねえッつーんだよ」
「ねえおじさん、見てよ。この人、手に何か握ってる」
「ん?」
死体の手に顔を近づけた小五郎たちから顔を背け、は手に持ったままだったジュースを飲み干した。胃に冷たいものが入る感覚が小さな吐き気をもたらしたが、それは凄惨な殺人事件に立ち会ってしまったせいで、具合が悪いわけではないだろう。車酔いもしていないし、衝撃が大きすぎただけだ。
園子もよく見れば顔色を悪くしていた。心配そうにしながらも平静を保てているのは蘭だけだ。この世界の厳しさでは潰れそうだった。
やっぱりついてくるんじゃなかったなあ、と思ったかどうか。良心のある者ならば、追究できない仕方なさだった。
「顔色が悪いようですが、大丈夫ですか? えー……」
「です。」
「さんですね。具合が悪いのならパトカーで休んでいても構いませんよ! 毛利さんの関係者の方ですよね!」
「え、ええ……。あの、まあ、それでいいんですか?」
横溝警部は低く、歌うような声を溌剌とさせ、ええもちろん、と頷いた。
「死亡推定時刻から言っても、毛利さんたちは容疑者から外れていますからね! 問題ありません。さんが倒れてしまうほうが大変です」
「は、はあ。ありがとうございます」
「ええ! ……あ、それではまた後で! 後で、があるかはわかりませんが!」
「は、はあ」
気圧されたは車には戻らず、ジュースの缶を持て余して立っていた。
事件の終わりは、眠らない小五郎による指さしで訪れる。
運転役の小五郎が麻酔銃でふやふやになってはいけないと思ったのか、コナンは苦労しながら小五郎の推理を誘導し、素面で真相をもぎ取らせたのだ。
「この場所を金の受け渡しに使っていた、あなたが犯人です」
パトカーに乗せられた犯人を見送り、嫌な一仕事を終えた苦々しい顔で自分も車に乗り込んだ小五郎は、暮れ始めた太陽を見て頭を掻く。このまま行くと旅行の初日は潰れ、一日目を園子の家の別荘で眠るだけで終わらせることになるだろう。勿体ないなと思うのはだけではなかった。
高速道路に戻り、びゅんびゅんと風を切る。
事件などなかったかのような平穏極まりない世界まで車を走らせると、目の前に海が広がった。
わあ、とが小さく歓声をあげる。
「夕焼けも悪くないわよねー」
園子のあっさりした、自慢の色など何もない声が快活で気持ちいい。
窓を開け、風を通す。
血の臭いで始まった小旅行だが、どうか平和に終わって欲しい。
はそっと、呟いた。
(帰れますように)
無事に終わるとは誰も言っていない。
願いむなしく、二日目の昼にも事件が起こった。
朝、誰に起こされるでもなく目を覚ましたは、携帯電話の時計を見て冷や汗を流した。朝食の時間から大きく外れている。
アラームをかけたつもりだったが、聞こえないほど深く眠っていたようだ。
無理もないか、と自分を擁護する。初っ端から殺人事件に出くわし、終わったと思えば、別荘で夜中まで女子高生とトランプで遊び、せめてもの接待になりはしないかと小五郎の晩酌に付き合ったのだから、疲れてもいるだろう。
しかし夜遊びは自分が言い出したことだ。提案者が率先してへこたれているのはおかしい。
慌てて着替えて顔を洗い、歯を磨き階段を下りる。脚を出す勇気がないので、細身のジーパンにシャツという簡単な、年齢にしては着飾らない服装だ。
園子はそんなを見て少し残念そうにした。
「荷物が小さいからかさばらない服を持って来たのかと思ったら、なんだ、ジーパンなんですね。ちょっと残念かも」
蘭も同意する。
「普段、あまり脚を出したりはしないんですか?」
そう訊ねる蘭は短いスカートからすらりとのびた脚を惜しげもなくさらしている。健康的な肌色は若さの象徴か。
園子はデニム生地のローライズショートパンツを、こちらも躊躇なく着こなす涼しげな装いだった。
「そうだね、あんまりそういう格好はしないかも。似合わないし」
「そんなことありませんよ。見てみたいです」
「らーん。ンなこと言ってても今日は水着だし?」
「そうだった! 持って来てますよね、さん?」
「う、うん、まあ」
パラソルの下で読書でもしておこうかと、重たいのにハードカバーの本を荷物の中にしのばせている、とはとても言えない雰囲気だった。
一応、水着は持って来てある。コナンに猛烈な勢いで推されたからだ。
彼曰く――「蘭姉ちゃんは絶対に見たいって言うし、持ってないって言ったら責任感じて申し訳なさそうにするから持って来てね」とのことで。
なぜ蘭が責任を感じるのかまったくには理解できなかったし、コナンが蘭を大切にしすぎていて引く気持ちもあったのだが、おそらくあれはを200%楽しませようとしての言葉であって、内容はどうでもよかったのだ。適当に言い連ねた結果、にとって年下の友人である蘭を引き合いに出すことになったのだろう。
本当にただの、リフレッシュのつもりだったのかも。
ようやくはコナンの善意を信じ始めていた。
「どんな水着か楽しみです!」
「もしかしてビキニだったり?」
「え、いやいや、ビキニ!? そんなわけないよ!」
「似合うと思うのになあ」
蘭と園子は顔を見合わせ、肩を揺らして笑い合った。
が持参した水着は、変哲のない、ワンピースタイプのものだ。期待に副えるかどうか。
不安になりつつ着替え、上にパーカーを羽織ってパラソルに向かう。シートが浮かないよう杭を打っていた蘭が、まるで察知したかのように振り返り、わあ、と遠目からわかるほどに微笑んだ。
「さん! すっごく似合ってます!」
「う、あ、ありがとう。おかしくないかな」
「全然! えー! 可愛いです! 写真撮りませんか?」
「え、ええ?」
困惑ではなく同意と取られた。
蘭は園子を呼び、園子も蘭と似たようにの肩を掴んで目を輝かせる。似合う! を連呼され、嬉しい反面、小五郎の呆れ顔とコナンの引いた眼差しには心を折られた。
三人並んで、園子の携帯電話のインカメラに笑顔を向ける。
撮られた写真はすぐに、園子とアドレスを交換したの受信フォルダに飛び込んできた。
なんだか照れくさい。女子高生と並んで水着の写真を撮るなんて。
壁紙にしますね! と言われ、慌てて止めた。
「ねえ、みんなはもう日焼け止め塗っ――」
「ウワアアアア!!」
野太い悲鳴が聞こえた。なんというデジャブだろう。
日焼け止めのボトルを持ったまま、は一人項垂れる。やっぱりか。どうしてこうなっちゃうんだ。バカンスはどこへ行った。心の洗濯どころか、胃袋への負担がやまない。
(帰れるのは間違いないだろうけど)
のことなど忘れて事件に夢中になるコナンの背中に、ひとりじっとりと恨み言を混ぜた視線を送っておく。
(二度と一緒に行かないからね、コナン君)
この日もまた、風が冷たくなるまで全員が事件解決に向けて一丸となってしまい、女子三人は本領を発揮させられないまま、遊びもせずに水着を脱いだ。
文句を言う園子を蘭が宥めていたが、は全面的に園子に同意する。言葉に出さないだけ、大人なのだった。
三日目。
今度こそ太陽の下で女子高生がはしゃいでいたけれど、はいつ三度目の殺人事件が起こるかひやひやしながら気を張っていたので、月曜日に茂木の事務所へ出勤する頃にはすっかりくたくたになり、お土産と共に盛大なため息を差し出すことになる。
いったい何事だと眉根を寄せた茂木は、名探偵コナンがいかに事件の渦に飛び込んでしまうか、その恐ろしさをまだ――それほど――知らずにいる。
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20150314