押しかけ探偵事務員の受難


17


 奇妙な言い方だが、が死んでからこれでひと月が経った。初めてあの旅館に行った時からは、体感で二か月が過ぎていることになる。
 それだけ時間が経っていれば旅館以前にどんなことをしたかを忘れているかと思いきや、の人生は一年三か月と少し前から非常に濃密なものとなっていた。忘れたくても忘れられない。
 意識が旅館に戻った理由はわからないし、きっと判明しないまま人生が終わるのだろうなと予想はできている。
 今、にできるのは、過去を振り返ったり、『もう一度死んだらどうなるのかな』などと愚かな好奇心を出してみたり、『どうせ戻るから』と暴飲暴食を繰り返したりすることではない。
 この体験で得た教訓と、心に刻まれた意識はこれだ。

(安易に、逃げない)

 自分の選択――保護プログラムの申請――が間違っていたとは、彼女は思っていない。だが、あまりに不義理であったと後悔は持っていた。
 後悔したから、いけなかったのだ。
 とても強くそう思った。
 しかし、後悔しない生き方というのは難しい。茂木は後悔などぶっちぎって生きているように見えたので、探り探りコツを訊いてみたが、望むような答えは得られなかった。

「俺は好きに生きてるだけだ。締めるところはきっちり締める。それにつきるぜ」
「で、ですよね」

 は大人しくコーヒーを淹れた。

 ひと口飲み、にが、と呟く。茂木が笑った。茂木の事務所でと向き合ってソファに腰掛け、ジンジャーエールを飲む探偵も笑った。

「嬢ちゃんにはまだ早えんだな」
さん、濃く淹れ過ぎたんじゃない? 氷入れたら?」
「う、うん」

 ドアを開け、人影がないことに驚くも気配を察知しパッと下を見たは、無邪気な顔で笑む小学生探偵を見つけた。小学校はどうしたのかと問えば、なるほどショウキョウキョウという便利な制度があるらしい。
 ショウキョウキョウの漢字を思い出せていないを見かね、コナンは宙に指で字を書いた。なんと彼は正面に立つが読みやすいように、コナン自身からしてみれば左右あべこべに漢字を書いた。
 言われてみれば細く開けられた窓の向こう、通りのほうからは子供の声が多く聞こえる。
 茂木がシッシと手を振った。

「用がねえなら帰んな。ここはガキの遊び場じゃねえ」
「用ならあるよ。さんに」
「ひっ」

 思わず身を引く。嫌な予感がした。

「そういうことなら好きにしな。今日は閑古鳥だろうから、出てっても良いぜ」
「おじさん、こんな時間なのにお客さんの入りがわかるの?」
「カンが働くんだよ。探偵ってのはな」
「ふーん。でも僕ここでいいや。さんとお話したいだけだから」

 私は特にはしたくないんだけどなあ。
 コナンにとっては一度だけ。にとっては二度めになる尋問を乗り越えた身としては、コナンの一挙一動が恐ろしくて仕方ない。何かの拍子にばれてしまいそうだ。はそこまで腹芸がうまくない。
 最初の飲み物が切れたのを見てもう一度コーヒーを淹れ、茂木、コナンの前に置く。コナンのものは冷たくして出した。
 そして持ち掛けられた話がこれだ。

「海、行きたくない?」
「え、ええ? ……行きたくない」
「『誰と?』とか『どこの?』とか、訊かないんだね」
「う……」

 どこであろうとコナンと一緒の旅はいやだ。
 言葉にはできないので気まずさを噛むしかない。
 子供は気を悪くした様子もなく、すらすらと続けた。

「園子お姉さんのことは知ってるでしょ? この間会った、ヘアバンドで髪の短い、蘭姉ちゃんの友達の」
「ああ、園子ちゃん」
「その園子お姉さんが僕と蘭姉ちゃんと小五郎のおじさんを海に連れて行ってくれるって言ってくれてるんだけど、せっかくだしさんもどうかなって思って」
「せ、せっかくだし、って?」
「僕たち仲良しになったじゃない?」
「そ、そうかなぁ……」

 勢いに圧されてたじたじだ。
 仲良しかと言われると弱弱しく否定できるのだが、じゃあ仲良しではないのかと攻め方を変えられると、それは肯定しづらい。矛盾に満ちたの心情を量ったのか、少年はしばらく黙って彼女の顔を見つめてプレッシャーをかけていた。
 裏があるわけではなかった。
 短期間でさまざまな事件に巻き込まれて不憫な女性にリフレッシュの機会があればなあと気を回したところに、園子からのこの申し出があった。それで言う通り、『せっかく』なので誘いをかけてみた。それだけだ。
 それなのにがありもしない真意を探っているのがわかり、ついくすくす笑いを重ねてしまう。それが余計、彼女に不気味さを感じさせた。
 はっとは顔を上げた。
 私には仕事があるじゃないか、と暗闇の中に一条の光が射し込んだような顔をしている。
 一足早く茂木が言った。

「有給はねぇが、行きてえなら好きにしな」
「うう」
「可愛い顔が台無しだぜ、キティ」

 もはや茂木の言葉に鳥肌を立てる余裕もない。こう言われては断る理由を見失ってしまうではないか。
 苦し紛れにコーヒーを飲み、「にが」と呟いてから、は視線を逸らし気味に、コナンの唇のあたりでうろうろさせながら頷いた。

「お、おねがいします」

 意志が弱い。
 コナンは笑顔で頷いた。





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20150314