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恋人

ドリーム小説
強く腰を抱き寄せられ、その指先がの体型をなぞるように動いても、はその手をつねったりはしなかった。どんな些細な痛みでも、敵のスタンドと戦うジョセフに影響があってはいけない。
「顔は好みじゃあないが、尻から太ももにかけては素晴らしいな。ン?胸は……まあ、こういう趣味のやつもいる。諦めるなよ」
「諦めてないよ!失礼な!」
スティーリー・ダンは言葉だけであっても、抵抗する様子を見せたをひどく面白がっているようだった。
は筋肉のつきやすい身体で、無駄なくそれなりに引き締まった腰や太ももを見て、格闘技でも習っているのかと訊ねられることが多かった。ダンにもそう見えているらしく、の尻を撫でまわしながらニヤニヤしている。戦うすべを知っている人間が、どれほど無抵抗でいられるのか楽しみでならないのだろう。肘鉄のひとつでも入れられれば、ダンは咳き込む程度でもジョセフは胃の中身を吐いてしまうかもしれない。
「いいザマだなぁ承太郎」
橋になれ、から始まり、靴を磨かされたり背中をかかされたり、万引きさせられボコボコになったりと承太郎は散々な目に遭っている。
「なんて言っていいかわかんないけど、……大丈夫?」
「こいつの心配か?ふん、まさかお前、承太郎のことが好きなんじゃあないだろうな?」
「……は?」
ダンの膝の上に座らされ、腹部を撫でられながら承太郎に声をかけると、ダンは急に機嫌を良くしての首に顔を寄せた。ぎょっとして離れようともがいたをより強く腕の中に閉じ込め、ダンは舐めるような声音でに囁く。
「よォし、じゃあ今度は、お前にやってもらおう」
「(跪いて靴を舐めろとか言うんじゃないだろうなこの変態)」
背筋をぞわりと寒気が走る。ダンは言った。
「俺にキスしろ」
まじまじとダンの顔を見て、は大きく口を開けた。何を言っているのかわからない。
「…………は、はああ!?」
「どこに?なんてトボけるんじゃないぜ。決まってる、口だよ」
「私が!?アンタに!?」
「承太郎にキスさせるはずがないだろうがァー?嫌なら嫌って言っていいんだぜ?もっとも、断られたらショックでそこの壁に脚を叩きつけちまうかもしれないけどなァ」
はこの17年間、まったく色めいたことと無縁で生きてきた。自分から下品な話題に走ることで、あえて核心に触れさせなかったと言ってもいい。要するに逃げていたのだ。それが、なんということだろう。
「(キ、キス……)」
もちろん、ファーストキスである。可愛げなく口をへの字にしていたは、今や頬を赤くし、あわあわとダンから遠ざかろうとしている。この反応を見て、に経験がないことを知ったダンは、口元の笑みをより深くした。
「俺が5つ数えるうちにやらないと、どうなるかわかるな?」
「ぐ、具体的に。どうなるの?」
「1」
「……」
は承太郎の顔が見られなかった。どんな目でこちらを見ているのかは知らないが、どんな目だったとしても居た堪れなさすぎる。
無慈悲なカウントに、赤かった頬から血の気が引く。はぎゅうと眉根を寄せて、ダンの肩に手をかけた。少し身を乗り出せばすぐに届く。
手が震えているのを直に感じ取り、ダンは愉悦の絶頂にいた。
「(アヴドゥルさん……!)」
ダンの呼気が唇に触れる位置で、は強く目をつぶった。覚悟を決める一瞬のうちに、もういない人の顔が思い浮かぶ。なぜその人に救いを求めたのかわからないまま、は頬に添えられたダンの手に吐き気をおぼえた。

承太郎の声に、びくりと肩をすくませる。は動けなかった。ダンが動くか、が動くか。その二通りしかなかったが、どちらも微動だにしなかった。
ダンはスタンドの異変に気づいていた。花京院のハイエロファントと、ポルナレフのチャリオッツのせいだ。ジョセフの脳から逃げなくてはならない。ダンの顔からは血が出ていた。スタンドの受けた攻撃に、本体が同調しているのだ。はそっと男の膝からおり、承太郎の所まで後ずさった。
「おいおい、何を慌ててやがる?まさかオメー、逃げようとしたんじゃあねぇだろうな?」
ふらつきながら距離を取ったダンを承太郎が追い詰める。その迫力に圧されてか、ダンは地べたに這いつくばって承太郎の靴を舐めた。あまりの変わり身の早さに、は絶句する。
戻ってきたラバーズをスタープラチナに摘まみ潰され、ダンの手足はボキボキだ。
それでもあきらめないのが、スティーリー・ダンのスティーリー・ダンたるところだった。
「鋼入りっていうか、筋金入りっていうか……」
スタープラチナのオラオラが、史上最低の男のきいた最後の言葉だった。

死神


太陽のアルカナを持つ男をあっけなく倒した話は、にとっては全く面白みがない。なにせ、どんなに間近にあったとしても見えないのだから。ただうだるような不快な暑さだけを与えたスタンドに、は感想すら言わなかった。とにかく暑かったのだ。ただ、花京院が「ノォホホノォホホ」と笑い出した時にはつい貰い笑いをしてしまった。いったいなんなのだ、その笑い方は。
飛行機が借りられないと知った時も、は特に何も言わなかった。外国の言葉でやりとりするジョセフたちについていけるとは思わなかったし、それよりずっと心にわだかまっている思いがあったからだ。
「(なんで私……あの時アヴドゥルさんのことを思い出したんだろう?)」
スティーリー・ダンに無茶な命令をされた時だ。は純潔にこだわる性質ではなかったが、あれほどまでに自分がキスに抵抗を覚えるとはまったく考えていなかった。例えばポルナレフと一緒に、そう言った話題に慣れていない花京院を下ネタでからかう時は、まったく嫌な気持ちが起こったりはしないのに、いざキスをするとなるとあんなに怖気づいてしまうものなのだろうか。今まで、そういうことを相談できる相手は周りにいなかった。そういえば幼馴染は命を賭けた大恋愛をしていたが、幼馴染に聞いても参考にはならないだろうなと思った。
ぐるぐると目先の疑問を追いかけることに逃げているだったが、幾人もの無自覚な恋愛の相談に耳を傾けては、耳年増と呼ばれるほどネタを仕入れてきた彼女である。自分の胸の、柔らかいところに埋まっている感情が何であるのかは、薄々察しがついていた。
しかしそれを認められない。認めてはいけない想いなのだと、自身で蓋をしているからだ。
「(だって、そうだとしたら私は……アヴドゥルさんを……)」
顔に血がのぼるのを感じて、は頬を手で包み込んだ。目を閉じれば、瞼の裏に、倒れ伏したアヴドゥルの姿が浮かぶ。熱はすぐに冷めた。
「(……なんで、今なんだか)」
この想いがいつ芽生えたのかはわからない。けれど、もっと早くに気づいていたらよかったのに、とは自嘲した。
喪ってしまった人への恋心を自覚するなんて、ひどい話だ。
ジョセフの誘導でセスナに乗り込み、シートベルトを締めても、の表情は浮かないままだった。
「う、うわああああ!」
花京院の悲鳴で、は我に返った。随分と長い間考えに耽っていた。端から見たら眠っているように見えただろう。
花京院はひどく怯えているようだった。しかし、その目は硬く閉じられている。
「ね、寝たまま!?なにこれ花京院ってこんなに寝相悪いの!?」
「ンなわけねーだろ!おい、!花京院を押さえつけろ!」
「ちょ、ちょっと待って!」
手早くシートベルトを外すと、は太ももの召喚器に手をかけた。即座に引き金を引き、テレスポロスを呼び出す。
「パトラ!」
動揺や混乱、恐怖による心の暴走を回復させるようにテレスポロスに命じる。青白い光と共に子供の影が腕を回し、花京院は狭い機内の通路に倒れ込んだ。そのはずみに、操縦桿を大きく蹴ってしまう。
「……もしかして落ちるのか?」
冷静な承太郎の声に同意するように、ハーミットパープルで立て直した機体はヤシの木に激突して墜落した。

夜営の準備を整えると、今まで沈黙を貫いていたポルナレフが花京院に詰め寄った。花京院はひどく憔悴して、手で顔を覆っている。
はその手に乾いた血の跡を見つけて口を開いた。
「どこで怪我したの?」
「……え?」
傷を指さすと、花京院は知らないというふうに首を振った。放っておく理由もないので、は傷を治そうと学生服の袖をまくった。
「こ、これは……!?」
血の走った傷は文字に見えた。花京院自身、とても驚いている。
――BABY STAND
思わず、と花京院は赤ん坊を振り返った。ジョセフにあやされ笑っている赤ん坊しか、この場にベイビィはいない。
は赤ん坊が鋭い目つきで花京院を睨み、さっと視線を逸らしたように見えた。
「(気のせい、かな?)」
傷を治そうか、と訊ねると、花京院は「いや」と丁寧に治療を拒んだ。もそれが賢明な判断に思えて、特別何か言うこともなく頷く。去り際に花京院の肩を叩いて、赤ん坊に近寄る。
「この子の名前、なんていうんです?」
「ン?そういえば知らんのォ」
「適当につけちまうか?」
ポルナレフは赤ん坊を覗き込んで、いくつかフランス的な名前を列挙した。
良い匂いに釣られてポルナレフがジョセフのもとへ駆け寄っても、は赤ん坊をじっと見つめていた。赤ん坊が笑ってみせると、も軽く笑う。女性には母性本能があると言うが、は子供にメロメロにはならない。ペルソナのスキルに便利なものがあるからだ。
「(悩殺防止は、対赤ちゃんにも効くのか)」
突如、の背後から花京院が赤ん坊を抱き上げ、赤ん坊が激しく泣き喚いても、の心は動かない。あらあらと言った様子だ。
やんわりと赤ん坊を花京院から取り上げ、籠に戻す。1人、離れた場所に戻ってしまった花京院を追いかけようか逡巡したは、手招きで彼女を呼ぶポルナレフを見つけた。
「なに?」
、承太郎よ、お前らどう思う?花京院のことなんだが……あいつ、ずいぶん参っちまってるみたいだぜ。これ以上旅を続けられないんじゃあねーか?」
承太郎は無言で花京院を見ていた。は慎重に言葉を選ぶと、2人にしか聞こえないくらいの大きさで、視線を景色から動かさずに答える。
「判らないけど、花京院はとても頭がいいから、何か考えすぎているだけかもしれないよ」
「そーかねェ……」
ポルナレフは顎を撫ぜて首をかしげる。
俄かに花京院が立ち上がった。その顔は冷や汗に塗れている。
「ジョースターさんッ、ポルナレフ!今のを見ましたか!この赤ん坊、やはり普通じゃない!サソリを殺したんです!ピンを使って!」
ジョセフが籠を探しても、サソリの死体はない。ただ、ジョセフの差し出した匙にも、赤ん坊は口を開こうとしなかった。
花京院が袖をまくり、刻まれた文字を見せる。
「か、花京院お前……自分で、切ったのか?」
「はっ……」
承太郎の視線に、花京院は自分が失敗したことを悟った。花京院には確信がある。赤ん坊がスタンド使いであるという確信が。しかしそれを信じる者は、この中に誰も――……、そこまで考えて、花京院のすがるような視線がに向いた。
、……き、君は……信じてくれるか?僕は夢の中でこの赤ん坊のスタンドに攻撃を受け……、夢の中の出来事は思い出せないようになっている。だから……腕に、警告のメッセージを刻んだのだと……」
今、すべての視線がに向いていた。
「なんていうか」
はこういう空気が苦手だった。すぐに茶化したくなってしまう。へらりと笑って頭をかく。
「信じない理由がない、かな」
そもそも、がこの場に立っていることがおかしいのだ。旅の始まりから1か月、もう頭をひねることはなくなったが、自分の存在がある限り、はどんな超常現象も否定しないことにしていた。ンなアホな、と思うことはあっても、ペルソナを手に入れた時から、世界を越えてスタンド使いに囲まれるまでにの精神は製鉄の過程のように叩き鍛えられていた。
の気の抜けた笑顔に、花京院が安堵の息をつく。わずかにその目がうるんでいるように見えたのは月の光の加減だろうか。
「ジョセフさんは、こういうとんでもない話を信じるほうだと思ってました」
「む……」
の事情を正しく知っているのはジョセフだけだ。ジョセフは冷静さを取り戻し、瞳に思慮が宿る。
「僕は……、この赤ん坊が夢の中に干渉できるスタンドを持っていると考えています。だから、眠るのが危険なんです」
「なるほど、夢の中であんなことやこんなことを……!夢の中ではどんなありえないプレイもし放題ってことだね?」
あんまりと言えばあんまりなの下ネタに空気が凍りついた。
口を開いたのは承太郎だった。冗談だよとかっ飛ばそうとしたよりも早く、低い声で寝袋を見る。
「全員同時に眠らなければいい。そういうことだな?」
「あ……あぁ!承太郎!」
かくして、と花京院は不寝番を務めることになったのである。

星がきれいだね、とか、承太郎の寝顔は意外とあどけないね、とか、とりとめのないことを話しながら夜は更ける。やがて話題が尽きたころ、花京院は前を向いたまま、言いづらそうにもごもごと口の中で言葉を転がした。
……その、信じてくれてありがとう」
「ん、う、うん、なに、急に。どういたしまして」
「僕は……もうも信じてくれないかと思ったんだ。は最初に僕の傷を見つけたし、あの時から異常だと思われていたんじゃないかと、とても怖かった……」
花京院は、基本的に人に期待をしない。それはずっと1人で過ごしてきた彼が、心を守るために自然と身に着けた防衛策だった。期待をしなければ、裏切られることもないからだ。花京院は、自分でも忘れているような小さなころから数えて、本当に久しぶりに打ちのめされた気持ちだった。仲間だと、友達だと思う人たちから疑いの目を向けられたのだ。だからこそ、最後の砦を軽々と守ってくれたの態度が嬉しかった。
にとってそれは何でもない行為だ。引き算をしただけの話だ。だから、またへらりと笑った。
「私が花京院の立場だったら、花京院は私と同じことをしたと思う。それだけの話だよ」

様子がおかしい、と言って、の持っていた睡眠導入剤を使った花京院は、次の日スッキリと目を覚ます。
は目がさえてしまって、シンガポールで買ったっきり読んでいなかった、英語に翻訳された日本の漫画雑誌を読んでいた。5度、読み返すと飽きたのか、勢いよく立ち上がっては演劇の練習でもするように、漫画のセリフを高らかにうたったりしていた。ちょうど、ヒーローの決め台詞を朝日に向かって叫んだところで、くすくすという細やかな笑い声を聞いた。
「おはよう」
花京院に見られていた。
は何事もなかったかのように服を直すと、岩に座り直して漫画を開き、「おはよう」と真顔で答える。無駄な抵抗だった。
夢の中の出来事は、花京院以外の誰も覚えていないらしい。
目覚めたポルナレフは、「やっぱり何もなかったじゃーねーか?まあ、ひどい夢を見たような気はするけどよォー」と言いながら花京院の腕を見て、その傷がないことに驚いている。承太郎とジョセフはさすがに、何か感じるものがあったのか、力強く花京院と視線を交わしていた。
花京院によるささやかな仕返しも幕を閉じ、赤ん坊は沈黙した。