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ヴァニラ

ドリーム小説 ――私はお前たちを助けない。お前たちも私を助けるな。
目的を第一に考えろと、アヴドゥルは言った。うなずいたは、ペルソナ――アスクレピオスの加護を授け、館のなかへ足を踏み入れる。
幻覚を作り出していた男が、ザ・フールになぎ倒されるのを見て、血まみれの身体から目をそらしながらはイギーを賞賛した。ものすごい命中精度だ。動物の鋭い感覚とスタンドがかみ合っている。
「(助けるな、って言われても、私の力は助けるためにあるんだよ)」
太ももに感じる冷たい感触。召喚器はそこにあり、が手に取ることを待っている。
は壁か、柱か、硬質なものにかかとが当たり、何気なく首をひねる。DIOの館の内装は古めかしくどこかかびくさいが、手を当ててみても埃がつくということはなく、清潔にたもたれている。調度品はどれもぴかぴかと光っていて高級そうだ。天井からつるされる灯りには、飾りなのか、なんと蝋燭の立つものもあった。
「ん……?」
文字だった。
背比べで身長でも刻んでいるのか、と思ったが、違うようだ。
「このラクガキを見て、後ろを振り返った時、おまえらは……」
「どうした、?」
背後から声をかけられて、反射的に振り返ろうとしたは、一瞬なんと警告しようか迷った。「何かある!」?どう反応すればいいかわからないだろう。「避けろ」?どっちの方向に逃げればいいのかわからないだろう。「ペルソナ!」?いや、のペルソナにはこういう時に使えるスキルを持っていない。
1秒もなくの頭が叩きだした極限の答えは、ただしく敵に伝わった。
「DIO、小姑かよ!!アホか!!」
「貴様!」
円の中の異形が喋った。
「シャ、シャベッタアアアアアー!どこから喋ってるの!?なんか目の前の空間がシャベッタアアアア!」
アヴドゥルとポルナレフ、イギーもに続いて敵に気づき、臨戦態勢を取る。異形の口がばっくり開き、中から男の顔が現れる。宙にいきなり生首が現れ、は嫌な顔をした。男は異形から素早く這い出すとに向かって腕を振り上げる。カン、と空き缶を蹴るような音がして、少女の顔を骨を折る勢いで打つはずだった拳が跳ね返される。男の頬が代わりにへこんだ。
「ぐっ……!貴様!今、DIO様のことを何と言った!?」
男の背後にはスタンドがあり、彼自身から発される威圧感も尋常なそれではない。見えなくても、にはそれがよくわかった。
「え、い、いま私なんて言った?」
「貴様はDIO様を!低俗な言葉で罵った!この!汚らしいメスがッ!」
男の膝がのみぞおちに入った。ずるずると崩れ落ちた少女に振り下ろされかけた男の右腕をアヴドゥルの炎が捉える。動きの止まった隙にチャリオッツが剣戟を繰り出すと、男は忌々しいと吐き捨て、憎悪の表情でスタンドの口に飛び込んだ。
「な、なんだ、あいつ!?DIOをアホウだと言ったのがそんなに気に障ったってのか!?おい、大丈夫かよ?」
「ここはまずい。立てるか、
消えた敵を警戒しながら、うずくまるを立たせようと、ポルナレフとアヴドゥルはわずかに屈みこんだ。直後、ガオンと音がして風が吹く。ついさっきまで2人の頭の高さだった柱が、大きく削り取られていた。あっけにとられる。
「……な……」
「なんだ!?」
「アウウウウウ!」
イギーの鳴き声で逃げることを思い出したポルナレフは無理やりを背に担ぐと階段に走った。段飛ばしに駆け上がり、出口には目もくれず2階に向かう。ポルナレフはを館の外に出し、治癒の時間を与えたかったが、アヴドゥルがそれを止めたのだ。
「敵は我々が館を飛び出すと思っている。2階へ進め!」
2階の廊下はギャラリーに続いていた。鑑賞する時間はない。床をぽっかりとくりぬいた穴に、ポルナレフは息を乱した。
「さ、先回りされている……!」
「生体反応もなく、気配も匂いもなく、音すら立てず現れる……恐ろしい敵だ……。しかし、必ずどこかに弱点があるはず……!それを見つけるんだ!」
「(い、いや……登場音はあるけど……)」
はポルナレフの背から降り、能力で傷を回復させると拳を握った。スタンドも武器も持たないは、学校の先輩と同じように無手で、相手を蹴り倒して戦うのだ。たまにビンタも出る。
「(ガオン、っていうあの音。あれがいったい何を表すのか……私は掴みかけてる気がする。あの時、何かを感じた。決定的な何かを……)」
手がかりは見つけたのに全貌が判らない。自分が何に引っかかっているのかが判らなかった。は額にじっとりと冷や汗がにじむのを感じた。そして、ふいに、額に冷たい風を感じた。
「むッ!」
「お、俺の足の下にィィ!!」
「!!」
アヴドゥルが目を見張る。何かを見つけたのだ。
ポルナレフの右側を注視していたは、ポルナレフの声に、脳内で一本の糸がぴんと張るのを感じた。爪先を消失し、めちゃくちゃに暴れるチャリオッツが廊下をずたずたに切り裂き瓦礫を大量に生み出す。そのどさくさに紛れてイギーのザ・フールがたちを石造りの階段に潜り込ませた。
暗黒空間から姿を現した男は、鼻を鳴らすと、スタンドがコルク栓のようにきれいにくり抜いた床を見ながら自分の能力についてとつとつと語った。どこにいるのかわからないたちへのはなむけのつもりなのか、「だから隠れても無駄だ」と言いたいのかはわからなかったが、彼自身はひどく自信と苛立ちに満ちていた。
「イギー、DIOのハリボテを作れ!あいつはDIOに心酔しきってる。DIOの姿なら、あのヴァニラ・アイスを油断させられる!」
「しかし、それは危険だ!を見ただろう。言葉のはずみで罵っただけで、あの剣幕だぞ」
「ていうか偽のDIOを作っても、黙って突っ立ってるだけじゃさすがに不審に思うんじゃない?誰が声真似するの?ポルナレフ?」
砂の作り出した空間でぼそぼそと相談する。長い間この状態でいるわけにはいかなかった。相手の場所がわからないのはヴァニラ・アイスだけではないのだ。
「ザ・フールで我々の姿を作り出すことができるか?」
イギーは少し考えると、黙ったままうなずいた。
アヴドゥルは顎に手を寄せた。
「では、イギー。の姿を作ってくれ。奴はに対してまだ怒りを抱いている。必ず、本体……ヴァニラ・アイス自身の手で攻撃をするだろう。その隙を突く」

つるりとした石の床、その下に細くつらなった砂の粒が、階段の中に潜むの声を砂のハリボテに伝える。
「これ、ここ?ここに向かって喋ればいいの?」
はザ・フールの砂が見えないため、何度も確認してから声を出した。
物陰から決意を固めたように躍り出た砂のは、ヴァニラ・アイスの視線を奪うことに成功した。
「あんな程度の言葉で激昂しちゃうなんて、メンタル弱すぎるんじゃないの?ヴァニラ・アイスとか言ったっけ、名前の通り甘々なスタンド使いだわね!世の中にはもっときったない罵り言葉があるって知ってる?」
の声はノリノリだった。悪女のように、ヴァニラ・アイスを揶揄して笑うと、攻撃される前に言葉を続ける。
ポルナレフが呆気にとられるほどのバリエーションだった。バカアホマヌケから始まり、甲斐性なし弱虫隠れてばっかりの腰抜け以下20種類、英語のとても口に出せない言葉が6つ、フランス語で「弱虫クソ野郎」を意味するものに終わった。階段から首を出して様子をうかがっていた2人と1匹が呆れかえるほどである。
「こ……この……こんの女ああああああ!」
盛大な音を立てて殴り飛ばされるはずだったの顔が崩れ、砂がヴァニラ・アイスの拳を包む。瞬時に目の前の少女がイギーのスタンドで作られた偽物だと気づくと、イギーの方に吸い込まれるように流れた砂を追いかけて暗黒空間を走らせた。イギー以下3人は隠れていた階段の砂を蹴って、バラバラの方向に逃げる。
「わ、わかった!!イギー、部屋中に!ここ一帯に砂を降らせろ!」
ポルナレフの言葉よりも早く、ザ・フールが砂をまき散らす。イギーも同じことに気づいたのだ。は散らばった仲間に届くように声を張り上げた。
「こいつが見えなくなって移動する時、必ず風が起きる!」
空気の量は等しく一定であろうとする。しかし、暗黒空間が床や壁をくり抜く時、そこにあった空気も暗黒空間に吸い込まれるのだ。だから、暗黒空間が現れる場所には、なくなった空気を補おうと別の場所から風が吹き込むのだ。
そしてポルナレフが気づいたことは、ヴァニラ・アイスのスタンドは、空間を削り取りながらでなければ移動できないということだった。
2人の確信を裏付けるように、天井から降り注いだ砂の粒が円形に切り取られる。不自然に落下方向を変える粒もあった。
ヴァニラ・アイスはスタンドに隠れたままの前に現れると、拳を少女の頬に叩きつけた。殺気立ってはいたが、殺す気の攻撃ではなかった。痛みを与えてぐちゃぐちゃにしてやらないと彼の気が済まなかったのだ。
そしてそれが、ヴァニラ・アイスの弱点だった。
「顔を殴るな!」
やられっぱなしは性に合わない。
はへらへらと笑っていてもどちらかと言えばカッとなりやすい方だったし、何よりパッシブスキルに「カウンタ」を持っていた。
ペルソナを呼び出すまでもなく、腹の底から闘志を湧き立たせると、いきなりどこからか殴られて傾いだ身体を元に戻す勢いを利用して、スタンドから上半身を出していたヴァニラ・アイスの頬をぶっ叩いた。
脳を揺らすほどの力で殴った相手から反撃がくるとは思っていなかったのか、ヴァニラ・アイスはほんの少し動揺した。だから、チャリオッツの剣とマジシャンズの炎を避けられなかった。
「うおおおおおッ!」
スタンドの口から上半身を出していたヴァニラ・アイスの両脇を、スタンドエネルギーの塊が抉った。血を流し、スタンドの口に隠れようとするヴァニラを、砂で出来た矢が貫く。後頭部から額に突き抜け、矢は石柱にヴァニラ・アイスの顔を縫い止めた。
砂が解け、男は床に落ちた。スタンドは消え、残るのは3人と1匹の激しい息遣いだけだった。
「や、やったか……」
「アヴドゥルさんそれダメ!それダメなやつ!!やってないことになっちゃうから!!」
は戦慄した。これからヴァニラ・アイスが起き上がって「私のほんとうのスタンドをお見せしよう」なんて言い始めたら今度こそ死んでしまう。慌ててアヴドゥルの口に手を伸ばしたは、これ以上アヴドゥルが不吉な発言をしないように口をふさいで、ヴァニラ・アイスの死体を見た。起き上がる気配はない。
ほっと息をつく。
ポルナレフとイギーも、ヴァニラ・アイスの死体に背を向けて、ボロボロになった廊下を見回した。
「にしてもヒデエありさまだぜ」
「おいおい、こうしたのはヴァニラ・アイスではなくお前だった気がするんだが」
「細けぇこた良いんだよ」
「修理代とかどうなるんだろう……」
「構わんだろう。すぐに、修理する必要はなくなる」
緊張がほどけ、笑みを浮かべた彼らの後ろに、影が立つ。ポルナレフは笑みを皮肉げにゆがめると、「やはりな」と呟いた。
「ヴァニラ・アイス。テメー、DIOの野郎に何かされたってわけか」
額の致命傷から血を流しながら、ヴァニラ・アイスは立っていた。
「な、何ィ!?」
「ウワアアアやっぱりフラグ立ってたー!」
チャリオッツに串刺しにされても、顔に穴が開き血がだらだらと床にこぼれても、ヴァニラ・アイスは倒れない。アヴドゥルは目の前の男がDIOに何をされたのか鋭く察した。
「か、壁だ!いや、扉か!?光を射れるんだ!」
チャリオッツの切っ先が冷静に扉を切り裂いた。バターのように切り取られた扉の奥から光が射し込む。伸ばされた男の腕が灰になって崩れ落ちた。
「ど……どういう……ことだ!?なんだこれは!?」
「テメーは吸血鬼になってたんだ。俺達が隠れる前だ。俺の爪先を持っていきやがった時、チャリオッツは確かにお前のニヤついた口を貫いた。だがテメーは平然としてやがる。見りゃあ、傷すらねー」
「もうその頃から変化し始めていたのか……!」
イギーがザ・フールでたやすく壁を打貫く。カイロの西へ沈む太陽のあかい光をまともに浴びたヴァニラ・アイスの残骸は、どしゃりと崩れて風に舞った。

選択


爪先の損失は治せない。
首を横にゆるゆると振ったペルソナに、はぎゅうと眉根を寄せた。
「ごめん……、私の能力が、もっとレベルの高いものだったらできたかもしれないのに……」
「構わねーって。ホレ、痛みはもう全然ねーし、傷もふさがりかけてる。飛んだり跳ねたりができれば戦えるぜ」
履けなくなった靴の代わりにどこかの部屋のカーテンを足に縛り付けたポルナレフは、元気づけるようにニッと笑った。
「爪先だけで済んでよかった」
「ま、言い換えりゃそうだな。は殴られた頭大丈夫か?」
とんとんとこめかみを指でたたいたポルナレフに、も笑顔を返そうとして、口元が凍りついた。
「……」
「ど……、!!」
どうした、と言おうとして、アヴドゥルも言葉を止めた。じり、その額に汗が浮かぶ。イギーは姿勢を低くし、ポルナレフは仲間の様子から事情を読み取った。ゆっくり振り返って、階段の上を睨み付ける。共に立ち上がる仲間がいる心強さが、ポルナレフから恐怖を抜き去った。
「とうとう会えたな、DIO」
「センスがありすぎて時代が追い付いてない……」
威圧感に気おされるが、どうしてもDIOの格好が理解できなかったはぼそりと呟いた。なんだあのハートは。優れた聴覚で聞き取ったイギーは尻尾での脚をぺちんとたたいた。
「おめでとう、ポルナレフ。妹の仇も討てたし、極東からの旅もまた無事ここまでたどり着けたというわけだ。アヴドゥル、そして……誰だったかな、君にも賞賛を送ろう」
拍手が響く。DIOは余裕そのもので、4対1であることなど気にも留めていないようだった。ヴァニラ・アイスが倒されたことにも怒る気配はない。部下は手駒で、ポーンがいくつ倒れようと知ったことではないということか。
名前も憶えられていないは、握ったままの召喚器が手汗で滑り落ちないように気をつけた。
「そう怯えなくていいじゃないか。ひとつチャンスをやろう」
DIOは指さした。
「そこの階段を2段おりろ。再び、私の仲間にしてやろう、ポルナレフ。もちろんアヴドゥル、君もだ。あの時は逃げられてしまったが、私は気にしていない。優れた者は大切にしよう。……私は犬は嫌いだが、イギー……と言ったかな?スタンド使いとして私の役に立ってくれるというのなら、席を与える用意はある。私は君たちに絶対の安心を与えよう。何か不安なことがあるか?」
「(あれ?私は?呼ばれないんだけど)」
「逆に死にたければ……、足を上げて、階段を登れ」
「(あれ?私は?)」
どうやら最初から数に入っていないらしい。
「俺は以前、お前に屈した。あの時から俺は負け犬としての人生を歩み始めたわけだ。だが今、俺に恐怖はない。あるのは闘志だけだ。この旅と仲間の存在がお前への恐れを消し飛ばした」
ポルナレフは壁のカーテンに、口に溜まった血を吐きだした。
「DIO、貴様にはカリスマがある。人を心酔させ、心を折り、膝をつかせる才能だ。私はそれを恐れ、逃げた。しかしもはや、そうすることはない。貴様のカリスマは悪の才能だ!その悪に傾き、言いなりになり、手下として生きることこそが恥だと思うからだ。私は守るべきものを守るため、戦う覚悟がある」
アヴドゥルの視線はDIOに向いていた。
イギーはうなることもなく、毅然と顔を上げている。
「あの、私もなにか言った方がいいのかな?呼ばれてないけど……」
「フフフ……、名前を失念してしまってね。言いたいことがあるならば聞こう」
って言います、どうも初めまして」
「何呑気に挨拶してんだァーッ!」
は軽く会釈をした。深く息を吸い込んで、気を落ち着ける。
アヴドゥルの言ったように、DIOには惹きつけられる輝きがあった。けれどそれはにとって、DIOの館の前で感じた禍々しい威圧感よりもずっとシンプルなものに感じられた。あの時は、あの暗闇の全貌が掴めなかった。だからこそはあれほど畏れたのだ。
今や、DIOという吸血鬼はの眼前に立っている。DIOの言葉は甘やかで、ずっときいていたいと思わせる響きを持っていたが、それが毒入りのリンゴだと知っていて食べる者はいない。
「私はあなたの側にはつかないです。まず誘われてないし、趣味も合いそうにないし、女性をヤリ捨てとかしてそうに見えるし、どっちかっていうと男でもイケる口にも見えるし、吸血鬼っていうのもちょっと。人に従うって柄でもないし、仲間の敵だし、人の身体を乗っ取ってるってところもマイナスポイントかな……。ていうか、言ってみれば不安なことだらけですよね。あと、1つ聞きたかったんですけど、その……ハート柄が好きなんですか?」
「こいつ、懲りねーな……」
、もうやめておけ」
がわざと的外れなことを言ったと気づいたのはアヴドゥルだけだった。DIOは、つまらない少女から飛び出たつまらない言葉の羅列に軽く頷くだけだ。
「では、階段をのぼってみるといい」