魔術師

ドリーム小説
花京院が戻ってきたのは、その日の夕暮れだった。サングラスを外した目元には縦の傷がそれぞれ1筋入っていたが、眼球に異常はないようで、の顔を見てほほえみを浮かべる余裕さえある。傷ついたイギーに治癒を行ない、傷口をふさいでいたは、しゃがんだままあんぐりと口を開けて驚いたあと、飛びかかるように立ち上がって花京院に抱き着いた。花京院は片脚を引いて揺らがないように少女の身体を受け止めると、軽くハグをした。
「おかしい……」
「え?」
は身体を離すと、小さい声で訝った。きょとんと首をかしげる花京院の肩に、大げさにつかみかかる。
「花京院ならここでうろたえるはずなのにぜんっぜんうろたえてない!何があったの!?病院でナースさんに手とり足とり腰とり色んな事を教えてもらったの!?」
は本当に変わらないね……」
花京院は遠い目だった。
イギーの案内で辿りついた屋敷は、ひどく禍々しい気配に満ちていた。はスタンドがわからない。しかし、彼女にもこの濃厚な黒の気配は伝わっていた。DIOがエサにした幾多の女性たちの死のにおいが染みついているためなのか、館の住人が放つ濃厚な闇の様なのか。ぶるり、と身を震わせる。
概念ではない、死そのものに立ち向かった時とよく似ていた。形容しがたい恐怖に、はあの夜、何もできずに膝をついた。
「いる……!ここに!奴は間違いなくこの館にいる!」
「我々の旅は……」
「ついに終点を迎えた訳だ」
承太郎と花京院は沈黙していた。は拳を握りしめ、息切れしそうになるのを深く呼吸して耐えている。
「(だけど)」
長いものには遠慮なく巻かれたいだったが、それでも彼女には矜持がある。旅が始まると言った時、は決めたのだ。手に取るように思い出せる過去、そこでは一度諦めた。襲いくる死を仕方ないと受け入れた。心の中で幼馴染だけは死なないようにと願う事しかできなかった。だから、もう、命を諦めないと決めたのだ。
カルカッタでアヴドゥルを喪ったと思った時、胸に空虚な穴が開いたと思った。自覚した恋心は、本来なら伝えることもできないものだったのだ。
ゲブ神に花京院が、アヴドゥルがやられた時、二度と同じ轍は踏まないと駆けだした気持ちを忘れない。
「(私にだってペルソナがある。……やれることはあるはずだ)」
太ももの召喚器に、ズボンの上からそっと触れる。スタンドが視えなくても、がいる意味はあるはずだ。ここで屈することはできなかった。
「いったん、ホテルに戻って体勢を立て直そう。今、我々は気圧されている。日が暮れるまで、まだ時間はある。揺らいだ生半可な精神では勝てん」

ジョセフの提案は受け入れられた。一行が思い思いに戦いまでの時間を過ごすなかで、今、はアヴドゥルの部屋にいた。
扉を叩いて、へらりと笑ったを招き入れたのはアヴドゥルだった。は部屋をぐるりと見渡して、ふかふかのベッドに腰を下ろす。スプリングを軋ませながらマットレスの感触を楽しむは、夕暮れの窓ガラスに自分の姿が映っていることに気づかない。アヴドゥルはそれを眺めていた。
「座らないんですか?」
は間違っても、「邪魔だった?」とは訊かないようにしていた。アヴドゥルの性格上、ポルナレフにでもない限り素直にうなずくことはないし、気にし始めたらこの時間を楽しめないからだ。
「なかなか、良い景色だからな」
「ふうん。どれどれ」
反動をつけて立ち上がると、柔らかな絨毯を踏みしめて窓ガラスに寄った。ガラスに手をかざして、外の景色を見る。暗がりに包まれていくカイロの街並みは、異国情緒にあふれていてにとって新鮮だった。
しばらく景色を眺めると、はかざしていた手を下ろして棒立ちになる。外の風景を見ているように見えて、その視線は違うところを剥いていた。
「それで見えるか?ガラスに反射してしまうだろう」
静かに佇んでいたアヴドゥルが思わず口を開くと、はあっさり首を振った。
「反射してるアヴドゥルさんを見てるんです。景色より、好きな人を見てた方がいいですものね」
「……」
がアヴドゥルの目を見上げると、彼は意外なほど真剣な目をしていた。迷った様子もなく、その唇が動く。
。あまり、私をからかわないでくれないか」
驚いたのはのほうだ。まさかここで、今までの返事が来るとは思わなかった。
「からかってませんけど……」
。君は……自分の態度が、相手にどういう印象を与えるか知っているか?」
「……まぁ、それなりには」
はわずかに俯いた。アヴドゥルにそう思わせたのは、思わせるようにしたのは、自身であるのだから、わからないはずはなかった。わざと、そういうふうにして、逃げていたのはなのだ。
「私は君を信じている。、君が冗談は言っても、嘘はつかないと知っている。だからこそ、……それはあまりに、たちの悪い冗談だと思う」
アヴドゥルが言葉を切ると、部屋に沈黙が降りた。アヴドゥルの胸中にはさまざまな思いが渦巻いていた。例えばそれはが顔を上げていつものようにへらへらと笑い、「ばれてたんですか、なんだ」と今までの出来事をすべて流してくれはしないだろうかという苦い願望だったり、それ以外の、そっとアヴドゥルの心の底をくすぐる目をそらしたい感情だったりした。
「どっちが、いいでしょうか」
予想もしていない言葉が、から飛び出した。視線は下に逸らしたままだったが、アヴドゥルには、少女の拳が握りしめられ、背中に回されたのが見えた。
「どういう意味だ?」
「……すみません、今の、やっぱり取り消します」
!」
アヴドゥルの声音が剣呑なものになったのを察して、自分から言い出しておいて、は首を振った。逃げるにしたって、あまりにも無責任だと罪悪感でいっぱいになったのだ。
「ごめんなさい。私、……ずっと逃げてたんです」
ちらりとアヴドゥルを見上げて、はすぐに視線を逸らした。見ると、足が逃げたそうに震えていた。ただ、ここですべてを聞かなかったことにしてを解放してやる気にはなれなかった。
は俯いたまま、唸りたそうな顔をして喋り出した。
「嘘でも冗談でもありません。私はアヴドゥルさんのことが好きです!……う、うぅ……。アヴドゥルさんにしてみれば、信じられなくて当然だと思います。好きだって、言っては、うぅ……いましたけど、全部、冗談に聞こえるように言ってたので……」
言葉の途中に時々堪え切れない呻きが入る。それでもは、言葉をひとつひとつ丁寧に選んで口にした。アヴドゥルと再会した時のように勢いのまま想いを告げるのではなく、どうすれば伝わるのか考えながら、繕うことなく言葉を紡いでいた。
「私が、アヴドゥルさんを好きだ、って言っても、アヴドゥルさんはべつに私のことをそういう意味で好きなわけじゃあないですし……。その、正直言って、仲間だと思ってた人間からの告白とか、重いし面倒くさいじゃないですか。だからこう、真剣に拒絶されるのがちょっと……いや、あの、かなりつらいなと思って、あんまり言葉に重みがないように自衛していたっていうか……」
アヴドゥルは、つっかえつっかえになるの言葉をじっと聞いていた。最後に小さく謝罪が付け加えられて、はついに、逃げるように後ずさってしまう。
「ふう……」
大きく響いたため息に、はびくりと身をすくませた。言わなきゃよかった、と後悔に唇を引き結ぶ。この優しい人に、いったいどんな拒絶を言わせてしまうのか。
「す、すみません!ほ、ほんとにすみません……。へ、返事はなくて大丈夫です!お邪魔して、勝手なことばかり言ってすみませんでした」
両手を胸の高さに掲げてストップのポーズを作ると、は扉の方に跳ね飛んだ。1ミリだって立つ瀬がないというように、つま先立ちになっている。見ていてかわいそうになるほど顔色が悪いのに、目元だけは潤んで赤く染まっていて、その表情と仕草がやけにミスマッチだった。
アヴドゥルはの2歩分を1歩で埋めると、ヒイ、と身を引いたの手首をつかんだ。
「君は間違えている」
「う、……」
の頭がめまぐるしく回転した。聞きたくない、けれど、言い逃げをするのも悪いことに思えた。力を抜いて、掴まれた腕だけを浮かせて、連行される囚人のように立ち尽くす。
アヴドゥルはベッドと向き合うように椅子を動かすと、そこにを座らせ、自分はベッドの上に腰かけた。
ぎしりと軋んだスプリングは、が座った時とはまったく違う、重くて鈍い音がした。
……、君は、本当の意味で私のことが好きなのではないと思う」
「はい?」
涙がひっこんだ。は少しだけ身を乗り出した。
「その……、私は一度、旅から離脱した。本当は死んでいなかったことをジョースターさんたちは知っていたが、とポルナレフには知らされていなかった。あの時、君はとても喜んでくれただろう。その喜びを――好意と、……愛情だと勘違いしたのではないだろうか?」
「(な、なんだと……)」
は色々な物語を読んで、無駄な知識やジョークを身に着けてきたが、相手から直接そう訊ねられることの破壊力は知らなかった。あまりにも気が抜けるし、理不尽に怒りすら湧いてくるではないか。
さっきまでべそをかいていたことも忘れて、はすっくと立ち上がった。アヴドゥルに詰め寄り、その広くたくましい肩に手をかける。
「アヴドゥルさんのことが好きだって気づいたのそこじゃないです!」
「!?」
「承太郎が史上最低の下種野郎って言うくらいのスゴイ下種がカラチにいたんですけど、私、そいつにキス……いや、なんでもないです。その時、なんでかアヴドゥルさんの顔が浮かんだんです。死んじゃったと思ってた人に助けを求めるなんて、どうかしてるって思ったんですけど、どうしてそう思ったんだろうなってよくよく考えたら、……う……そ、その……好きだったんだって気づいたんです!」
言いながら、はぞわりと腕に鳥肌が立つのを感じた。スティーリー・ダンというにとって思い出したくない敵について喋ってしまい、ゾッとした気持ちが蘇ったのだ。慌ててアヴドゥルから手を離し、自分を抱くように二の腕をさする。一瞬、しかめられたアヴドゥルの顔に、話題をそらすように言葉をつづけた。
「だいたい、そりゃ、びっくりしましたけど、再会を喜ぶくらいで好きになってたら私は花京院のことだって好きにならないといけないじゃないですか」
そんなことはないのだが、ついは口を尖らせた。
「私がきくのもなんですけど、どうやったら信じてもらえるんでしょう?これ無理ゲーですよね。まあ私が言うのもなんですけど。ここでアヴドゥルさんを押し倒してひんむけばいいんですか?」
「だから、そういうところが……。君は誰にでも同じことを言うだろう」
「……ま、まぁ、下ネタは……」
否定できない。もっとも、実際、にはそんな度胸はないのだが。
「私は……、あまりこういったことには経験がないし、承太郎や花京院のように若いわけでもない。だから、のような若い女の子に、好かれるはずもないと思っていた」
「年齢で好きになるんじゃないです。アヴドゥルさんだから好きになったんです」
指を組んで、アヴドゥルは続けた。片手で数えられる以上の理由を並べての気持ちを疑ったことを言うと、ひと言謝った上で、ぽつりと呟いた。
「真に受けて私の気持ちを伝えれば、君の負担になるのではないかと――……」
「ん!?」
は強くアヴドゥルの肩を押した。組んだ指を見つめていたアヴドゥルの視線を自分に向けようと思ってしたことだったが、油断していたアヴドゥルはふいの衝撃に「うおっ」と漏らしてシーツの上に倒れ込んだ。ローブに隠れて見えない広げられた膝の間に、つんのめったの脚が入り、少女のきれいな膝がわずかにベッドのふちをとらえて、アヴドゥルを押し倒すような形になった。
手は肩から外れ、アヴドゥルの顔の横、シーツを波打たせながらの身体をささえている。
「い、いま、すごいこと言いませんでしたか!?」
「いや、その前にこの体勢はまずいのでは――」
「前にも先にもないですよ!」
頬を滑りる髪の毛を耳にかけなおす余裕もなかった。はアヴドゥルの目を食い入るように見つめていた。
少女の赤く染まった目元と、堪えようと噛み締めながらも期待に震える唇を見て、アヴドゥルは困ったように笑って言った。
「私は……君よりも先に、君のことを守りたいと思っていた」
の中で喜びと不安がぶつかりあい、感情の発露として涙がにじんだ。耐えるように目をつぶったが、そのせいで滴が、下に寝ころぶアヴドゥルの頬に落ちた。
は痺れてきた片手を不自由そうに動かし、手首まで覆う袖を指で引っ張ってアヴドゥルの頬をぬぐった。
「違う言葉で言ってください」
泣き声に近かった。アヴドゥルは右手を伸ばしての大人びた、それでいてまろい頬を軽く包むと、濡れた頬を親指で撫ぜた。
「好きだ」
ううう、と高く喉の奥で呻ると、は真っ赤な顔を手で隠して声を震わせた。
「抱きついてもいいですか」
上半身を起こしたアヴドゥルは、答えの代わりに優しくを抱きしめた。は床に足をついて、もたれかかるようにアヴドゥルの背に腕を回すと、ひしと強くかき抱いた。

ノックもなく、唐突に扉が開いた。
「アヴドゥルよお、がこっち来てね……」
ポルナレフの言葉は中途半端に途切れた。ベッドの上で抱き合う2人を見てしまったからである。
「……」
ポルナレフは、横目でじろりとこちらを睨んだアヴドゥルに乾いた笑いをもらした。いったいこのカタブツに何をしたんだ?
ならここにいるが」
「あー……そうみてーだな。いるならいいんだよ。邪魔して悪かったな」
一歩踏み込んでいた足をそっと廊下に引き戻し、ポルナレフは静かに扉を閉めた。何と言っていいのかわからなかったが、足は自然と、承太郎や花京院のいるカフェスペースへと向かっていた。
「おい花京院、承太郎。今、俺が何を見たと思う?」
「え?いや、わからないけど。アヴドゥルさんの部屋に行っただけだろう?」
「……はいたのか?」
「いたんだよ、それが。……抱き合ってやがった……」
「!?」
「……」
「いや、あの告白もあったし、好きなんだろうなとは思ってたけどよォ、え!?今!?今うまくいくの!?」
「(こ、これは……死亡フラグなのでは……)」
「(おい花京院、なんだその死亡フラグってのは)」
「(戦地へ赴く前に、『俺、この戦いが終わったら結婚するんだ』とか『妻が待ってるからな』とかそういうことを言った戦士はたいてい死ぬっていう法則のことさ)」
「……」
が俺を無視することなんてなかなかないぜ……ちょっぴりショックだな」
「(あいつ、いっぱいいっぱいだったからな……)」
「アヴドゥルさんはどうだったんだ?あ……いや、下世話な詮索だったか」
「いや、あいつ……あの目は邪魔するなって言ってたな……。よかったぜ、この猶予が1時間で。これが明日の朝にしようって話だったらやばかっただろうな」
「本当に下世話だなポルナレフ」
「お前がきいたんだろーが」