世界

ドリーム小説
追う方と追われる方に分かれる時、は追われる方を選んだ。
「イギーがポルナレフを選ぶとは、意外だった」
「そうですね。……もしかしたら、放っておけないと思ったのかもしれません」
「ははは、かもしれんな」
ハンドルを握るジョセフは、バックミラーで後ろを確認すると、アクセルをより強く踏み込んだ。
後部座席のは、座席に膝立ちになってリアウィンドウを覗いている。べきべきと街灯がなぎ倒されたり車のガラスにひびが入るのに、振り返って訊ねた。
「今、スタンド使った?誰?」
「僕だよ。だが、退けられてしまった……」
花京院の手から流れる血を止めると、は再び後ろを見る。アヴドゥルがの腕を引いて、何があるかわからないから座るようにと言い聞かせた。
「車がスリップした!な、……何か飛んでくる!!」
後方の車から、大きな黒い影が飛んできた。
リアウィンドウを突き破り、運転席と助手席の間に挟まって停止したそれは、人だった。
死体を確認する前にアヴドゥルによってシートに引き倒されたは、上に覆いかぶさってガラス片から自分を守ったアヴドゥルの香りと、濃厚な血のにおいのまじったものを感じて、場もわきまえず、生を感じさせる力強い腕に抱き着きたくなった。
転覆しきりもみ状態で柱に激突した車の衝撃で、はアヴドゥルに強く抱きしめられると、そのまま車から転げ落ちた。しわの刻まれた力強い手を差し伸べられ、アヴドゥルに促されるままがそれを握ると、ぐんと上に引き張られた。靴が道路から離れ、腕だけを頼りに空中を移動する。
屋根の上に立った花京院は、サングラスを外してDIOをにらんだ。
「DIOのスタンドの秘密を暴く方法を思いつきました」
「な、なんじゃと!?」
はここにアヴドゥルがいないことに気づくと、屋根の縁に寄って下を見た。あまりの高さにくらりと眩暈がしたが、確かに見覚えのあるローブがはためいている。DIOの興味はアヴドゥルとジョセフに二分されているようで、どちらを追おうか、片足に体重を預けて考えているように見えた。
「なんでアヴドゥルさんは下にいるの!?」
危険極まりない。は声を荒げてから、屋根上の2人のスタンドを思い出した。
「ま、まさか、重すぎて持ち上げられないってこと?」
「うむ」
「なんつー……」
バイクが、大破した車のそばに停車した。が目を離したうちにDIOはジョセフを選んだようで、道路にその姿はもうなかった。バイクにアヴドゥルが駆け寄るところまで確認して、彼女の意識は別の方向へ向いた。爆発のような、打ちつけるような音がきこえたのだ。
ハイエロファントの結界がDIOの立ち位置をなくし、かろうじて触れずに済む一か所に追い詰める。
「マヌケが……。知るがいい、ザ・ワールドの真の能力は!まさに、世界を支配する能力だということを!」
世界はこんなにも静かだっただろうか。はぴくりとも動けないまま、瞬きもできないまま、ハッキリとそれを見ていた。
悠々と、中空の何か――張り巡らされたハイエロファントの結界を断ち切りながら、DIOは青年のもとへ飛ぶ。邪魔な岩を押しのけて、動かない秒針をちらりとも眺めず、当然のことのように花京院の前に立った。
「これが、ザ・ワールドだ。もっとも、時間の止まっているお前には見えもせず、感じもしないだろうが……」
DIOは哂う。青年の最後の姿を記憶するように上から下までじっくり目をやった。
「死ね!花京院ッ!」
はよっぽど悲鳴を上げたかった。目を見開きたかった。見えない拘束を引きちぎって、花京院に駆け寄りたかった。腹部にぽっかりと穴を開けた花京院は、血しぶきもそのままにただそこにある。
「お前は自分が死んだことにも気づいていない。何が起こったのかも、分かるはずがない」
ジョセフは目の前の出来事が信じられなかった
「花京院!」
ハイエロファントの結界に隙はなかった。それが、1本残らず切断され、花京院は唐突に血を飛び散らせながら吹っ飛んだのである。
全身に力を込めてもがいていたは、身体が動くようになるとすぐに花京院がぶち当たった給水タンクに駆け寄ろうとした。しかし屋根は繋がっておらず、思っていたよりも遠い距離に唇を噛む。それでも何もしないよりはと引き金に力を込めた。ほぼ同時に、決死のエメラルドスプラッシュが時計をぶち壊した。
「アスクレピオス!」
治癒の力はかろうじて届いたものの、あまりにも傷は深かった。もしもこれがゲームだったのなら、体力は1ケタで黄色く点滅し、さらに出血というバッドステータスで毎秒1ずつ体力が削られているに違いない。もう一度青い光を生み出した。
……だったか?お前のその能力はいったいなんだ?スタンドなのか?」
重ねて治癒を施そうとしたは、強張るような不自由を感じる。直後、間近でDIOの声がした。時を止めて接近したのだと気づく。
「興味深い能力だ。傷を治すことができるのか?しかし、その効果はあまりないようだな……。どうだ、この私にもやってみてくれないか?ちょうどここに傷がある」
「そ、んなことするわけないじゃん!ヒール砲じゃあるまいし!」
「……」
肩を怒らせて眼差しをきつくしたに、DIOは何事かを考えるそぶりを見せた。
「DIO!は関係ないッ!」
「関係がないことはないだろう、ジョセフ・ジョースター。ここまで共に来た仲間に対してずいぶんと薄情なことを言う」
背後から伸びたハーミットパープルの茨を引きちぎることは造作もない。ぴきん。音も立てずにザ・ワールドで時間を止めると、の顔を覗き込んだ。
「つい、さっきのことだ。忘れてはいないだろう?お前は時が動き出したその瞬間、花京院が吹き飛ぶまさにその時に、奴の名前を呼んだ。それはいったいなぜか?……見えているから、そうだろう?」
DIOはの首に手をかける。そのまま腕を上げると、の脚は浮いた。まったく苦しくないことが、逆に怖い。
「不思議なことだ。スタンドの能力なのか?む、そういえば、後ろに何か隠していたな。……これは、ピストルか?なかなか可愛らしい武器じゃあないか。私も弾丸を受けたことがあるが、なんというか、必死にあがく人間の小ささを感じてしまってね。……ん?これには弾が込められていない……。……」
片手でピストルを弄ぶと、動き出した時の中でDIOはそれを構えて見せる。撃鉄を起こし、苦しげに足をばたつかせるの額に向けた。
「先ほど自分で自分を撃つ真似をしていたな」
「(ペルソナは……きっと出ない。そうしたら、私はこのまま、何もできずに死ぬのかな)」
召喚器で自分を撃ち抜く行為自体に意味があるわけではない。撃ち抜くという、死を前にする覚悟がペルソナを呼び出すのだ。
ハーミットパープルがDIOの足首に絡み付き、転ばせようと引かれてもDIOは揺らがない。引き金を引いて、興ざめな顔をした。
「何も起こらない、か」
指の締め付ける力を緩めると、は屋根の上に崩れ落ちる。ゲホゲホと咳こみながら息をする少女に、DIOが無理やりピストルを押し付ける。
「撃て」
自身に撃たせようというのだ。今度こそそれで間違いなくペルソナが現れるはずだった。
命令されて、黙っていられるではない。
DIOには強さがある。思うがままに指示を出し、願望をかなえる力があった。誰しもに好かれるであろう才能もあった。だが、傲慢さも持っていた。はDIOの裏打ちされた当然の傲慢を、きっと一生好きになれないだろうと思った。そして嫌いな人に自分の半身でもあるペルソナを見せるなんてまっぴらごめんだった。
「ぜったい、嫌」
「愚かな選択だ。自ら死を選ぶとは」
の視界がひっくりかえった。DIOはぞんざいに少女の首を掴み、屋根から放り出した。スタンドで攻撃するまでもない、筋肉のつきはつたないし、考え方も正義を振りかざす馬鹿馬鹿しい勇者のそれをまねたものだと思ったからだ。あの程度の回復しかできない能力で、転落死が防げるはずもない。少女から奪ったキーとなるピストルは、足で踏みつぶした。

両手に何も持っていないことに気がつく。結局何もできなかった。花京院が生きているのかもわからない。ジョセフが手をこちらに伸ばした。老人の手からは命綱となりうる茨が伸びていたのだが、にはそれが視えなかった。茨はと繋がる前に、DIOが蹴り飛ばしたつぶてによって切られてしまった。にはそれも視えなかった。
が考えていたのは、これまでの旅のことだった。45日にもおよぶ旅の、強く焼きついた光景がアルバムのように浮かぶ。
これが走馬灯かと、耳元でひゅうと鳴る風をききながら思った。放り投げられ、仰向けになっていた身体は、重さの関係でぐるりと頭を下に向けてしまう。目の痛みから狭まった視界に、こちらを見上げる仲間を見つけた。
「(アヴドゥルさん――……!)」
その姿と名前を思い出した時、はハッとした。
「(何もできなかった、じゃあない!それで諦めちゃ、ダメだ!)」
強烈な死の確信に、は気づかないうちにそれを甘受しようとしていた。生きたい、とは思わなかった。
「(生きなきゃ!)」
1人立ち上がった幼馴染の背中がよぎった。を抱きしめたアヴドゥルの力強さを憶った。
時が止まった。風が鳴りやみ、の身体は浮いたままぴくりとも動かない。
「(アスクレピオス!アヴドゥルさんを、花京院を、ジョセフさんを、ポルナレフを、イギーを、承太郎を、そして私を助けて!)」
召喚器はなかった。粉々に砕け、破片は屋根の上にある。は強く念じた。身の内に宿るもう1つの自分に、心の中で手を伸ばした。



必死に伸べた手を、暖かい何かが優しく握った。