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バステト

ドリーム小説
ホテルのトイレで一息つく。用を足して、あとは下着とショートパンツを上げるだけなのだが、カラリと暑いエジプトの気候にうんざりしていたは、便座の冷たさにもう少しひたっていたかった。
「脚だ……脚がグンバツの女だ……」
「の、覗くんですか!?」
何か、ヒソヒソ声が聞こえる。どうも、男の声に聞こえた。
太ももに肘をついて、ドアの下の床に影がかかるのを見る。影はすぐにいなくなった。
「(覗きか?)」
エジプトくんだりまで来て覗きに遭うとは。この旅をしていると、初めての体験ばかりに出会う。はパンツを引き上げると、屈んでズボンに手をかけた。引き上げようと身を起こす。
カンカンカンカンカン!連続して、金属同士がぶつかり合う音がした。ちょうど、ショートパンツの裾が膝にかかるくらいまで履いていたは、トイレのドアが開いたことに気がついた。
「う、うわああああ」
「悲鳴あげたいのはこっちだよ!」
覗いていたのは、ジョセフとアヴドゥルだった。何が悲しくて、用を足した後の姿を好きな人に見られないといけないのだ。どこであってもの気持ちは気持ちは変わらないのだが、アヴドゥルにこれ以上敬遠されるのはちょっと困る。ただでさえ、扱いに困っている様子がうかがえるのに。それに、どうせ見られるのなら、もっとかわいい下着を履いておけばよかったかな、とは後悔した。
手を洗ってから、窓に手をかける。静電気だろうか、サッシに置いた手がビリッとしたが、気に留めないで外に出る。
叩きだされたアヴドゥルたちの足跡はまだ消えていなかった。広い歩幅を追うように走ると、が疲れてきたころに、線路わきの柵に人影を見つけた。
「……こ、これは……」
ジョセフの股間にアヴドゥルが顔を寄せているようにしか見えない。もしかしてアヴドゥルはそっち系なのか?は意外と冷静に考えていた。しかし野外プレイはどうかと思うよ。
!いや、違うんじゃ!これはそういうことじゃあないんじゃ!」
「まぁアヴドゥルさんがそうだって言うのにはちょっとショックを受けましたが、大丈夫です。特に偏見はないので、素直に応援することにします」
―ッ!違うんだってば!わしは女の子が好きなの!」
「じゃあアヴドゥルさんが無理やり迫ってるんです?」
「そっちの思考から離れてェー!」
野次馬を散らしたり老婆にめためたに叩きのめされたりと、ジョセフもアヴドゥルも疲労困憊のようだった。
はようやく離れた2人を見て、どちらにもきこえるように大きな声で状況を訊ねた。ジョセフが、スタンド使いによる攻撃だと答える。
「スタンド使いって、いったい誰が……ん?」
ずるずると、自分の身体が動いている。は自分の足跡が不自然に長く伸びているのを見た。足も動かしていないのに、場所を移動しているのだ。
!絶対にコンセントに触ってはいかんぞ!ビリッと来て、身体が磁石になってしまう!」
「……」
こんなふうに、と真っ青な顔で線路にひっついた自分の足を指さしたジョセフに、は思わず、自分の右手を見た。窓を通ろうとして、サッシにかけた手だ。
「コンセントは知りませんが、右手がビリッとした覚えがあります」
「オ……オーノーッ!!」
踏ん張ろうとしても、強い何かに抗うことができない。ジョセフとアヴドゥルの磁石にの磁石がくっつこうとしているのだ。柵にしがみついて、流れていく足を引き戻そうとするが、うまくいかない。
「電車が来る!」
「な、なんですって!?離れられないんですか!?」
「あぁ、もう磁力が強くなりすぎている!アヴドゥル、線路を焼き切れ!」
「で……できません!電車が脱線したら大勢の人が死んでしまいます!」
は、物理的な攻撃を1度だけ跳ね返すことのできる魔法を、ペルソナを呼び出して2人にかけようかと思ったが、アヴドゥルの言葉に手を止めた。電車の衝撃が電車自体に跳ね返ったら、それこそ大惨事だ。
伸びたハーミットパープルの茨も、助けにはならない。がアヴドゥルの名前を呼ぶよりも早く、電車の風圧がの髪を揺らした。
「アヴドゥルさん!!ジョセフさん!!」
線路の下に穴を掘って危険を回避したアヴドゥルとジョセフに、今度こそはペルソナを呼び出した。ペルソナの青白い光が2人を包む。
アヴドゥルとジョセフにはその光の効果がわからなかったが、女――マライヤの胸から金属片が無数に飛び出した時、身を持って理解した。アヴドゥルが熱で溶かしきれなかったボルトが、ジョセフの額を打ったかと思うと、マライヤが衝撃にのけぞり、額をおさえたのだ。
「な、なに!?今の衝撃は……!……ハッ、あの小娘、あいつのスタンド!?でもあいつにはスタンドがないという情報を聞いているのに!」
もちろんジョセフに痛みはない。
「1度だけです、ジョセフさん!」
「いや、助かった。この女はわしらで決着をつける!はそこで……できるだけ線路から遠ざかって待っていろ!」
遠ざかった女の背中を追いながらジョセフが叫んだ。大きくが頷いて見せると、ジョセフは調子のおかしくなった義手でオッケーサインをつくった。

柵にしがみつきながら、片手で地面に掘った穴に手を突っ込んで草の根を握りしめる。
はだんだん重くなる身体に耐えていた。時々、後ろの道を壊れかけのトラックが通ると、そのたびに下半身が引きずられる。腕の力ももう限界に近かった。
涙目で、ほとんど寝転がっているような姿勢でいると、1人の男がの傍に屈みこんだ。土地の言葉で何か言っているが、には言葉がわからなかった。つたない英語で、言葉がわからないと訴えても、男の方が英語を知らないらしい。
悪いことに、の身体が男の屈みこんだ足元に引かれていく。見ると、男のジーパンの裾にはチャックがついていた。
「(こ、こんなチャックでもいいの!?節操がない!私の身体!)」
磁石なのだから仕方ないとはわかっていても、歯噛みしたくなる。
さらに、何を勘違いしたのか、には非常に想像が易かったが、男はの投げ出された、むき出しの太ももに手を這わせてきた。
「金取るぞ!すり寄ったわけじゃないんだってば!」
日本語で喋っても、もちろん通じない。ぞわぞわと不快感に立った鳥肌をさすることもできず、は太ももから伝わる生ぬるい感触と、顎にかかった指に嫌そうな顔をした。
もしに男の言葉がききとれていたなら、ビンタのひとつでもお見舞いしていただろう。
はっと、急に軽くなった身体に目を見開く。さっきまで感じていた重苦しい感じはなくなっていた。は急いで立ち上がると、男から距離を取った。
「め、めっちゃ怖かった……」
は敵前であってもジョークに逃げられるメンタルの持ち主だったが、さすがに肉体的接触には抵抗があった。性の香りがするともう駄目である。下ネタは言えるが、経験のなさが裏目に出る。
頬をほんのり赤らめて、どこか弱弱しく何かを呟いたを見て、男はにっこり笑った。異国の言葉はわからないし別に顔も好みではなかったが、素晴らしい太ももの持ち主なので、私の家で可愛がってあげよう。そう言った趣旨のことをえんえんとに語り掛けた。
ジョセフに「待っていろ」と言われた手前、がこの場所から動くわけにはいかない。何と言っているかもわからず、微妙な表情で男の顔を見ていると、ふいにその後ろに影が立った。
「すまないが、私たちの連れなんだ」
男の肩に手をかけたアヴドゥルが、大まかに言うとそんな意味の言葉をいくつか並べると、男はガタイの良すぎる男性2人に見下ろされて委縮したのか、の手を離して曖昧な笑みを浮かべながら立ち去っていく。
「はあ……ありがとうございます、アヴドゥルさん。言葉がぜんっぜんわからなくて困ってたんです」
「……」
アヴドゥルは眉根を寄せていて、何と言ったものか、というふうな目で男の去った方向を見ていた。
、君は……もう少し自覚した方がいい」
「……ん?……はい」
「わかっていないだろう」
「え、えぇ……っと、すみません。ど、どれの話ですか?おぼえがありすぎてちょっと」
がジョセフにヘルプを求めても、ジョセフは腕を組んでアヴドゥルと同じ方向を見ている。「イカンなぁ、ナンパがイカンわけじゃあないがアレはイカンなあ……」と英語で小さく呟いていたが、には聞き取れなかった。
「君は女性だが、まだ子供だ。さっきのような時に目立った抵抗もしないでいれば、治安の悪い場所では何があってもおかしくはない。知らないかもしれないが、たいていの女性は男の力に敵わないものだ。、君はスタンドも持たないし、脚も出ている。やりすぎるほど気をつけても不足ではないんだ」
「(子供!と来たか……)」
こくこくと頷きながらも、は内心でぺろりと舌を出していた。どうやらさっきの男は、あまり宜しくないナンパをしてきていたようだ。アヴドゥルにここまで言わせるとは。
引っかかるのは「子供」という言葉だった。確かに成人もしていないだったが、改めてそう言われるとかなしいものがある。いつか本で読んだ、「君は俺を父親の代わりだと思って好きになっているんだ」というセリフを思い出す。自分の身にそっくりな展開が降りかかるとは思っていなかった。
「次から気をつけます。でも、ずっとアヴドゥルさんが傍にいてくれたら解決すると思いませんか?」
「なッ……、……まったく……。早くホテルに戻るぞ」
「(ううーん、空振りか)」
きびすを返したアヴドゥルを追って、も小走りした。
前を向くアヴドゥルの表情を見たジョセフは、くすくすと肩を震わせて笑いを殺す。
「(けわしい顔を装っても、目元が赤くなっとるぞ)」

オシリス、トト、クヌム


はトランプゲームに詳しくない。
「あのさ、コールとレイズって何が違うの?」
はポーカーを知らないのか?」
「全然知らない。ワンペアとロイヤルストレートフラッシュは知ってるけど」
「極端だな」
ダービーに、勝負を受けるよう持ちかけられても、は首を縦に振らなかった。命が惜しかったわけではない。ただ、あえて承太郎の手駒を減らすこともないだろうと思ったのだ。ダービーの挑発に乗って流れのまま椅子に座ろうとしたを必死に押しとどめたアヴドゥルの努力があったことは承太郎しか知らないことだ。



カイロに到着した一行は、写真の中のDIOの館について市民に聞き込みを行っていた。
「ちょーっと、あっちの方を見て来るぜ」
そう言ったポルナレフが戻ってこないのを不審に思い、ジョセフたちは少し道をずれた。
「まさか、後ろに敵がいるということでは……」
「ッくしょん!」
アヴドゥルの言葉に頷くようにポルナレフは大きくクシャミをした。は「手を当てろー!」と、飛沫から逃げるようにアヴドゥルの後ろに隠れた。それから、怒声とブレーキの音が聞こえて、何か衝撃を受けたのを最後に、の意識は途切れた。
「……う……」
救急車のサイレンがきこえた。は呻きながら目を開けた。視界いっぱいにアヴドゥルの心配そうな顔がある。
「大丈夫か、?」
「あ……う、うん、ありがとうございます。目覚めにアヴドゥルさんが見られて幸せです、はい」
「……また、君は」
どうやら瓦礫の中に倒れ込んでいたらしい。アヴドゥルに手を差し出されたので、は土埃にまみれた手のひらをショートパンツの裾でぬぐってからその手を取った。立ち上がり、ふらついた少女の肩を支える手がある。はアヴドゥルを見上げて、にっこりと笑った。
「アヴドゥルさんのそういうところ、好きです」
言い残したままするりと仲間の方へ歩いて行ってしまったに、アヴドゥルは止めるように手を伸ばして、やめた。浮かせた右手に目をやって、苦笑する。