ポワゾン(裏)

リクエストボックスより。
ポワゾンの暗チ視点。
リクエストありがとうございました。


綺麗なドレス。首を飾るチョーカーも、シンプルながら上品な仕立てのものに替え、腕時計なんていう野暮なものは外して華奢なブレスレットをつける。髪をまとめ上げて飾りで留め、誰かの助けがないと転んでしまうのではないかというくらいのピンヒールで武装する。スカートの下にピストルを隠せないポルポにとって(だって隠したところで撃てないのだ)唯一可能な最強の装備は肩書きだった。だからそれに劣らないだけの格を身に着け、見せつけ、誰しもの目に刻み込ませる。身体で獲った地位?胸がデカくて幸運だった?ボスをたぶらかせるテクニックのおこぼれに与りたいものだ?
なんとでも言うがいい。今、ポルポは幹部としていけすかない味のカクテルを口にしているが、ぶつけられる嫌味になんてなんの関心もおぼえない。目線の先にはパエリアがある。挨拶なんか早く終わらせてさっさとムール貝をしゃぶりつくしたいなあと思っていた。
それにしても、この男から差し出される飲食物はことごとく味が悪い。

疲労とほろ酔いでテンションがぶっちぎったポルポに手を捕まえられてぐるぐると踊る。ダンスからは程遠い動きだったが、イルーゾォは呆れながらもそれに付き合ってやって、けらけら笑ってアクセサリーを見せびらかす彼女にテキトーな相槌を打つのを繰り返した。口先ではツンツンしていても綺麗なものは綺麗だと感じたし、似合う、と評価してやってもいい出来に仕上がっていたからだ。多少酒の匂いはするが同い年の同僚に比べれば可愛いレベルだった。
ぐるぐると下手くそなステップを刻んでいたかかとがふらつき、細いヒールがバランスを崩す。イルーゾォは咄嗟に、ポルポの身体を支えようとした。ポルポはその手を思い切り振り払い、手近な家具にしがみついて口元に手を当てた。げほげほと大きく咳き込む彼女をみんなが笑った。飲みすぎじゃアねェのかとからかった。
「そうかも」
ポルポも咳の合間に笑おうとして、掠れた声で相槌を打ったが、やがてゆっくりと顔を上げると、青ざめた顔でひどくバカげた、くだらない、理解が及ばないくらい意味不明なことを口走ってからばたんと倒れた。
おもちゃが倒れるような簡単さだった。
その場が騒然とした。
ポルポがよろめきしがみついた家具には血のこすれた跡が残り、床に転がる女の身体はぴくりとも動かなかった。誰もが椅子を蹴って立ち上がった。
「ポルポ!!」
全員の声が重なった。
青ざめた唇を染めるのは流行りのルージュなんかじゃない。臓腑を傷めてこみ上げた生命の赤色だ。それは年長の男の瞳によく似ていた。
イルーゾォは自分でも驚くほど機敏な動きで膝をつき、ポルポの身体を仰向けにひっくり返した。おい、と肩を揺さぶる。
「おい、ポルポ!ポルポ!!」
返事はない。
ソルベとジェラートが未開封のウォーターボトルを持ってきた。キャップを開ける手間も惜しいとばかりに焦った表情はなかなか見られるものではない。
差し伸べられたリーダーの手にポルポを預けると、彼は人を殺してきたかもしれないなと思わせる険しい気配を精いっぱい抑えつけながら、大いに努力してこう言った。
「随分と珍しい食あたりだ」
みんな笑いたかった。イルーゾォだって笑いたかった。
しかし、笑えないジョークだ。

悪いものをひとしきり吐かせ、異様に白かった顔色が血の気を取り戻すころになると、ようやくポルポの呼吸が穏やかなものになった。すっかり下がった体温は、客間からひっぱり出してきたタオルケットと薄手の毛布で彼女をぐるぐる巻きに梱包しておき様子を見る。
生理的な涙と看病の間にチークの落ちた頬は冷たく、その肌を手のひらで包み込むリゾットの姿は、まるで己の体温をすべて分け与えんとするかのようだった。
しかし彼も永遠にそうしているわけではない。
「リーダー、分析終わったぜ。俺が資料として持ってるヤツを参照したところだと、"ポエ・エヴァン"に違いないね」
印刷した紙を差し出すメローネの瞳はぎらぎらと怒りに光っていた。いつもどおりの声音を装っても隠し切れるものではない。
"ポエ・エヴァン"は最近になって開発された遅効性の毒物だ。新進であるがゆえに市場での取引は少なく、動物実験の段階を超えてもいないという眉唾な噂すら出回っている。
犯人はおそらく、"ポエ・エヴァン"は数が少ないから調べられても正体がわからないと踏んだのだろう。だが逆に考えれば、入手した人物を特定しやすいということだ。
粗雑で愚かな人物。
「ソルベ。ジェラート」
静かな声が仲間を呼ぶ。
二人はいつもの笑顔を引っ込めて、「ああ」と無感動に頷いた。
顔の広い彼らが犯人を特定するのが早いか、ポルポが目を覚ますのが早いか。
陽気さのない男二人の後ろ姿を見送って、重苦しい部屋の空気は耳に刺さるほど静かになった。
誰かの声がない。
彼女の声がない。


さて。
無事に目覚めたポルポは何やら面倒な手順を踏もうとしていたが、どうやら彼女は九人の怒りがどれほどなのかを知らないらしい。法的手段も権力も脅しも弱みも関係ない。彼らがすべきはただ一つ。たった一つ、シンプルなことだった。

リゾットは一人佇む。足元の絨毯に散らばるのは音を立てずに窓を割った痕跡だ。小さな隙間から手を入れて内鍵を開けた。それだけで密室の魔法は解ける。
ゆっくりと室内を歩いた。
階段を上り、一つ一つ扉を開けていく。
書斎。
シアタールーム。
寝室。
最後の部屋には毛布がこんもり膨れたベッドがあった。ナイトテーブルに電話の子機。監視カメラはない。あったとしてもリゾットの姿は映らない。
起き抜けのポルポに写真を見せて確認したので人相も間違いない。双子や影武者の存在も資料の上では見当たらなかった。
声はかけなかった。脅し文句もない。辞世の句を詠ませる無情さすらない。もはや恨みすら感じない。
ひと言も語らないまま、リゾットは男の悲鳴を聞いていた。流れる血潮に内側から切り刻まれ口から血反吐を垂れ流す男の嘆きと呻きと、助けを求めてもがくみっともない姿を見下ろしながら。
喉をかきむしる鬼気迫った表情をさらす男は、涙を流しながら、次第に静かになって、やがてこと切れた。
見開かれた瞼を下ろしてやる――――なんて優しさは、もちろん今日のリゾット・ネエロは持ち合わせていない。


返り血を一滴も浴びずに帰還したリゾットを見て、メンバーが口々に「お疲れ」と彼をねぎらった。
ポルポはすべてを放棄して二度寝を決め込んでいる。
すやすやと眠る落ち着いた寝顔を指先でなぞり、リゾットは短く、「ああ」と言った。