ドリーム小説 テレビ欄に目を通していたは、折り目通りに新聞を畳むと首をかしげた。
「アヴドゥルさん、今日、ホテルお邪魔してもいいですか?」
「ブハッ」
「ゲホッ」
ガタガタッ。
ジョセフが茶を噴き、花京院がプリンを詰まらせ、アヴドゥルは座ったまま後ずさろうとして、膝をちゃぶ台にひっかけた。スタープラチナがちゃぶ台を支える。
「大丈夫?ティッシュいる?」
「あ、うん、ありがとう……」
「ウム……」
零したものを拭きながら、花京院は咳ばらいをした。
「いや別にヘンな意味じゃなくて、家がないから、どうせならアヴドゥルさんとこ行きたいなあって話だよ!?これ紛らわしいかなあ!?」
ジョセフと花京院は顔を見合わせて乾いた笑いを漏らす。深読みしたのは自分たちだったが、の言い方も的確ではない。慌てて言いつのったに、特に何も言えなかった。
言い方がまずかったと、は照れたように口を引き結ぶ。下ネタで人をからかうのは好きだったが、意図せず自分に降りかかってくると、そうでもない。
「ダメですかね?ベッド足りません?」
「ど、……どうして私の所なんだ?いや、ベッドは2つあるが」
「どうしてって言われても」
はもう一度首をかしげる。理由を問われても、の中に明確な理由があるわけではない。ただ、このまま夜が更けていって、アヴドゥルと離れるのが寂しいなあと思っただけだった。とは言っても、今から同じホテルに部屋を取るのも色々な人に迷惑がかかるし、お金もない。となると、アヴドゥルの部屋に潜り込むしかないかな。そういう思考回路だった。
指折り訳を数えると、ジョセフはニコニコと微笑みだした。
「そうじゃな。ウチに泊まってもわしらは一向に構わんが、せっかく退院したんだしのォ」
「ちょっ……ジョースターさん!?」
「ねー。……ダメですか?お邪魔になります?」
先ほど、言葉の勘違いで少し恥ずかしい思いをしたは、今度は言葉を選んで口にする。顔がもう赤くないのは、自分の発言に色めいたものがないと確信しているからだ。ただそこに、相手がどう感じるかという配慮はさっぱりなかった。
言葉が正しく伝わっていると信じこんでいる目に見つめられて、アヴドゥルは狼狽から復活した。彼の目元が仄かに赤くなっているのをジョセフと花京院は確かに見た。ジョセフの悪戯心が刺激される。
「い、いや……邪魔にはならないが――」
「おォー、ホリィ!そういえば客用のシーツを洗濯しているんじゃっけな!」
「え?」
「それじゃア、を寝かせられんのォ!いやー、残念だが、今日は誰かの所に行ってもらうしかないな!」
な、と同意を求められ、ホリィは目をしばたたかせて頷いた。頷いてくれとジョセフの目が言っていた。確かに洗濯はしていたが、押入れのなかにはもう一組あるのよ、とは言わなかった。
「花京院の所は無理じゃろ?」
「あ、……そうですね、うちは空いている部屋がないので、急にはちょっと」
「急にじゃなかったら良いの?」
「うん、一応、お客さん用のセットはあるからね」
「じゃあパジャマパーティしようよ!受験終わってからでいいから、夜通しゲームとかやろう!」
は向かいの花京院のほうに身を乗り出した。ちゃぶ台に半分乗り上げて、目を輝かせる。花京院は今までに受けたことのない衝撃を感じた。友達を迎え入れての夜通しのゲーム。そんな響きが、そんな誘いが、自分にかかるなんて思ったこともなかった。
「やだ?」
「い……、嫌じゃない!」
反射的に答えると、はニッと笑った。
「いつでも誘ってよ。私ほら、暇人だから」
花京院はうなずいた。受験勉強も確かに大事だったが、自分はきっと数週間もしないうちにを誘うだろうなという確信があった。
「オホン。……ということで、アヴドゥルよ、どうかな?」
ジョセフが話を本筋に戻す。咳払いの音で本来の目的を思い出したは、そうそう、とアヴドゥルを見る。
「ジョースターさん……」
困り切った顔で、アヴドゥルはジョセフを見た。未成年の保護者としてそれでいいのか、と聞きたい気持ちをぐっと堪える。どこにも寝床がないというを引き取るのは、普通ならば全く問題はない。しかし、とアヴドゥルの関係は、恋人同士なのだ。アヴドゥルの感情としては、非常に複雑だった。近くにがいて、会話をするというのはとても(呆れることはあるが)楽しいのだが。
「うーん。困らせるつもりはなかったんですよ。仕方ない、承太郎!一緒に寝よう!」
名残惜しげに未練を断ち切ったが、隣に座っていた承太郎に椅子ごとすり寄る。承太郎の口が「俺を巻き込むんじゃあねぇ」と形を作る前に、アヴドゥルはの名前を呼んでいた。
「……」
何と言っていいのか。
飼い主に呼ばれた犬のように、姿勢はそのまま顔だけこちらに向けたに、アヴドゥルはやっとの思いでこう言った。
「わかった。一晩だけだぞ」
ジョセフが拳を握ったのが見えた。

おかえりなさいませと規定通りのあいさつを受けて、フロントでキーを受け取り、エレベータに乗り込む。異国情緒あふれるアヴドゥルの格好も、ホテルマンにとってはもはや見慣れたものだ。男の隣をちょろちょろと動く少女には見覚えがなかったが、プロとして詮索することもなく、彼らはそれをすぐに忘れる。
の知っているホテルはカードキーで統一されていたが、この時代はまだ鍵だ。片側に歯のある鍵を鍵穴に入れ、回す。はその間に部屋の番号を覚えた。ジョセフから回復祝いとしてもらったお小遣いがポケットに突っ込まれた財布に入っている。エレベータの隣の角に見つけた自動販売機を、後で使おうという考えだ。
余談だが、ジョセフがかなり気軽に自分の財布から数枚のお札を取り出したので、はそれを断るのに大きく苦戦した。金銭感覚のずれた不動産王と会話をするのは、大会社の令嬢と買い物にいくくらい大変な仕事だった。ジョセフにしてみれば、孫のような女の子がやっと元気になったのだから奮発してあげたかったのだが、ホリィにも宥められてしょんぼりとお金を財布に戻した。ちなみに大きなお札は、ホリィに頼んで小さくばらしてもらっている。
「お邪魔しまー……ッおおー!」
は部屋に入るや否や歓声を上げた。ベッドはシングルサイズが2つ、間をあけて置いてある。たまにジョセフが転がり込んでくるのだとアヴドゥルは説明した。荷物を置いて、はシュークローゼットを開けた。靴から備え付けの使い捨てスリッパに履き替える。
「ホテルのお風呂って、トイレとくっついてるから特別な感じがありますよねー」
「そうかもしれないな」
ドアの向こうを覗き込んでいたは、会話を続けようと顔を引っ込めて、それから言葉に詰まった。
思えば、はアヴドゥルの私生活を良く知らない。旅の間に垣間見えることはあったが、部屋が同室になる機会もあまりなかったし、アヴドゥルは多くの場合、ジョセフやたちを優先した。旅疲れてたちが眠りについたあとにシャワーを浴びたり、着替えをしたり、本を読んだりしていた。そしてアヴドゥルのローブはたいてい夜のうちに洗濯されるので、が目を覚ました時にはもう彼はいつもの服装で朝日を浴びていたのだ。
「(う、ウオオオオ、アヴドゥルさんがローブを脱いでいる!!)」
にとってこれは貴重な瞬間だった。カメラがあったら構えていただろう。アヴドゥルは初対面の時とは大きく印象を変えた。頭に受けた銃弾がまさか原因ではないだろうが、再会したころからかなり打ち解けたように見える。例えば、は初めの頃、彼は脱いだ上着を几帳面にハンガーにかけるタイプだろうなと予想していた。しかし実際のところは、脱いですぐ置きましたというふうに椅子にひっかけている。
「(……うん、これは、照れるな)」
同年代の上半身くらいなら何度も見たことがあるが(以前住んでいた学生寮は時々水の出が悪くなることがあり、女子階に空きがなく男子階に暮らしていたの部屋を叩く青年がいたためである)、年上の、それも好きな人の気を抜いた姿というのはまた格別だった。
服は着ているのに、ローブを取り去っただけでこの威力だ。
「いつも私は窓側のベッドを使っているんだが……」
「ひえっ!」
「どうした?」
そろりそろりとアヴドゥルに近寄っていたは、急に声をかけられて大きく肩を跳ねさせた。
「いえいえいえ!それなら、ドア側のベッドをお借りします!」
ベッドの足元に立ってへらりと笑顔を浮かべる。
「だが、何があるともわからないし、は窓側で寝た方がいいのではないかと思う」
何もないとは思うのだが、なかなかに危険なこのご時世である。は一度眠るとなかなか起きないし、いざという時に侵入者があれば、ドア側にアヴドゥルがいた方が対処が早いだろう。
「ただ……」
言いよどんだアヴドゥルに、は笑顔のまま「ん?」と言葉を待つ。
「今朝まで私が使っていたベッドなので、抵抗があるかもしれないが……」
「(そうだった、この人そういうところあるんだった……)」
どう見ても、真剣にを心配している。そこなのか、と指摘したくなったが、は面倒を避けた。自分が使っていたベッドに女の子が横たわることになってさらに明日の夜からはまたそこで自分が寝ることになるんですがそれはいいんですか、とは、ようよう言わなかった。
「抵抗なんてあるわけないですよ!むしろ、ごちそうさまというか……、いいんですか?」
「あぁ、さえ良ければ私は構わない」
ひそめた言葉は聞こえなかったようで、アヴドゥルは安心したように肩を下ろした。完全に、明日のことを失念している。
は窓側のベッドにミニトートバッグを置くと、その隣にうつぶせになった。スリッパは、自然に床に落ちる。ずるずるとシーツの上を這って枕に顔をうずめると、とりあえず深く吸ってみた。
「(すげえ全然匂いがしない!ホテルすごい!)」
期待していたわけではなかったが、まるまる取り換えられているであろうリネン類の徹底ぶりに頭が下がった。
枕に顔面をしずめながら、病院のそれとは違う柔らかなマットを楽しむ。気の向くまま、くぐもった声で鼻歌をうたっていると、くすりと笑い声がきこえた。
「先にシャワーを浴びるか?」
「おぉ」
くすくす笑いと共に訊ねられ、は上半身を勢いよく起こすと、膝立ちになって顔を輝かせた。
「今のセリフいいですね!これからヤることヤるみたいで!」
「ッ……!」
「あー、すみません」
うろたえたアヴドゥルに素直に謝ると、は「そうしまーす」とスリッパを履き直して荷物片手に浴室のドアを開けた。バッグの中には、空条邸できちんと洗濯したうえで保管されていたの下着が隠してあった。
カーテンを浴槽の中に入れるやり方は、最初はへたくそだったが、何度もやっているうちにうまくできるようになった。もう、水跳ねでマットを汚すこともない。
人の部屋で長湯するのもどうかと思って、は手早く、それでいてしっかり全身を洗った。ホテルの石鹸類はとてもいい匂いがする。
棒張りの棚にある2枚のバスローブのサイズを見て、どちらも同じことを確認すると、はそれを羽織ってみた。
「うん、デカい」
なにせ188cmのアヴドゥルや、195cmのジョセフが着るサイズだ。しかしバスローブは着てみたい。中東アジアからアフリカ大陸への旅では、なかなか理想のバスローブに出会えなかった。
着物の着付けようにうまく裾を上げると、腰ひもをきっちりと結んだ。裾は問題ない。たもとを整える。
「くそー、私が巨乳だったら……」
ぺらぺらの胸元は、バスローブのゆるさを強調するだけである。とりあえず、ちょっと袖の長いバスローブを着ているように見えるようになったので、は洗濯ものをビニール袋に突っ込んでトートバッグに入れた。
「換気扇回しますかー?」
ドアを開けて顔を出すと、アヴドゥルは声だけで「そのままで構わない」と答えた。
「お先いただきましたー。ここ、ボディーソープいいにおいですね」
「かなり質のいいもの、……を、…………、揃えているらしい、からな」
アヴドゥルは、ベッドに腰掛けて、枕元のライトで本を読んでいた。言葉が不自然に途切れ、繋がれる。が振り返ると、アヴドゥルは額を押さえて目を閉じていた。
「あー、これ、サイズがなくてですね。そうだ、ちょっと袖をまくって貰えませんか?」
荷物を片づけてから、座るアヴドゥルに手を伸ばす。本を置くと、彼はバスローブの袖に手をかけた。
「失念していた、すまない。……動きづらくはないか?」
「それは平気ですよ!アヴドゥルさん、まくるのうまいですね。あっこれ全然落ちない」
「普段は私も袖の深いものを着ているからな」
「なるほど。ありがとうございます。冷めないうちに、アヴドゥルさんもシャワー浴びた方がいいんじゃないですか?」
の笑顔に同意を示すと、アヴドゥルも浴室に向かった。
「(あれ、何にも持っていかない。……ということは……)」
バスルームの入り口には段差がある。アヴドゥルが足を上げたタイミングだったことは全くの偶然だった。
「アヴドゥルさんはノーパンで寝るタイプですか!」
がつんと音がしてアヴドゥルが段差に躓いた。

湯上りの男性には特有の色気があると思う。
はベッドの上で軽い柔軟体操をしながら、シャワーの前と同じように黙々と本に目を通すアヴドゥルを眺めていた。
いつも、には到底理解のできないしくみで編み上げられている髪は下ろされ、ゆるくとどめられたバスローブの胸元からはチラリと鎖骨が見えている。普段、長いズボンで覆われた完全武装の足元も、ベッドに座っているため裾の上がったバスローブから素足が伸びている。
「(アヴドゥルさんの色気なんなんだ……、女として負けている……)」
長座体前屈で、膝にぺたりと額をつけながら、は熱を持った頬を冷まそうとがんばった。爪先の冷たさを指で感じて、そういえばジュースを買おうと思っていたことを思い出す。
時間は、今は夜の11時をまわったところだ。他の客は就寝の準備をしているだろうが、バスローブのまま廊下に出る蛮勇は持ち合わせていない。
「そんなにドアを睨んで、どうした?」
「ひえ!い、いえ、ジュースでも買いにいこうかなと思ったんですけど、さすがにこの格好で出るのはどうかと思って」
アヴドゥルは少し眉根を寄せた。
「……そうだな、それはやめたほうがいい。喉が渇いたなら、そこに冷蔵庫があるから、好きなものを飲むといい。そういえばジョースターさんが色々と持ち込んでいたはずだ」
「いいんですか?なら遠慮なく。……えー……っと」
しゃがんで中を覗くと、冷蔵庫にはホテルの用意した缶ジュースにまぎれて、酒類と、大きな水のボトルがあった。
「アヴドゥルさんもお水要りますか?」
「あぁ、悪いが貰えるか」
「はいー」
水の入ったコップをアヴドゥルに渡して、自分も口をつける。なんとなく、ゆるんだ空気を察知して、ベッドに腰掛けた。アヴドゥルの腕にぴったりくっついている。
「うわあ、英語。私、英語苦手なんですよねぇ。ハローかアイラブユーしか言えないって言っても過言じゃないですよ。よく皆、私の回答を見て笑ってました」
ページにちらりと目をやって笑う。本当はそこまでひどくはなかったが、幼馴染は天才的に頭が良かったから、うまく自分を褒められない。
空っぽになったコップを両手で包んで膝に当てる。横を見上げて、本を閉じたアヴドゥルが水を飲むのを見る。喉仏がいいんだよ!と主張した幼馴染の気持ちが心で理解できた。喉仏はいいものだ。
欲望のままに左手を――アヴドゥルに触れていない方の腕を動かして、もう逸らされていない喉に触れた。
「な、なんだ?」
指で喉の形をなぞって、「おお……」と呟きながら、膝と膝の間で張ったバスローブにコップを押し込み膝で押さえると、空いた右手で自分の喉をなでた。
「喉仏!!かっこいい!」
ひとしきり感触を楽しんだは膝にコップを挟んだまま、ぱたりとベッドに倒れ込む。仰向けで手をばんざいの形にして、うんと上半身を伸ばした。
学習行動なのか、にはわからなかったが、なぜか仰向けになると眠気が襲ってくる。あくびを噛み殺して目を閉じると、一気に呼吸が深くなった。唯一力を込めていた膝も、するりとコップが取り去られ、リラックスしてゆるりと開いた。
「今日は、だいたいアヴドゥルさんと一緒にいられてとても楽しかったし幸せでした……」
重くなっていく唇を動かして、目をつむったまま伝えると、ぎしりとスプリングが軋んだ。は、自分に近い位置にアヴドゥルが手をついたのだなとおぼろげに察する。困った顔で起こされるんだろうか。でも、まだこの気持ちのいい微睡にたゆたっていたい。
うすく唇を開き、気持ちをつむごうとして、額に温かくて力強い手を感じる。かたい手のひらが前髪をかきわけるように額をなでるので、はくすぐったくなって声を漏らした。声と一緒に、をうつつに繋ぎ止めていた最後の息が空気に溶ける。額から手がなくなったのをさみしく思う前に、はことりと眠りに落ちた。細い首を包むように触れ、なめらかな喉に触れた指には気づかなかった。