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胸三寸に納められないに関連


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ミセス・ヴェデッドは一礼して微笑み、それではまた明日に、と言い残して仕事を終えた。見送ったスティーブンは家の鍵をかけ、踵を返して広々とした空間に戻った。
ソファには、家主の帰宅にも気づかず眠る同居人の姿がある。もう少し丁寧にカテゴライズするべきなのだろうけれど、彼女本人も自分を『たぶん、居候……?』と首を傾げて自称するので、彼はそれについては暫く追及しないことにした。スティーブンと彼女に共通する顔触れも、足並みを揃えて違和感の指摘を放置する。
居候。同居人。お荷物。お邪魔してます。
只ならぬ事情によりステップを数段すっ飛ばさざるを得なかったスティーブンと異世界人であったが、諸々の時間を越えた今となっては、上記4つの段階は既にかなり後方である気がしてならない。
イマイチ自分の立ち位置を実感しきれていない彼女が、おおっとようやくその一歩、と2人の事情に詳しい少年が手を打ち鳴らしそうな勇気を振り絞って家主の寝室へ侵入した記憶は新しい。寝起きの破壊力をまともに喰らって命の危機を感じた彼女はその一度以来、余程でない限りスティーブンに同じ要求をしないものの。
彼に急く気はなく、せめて『オトナ』らしくハタチのペースに合わせてやろうと思っていたので、問題はない。ない。ないのである。ないのだろう。ないはずである。あるとなると色々なものが崩れる。幾つだ俺は、とスティーブンが自問する姿には流石にあの少年も匙を投げようもの。知りませんよと言うだろう。

リラックスし切ったハタチの(……そろそろ数字が増えていそうなものだ)寝顔を見下ろす。シャワーはもう浴び、家着の上からブランケットをかけている。触れると、ドライヤーをあて損ねた髪の先がほんの少しだけ冷たかった。
背を軽く屈めて影をつくる男には気づかず、彼女は規則正しく寝息を立てる。放っておくと風邪を引かれそうだが、つついたくらいでは起きなさそうだ。揺するしかないな、とスティーブンが彼女の肩に手をかけると、軽く押された肢体が天井を向く。手を離してそのまま待ったが動かない。
その様子を見て魔が差した。
姿勢を変え、ソファの座面に手をつく。彼の体重は、手のひらを中心になだらかなクッションの丘陵を作った。
一呼吸ぶんの間も迷いもなく距離を近づけ、唇を合わせる。
柔らかな感触を一度だけついばみ、スティーブンは何事もなかったかのように身を離した。
また、彼女を見下ろす。
なんの反応もない。
当たり前だ。
寝ているのである。
(……めちゃめちゃ静かだな……)
仕事を終えた帰宅から30分。
スティーブンは裏技を知った。



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