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まさかの人物から電話がかかってきて、どうしたのかと心配しながら携帯電話を耳に当てる。
相手はじっと黙ったままだ。
仕方がないので私のほうから口火を切った。
「どうしたの、ジョルノ?」
「少し声が聞きたくなって」
「そう。珍しいねえ」
どこか弱弱しく聞こえる。

ごう、と風が吹いて、開けっ放しだった窓が音を立てる。
波のようにカーテンがうねる。

ジョルノはまだ喋ろうとしない。
メンタルケアが必要な事案だったらどうしよう、と不安になってくる。私のカウンセリングはもっぱら柔らかなおっぱいに頼ったものなので目の前に本人がいないと無能なんだよね。
「声が聞きたいなら、勝手に喋っていようか?」
「いえ」
「あ、そう?」
何を求められているのか、読めない。読める気もしない。
マインスイーパは再開しないほうが良さそうだから、電話がかかってくるまでプレイしていたゲームの画面はいったん落とした。

風は断続的に吹きつけて、布のはためく音が響く。
数日前と比べると、今日の風は冷たくなっただろうか。
夕方というのもあるだろうけれど、射す夏の茜色には似合わない鋭さのある風だった。

ぐるぐると椅子を回転させて一人だけのメリーゴーランドを楽しむ。あー目が回ってきた。いかんいかん。
ジョルノはやっぱり喋らない。ていうか電話繋がってる?もしもし?
「なんです?」
「いや、なんでもない」
繋がってた。あと、"なんです?"は私の台詞なんですわ。

立ち上がってベランダに出る。
見下ろすと、庭に干した洗濯物をリゾットが取り込んでくれていた。胸いっぱいに干したての洗濯物を抱えるリゾットちゃんが見たいにゃあ。リゾットちゃんは効率派だからちゃんと洗濯籠を使うんだよ。私?まあ私はほら、抱えてちまちま運ぶほうが開放感があるというか……。ふかふかのバスタオルを抱きしめてみてイイィィヤッフゥゥゥー!ってテンションアゲるのも楽しいというか……。

そういえば、明日は雨だったっけ。

何しろ電話の相手がうんともすんとも言わないものだから、私の思考もとりとめなくめぐってしまう。
雨といえば、雨の日に会合があるなんて最悪だなと顔をしかめたおぼえがある。でも私の参加する会合じゃあない。いったいどうしてそんなことを思ったんだったか。
「……ああ、そっか」
「どうかしましたか?」
「ごめんごめん。ジョルノが明日、スィエーラとの食事会があるって思い出して」
「……ええ」
スィエーラは北イタリアで古株の金融組織だ。マネーロンダリングが大得意だとか、古銭から始まり"これから現れる貨幣"までも自在に操れるだとか、お金にまつわる噂の絶えない愉快なグループである。
古狸が大集合しては裏の経済にどったんばったん大騒ぎを巻き起こすせいで、業界の人間は"好きなだけひっかきまわすやつ"を"スィエーラみたいだ"と言うそうだ。
ジョルノの相槌はどこか憂鬱そうだったが、そりゃあこんな組織の幹部と食事をするなんて気が重い話に違いない。
しかも天気予報では明日は雨。
ただでさえ雨だと外に出たくなくなるのに、せっかく出ても待つのは魑魅魍魎との腹の探り合いだ。

もし私が、今のジョルノのように、気の進まないスケジュールを前にして慰めを欲しく思ったら。
私だったらきっとリゾットちゃんにハグしてもらって、愚痴を聞いてもらって、筋肉ぐりぐりすりすりあああ人肌気持ちがいいよぉリゾットちゃんめっちゃいいにおいするよォクンカクンカすはすはンンンあー!!!とか発狂してるのを宥められているだろう。私って最低だ……。
でも結局、リゾットちゃんだったらちゃんとご褒美を用意してくれるだろうなあ、という結論に落ち着いた。

さて、私が用意できるもののなかで、ジョルノに提供できるのはこれくらいか。
「終わったらおねえさんがハグしてあげるよ」
「……ハグですか」
「ハグですよ。良い香水つけてこっか。ジョルノは何がお気に入りだっけ?柑橘系のやつかな」
「……そのままで結構です」
「じゃあそのままハグしに行っていい?」
ジョルノはまた黙ってしまった。
「……終わったら連絡しますので」
「うん」
やっぱり黙ってなかったわ。黙っちゃったな、の"黙っ……"くらいで喋り出されてびっくりした。動揺を隠して優しく頷けたのはさすが私と自画自賛せざるを得ない。

日が暮れてきた。
そろそろ部屋へ戻って窓を閉めよう。
不意にジョルノが呟いた。
「これは初めてです」
どういう意味かわからなかったが、聞き返す前に彼はさっさと電話を切ってしまった。
「そして僕はこれが最後であるように願います」
また明日、と付け加えて、残されたのはぽかんとした私だけだった。
「……なにいまの?」



パッショーネのボスとなったジョルノが一人でいることは基本、ない。
というわけで、待ち合わせ場所にはミスタの姿もあった。二人ともスーツでばっちりだ。似合ってるねと笑いかけると、ジョルノは昨日のメランコリックが嘘のような顔で微笑んだ。
「グラッツェ、ポルポ。じゃあ、お願いします」
「え、ここ軒下だけどいいの?人目は?」
「挨拶のように見えますよ。傘もあります」
「ああそう……?」
ぱふ、と飛び込んできたかたまりを抱きしめる。
大きく息を吐くにつれて身体の緊張がほぐれていくのがわかった。
肩のあたりが吐息で熱くなる。やるよね、人の服に息をダイレクトアタックさせて熱くする遊び。だいたい怒られるやつ。
「明日も暑いそうですね」
「ん?うん。そうらしいね。夏よねえ」
やりたい遊びは順調に消化して、そろそろ私たちの長期休暇も終わりを迎えそうだ。きりきり働く毎日が(私の裁量次第なんだけども)やってくると思うと気が滅入るわ。フルーツポンチつくって食べないと頑張れそうにないわ。缶詰のフルーツ買って帰ろっかな。
「夏なんて懲り懲りですよ。楽しかったのは初めだけ。疲れました」
「うんうん。おっぱいで元気チャージしようね」
ジョルノが元気をなくしたら夏が自分から色あせていっちゃうよ。大丈夫大丈夫。よくわかんないけど。元気になれたら元気でいたらいいし、なれなかったらまたハグしにくるから。
「ポルポー、あとで俺にも頼むぜ」
「おうともよ。いやはやイケメン二人に取り合われちゃっておねえさん困っちゃうな」
言ってから気づいた。私いま人生で一度は言ってみたい台詞ベスト10に入るやつキメちゃったわ。あとで口先だけでめっちゃ修飾してリゾットたちに自慢しよっと。
うーん、実にいい夏だ。