42 私は生きている


誰も死なずに戦いが終わって、ディアボロは無限の死の渦に飲み込まれ、私の恨みつらみは発散されないままコロッセオに投げ捨てた。もういいよこれで。みんな生きてるし。誰かが死んでたらディアボロ許さんし自分も許せんかっただろうけど。
「これで、ジョルノがボスになれるね」
「そう、ですね。反感もあるかもしれませんが、……すべて抑え込んで見せます、ポルポ」
「ん?うん、頑張れ。私は遠くから見守ってるよ」
若者の肩を叩くと、ジョルノは不思議そうな顔をした。そういえば伝えていなかったな、と思い出してぽんと手を叩く。ボロボロになりながらもどこか晴れやかな表情をしているブチャラティたちを振り返った。
「ごめん、私、これを持って組織を抜けるの」
「……は?」
「ちょ、……ちょっと待てポルポ!そんなことあんたひと言も言ってなかっただろ!」
フーゴの敬語がログアウトしました。ごめん、タイミングつかめなかったというかちょっぴり忘れていたというか。
けれど混乱しながらも、彼らの表情の後ろにはゆるぎない意志があった。だから、というわけではないが、私は苦笑する。こうなるかもしれない、流れの通りに進めば、こうなるだろうなと思っていた。
「訊くまでもないけど。……一緒に来る?」
ブチャラティが、アバッキオが、フーゴが、ミスタが、ナランチャが、私を見て、それからジョルノを見た。いや、とブチャラティが目を閉じた。
「ポルポ。俺たちはジョルノのつくる新しいパッショーネに希望を見た。……だから、君にはついていけない」
「そ」
離別を宣言されたというのに、私の心は凪いでいた。さみしいとは思う。手元から鳥が羽ばたいていくような、吹き抜けるような喪失感。
私が彼らを止めることはない。それが正しいことだからだ。本来ならここに立っているはずもない存在の私についてくるよりも、それは確かな未来に続く。え、暗チ?暗チはどっちかっていうと私と同類だろ。もう死んでるはずの人たちだし、私が人生を引き受けた人たちだ。共に歩むことに、お互い異論はない。
「これからあんたはどうするんです?」
「特に決めてないけど……、うち、裏稼業に精通したワーカホリックが多いし、表には戻れないから結局こっちで仕事するんじゃないかな。個人的には何やってもいいと思うけど」
「ワーカホリックはリーダーだけだろ!!俺は遊んで暮らしてえよ!」
「イルーゾォ、人間堕落したら戻れないぜ?」
「そーそー。お兄さんたちと楽しく悪人をスッパリやりまくろうぜー」
ごめんここに堕落しまくった上司がいるわ。
フーゴは目を細めた。野良猫はあらたな主人を見つけて気ままに彷徨う。
「この世界、どうせ繋がってるんです。永遠の別れじゃあるまいし、そんな寂しそうにしなくてもいいじゃないですか」
すたすたと近寄ってきたフーゴに頬をつねられて、私はびっくりした。寂しそうな顔してた?してませんけど、そんな気がしただけです。カマかけられたのかな私?
「ホルマジオたちはポルポについていくのか?」
「そうだぜ、ナランチャ。オメーとの会話は結構楽しかったが、ここにゃあオメーより手がかかるバカがいるんでな。見捨てるわけにはいかねーだろ?」
「違いねえな」
「あはは、……さすがにポルポに失礼なんじゃ……」
ありがとうペッシ、君だけが頼りだよ。
首をかしげたナランチャの頭をホルマジオがかきまわすように撫でた。敵対するはずだったこのふたりは、こちらが驚いてしまうほど仲がよくなった。きっと今後もつながりは続くんだろう。
「その……あんたがいなくなるとさ、ポルポ。ちっとサミシー気もするけど、……気のせいかな?」
「気のせいじゃないんじゃないかな!?なんで気のせいにしようとするの!?」
「うるせえよ。そっちは静かになっていいんじゃねェの?」
ミスタもギアッチョも私のことをなんだと思っているんだろうか。騒音製造機?
ひでえなあ、と胸の下で腕を組むと、ぐいっといきなり頭を上から押さえつけられた。アバッキオの靴が見える。
「引っ掻きまわすだけ引っ掻き回しておいて、あとは放置か、ええ?無責任な女だぜ」
「それについてはごめん。……私もね、ジョルノがボスになった組織なら、それは素晴らしいものになるんだと思うよ。ディアボロへの恨みも捨てて、もしかしたら今の私なら、組織を離れるなんて言わなかったかもしれない」
頭に乗せられているアバッキオの手を取る。
闇ではなく、太陽のような光が、それこそジョルノの胸に輝くテントウムシのブローチのように、太陽の加護を受けた少年が裏社会の荒野を切り拓くのだろう。それはとても素晴らしい革命だ。
「でも、私にはもうスタンドがない。このまま役立たずとして組織に所属して惰性で生きるのって、死んでるのと同じじゃない?私は死にたくない。……私は誰よりもメンタル弱いから、もう豆腐レベルに弱いから、本当にちょっとつつかれただけで死にかけるから、……私が大切に思う人たちと、それなりに自由に生きていきたいんだ」
「トウフってなんだよ……」
「ググって。……もし、アバッキオがすごく寂しくなって、私がいないと耐えられないなあって思ったら、すぐ連絡してよ。私、いつだって会いに行くよ。そしてハグするよ。この未だ変わりなくデカいおっぱいで」
アホか、と手を振り払われた。宙に浮かせているのも不自然で、また胸の下で腕を組む。テメーの方が寂しがって泣きついてくるんじゃねえのか。そうかもね、もしそうなったら抱き締めてくれる?んなことするわけねえだろうが。
「……だが、……茶くらいは淹れてやってもいい」
「……」
デレた?あとそのお茶って本当のお茶だよね?
ありがとう、と笑うと、アバッキオは私に背を向けた。
「ポルポ」
さり、と石畳に立って、トリッシュが私を見た。私もトリッシュを見た。
初めに会った時よりも、ずっとずっと強い光がそこにある。私のほうが年齢は上なのに、きっと強さではずっとずっと負けているのだ。悔しいなんてかけらも思わなかった。それが自然で、当然のことだからだ。
「あなたが話してくれたこと、たくさんあったわ。あたし、きっとそれを全部は覚えていられない」
私の話はとりとめがないからね。内容もないしね。内容がないよう。
ごめん。
「だから、……またあたしに話をしに来て」
あなたの話はくだらないけど、あたしはとても好きだわ。
微笑みが浮かんだ。私の存在、とても不安定なものだけど、それでも一抹の何かがそこに残る。それはとても幸せなことだ。誰かに知っていてもらえる。覚えていてもらえる。得難い幸福。
トリッシュが私の手を取った。強くない力でひっぱって、固まっていたひとをかき分け、その奥に背中を押して向かわせる。
「ブチャラティ」
目を細めて、彼を見た。緊張に固くなっていた幼い面差しはこんなに強い覚悟を秘め、背も伸びて、身体つきも変わって、そして変わらずそこにある。
「だいすきだよ」
弟のようなものだと思っていた。けれど、今の私がそう言うには、あまりにも大きな存在だ。
「あぁ、俺もだ」
手を伸ばして、背を屈めたブチャラティを抱きしめる。この時が来ることを、過去の私はいつから想像していただろうか。もう思い出せない。
ずっとそばで支えてあげたいと思っていた。守ってあげたいと思っていた。
鳥は開け放った窓から離れ、ひらりと羽をひらめかせて羽ばたくのだ。
「……また一緒にご飯を食べてくれる?」
「そうだな。きっとすぐにその時は来るよ。そうだろう、……"ねえさん"」
「そうね。……その時まで、さよならだね」
「あぁ。……Arrivederci.」
年上なのに泣きそう。さみしいよー。やっぱりさみしいよー。
でも、人生のターニングポイントで泣くわけにはいかない。私は奥歯をかみしめて、ブチャラティから離れた。永遠の別れじゃない。

「ねえポルポ」
ジョルノの声に振り返る。吹き寄せた風に私の髪がさらわれて、ジョルノのほほえみが焼きついた。唇が動く。私はローマの朝の匂いを吸い込んで、そして瞬きをした。