35 私は生きたい


ビアンカが高らかに歌い上げる着信音が仕事場に響いた。メールか、とマウスを動かすと、スクリーンセーバーが消えてデスクトップが現れる。ボスからだった。
「……」
日付けを確認する。2001年3月29日。
「……」
ボスからのメール。2001年3月。指令。嫌な予感しかしません。
開けたくないなあ。でも開けないと始まらないしなあ。私は渋々クリックした。ずらずらずらっと文字が現れる。
そもそも、ツッコミを入れたいんだけど、事務仕事しかしてない私に護衛を頼む時点でなんかあるなってお察しだよね。他の所には頼めない理由があるの?それって何?私の下に誰が就いているかっていうのは最低限しかボスに上げてないから、ブチャラティ目当てで指示して来たとも思えないし、メールにはきっちり「ポルポへ」って書いてあるし、「健闘を祈る」とかふざけてんじゃねえぞ。毛髪むしるぞ。
マジでお願いします、私の葬式でホルマジオが弔辞を読むことがありませんように。序列的にはあり得ないんだけど。というか、そうか、私の葬式があげられるとしてもそこにブチャラティたちは出席できないのか。残念。献花とかしてほしかったのに。あ、いやいやいや、死なない死なない。
メールの内容を要約すると、「ボスの大好きなポルポちゃんへ。どうしてもって言うなら誰かに協力してもらってもいいけどお……基本的にはわたしたちだけのヒミツでよろしこ!お願いがあるんだけどね、えへ、わたし、娘がいるんだけど、その子を護衛してわたしのところまで連れて来てほしいんだぁ!ゲラ!連れて来てくれたらいっぱいお礼しちゃうし、いらないかもしれないけどお金とかあげちゃう!わたし、もっとポルポちゃんのこと好きになるよ!詳しいことはペリーコロから言わせるからとりあえず、命を賭けてやってね」ということだ。うるせえお前が私をだいすきでも私はお前を大嫌いだよ。
なんで命を賭けねばならんの?私、ただの事務員だよね。まあサバスちゃんはいるけど、攻撃手段ないよ。命を賭けてってどういうことやねん。旅自体はたぶん安全なんだろうけど、どのあたりに命を賭ければいいのだ。あれか。ナントカナントカナントカ島のナントカって塔?みたいなところでボスから娘の命を守るのをか?まあそれならやぶさかではない。ボスの思惑を阻止してプギャーするという点ではやぶさかではない。あとブチャラティが死ぬのも止めたいし、もしかしてやることはいろいろあるのか。アバッキオも死ぬしナランチャも。うわあ。重い。
「はあ……」
「ポルポ、ため息を落としたら幸せも逃げてしまうわ」
「ん、……ありがとう、ビアンカ。吸わないでね」
先手を打つと、私のため息が落ちた場所を見つめていたビアンカは残念そうな顔をした。
がじがじとジャーキーをかじってしゃぶって噛んで飲んで、それを10回くらい繰り返してじっと待っていたら、こんこん、と扉が叩かれた。やっぱりなあ。ボスって、送ったメールがすぐに読まれるって思い込んでる節があるから、あのメールが届いてから1時間くらいしたら私の仕事場にペリーコロさんが来ると思ったんだよ。
ビアンカが扉を開けると、そこには小柄な老人と、眼鏡をかけた少女がいた。小柄すぎる彼に軽くハグを送って、少女にも腕を広げたら、戸惑いがちにちょっとだけハグしてくれた。今この子からいいニオイした。
「メールは読んだようだね」
「えぇ、さっき。私に指令が下ったってことは、つまり好き勝手やっていいんですよね?」
「まあ……そうじゃろうなあ。ボスはあんたがかなりその……変わってるってことを知らんのかもしれん、と思わず考えてしまうほど変な人選じゃよなあ」
ウケる。私が変人だって知らないで真面目な部下に指令を送ったつもりでいるボスを想像したらウケる。暗い部屋でちまちまメール打ってるんでしょ。会話相手はドッピオだけ。ヒエー。ドッピオがいい子だからいいけど、気が狂うな。
「彼女はトリッシュ・ウナ。最近存在が知れたボスの娘でな。いきさつは聞くかい?」
「長くなるんなら、いいです。トリッシュちゃんって呼んでもいいかな?私はポルポ」
「ポルポ?」
「うん。変な名前でしょ。早く結婚してちょいっと名前変えたいんだけど、これが全然モテなくてね。えーっと、任務には明日から準備して出発するとして、ちょっと窮屈な旅行になると思うけど、気になることがあったらすぐに言ってね」
トリッシュは眼鏡を外して私を見つめて、ポルポね、と頷いた。
「わしからは特に言うことはないが、……トリッシュちゃんや、ポルポには気をつけるんだよ。あんまり優しくしたら、すぐ気に入られて、ボスにあなたを渡したくないなんて駄々を捏ねかねんからね」
「ペリーコロさんひどい」
「……わかったわ」
「わかっちゃうんだ」
ペリーコロさんはひらひらと手を振って帰って行った。あっもしかしてこの後死んじゃうのか。えっと、えっと、なんて言ったらいいんだ。死にゆく同僚にかける言葉が思いつかない。もしかしてあなたこれから死ぬんじゃないですかと訊ねるわけにもいかず、私の目の前で扉は閉まった。
「あら、女の子なのね。わたくしはビアンカ。ポルポの補佐をしているの」
「……」
「ポルポが出るなら、わたくしも準備をしなくてはいけないかしら」
「それなんだけどね」
無言のトリッシュを気にした様子もなく、頬に手を当てたビアンカに話しかける。それなんだけど、申し訳ないがビアンカには待機していてもらいたい。私の希望を伝えると、ビアンカは目に見えて落胆した。
「またポルポと離ればなれなのね?」
「そうだね。……何があるかわからないからさ、ビアンカには連絡役になってほしい」
野良猫が、といまいましげにつぶやいたビアンカは見なかったことにした。
いくつか必要だと思ったことを言付けて、秘密で契約しておいた携帯電話をビアンカに預け、私はトリッシュと一緒にネアポリスの街に出た。あの仕事場には、恐らく二度と戻ることはないだろう。けれどそれを知るのは私だけだ。

トリッシュと取り留めもない話をしながら歩いて、途中で雑誌が欲しいと言った彼女のために本屋に入って、私も鞄に入りそうなサイズのペーパーブックを買った。日本みたいな文庫サイズがないから持ち運びしづらい。
「どこへ行くの?」
「私の部下のところだよ。トリッシュちゃんと私の護衛についてもらうチームは別にいるんだけど、こっちからも数人連れて行こうと思ってさ」
「……この旅は、そんなに危険なの?」
「心配はないと思うわ。でも、私もうっかり死にたくないし、トリッシュちゃんを危ない目に遭わせるわけにはいかないから、保険ってところかなあ」
実際には、旅が危ないというより、旅のあとが危ない。
私はまったくもってボスのことを信用していないので、ナントカ略島でナントカ略塔に上るトリッシュとブチャラティに仕掛けをしまくるつもりだ。だってブチャラティを死なせるわけにはいかないし、トリッシュだって守りたい。
ここで重要になってくるのがリトルフィートだと思うんだよね。ちっちゃくして色んなところに色んな人をくっつけて入って連絡一本で解除して盤石の守りを固めたりしたい。そしてボスの血液を入手して、メローネのベイビィフェイスで追跡。圧倒的じゃないかわが軍は。あ、これフラグだ今のナシ。
鍵のかかってない扉を開けて中に入る。
「お邪魔しまー。みんないる?」
「おー、いるぜエー……って、なんだそいつ?ガキか?」
「ポルポに隠し子だって!?」
「マジかよお前誰に仕込まれたんだ!?」
振り返って首をかしげたホルマジオと、婉曲して受け取りすぎたメローネと、素で驚いているイルーゾォ。暗殺チーム、これでいいのか。私が呆れていると、後ろにいたトリッシュが私の腕を引いた。
「ポルポ、この人たち、とても下品なんだけれど……」
トリッシュにドン引きされてるぞ。
根はいい人なんだけど口が悪いんだよね、とフォローにもならないフォローを入れておいた。いい人という言葉にホルマジオが大笑い。
「で、……その彼女がなんだってんだ?」
「トリッシュちゃんって言うんだよ。仲良……いいや、プロシュートは」
「おいテメー失礼じゃねえのか」
プロシュートのこめかみがひくついた。怒るなよ、メンバーには入れないなって言うだけの話だから。私はひとりひとり野郎どもを示して名前を紹介した。トリッシュは全員の名前に目を見開いて驚いて、それから私を見た。ネーミングセンスがおかしいんだけれど、と雄弁に語った困惑の瞳に、私はそっと肩を叩いた。どうしようもないことってあるんだよ。
「ごめんだけど、ちょっとあっちのおじさんの方にいてもらってもいいかな。大丈夫、下品だけど、このなかじゃまともな方だよ」
「ポルポ、全然褒めてねえし俺はおじさんじゃねえよ」
「みんな服がおかしいのは黙っておいてあげてね」
「お前が黙れよ」
小さく首肯したトリッシュは、すたすたとイルーゾォとホルマジオ、そしてソルベとジェラートが集まっているソファの方へ歩いて行った。なんだかんだで世話焼きのイルーゾォが誰よりも先に席を譲って、無言で腰を下ろしたトリッシュから気まずそうに顔を逸らした。若い子と会話したことないのかな。メローネとギアッチョに任せなかったのは間違えてないと思うんだけどな。あのふたりにまともな会話ができるのだろうか。ギアッチョは怒らなければ常識的なんだけど。
「……そうだなあ、……リゾットとプロシュート、ちょっといいかな?」
逡巡し、それぞれ顔を見て名前を呼ぶと、ふたりは椅子から立ち上がった。面倒くせえなとか仕方ねえなとか、ポーズでもそんな言葉を口にしなかったところを見ると、私が真剣な話をしようとしていると察してくれたのだろう。
私を見ていたトリッシュに軽く手を振って、イルーゾォにヤジを飛ばして廊下に出た。客間の扉を開ける。

ふたりを先に部屋に入れて、最後の私が扉を閉めた。リビングルームの、ぎこちない喧噪が遠ざかる。遮光カーテンが閉まっていて薄暗かったので、私は明かりをつけた。ぱちりとスイッチが鳴って、電灯が点滅する。すぐにプロシュートの金髪がきらりと光に輝いて、私はため息をついた。イケメンだなあ。
扉から離れて、どこへ行こうとも決めていなかったので、向かい側の壁に背を向けて立った。なんと言おうか。
「ひとつ、私から仕事を頼みたいんだけど、……今暇かな?」
「仕事は何も渡されていないから、手は空いている」
「ん。……さっき、ボスから指令が来てさあ」
トリッシュを護衛するように言われたことを説明する。鞄の中からコピペ印刷したメールの文章を引っ張り出して、やっぱり見る気が起きなくて畳んだまま後ろ手に回した。
イタリアの端から端まで移動するとしても、この旅はそれほど長くない。襲ってくる敵もいないだろう。なにせ今目の前で私と会話しているのが襲ってくる敵だった人たちだ。
はた、と思い至った。そうか、ボスが"ポルポ"に指令を出したのは、敵が全員スタンド使いだったからか。なーるへそ。じゃあ今はなんでなんだ。敵がいないならこっちに依頼する必要なんかないだろ。親衛隊にでも頼んでいろよ。
いや、逆に私は幸運なんだと考えよう。危険に巻き込まれる代わりに、事態の予測が難しくない。ヴェネチアでボスと対立してサルディニアまでランデブー、そっからローマに移動する、このルートは変わらないだろうから。
この、ボスと対立するところが肝なんだよ。ブチャラティが離脱して、じゃあ上司の私はどうするかって、それを見送るわけにはいかないだろ。フーゴみたいに陰ながら応援できる立場でもないし、私もボスのやったことは卑劣だと思うしそもそも私ボスのこと嫌いだしな。それに、この騒動が終わったら雲隠れする予定なので、パッショーネから私が抜ける、というのは問題ない。後釜にブチャラティが飛び込んでくれたら何よりだ。
が、気になるのは暗殺チームの9人である。彼らの人生は私が貰い受けた。もちろんこのデカいおっぱいに抱き寄せて全員養って逃げる用意はあるが、どうやって伝えたものかなあ。
私が親指と人差し指で唇をいじりながら悩んでいると、リゾットが口を開いた。ごめんよ待たせてて。
「まさかポルポがひとりで護衛するわけではないだろう。俺たちの所に来たということは、チームから何人か連れていく、ということか?」
そうしたいんだけど、さすがに贅沢かなあ。
「トリッシュの護衛自体は、もいっこのチームの方に任せるつもりだけど、……私の護衛、ってことでついてきてもらうことはできないかな、と思って」
「テメーひとりに数人か。贅沢なこったな」
「やっぱり?」
苦笑すると、プロシュートが器用に片方だけ眉をしかめた。
何か言われる前に、私はちょっと姿勢を正した。胸が邪魔で、手を前で組めないので、横に下ろす。
「……私はこの任務を終えたら――トリッシュに安息を与えたら、こっから抜けようと思ってる」
心臓が暴れるかと思ったけれど、想像していたよりも私は冷静に喋っていた。
「なぜこの時期に?何かがあったのか?」
「そういうわけじゃあない。前からずっとタイミングを窺ってた。……君たちをずっと組織の中で守ってあげたい気持ちはあるけど、私にとってはここらへんが潮時だわ」
はあ、とため息をついて、腰に手を当てる。
思えば長かった。今年死ぬんじゃないかとビクビクして、楽しいことも、面倒なことも、しんどいことも経験して生きてきた。お金だけは浴びるほど手に入れて、死体で山をつくって、そして大切な人たちを手に入れた。そして、むかつくボス野郎に、今までずっと心の中で引きずってきた重い枷をつけられた。
もう私耐えたよね、そんなもんでこのポルポ様を止められると思ったら大間違いフライアウェイ。でもこの時まで待たないと追いかけられてうっかりアボンしたかもしれないんでね、必要な時間だったともさ。
「私は今までボスに、パッショーネに貢献してきた。女子大生がギャングの幹部になるなんて、どんなサクセスストーリーなんだかアンチヒーローなんだかわかんないけど、とにかく、君たちみたいな優秀な人の才能を開花させはしたわけだ。中にはバカもいただろうけどそれは知らん。何万分の一ほどの可能性に賭けて、負けた人たちの死体を重ねて生きてきたことも、否定はしないけど後悔することはない。やらないといけないことだったからね。変人と呼ばれるのも身体で買った地位だって言われるのもボスの情婦だの枕営業だの胸だけだの、自分でもびっくりするけど一度も気にしたことがない。毒殺されかけたこともあったしボスに反抗して拉致監禁とかエロ漫画みたいなことも体験した。うわプロシュート怖い顔すんなよ」
目つきが堅気のそれじゃない。堅気じゃないけど。機嫌悪そうに睨まれる。
「ンな話聞いてねーぞ」
「言ってないからね」
「言いかけたからには後で話せよ」
「面白い話じゃないのに……」
「テメーに笑い話を期待してるわけじゃねえ」
面白くないし思い出すのやだなーって思ったから記憶の底に封印していたのにちくしょう口が滑った。
ごほん、と咳払いして話を戻す。
「色々あったわけだ。ぶっちゃけもうこの時点で私おうち帰りたいよね。面倒くさいこともしんどいことも嫌いだし。……でも、私には……うーんまあ色々あって、ついついここまでボスの言う通りにやってきちゃった。でもね、何、このメール。『わたしのポルポ』って何?お前のじゃねえ。『賢明なお前ならわかるだろうが』って何?『わたしがお前を愛するようにお前がわたしを愛すれば、お前には何も問題は起きない』って何?は?愛された覚えないし、あれが愛だっていうならボスの愛情は屈折しすぎだし、そもそも一度も顔を見たこともない脅迫相手に愛を抱くってんならそれはメンタルやっちゃってるよ。だいたいこんなズルズルな関係が一生続けられるとでも思ってんのか。絶対こいつは思ってない。こんなこと言っておきながらぜってえええ裏で全員ぶちコロくらいやってみせるだろ。どんなイケメンであっても許されんわよ。数年前から私はこいつをめちゃ許さんわよ。……はあ、はあ、ちょっと怒りが蘇った。ごめん。……ということでもう我慢ならないので、タイミングもいいし、私は抜けます」
コピペ印刷して鞄に入れていたメールの文章を改めて読んでイラついて握りつぶして床に叩きつけた。紙っぺらなのでひらひら落ちた。プロシュートがそれを拾い上げて、ざっと目を通して、それからいくつかの文章を読み直した。しわしわの紙がリゾットに回され、リゾットの目が素早く動いた。動いた瞬間、「ひどい文章だな」と感想を言われて、ノンキにリゾットを見ていた私は驚いた。速読の使い手なの?有能すぎるね。
リゾットは今度はゆっくり視線を動かした。なぜか私にはその瞳の動きが、言葉を頭に刻み込もうとしているように見えた。
「つまんねえラブレターでしょ。こんなもん考えてる暇があったらハーレクインでも読んでろってのよ。……これ、考えずに感情のまま書いてる文章だったら怖すぎるな……」
私に女の心の機微とか語られたくないだろうけどボスはそう言うものを勉強すべき。ドナテラとどんな恋をしたんだ。15歳の時から帝王意識だけが成長してしまったんじゃねえのか。ごめん言い過ぎた。ボスは凄いぞ頭もいいぞ。あとドッピオ大好きすぎだ。余談でしかないけどリゾドというカップリングを見た時は目が飛び出るかと思った。あのやりとりのどこにラブがあるんだ。
しわになっている紙を軽く伸ばして丁寧に畳みなおしたリゾットが私を見て口を開いた。
「このメールには、決定的に"命令"が足りていない。今までのメールもこんなような文章なのか?」
「ん?命令?……あー……そうだね、これよりはひどくないけど、やわらかーくておやさしい文章だったわよ」
ボスは知っているのだ。命令をする必要なんてないことが。うう、考えると自然と眉間にしわが寄る。
険しい顔をふたりに向けるのがしのびなくてあらぬ方向の床に目を向けたので、ちらりとリゾットとプロシュートが視線を交わしたことには気づかなかった。
「この際だ、全部吐け」
私にとって三歩の距離を一歩半で詰めたプロシュートに思いっきり顔を掴まれた。親指が頬骨の下に食い込んでて痛い。あの、吐くも何も喋れません。
腕を数回叩いたらぐりぐりしてから離してくれた。なんで掴む必要があったのかな。気分なのかな。どんな気分なのかな。
「吐くって言っても……もう我慢してらんないから逃げる、っていうので言いたいことは全部なんだけど……」
「すっとぼけてんのか?それとも壊滅的に察しが悪ィのか?」
いや、何を喋れと言われているのかは理解できるんだけど、面白い話じゃないし私が勝手にむかついてることだし言いづらい。
助けを求めるようにリゾットの目を見上げた。君ならいつもみたいに、お前が話す必要はないと判断したならそれでいい、とか、話したくなったらでいい、とか、興味はない、とか、どうでもいい、とか言ってくれるよね。
わずかにリゾットの方に傾いて、壁から背中が離れた。私の期待、あるいは懇願の眼差しを受け止めたリゾットの手が音もなく伸びて、揃えられた人差し指と中指がぴたりと私の耳の下、首筋に当てられた。あの、この姿勢って、眼鏡の少年がFBIの潜入捜査官にやられた嘘を見抜くそれなのでは。
顔が引きつって、逃げようと後ずさったら、壁に背中がぶつかった。しまった、プロを相手にしておきながら逃走経路を確保しておかなかった私の落ち度だ。いや、普通に話しててなんで逃走する必要があるんだよ。私の落ち度じゃないよ。
「り、リゾットちゃんはいっつもメローネに結論だけ話せ、って言ってるもんね?私の無駄話なんて興味ないよね?ね?」
「ポルポ」
「は、はい」
静かなのに重い。なんか重い。空気が死んでる。リゾットの唇が無情に動いた。
「話せ」
「……」
もしかして:四面楚歌

かいつまんで話そうとしたら首に添えられた指に力はこもるわプロシュートにメンチ切られるわ「おらまだあんだろうが」ってなぜか把握されてるわ、もうひどかった。どんどんふたりの機嫌が悪くなっていくし、こっちは居た堪れないし、かすかにリビングの方からきこえてくる笑い声に混ざりたくて仕方なかった。
「私は面白くない話はしたくないんだよ!!」
「何いきなりキレてんだようるせえ」
「(私は面白い話はしたくないんだよ)」
「……あ?なに見てんだ」
そこは「こいつ直接脳内に」って言うところでしょ!
プロシュートが煙草を吸い始めた。フー、と吐きだされる紫煙がくゆって消える。私も消えたい。
「リゾットちゃんもう指、よくない?最終的に全力で私は処女ですッて主張することになった私の気持ち考えよ?」
「もう話していないことはないな?」
「ないよ!処女だよ!」
「なら、いい」
イケメンがゲシュタルト崩壊しそうなイケメンと服装が奇妙すぎるイケメンに貞操について叫ぶとかキツイわ。
指が離れて、私は軽く押されていたそこを自分で触ってみた。わかんねえぞ。人のを触ればわかるのかな。リゾットの首に手を伸ばしてどこだよと指で探していたら手で位置を修正された。あ、はい、余裕ですね。やっぱりわからなかった。
「遊んでんじゃねえよ。……で、ポルポ、なんか俺たちに言うことがあんじゃねーのか?」
「……そうだね。全員に言うつもりだけど、先にふたりに言っておくわ」
リゾットから離れて、しゃんと背筋を伸ばした。一世一代の告白だ。ふたりの片手を取って、軽く呼吸を整える。
ひとりで立つのは慣れている。倒れそうになったら助けてくれる人がいるから。
ひとりで立つのは慣れている。私の周りに彼らがいるから。
「リゾット。プロシュート。何をしてもいい。どこにいてもいい。一生面倒を見る。だから、どこまでも私についてきて」
握った手に力を込める。後悔させないなんて言わない。幸せにするなんて言えない。けど、何があっても絶対に手を離さないと断言できる。
言葉の余韻が空気に溶けて、そして。



0.5

人の怒気って、殺気って、視認できるんだね。初めて知ったよ。
何事もなかったかのようにわいわいとトリッシュを囲んで騒いでいる野郎どもに遠い目を向けた。リゾットが私にオレンジジュースをくれたけど、今ばっかりは素直に感謝できない。あんたのせいだよ。

いい感じの雰囲気でリゾプロ両名の同意をゲットした私は、ある種の緊張を孕んだまま、リビングにいた7人をいっぺんに呼んだ。小分けにして何度も話すことでもないし、人目があるから嫌だって言えない、なんて細い神経を持った人もいない。
「え?リゾットもついてくるの?」
リゾットとプロシュートのふたりにトリッシュを任せるねと言ったのに、なぜかリビングに残ったのはプロシュートだけで、年下の部下の動向を見守っているのかなと思っていたリゾットは私を部屋に入れたあと、当然のように入室して扉を閉めた。広くもない客間が7人プラス私でかなり、その、言いづらいがむさくるしい。メローネやギアッチョという若さで補いきれない男の何かがある。特にホルマジオやばい。
話しだしてからは、時々誰かがタイミングよく質問を投げかけてきたり、あー、と相槌を打ってくれたりと和やかな雰囲気だった。私もさっきと違って思い出しむかつきなんてしていないし、丁寧に言葉を選んで説明を凝らした。
ポルポがそう決めたんならわざわざ俺らに訊かなくてもいいのになー、と私を律儀だとからかったソルベとジェラートも笑顔だった。
別行動になるんなら俺たちが先に引っ越し先決めて隠蔽工作しといたほうがいいんじゃねえの、と提案したイルーゾォの目も明るかった。
それもそうだな、ポルポ何も考えてなさそーだしよォ、と同意したホルマジオも腕を組んで笑っていた。
ポルポはある日突然引っ越すぞって言ってくると思ってたから逆に驚いたよ、と胸をなでおろしていたペッシも可愛かった。
新居にはでっかいベッド入れて一緒に寝ようぜ、と私の肩を抱き寄せたメローネにも冗談の響きがあった。
心配してるワケじゃねーが動きには気をつけろよ、とツンツンしながら私を気遣ってくれたギアッチョもいつも通りだった。
「ポルポ、説明は私情を挟まず、正確にするべきだろう」
ぴしり、と私だけが固まった。どうしたんだよ、と顔を覗き込んできたメローネを素通りして、私の視線は、壁に軽くもたれて今までずっと黙っていたリゾットに向く。
「リ、リゾットさん……?あの、……いったい何を仰ってるんですか……?」
嫌な予感が止まらない。やめろ押すなよ押すなよ押すなよバカやろう押すんじゃねえよ!
リゾットの発した言葉に、全員が彼を振り返った。一様に、話の続きを促す表情をしていて、私の制止は無駄だった。リゾットのばか。なんで火のないところに煙を立てて火を起こしてそこに油を注ぐんだよ。注ぐにしてもゆっくり注げよ。
「……へえ……」
こぼれた不穏な相槌は誰のものだっただろうか。私の肩に回っていたメローネの腕がするりと落ちて、肩じゃなくて手をきつく握りしめられた。
静かな声で、私情を挟まず、淡々と進められた私の話の補足が終わると、誰かがふう、とため息のように息を吐いた。完璧に重なっていて判らなかったけれど、ソルベとジェラートのものだった。
「ポルポ、いつから俺たちに黙ってたんだい?怒らないからおにいさんに言ってごらん」
「そうそう。怒らねえからさ」
「あの……言ったらどうなるの……?」
ソルベとジェラートはにっこりと笑顔を浮かべた。どうにかしてやるから。寸分も狂わず同時に言葉が吐きだされて、私はふるふると首を振った。何をどうするのかなんて聞くだけ無駄だ。このふたり、ほんまもんのキレキレのギャングだった。ただの優しいお兄さんたちじゃなかった。
「お前の今回の任務さあ、……娘を誰に届けるんだっけ?」
「ボ、ボスのとこ……」
「そうだよなあ。悪いこたあ言わねえから、一枚鏡持ってけよ」
イルーゾォが殺意のにじんだ暗い目をしている件について。持っていったらどうなるの?私が訊ねると、イルーゾォは決まってるだろ、と首をかしげた。心臓だけ許可するんだよ。わあ、親父より綺麗に抜くんだね……。「な?」とダメ押しされて、小さいやつもってくね、としか言えなかった。鏡の中からついてくる気なのねこの子。
オメーよォ、とイルーゾォの隣でホルマジオが顔を上げた。気遣うような笑顔を浮かべて、私を見る。よかった、ホルマジオはまともだ。
「怪我するかなり前によォー……ずいぶん長い間顔見せなかった時、あったよなぁ」
「え?」
「あったんだよ。1997年の秋口から冬の入りまでだ。……そん時だな。確か戻ってきたのは月が替わって5日目だったか?なあ、もしかしてオメーの足首を掴むとオメーの身体が動かなくなんのってよォ、……それにカンケーあるんじゃねえだろーな?」
まともじゃなかった。その記憶力何なの。あとかなり正解に近くて怖い。おかしいと思った時に追求しとくべきだったな、なんて苦笑しながらも右手が吊ってあるナイフを軽くいじっている。ねえ何するの。それナイフどうするの。どうもしねェよ、標的がいねーとな。ホルマジオの言葉に、私は顔も忘れた標的に心の中で十字を切った。
「俺……ポルポがそう言う意味でも俺たちのことを守ってくれてたのに、全然気づかなかったよ……」
「い、いや、本当に、私が勝手にやってたっていうか――」
「でも、ポルポ。もう二度とそんな心配しなくていいように、俺も強くなるよ。プロシュート兄いみたいに、強く……」
あの、ペッシの可愛らしい面差しが、一気に十年は経験を積んだ戦士のそれになったんだが。プロシュートいつ死んだの?いや生きてる生きてる。覚悟しちゃったのか。ひとりも殺してないのに覚悟決めちゃったのか。なんか、すごい、ごめん。
ぎりぎりと力の込められた手に、私は引きつった笑顔を浮かべた。メローネが、私の手をきつく握りすぎてる。震えながら握っているのか力が込められすぎて震えているのかわからない。痛い。
「ねえ、ポルポ。ポルポさ、……恋人いないよな?」
声が硬い。じっと、正気なのにどこか無機質な目で見下ろされる。いないけどそれがどうした。あと、もしかしてそれが仕事モードの顔なんですか。私に向けるのやめてくれませんか。こわいです。
「いたことないけど……」
「ならさ、……処女っていうの、嘘じゃないよな」
「う、うん、バリバリ処女だよ、26歳なのに」
そか、よかった。メローネはようやくわずかに目元を緩めた。握っていた手も優しく繋ぎ直されて、止まっていた血が流れ出した。ひええ男の子力強い。
いつもと同じ、少し落ち着いた様子に戻ったメローネを見て、私はふと気になったことを問いかけた。
「もし処女だって嘘ついてたとしても、メローネにはわからないんじゃないの?」
「あはは、突っ込めばわかるだろ」
落ち着いてなかった。誰だよメローネに下ネタ教え込んだやつ。あっ自己学習ですか。すみませんでした。
私はそっと目をそらして、異様に静かなギアッチョを二度見した。ブチ切れるか怒鳴り出すかのどちらかかと思ったら、そういえばずっと何も喋っていない。
「あの、……ギアッチョ、どしたの?」
メローネと手をつないだまま恐る恐る声をかけると、ギアッチョはこちらに顔を向けた。眉間に寄せられたしわも、不機嫌そうな口元もいつも通りだ。あれ、普通じゃん。私がほっと安心していると、彼はオメーよォ、と首をかしげた。
「パッショーネのボス、嫌いだろ?」
「……う、うん、結構嫌いだよ」
「だよなア。……つーことはよォ、殺してもいいってことだよな?」
「……パ、……パードゥン?」
今この子なんて言った?
聞き返すと、ギアッチョは首をかしげたまま面倒くさそうに腰に手を当てた。
「だからよォー……オメーはボスに首輪つけられてて、もうやってらんねェー、っつって組織を抜けるワケだろ?」
「うん」
「つまりパッショーネとはなんも関係なくなるし、ボスなんてもちろん知らねーオッサンかババアかジジイなワケだ」
「そうだね」
おっさんだ。30代から40代のおっさんだ。
ギアッチョの人差し指が私のみぞおちをトントン、と突いた。
「オメー、自分と関係ない人間の生き死にまで面倒見てられっか、とかナントカ愚痴ってたよな」
「え……そうだっけ?」
「覚えてねーのか。ま、その程度の認識なんだろ?んで、さらに言えばそのオッサンかババアかジジイのことをオメーは大嫌い」
決して好きじゃあないねえ。頷くと、じゃあよォ、とギアッチョはかしげていた首を戻した。
「俺らの内の誰かがぶっ殺しても、オメーは全然気にしねーよな?」
「……」
絶句。なぜかギアッチョに理詰めで説明されている私。それもそうだよなと頷いているメローネ。やめよ、殺意滲ませるのやめよ。
「気にしねーなら、殺してもいいってことだろ?」
「あの……ですね、ボス、っていうのはたぶんそんなに弱い存在じゃないと思うん、だよね……?」
強い、というかチート、というか。
おずおずと口を挟むと、ペッシがいつもの表情できょとんとした。
「俺たちが全員でかかっても負けるほど強いのかな?」
「……」
想像した。
ナントカナントカナントカ島のナントカナントカナントカ塔の最上階でトリッシュを待つボス。上陸することなくプロシュートがグレイトフルデッドを発動。ギアッチョの作った氷で私たちは防御。エレベータに乗ったトリッシュとブチャラティの服の中にリトルフィートで小さくなって潜り込んだリゾットとホルマジオと鏡。最上階に辿りつく前に降りて来ていたボスは、列車一本分はゆうに範囲に含むグレイトフルデッドで謎の老化。ウオアアアとか言ってトリッシュを奪うも氷から離れた彼女が老化し始める前にリトルフィート解除でブチャラティの隣にリゾット、ホルマジオ。ジッパーに掴まって距離を保ちながらメタリカ。そしてトリッシュに隠されていた鏡もデカくなっておりボスが運よくそれを目撃したら鏡の世界で待っていたイルーゾォが心臓だけ許可。ペッシは癒し。ソルベとジェラートはスタンドを知らないから省略。
フィールドがフィールドだけに辛勝だけど、もしこれがガチンコ暗チVSボスだったらかなりいいセンいくのじゃないだろうか。そこに護チが加わったらボス涙目だね。わあ、みんな鬼畜。
「ソルベのスタンドがあればかなり楽だと思うんだけどなあ……」
「舞台が良ければもしかしたら勝てるかもしれないけどさあ、でも、あの、ほら、かなり危ないから……やめよう、ね?ね?」
無垢なペッシの言葉が今は毒。つらい。ソルベのスタンドはなんなの。デスノートでも持ってるの?
私は必死に懇願した。せっかくここまでお互い生き延びたんだから危ないことをするのはやめよう。
「いいよ!嫌いだけど知らないオッサンとその親衛隊と戦って怪我するんだったら私全然オッサンへの恨み捨てるよ!!むかついてるだけで憎んでるわけじゃないし!みんなで平和に一緒に暮らそう!」
まだ打倒ボス計画を捨てていないようだったので、半泣きになりながら訴えた。
暗殺チーム、全員優秀なだけに、暴走するとやばい。