わりばし


*上司部下時代



――――シチュエーション萌え。
それは紀元前より言い伝えられる、至高のジャンルである。

おはよー!と元気よく扉を開け放とうとして当然のようにシリンダー錠に阻まれる。当たり前だよね。防犯への意識はセブンセンシズと同じくらい高められていそうだもん。
意図せずドアガチャをするに相成ったつらい不審者である私がバッグを探るより早く、中から鍵が開かれる。
顔を覗かせたのはペッシだった。このチームに入った順番と照らし合わせると、鍵を開けに玄関へ走る役割を率先して買っているのかもしれない。
「ありがとね」
「い、いえ」
青年は大きな身体を縮めて私を室内へ導いた。
思い思いに過ごす彼らの邪魔をするのは心が引けるけれど、これは紀元前からの言い伝えに基づく行為だから諦めてもらうしかない。紀元前だからね。いやあ困った困った。長く続く歴史の波に攫われてしまうにはあまりにも惜しい文化を未来へ脈々と繋いでゆくために必要な行いだからねえ。私に言わせれば今日の君たちはいわば歴史の立役者よ。
挨拶もそこそこに、差し出されたジュースをぐいっと一気飲みして空のグラスを男らしくテーブルにたたきつける。可愛らしいコースターの上に着地させたのでちょっとの音も立たなかった。あらまあ可愛いレース編みだこと。思わずグラスをどけて見ると、繊細な糸が完璧に統一された美しい編み目で綺麗な花柄を描いていた。なかなかの逸品じゃないか。これうちにも欲しいわ。どこで買ったの?え?手作り?誰が編んだの?びっくりしているとソルベが手を上げた。図案はジェラートだぜ、と親指で自分の隣を指さし自慢げに笑っている。ああーッ予想できても良さそうだったのに頭一つリアルに飛び抜けたギャングと手芸を結び付けて考えられなかったなんて不覚が極まる。ここが戦場だったら撃たれて死んでた。
職人技かと見紛うほどの品物にグラスを置く気になれず手を迷わせる私に、「置かねえの?」と無邪気な疑問が突き刺さった。
「汚したらヤバそうでさ」
「んー?ポルポって変なこと言うよな。たかが敷布だぜ。ナニかの下敷きになるのが役割なんだから、下敷きになれなきゃあただの糸くずと同じだろ?」
「うーんシビア」
ごもっともではあるが、自分が手間暇かけた生産物に対する割り切り方に闇を感じる。追及しないけどね。怖いから。何しろ彼らは藪をつついて出るモノがたかが蛇なら大ラッキーな子たちである。
きょとんと傾げられた首に促されて"敷布"にグラスを置いた。
「俺もなんか作ろっかなー」
「ガキとかか?」
創作意欲を刺激されてしまったのか、メローネが腕を組んで悩み始めた。えぐい茶々を入れたホルマジオのことは責任を持って私がどついた。どつき返された。
「って、そうじゃあないのよ」
よろめきつつも本題を思い出す。むしろよろめいたことで思い出せた。ホルマジオくんありがとう。なんやかんやでちゃんと支えてくれたしね。紳士だね。まず紳士は女を肩でどつかないけどね。
「今日は皆さんに歴史の授業を行いたいと思います」
私は室内のラジカセを拝借して、そっと音楽を再生した。
アルトとソプラノの混じる幻想的な多重奏が鼓膜を撫でて余韻を残す。日本人としては、歴史を語るときはこれがないと始まらない。ちなみに室内はほとんどがぽかんとしている。え?我らがリゾット・ネエロさん?もちろん無表情ですよ。この子はたぶん"こないだ私エトナ火山買ったんだよ"って大法螺吹いても無表情だと思う。"そうか"もしくは"管理が大変そうだな"で終わる。それこそエトナ火山を賭けても良い。
「歴史の授業だァ?」
「まさかオメーが教師じゃあねーだろーな」
「はあ?気取んなよ。器じゃあねえってのは自分でも分かってんだろ」
「ええー。教師と生徒プレイならせめて眼鏡掛けて欲しかったなー。ギアッチョのやつ掛ける?」
「ふざけんな。そーすると俺が視えねえだろーがよ」
「え、ギアッチョちゃんって眼鏡掛けた私を見たいの?」
「見たくねーよ!!単純に視界の話をしてんだこっちはよォ!!視力が整数の人間は黙ってろ!!」
裸眼でごめんね。
幻想的な音楽に不釣り合いなやり取りを修正してくれたのは、さすがのまとめ役、我らがリーダーリゾットちゃんだった。
「その"授業"とお前の持つ紙袋の中身は関係があるのか?」
「さっすがリゾットちゃん、良い質問ね。十点あげるわ。一番最初に百点を獲得した子が優勝ね。優勝者には特別な賞品があるから頑張って欲しいな!」
「授業と紙袋は関係があるのか?」
「ごめんて」
無表情で繰り返されるYes or Siは人間を恐怖させる。
取り出したるは九本の、いや、正しく言うと"膳"になるのかしら。"組"のほうがいいかな?それとも割りばしだから"本"でも有り有り有り有り有りーヴェデルチ?
まあ細かいこたぁ放っておこう。大事なのは私が割りばしを九、……いややっぱり数えづらいから細かくないわ。膳でいこう。九膳持って来たということだ。
それらを九人に手渡していく。こだわりの箸袋はポルポじるしの『ぽ』が書かれた特注品だ。自分で折った無地の箸袋に手書きで『ぽ』って書いただけだけど己に注文したから胸を張って特注と呼ぶ。
「まだ出さないでね」
「もっとバンビーノに言うみたいに言って」
「メローネくん、もうちょっとだけ我慢できるかな?」
「うん!めろーね、がんばう!」
「うるせー茶番やめろ」
教師に向かってなんて態度を取るんだ。いけない子ですね。権力を振りかざしますよ。
「WARIBASHI……の歴史でも勉強させるってのかよ?」
「いや、割りばしの正しい割り方のほう」
「正しい割り方ァ!?ンなモン、こう……両手で一本ずつ持ってよォ」
「ホルマジオ三十点減点!!」
「そもそも持ち点何点からなんだよ!?」
「決めてなかったけどとりあえず今のホルマジオはマイナス三十点。いい?割りばしを侮ってたら日本で袋叩きに遭うわよ。どんなにクールぶったイケメンの俺様キャラだって割った割りばしの端っこが一対九に分かれてたら一気にキャラ崩れするんだからね!?無理やり誘われた親睦会でやっすい居酒屋に連れて行かれた完璧人間がそんな迂闊な真似をして周囲に弄られたり親しみを感じられたりしてる場面を想像してみなさい!マウント俺様なプライドが完全に瓦解の憂き目だわよ!!」
「わ、悪かったよ……」
「お前は割りばしの何なんだ?」
「ぎゃははははは!プライドずたずたのプロシュート想像して死ぬほど腹がイテエ!!」
「割りばしの片っぽが、こう、これくらい鋭角でほとんど折れてんだろ?やべえそんな場面に出くわしたらショウユぶちまけて死んじまうブヒヒャヒャヒャ!」
身振り手振りを交えて崩れ落ちる男二人が可愛らしく見える。もう末期かもしれない。信じられるか、成人して久しい男たちなんだぜ。
まだ割りばしを割ってもいないのに弄られたプロシュートは、麗しい唇を凄絶にひきつらせて、アパートメントを揺らがすような舌打ちをした。
「鋭利にぶち折ったWARIBASHIでテメーらの目ん玉抉り出してやっても良いんだぜ」
「ぷふ、ぷひひ……悪かったよプロシュート。ウインクしかできねえイケメンになっちまうから勘弁な」
「プフヒッ」
清々しいほど反省の欠片も見られない。
三者三様、小刻みに(色んな意味で)震える男たちは置いておく。
「じゃあちょっと袋から出して見てもらって良い?……口をつけるほうは既に割られてるのがわかる?」
「真ん中のちょい下まで分けられてるな」
「じゃあ最初から割っとけよ。食器の分際で意味がわかんねえギミックを強制してくるんじゃねーよ」
それを言われるとおしまいだからもうちょっと我慢してねギアッチョちゃん。
割りばしを割らない程度に力を込めて、たわむ様子を良く見せる。
「もうお分かりかな。うまく割るにはコツがあるの。そして、私が最も効率的だと考える、均等な割り方はこう」
インド人を右に。そしてお箸は横に。
かぷ、と片側を軽く噛んで、もう片方を下に引っ張ってぱきん。
真ん中のもっとも堅くて安定した部分を均等に力を込められる歯で押さえることで片手なのに綺麗に割れると評判の、名づけて『必殺・無精割り』である。
見事にまっすぐ割れたお箸に「おお……」と感嘆の声が聞こえる。たぶん雰囲気に釣られてくれただけだけど、高々と掲げたそれに視線が集まるので得意げな顔をつくった。なおBGMは幻想的な例のやつだ。途切れたらリゾットちゃんが律儀に巻き戻して再生してくれた。以心伝心で嬉しいよ。
「よし!じゃあ実践あるのみ!割りばしはたーっくさん用意したから、みんなぜひともやってみて!」

ぱきんぱきんと音が立つ。
一から二へ。
無から有を生み出すように、一つだったものが二つに分かれる。
ちょうど、リゾットの乾いた唇が箸を食んだ。
僅かに奥へ押し込まれたそれをじっと見つめると、恥じらうように赤い瞳が伏せられる。見つめられるとやりづらいのか。長いまつげが頬に影を落とすさまは、冷ややかな鋭さを彼からいくばくか遠ざけた。
乾いた音は大きくない。ほとんどが彼の中に吸い込まれ、口づけじみた行為を名残惜しむように張りついた割りばしを一揃えにまとめて箸袋に滑り込ませる動きは、この数十分のうちにすっかり身についてしまったらしい。
一組ずつきちんと箸袋に直して並べるリゾットは、テーブルに積まれる手つかずの割りばしを見やった。
「いつまでやるんだ?」
「……ペッシがうまくできるようになるまでかな?」
「そうか」
二人してペッシのほうを見る。うまくできて素直に喜ぶ姿が可愛かった。大柄なのに小動物っぽさがあるよねえ。
暇つぶしに割りばしうらないをして遊ぶ。割りばしうらないは簡単だ。うらないたい事柄を思い浮かべながら割りばしを先端からゆっくりはがすように割っていき、綺麗に割れたら"うまくいく"。割れなかったら"うまくいかない"。
「リゾットちゃんが"かぷっ"てした割りばしを他の誰かが"かぷっ"てしたら、間接キスになっちゃうねえ」
「……もう割れているだろう」
「たとえば邪な私がうっかり齧るかもしれないじゃない?」
「……」
呆れたようにすうっと目が細められた。
「おこった?」
「占ってみるといい」
言われるがまま、力を込める。割りばしが、ぱきん、と音を立てた。


割られた割りばし?
もちろん、スタッフが責任を持って割りばし工作に使ったよ!
輪ゴムピストルを作るのが異様にうまいソルジェラと、めちゃくちゃ真剣に折り本を読むギアッチョと、どこから出したかわからないハサミで器用に割りばしを剪定するリゾット(言ってて何だけど全部どういうことよ?)を眺めるおやつタイムは至福だった。
ちなみに、前衛的過ぎるイルーゾォの手作りエンドレス割りばしは伝説である。割った割りばしをかたっぱしからボンドでくっつけ直した終わらない割りばし。圧倒されたので満場一致で百点満点をあげた。
本人は怒っていたけど、景品としてあげたケーキは気に入ったみたいだった。