今日は新月

上司部下時代


どこにだって口さがない人間はいるものだ。面と向かって吠えてきただけ彼は性根がまっすぐである。品性はないかもしれないけれど。

「よぉ、ポルポ」
やることも終わり、さっさと帰ろうおやつが待ってる、とトラットリアのVIPルームを出たところでこれだ。
今日の会議には参加していなかったはずの男。彼は先日ちょっとした仕事でかち合って以来、うちの子たちに手柄を取られたと逆恨みしむかっ腹を立てていると噂されていた。
わざわざ待っていてくれたらしい。
私は付き添いに扮したリゾットを見上げて、男に視線を向けて、なんかごめんと謝った。会議が終わったのに室内でだらだらとお茶菓子を食べてたせいでかなり待たせてしまったはずだ。だってみんなお菓子に手つけないから殆ど残ってたんだもん。食べてたの私くらいだよ。おいしいのにもったいないじゃん。
男は舌打ちをひとつ落とした。
「今日も儲けたみたいだな」
「優秀な部下がいるからね」
「ふん。どうせ金で買い集めたガラクタだろ。こいつもか?」
スーツを着こなすリゾットは私の強い要望により眼鏡まで装着した堂に入る変装っぷりだ。無感動な佇まいといい、ギャングというよりかは黒塗りの護衛に見えなくもない。少なくとも様相から所属や専門を見抜くのは難しい。
「こういうのばっかり側に置いてるって聞いたぜ」
「誰から聞いたのよ?」
「風の噂さ。……なあ護衛さん、この女とはどこまで行った?」
「……」
「目と目で通じ合うくらいだ。毎晩お盛んだったりするのか?幾らで買われてるのか相場くらいは教えてくれよ。後の参考にするからよ」
「えっ、相場調べてどうすんの。買うの?」
「うるせえな。金にモノ言わせて男と毎晩宜しくやってんだろ?若い身空の女が裏稼業で見つける楽しみなんざそれくらいしかねえからな。どれくらい貢いでんのか興味があるんだよ」
すげえ極論をぶつけられた。それはあなたが出会ってきた裏稼業の女の人が偏りすぎているだけではないでしょうか。知恵コイン100です!
というような意見を八つ橋にくるんでお伝えするとキレられた。挑発と取られてしまったようだ。拳が壁に強く叩きつけられ、反射的にびくりと震える。ぎらついた目で睨まれるのは無条件で怖いからやめていただきたい。
「自分に敵が多いってことを忘れんじゃねえぞ。護衛が居なけりゃあただの女だ。調子こいてっとテメーの尊厳ぐちゃぐちゃに犯して路地裏に捨てっからな」
私は安全な人間ですので波風立てない言葉選びをしたつもりでしたが残念な結果となり誠に遺憾であります。
直接的に脅されてしまったときの穏便な対応は、と脳内マニュアルをめくろうとした私の肩に大きな手が添えられた。革手袋を嵌めたリゾットの手はそのまま私の背を辿り、自然な動きで男と私の間に身を割り込ませた。
湖面のような瞳が柘榴石の静けさをたたえて男を見据える。
「今夜は新月だそうだ」
「は、あ?」
「雨は降らないらしいが、薄雲は張ると聞いた」
「なんのはなしを」
「暗くなるだろうな」
息継ぎの暇も与えぬ、淡々とした台詞だった。
「霧が出ないことを祈ろう。"余計な仕事が増えてしまう"」
ざっと顔色を青くした男を置いて、リゾットは私を連れ出した。
物騒極まりない長台詞だったなと冷ややかな声を脳内で反芻するうちにもしやこれは上司が暴言吐かれて激おこになっちゃったのかな?と気づき可愛さゲージがMAXハートで振り切れたため胸を押さえて「いとおしい……リゾットちゃん……」と呟いた。
幸か不幸か聞こえなかったらしく、激おこを引きずった眼鏡スーツインテリ護衛風リゾットちゃんの横顔は険しいままで、めっちゃめっちゃにはちゃめちゃどちゃんこ尊みを感じた。


言葉責めしないと出られない部屋

前略中略以下略。
ここは相手の屈辱感や背徳感、連動する快感を言葉だけで引き出さなければいけない部屋である。
脱出するために必要な条件はこれだけだ。
言葉責めで相手をぞくぞくさせること。
肉体の接触に頼ってはいけないこと。
お互いがお互いをぞくぞくさせ合って初めて出られるということ。なるほどなるほど。
……リゾットを言葉責めでぞくぞくさせるってあまりにも難易度が高くない?私たち帰れるかな?
先攻後攻は公平にじゃんけんで決めた。

勝ったのはリゾットだ。彼は先攻を選び、手っ取り早く勝負を決めにかかった。
豊富な知識と語彙を駆使して粥辞林でぶん殴ってくるものとばかり身構えていたが、しかし一向に口を開く様子がない。
彼は目を細め、少しの笑みを刻んだ己の唇を見せつけるように指でなぞった。無意識のうちに私の視線が浅い曲線へ釘づけになる。
ゆるりと唇が動く。
「ポルポ。何を言われるか、不安に感じているな」
「まあ、そりゃあ、ね?」
「だが同時に期待もしている。その瞬間の感覚を知っているからだ。ポルポ、自分がいまどんな目で俺を見ているかがわかるか?」
「わ、……わかんないわよ」
血を流し込んだようなリゾットの瞳に熱が滲む。私の錯覚かもしれない。ドキドキと高鳴る胸の鼓動が脳みそまで支配して、思考は散り散りだった。
リゾットは、緩慢に囁いた。
「もの欲しそうな眼差しだ」

私は挑戦すら投げた。こんなののあとに何をしたっておままごとも良いところ。えーと、と自分の部屋を思い出す。本棚の中、隠し扉の奥、クローゼットのハンガーラックの奥に詰め込んだ夢と希望の数々を秒でジャンル分けして『言葉責め』のテンプレを読み込む。
うむ、こうなると下手な鉄砲数打ちゃ当たる作戦だ。これも立派な戦術である。もちろん念のために言い添えると、神々の生み出し賜うた表現の数々に誤りや不足はない。ただ装備推奨レベルが50の武器をレベル10の人間が持つだけだ。
つんと顎を上げる。形から行こうな。
「リゾットこそやけに多弁じゃない?実は楽しんでるんじゃないの?こういうプレイも好きだったりして、本領発揮ってとこかしら」
こういうプレイが好きで本領発揮されて困るのは私なんだが置いておこう。好きだとしてもラップバトルみたいな感じでその筋の人と健全に楽しんでくれな。
「どこでお勉強したのかなあ。実際に言われてぞくぞくした台詞を使ったのかしら。ねえ、リゾットこそ熱に浮かされた目で私を見てるけど気づいてる?」
ちなみにどっからどう見てもリゾットは素面である。拙僧もまだまだ修行が足りぬ。どうすりゃいいんだこんな無理ゲー。私のほうこそ"口では強気でもコッチは正直だな"状態で心が折れそうだよ。
逆に考えるんだ。
責めなくていいさと考えるんだ。
要するに喋りだけで相手をぞくぞくさせりゃあ良いんだから、"これは言葉責めでーす!!"などの強い気持ちを込めて話せば謎部屋システムくんも混乱して"あ、そうなのかな……?"って解放してくれるかもしれない。ジョースター卿ありがとう。やらないで後悔するよりやって後悔したいもんね。王さまも言ってた。
私は一転して顎を引いた。これは言葉責めこれは言葉責めこれは言葉責め。
「ねえリゾット。まだもう少し楽しみたい?こんな部屋で?私たちの部屋じゃあなくって、何を基準にしているかもわからないあやしい空間で続けていたいの?ふーん?リゾットちゃんって、見られて興奮する性癖があったのね。全然知らなくって悪かったわ。何せ私にはないもんだから気づかなかったのよ。だって私なら御免だわ、衆目に晒されてながらだなんて。二人きりならともかくねえ……」
これは言葉責めこれは言葉責めこれは言葉責め。
念じながら、表情だけは艶然と微笑んでみる。これは言葉責めこれは言葉責めこれは言葉責め。言葉責めだってば。私が言葉責めっつったら言葉責めなのよ。言葉責めなんだってば!

ぱ、と景色が変わった。
「……あれ?……出られた」
見慣れた部屋だ。寝室ともいう。
自然と肩から力が抜けた。
「はー……出られて良かったー……焦ったー……」
「余裕そうに見えたが」
「そぉ?いやー、私も捨てたもんじゃあないってことかな」
ありがとうジョースター卿。本当にありがとう。
しかし脱出できたなら、リゾットちゃんは私の言葉(責め)でぞくぞくしてくれたということだ。この歳にして秘められし才能が開花、という幻想に浸っても良いのかな。ダメだよねわかってる。
プライドをかなぐり捨てた女のどこにぞくぞくする要素があったのか、本能が訊くことを拒絶しているためあえて突っ込まない。藪蛇な気がしてならないのでね。
「……」
「……」
可愛らしく小首を傾げたって突っ込まないからな。
「どうした、訊かないのか?」
追いかけてくるな。
両手を胸の高さまで上げ、顔ごと背けてはっきりとNOを表明。
可愛らしく、まばたきをしても、絶対に訊かないからな。