二階から失礼します

二階から目薬ならぬ『二階から私』というのはどうだろう。なかなか面白そうではないか。受け止める人物の人選さえ誤らなければ素晴らしく楽しいアトラクションになりそうだ。私は風になるフライアウェイ。疲れてはいない。むしろ逆にものすごく暇なのだ。夏の間のネアポリスはなんだか平和で、こりゃあみんな殺意が熱暴走を起こしてフリーズしているに違いない。私だってフリーズしてる。暇は人を殺すと言われるけど、まさにそれと指を鳴らしたい気分だね。時間が余っていればその分好きなように遊んだりもできるわけだけど、手持ちのゲームはクリアしてしまったし、狙い目の一作は明後日にならないと公開されない。めちゃくちゃ待ってるんですよ、GPS情報を駆使して街中世界中を歩き回り、時にチャリを駆使して図鑑を埋めていく蒐集バトルゲームをね。元のシリーズに時間を吸い取られた過去の話はやめような。おねえさんとの約束だよ。進研ゼミで見た展開だとは思うけど、脳を麻痺させる孵化作業と選別で徹夜しすぎて掛け持ちバイト中に同僚が"おや……?"って言うだけでビビったからね。
リゾットも暇をしているはずだから(決めつけてごめんねリゾットちゃん)、お庭でハイビスカスの鉢と輸入した五色混合の朝顔、それからプチトマトの並ぶプランターにさらさらと水をまく彼に話しかける。
「ねえ、二階から飛び降りるから受け止めてクルクルクルーッて回ってくれる?」
「……何の意味があるんだ?」
「楽しいと思うの」
「"誰が"?」
「私が」
「だろうな」
わかるってばよ、リゾットちゃん。つまり君は次にこう言いたいのだ。受け止め損ねて怪我をさせたら一大事だし骨でも折られたら困るので余計な遊びは思いつかないでほしい。ありがとね、リゾットちゃん。君の思いはしかと理解した。アイアンダースタン。でも理解と納得は別だし、やるかやらないかって言ったらやっちゃうよね。
「じゃ、待っててね」
「ポルポ」
如雨露片手のリゾットが可愛すぎたが、これはぴーかん晴天の明日も見られる光景だと判断して視界から振り切って背を向ける。ああ可愛い。如雨露を片手に半袖シャツでジーパンを装備して。足りないのは麦わら帽子とビーチサンダルと首にかける白いタオルくらいだわ。あ、それからアレかな。足首が見えるくらいにはちょっぴりズボンの裾をまくっておいて欲しいかもしれない。水に濡れて黒くなり、少しぬかるんだ地面を踏むビーチサンダルと健康的に白いイタリア男の足と骨ばった足首。ンンン、マーベラス。
階段を小走りに駆けのぼる。部屋のドアを開け、カーテンを限界まで引くと、突き出たベランダの柵から身を乗り出した。
そもそもなんでお前はこんなことをやろうとしているんだ、と質問されると困ってしまう。やってみたかったからとしか言いようがない。だってほら、なんか、やってみたくならない?リゾットみたいな肉体派がそばにいて、絶対に"避けない"とわかっていたら、そりゃあ二階から飛び降りて健康的なロミオとジュリエットごっこに勤しみたくもなるってものよ。理由は実にシンプルで、これ以上ナニも言うことがないからこそ我らがリーダーは対応に困ってこちらを見上げるしかなくなっているのだ。呆れたようにも見える無感動な表情も実に可愛い。どうでも良さそうな顔してるだろ?内心ではめっちゃ心配してるんだぜ。なぜわかるか?ポルポさんだからだよ。リゾットマスターに私はなる。
「いくけど準備オッケー?」
「本当にやるのか?」
質問に質問で返すと怒られちゃうよ。
無言で頷くと、彼は目測で位置を調節した。やばいカッコイイ。正直カッコイイ。目測でいいんだ。頭の中で重力加速度と隣のビルのプールまでの距離を計算して爆風に合わせて車を発進させ一気に外へ飛び出し脱出を試みた小学生探偵みたいなことをするんだな。私は加速しないでただちょっと重力どおり落下するだけだと思うけども、そんな高度なスキルをふるってしまって大丈夫?今さらだけど無茶言ってごめん。
足元の土をかかとで軽く踏みにじり、足場を整える。リゾットは仕方なさそうに両腕を差し出した。
「そこまで真面目にやってくれるって、もしかして落ちたら怪我する?」
「しないと思っていたのか?」
「するとは思っていたけど、そんなにヤバいとは考えてなかったのよね。心底からよろしくお願いするわ」
骨は折らなくても捻挫は必至か。
よっ、と柵にのぼる。そういえば昔、こうやって階段から飛び降りたなー。懐かしいわ。
「よーし。覚悟はいいかな?」
「俺はできてる」
「リゾットちゃん大好き……!!」
「いつもわからないんだが、何がお前の琴線に触れるんだ?」
言っても伝わらないから(っつうか言ってもわかるはずもないから)言わないよ。

勢いを殺しがてらくるくるくるーっとまわってくれたリゾットは、私が"こっわ"と呟いたのを耳ざとく聞き取って"ほら見ろ"みたいな目で私を見た。すまん。



GO!GO!GO!

手のひらサイズの四角い板を見下ろしながら、私はあたりをきょろきょろと見まわした。
隣には背の高い人がいて、ちょうど私に影をつくってくれている。帽子をかぶっているとはいえ、人間(そうね、私とか)の肌は陽射しに弱い。ありがたく木陰ならぬリゾット陰に隠れさせてもらう。
「あ。あのオブジェかな」
「北は?」
「あっちね」
「なら、アレだろうな。……正しい場所は必要か?」
「ん、まあぶっちゃけメートル内に近づけばいいんだけど、観光も兼ねてね」
無事にアイテムを入手した私に、マップを覗き込んだリゾットが次の停留所を教えてくれる。おおっと、意外と遠いな。ハイヒールはやはり間違いだったか。オフィスカジュアルな服装にハイヒールを履いて屈強そうなイケメンをはべらせていればゲームに勤しんでるとは思われないんじゃないかなと小ズルいことを考えてチョイスした靴だったが、頻繁に立ち止まってあたりを見まわしたり不審な動きでスマホの画面をタッチしていたらラケットヘッドが30センチ下がっている以上にバレバレかな。そうだとするなら普通にスニーカーかフラットシューズで来ればよかったわ。もうかれこれ二時間ほど歩いているし、そろそろ公共の機関を利用して場所を移動したいものだ。あ、でもその前に、汗もかいてるから。
「休憩しようか」
「そうだな」
リゾットは私よりも数倍視力のよさそうな眼を向かい側の通りに向けた。たぶんこの人の視力はサバンナ基準でもかなりの数値を叩き出すと思うんだけどそのあたりどうなの?アルムの森たちは私に何も教えてくれないけれど、教えてくれないなら勝手にそう決めつけちゃうよ。
「あ、待って。これ絶対レア……、ッてうわー!」
「……どうした?」
「逃がした」
リゾットが小首を傾げた。待って、今その角度を計算して出た数字を口座の暗証番号に設定するから写真撮らせて。
「……珍しいな」
「ん?」
「お前がゲームで失敗して大声を上げるのは珍しい」
そうだね、ゾンビに全身をむさぼられても赤い水を見てもうつくしい世界に呼びこまれても自分のカートがレインボーロードの超加速に耐えきれず漆黒の闇に墜落しても草を生やしているだけだもんね。コントローラーを投げるほどじゃあない。けれど今はスマホを投げそうだ。だってすっごいレアだったんだよ。二時間かけてここまで歩いてきた集大成って感じだったのにさあ。65時間プレイしたRPGのデータがメモリーカードごとぶっ飛んだ時レベルの絶望だわよ。アレはキツかったな……。しばらく立ち直れなかった。100時間を超えていなかっただけマシと考えて悔しさを消化したけど、あのままだったら私、魔女になってたと思うね。メローネが"俺があんたの代わりにまた65時間プレイして、ぴったりのところで自分のデータをぶっ壊そうか。そうしたらあんたの溜飲も下がるよな?"って意味のわからん自己犠牲型ストレス発散法を提案してくれたのもあってNOの代わりに元気を表明するしかなかったとも言える。下がらねえわよ。なんだったんだろうあの、名案だ!みたいな顔は。他人が自分と同じ不幸を味わったからスッキリしてフフッと笑えるようになる人々はかなりの少数派ではないかと思うんだ。
夜はお酒まみれになるらしいカウンター席に腰を落ち着け、画面を見る。なんと、先ほど見つけたゲームの停留所とこの店が近かったおかげで、時間経過で復活するそのアイテム放出マシンが無限に使えるではないか。どうりで昼間にしては繁盛していると思った。みんなゲーマーか。
私は紅茶と林檎のタルトを頼み、リゾットはカプチーノだけを注文した。ミルクを焚く音が耳に心地よい。
「おいしいわ」
「そうだな」
「わざわざ付き合わせちゃってごめんね」
「買い物のついでだ」
「あまーい!私に!」
「からくしてほしいのか?」
リゾットは目を細めて、気のせいかと思ってしまう程度に薄く笑った。私は肩をすくめて首を振り、わざとらしくスマホに目を戻す。まじでハバネロ対応になりそうだから嫌です。