手紙

リゾット・ネエロは目撃した。
非常によい視力と鍛え上げられた洞察力とが結びつき、寡黙な唇はますます閉ざされる。

行きつけのマーケットでのことだ。
今夜の食事は何にしようかと他愛のない話をどこまでも広げる元上司、現上司兼恋人の隣を歩き丁寧に相槌を打つ。リゾットは彼女の話をよく聞いていたし、彼女もまた、リゾットが自分の話をよく聞いていると知って話題をどんどん大きくして行くから際限がない。彼女の巧みかつ無駄極まりない話の脱線は"面白がる味方"あるいは"聞き流す傍観者"が己の側に立つ限り延々繰り広げられ止まるところを知らぬどころか当初の目的からかなり外れた位置に到達するのである。たとえば先週は郊外の自宅に集まった元チームメイト全員とガーデニングについて話し合っていたはずが何故かビッグバンとイーレムとビッグリップに詰まる浪漫と自己解釈に発展した。それでもどうしてだか、そんなくだらなさに六年も付き合うリゾットですら理解不能なことに、結論の着地点は元々の話題に戻るのだった。
この日も散歩がてらエコバッグを手にぶら下げ、元上司かつ現上司兼恋人、すなわちポルポは「シルバーとお箸ならどっちが使いやすい?」とリゾットに一つの疑問を投げかけた。
「何を食べるかによる」
「ンン。そりゃそうだわね」
ナイフとフォークとスプーン対お箸の戦いでは多勢に無勢な感じも否めない、とそもそもの問いかけをやり直し始める。
「夕食を何にするか決めたか?」
「見て考えよっかなと」
「そうか」
しかし曲がり角を三つ曲がる頃にはうまい具合に盛り上げられてしまい、話は「時の砂ってあるじゃん?」とゲームの内容に流れ、プレイ経験のないリゾットが「あるらしいな」と誰にでもわかる相槌を二度打つと更に飛び「別作品だけど欲しかったわ、あの砂。『うまい魚』と『魚』の区別がつかなくて何回も殺しちゃったのは今でも反省してるのよ」と懺悔に入った。
「いや、ね、だって魚だったら何でもいいかなって思っちゃうじゃない?まずいのは良くなさそうだけどこっちはガンガン減って行く体力に焦らされるから正常な判断能力を失うというか、初見でシャドウ回収とシド生存とマッシュのコマンドゆっくり入力で大丈夫ってわかる人少なくない?コマンドについては私が悪いんだけど。説明書読まないタイプだからわかんなかったのよ」
リゾットは説明書を熟読するタイプだ。従事する仕事の影響も大きいが、慎重な性格ゆえに前準備は徹底する。無駄と失敗を可能な限り排除するつもりで挑むからか、遊びにも効率を求める。
その一方で、準備こそすれネタバレには頼らないため、非常に長けた裏読みの力を存分に発揮し組み込まれた仕掛けを分析して最善の道を歩んでも、冷静に選び取った方法がトゥルーエンドへの分岐点だと知らず、あとから誰かに指摘されて"このゲームにはバッドエンドがあったのか"と驚く一面も見られる。
ポルポも仕事柄、調査や備えの大切さを知っているはずだ。リゾットたちが所属した組織で任されていた立場も任務も、運と勢いだけでやりくりできるものではない。
だから初めは、彼女が"何も見ずに"冒険を開始すると聞いて訝った。
架空の物語はまっさらな状態から始め、メニュー画面を開く一手間も武器を装備する方法も爆弾を投げるやり方もすべて自力で発見したいと感じるプレイヤーの気持ちをスッと理解したのはギアッチョくらいだ。彼は熟読する側の人間だったものの、同じ趣味を持つ者同士通じ合うものがあったのかもしれない。
ちなみに、もちろん、当然、説明せずともわかるとおり、ポルポが説明書を読まずさっさとプレイを開始することに高尚な意味などない。ただの性格と、"ぶっちゃけこのゲーム、知ってんのよね……"と前世の知識をまるっと利用した結果そうなっているだけである。彼女が食中りでシドを殺したのは前世でのことだった。
一見、あらぬ方向へ飛んで行ったポルポは話題の風呂敷をきちんとたたんで元に戻す。
「魚食べたくなってきたから魚買わない?」
「分かった」
「フォークにする?スプーンにする?それとも、お、は、し?」
「お前に任せる」
「おっとここで丸投げ。じゃあお箸ね」
箸だとすると、米も炊くだろう。日本から不定期に送られてきては日本マニアのポルポを喜ばせる荷物が輝く夕時になる。味噌汁には何を入れようか、リゾットは旬の食材の扱いを考えた。急に食べものの名前でしりとりが始まるのには慣れ済みだ。
応じながら、自分が少し遠回りな道を選んだことに胸の内でふっと微かに笑った。曲がればよかったのに直進した。ポルポも気づいているだろう。
「トマトの天ぷら……、どう?」
「……お前が良いなら良いんじゃないか?」
「安心して。トマトは何してもおいしいから」
この調子で主菜が二つ増えた。


午後のマーケットは少し混み合い、リゾットとポルポは二手に分かれて買い物をしようと決めた。
待ち合わせ場所に広場を選ぶ。
先に終わったと言うポルポを追うように混雑から抜け出したリゾットは、絶対に見失わない姿をすばやく見つけると同時に、知らない男が彼女に話しかける場面を目撃した。
様子を窺う。あちらも知り合い同士ではなさそうだった。
リゾットよりも背が低く、一般人にしてはがっしりした体格の男だ。しかし実用的な筋肉ではない。
遠目からそれを読み取ったリゾットは、誰にも覚られない程度に歩くペースを落とした。
道でも訊かれているのだとすると、急に別の人間、それも男が割り込むと相手を萎縮させることもある。リゾットは自身の体格と雰囲気が他者に威圧感を与えると知っていた。
「……」
大切な人物に知らない男が声をかけ、立ち話をしているからといって目くじらを立てる必要などない――はずである。
なぜならポルポはそれに対して何も感じず、うまくやり過ごす術も大量に持ち合わせている。楽しそうに笑い合うのも、余程ひどい事情がなければ一般的な人付き合いだ。
ただし、頭では分かっても、心がどう感じるかはまた別の話。
男はポルポに両手で何かを差し出した。
半ば押しつけられる形で受け取ったポルポはそれを見て、男を見て、またそれを見て、焦った表情で口を動かした。雑踏に紛れて音は聞こえない。だが視認できれば充分だ。
彼女は"こんなの貰っても、どんな顔して彼に会えばいいのかわからない"と言った。
二人の間で言い合いの種となるそれは封筒らしく、封筒ならば中に手紙が入っているのだろう。角度が悪く、男の口元は読めない。ポルポがまた口を開く。
――受け取ってもらうだけでいいって言われても困るのよ。そりゃ、個人的には面白いし、こんな体験なかなかないからありがたいとも思うよ。でも……。
戸惑うように何度も手紙に視線を落とす。
――ひと晩だけで良いから、とか書いてないかとりあえず確認したいんだけど。……あっ、そう、書いてんの……?書いてんのか……。どんな答えが返って来るかも……わかってるね?……エッわかってないの!?いや、それな。そら、未来のこととかはわかんないけどね。もしかするとワンチャンあるのかもしれないけど。
動きと法則を繋ぎ合わせるうちに、リゾットの眉根が自然と寄る。
男の強い意志に負けたか、ポルポは諦めた表情で手紙を持つ手を下ろした。わかった、と唇から了承がこぼれ落ちる。
――君が寝取り寝取られ発覚で社会的に死んでも、私責任取らないからね。
男は大きく頷き、悪事が誰にもばれていないか探るようにあたりを見まわした。その視線がばちりとリゾットをとらえ、一瞬にして男の顔が青ざめる。リゾットがどれだけ冷ややかに二人を見ていたかは、周囲のみぞ知る。
逃げ腰で立ち去った男の背を赤い瞳が見送る。
リゾットに気づいたポルポは、軽く片手を振って自分の居場所をしらせた。そんなことをしなくても良いと、どちらも知っているくせに。
「ごめんね、待たせてた?」
「いや、大丈夫だ」
「そ? じゃあ帰ろっか」
受け取った手紙は、小さなバッグの中にしまわれる。
何かあれば彼女のほうから話をする。リゾットは些細な出来事に目を瞑り、目に焼き付きそうだった唇の動きの消化につとめるつもりで、彼女の買い物バッグを代わりに持つ。

ポルポは何も言わなかった。
行く道での言葉の数々が嘘だったかのようにぴたりと喋るのをやめてしまう。
家についてもそのままだったので、沈黙に促されるようにして、リゾットは問いかけた。
「あれは?」
何を指すか、ポルポにはすぐ理解できた。買ったものを片づけながらゆっくり答える。
「手紙をちょっとね。愛が綴られてると思う」
「どうするつもりだ?」
「私としては、『お願い』に応えてあげたいかなと」
ということで、とポルポはバッグから手紙を取り出した。
買い物の成果を置き、両手がからになったリゾットに、丁重な手つきで差し出す。
「……これは?」
「恋文。ラブレター。レッテラダモーレ。リゾット宛です」
受け取って、無言で封を切る。やけに分厚いと思ったら、便箋は六枚もあった。
広場で読唇した内容と文面を照らし合わせ、男の姿を思い出す。
「ポルポ」
「ん?」
まず指摘した。
この元上司、現上司、兼恋人は。
「"ワンチャン"は、無い」
六年間でよくよくわかってはいたが、死ぬほど適当なことを言う。