しびれる

いつものようにリゾットの膝にずけずけと腰を下ろす。この安定感は一度ハマると癖になって抜け出せない。リゾットがトリモチで私が鳥だったらまんまと捕獲されてしまっているところだ。
彼に凭れて携帯電話をいじること数分。
そういえばと今更になって気がつき、心臓の鼓動すら混じってしまうのではないかというゼロ距離は保ったまま訊ねた。
「足しびれない?大丈夫?」
リゾットは簡潔に答えた。
「痺れた」
マジか。あまりの衝撃に、痺れたという足をツンツンしていじめることも忘れ、私は言葉を失った。
リゾットなりのジョークなのか、本当に痺れているのか。そんなことはもうどうでもよかった。本当に痺れているのだとしたら私は一刻も早く彼の上からどいてあげるべきなのだろうけど、身体は電撃を放つ鞭で打たれたかのように硬直していた。
ただ、私は、彼を。
「愛してる」
「なぜそうなる」


シチリア人のそれは重い?

恋愛ドラマではこういったやりとりが流行っているらしい。「どれくらいあたしのことを愛してる?」「地球を3つ固めたって間に合わないくらい愛してるよ」――というような、恋人たちの可愛らしいさえずりである。
ふたりで並んでドラマを見ていて、そんな場面があったので、私も可愛らしい声を出す。途中、ちょっと素に戻ったけど。
「リゾット、愛してるよ。えーっと、そうしてくれって言うなら明日のご飯を抜いても構わないくらいに」
「お前の物差しは解りづらいな」
「上手いこと浮かばなかったのよ。ごめん、もう少しロマンチックなのが浮かんだら今度言うわ。リゾットはどれくらい私のことを愛してる?」
自分で言っておきながら、ロマンチックなのって何だろう。パッと思いつくのがすべて食関連だったので、一生リテイクできない気がしてきた。
可憐な声音を保ったまま末尾の問いを相手の懐にねじ込むと、リゾットはドラマから目を離さないまま、大したことではないように、私の手をそっとすくい上げた。そのまま彼の赤色の瞳は、ちょっと深爪してしまった私の手の爪先に向く。
「お前が想像するよりもずっと」
ちょっとの間、どういう意味かわからなかったが、ああそうだった愛の大きさについて話しているんだった、と思い出すとなかなか意味深な回答に思える。へえそうか私がイマジンするよりもずっと私のことを愛してくれているのね、ウルトラハッピー!と言えない雰囲気がどこかにある。ええっと、そうなの?私が想像している『リゾットからの愛』の深さがどれほどなのかは1ミリたりとも問わないままのこの回答。どれほど自信があるんだ。ていうか自信とかそういうレベルの話じゃないのかもしれないな。シチリア人こえー。でもありがとね。なんかわかんないけどこのリゾットちゃんの答えで明日から一週間くらいお腹抱えて笑いながら元気に過ごせそうな気がするわ。
なんか一周回って面白くなってきた、と言うとリゾットは「良かったな」とだけ私に返して、ドラマの続きを見始めた。
翌日、日本の友人にこの話をしたら電話の向こうで彼が爆笑してひきつけを起こす壊れた人形のようになってしまったので、貴重な人間の友達を失ったなあと呟いて切ったらかけ直されて盛大に祝われることになった。どうやら彼も似たような質疑応答が行われた際、既視感溢れるやり取りをしたらしい。そうか、よかったな。なぜかそうやって他人の様を聞くとハイハイ砂吐き甘々ご馳走様でした、みたいな気分になるから不思議だ。客観視って大切だね。
ハッピーアイスクリーム、と声を揃わせて今度こそ電話を切った。


プレゼントは……

今日は何の記念日でもないけれど。

朝の着替えで首にチョーカーを巻こうとした時、あることを思いついてチェストからリボンを取り出した。以前貰い物をした時に、綺麗な色だったので取っておいたのだ。肩から指の第二関節辺りまでの長さがあるリボンは滑らかな肌触りで、質がいい。
チョーカーの代わりにピンク色のそれを首に巻き付け、鏡を見ながら蝶結びにする。オシャレな結び方なんぞは知らんのでこれが精いっぱいだ。
それからリボンが目立つように髪を一つにまとめて結い上げ、鏡の中の自分に向かって微笑んでみる。なかなか痛々しい26歳が完成したのではなかろうか。ブラウスの襟の歪みを整えて、部屋を出る。
今日の朝食は少しゆっくりめ、と決めておいたので、リゾットはまだベッドの中だ。私だけがさっさと起きて朝一番に仕事の電話をかけ、パジャマ姿でへーへー言いながらメモを取ってひとしきり落書きを増やしたあと、クローゼットを開けたというわけさ。
まだ暗いリゾットの部屋に入り、彼のベッドに手を突いて、軋まないスプリングに負担をかける。下を向いても髪が顔の横に垂れて来なくて、ポニーテールの偉大さを改めて知った。邪魔じゃ……ない……!!すごい!
ゆさゆさとリゾットの肩を揺すぶる。
「朝だよー。起きたらプレゼントがあるよー」
今日は何の記念日でもないけどな、と喉元まで上がった無駄口は飲み下す。
うっすら目を開けたリゾットの瞳が焦点を結ぶ前に、蝶結びの輪をつまんで揺らして注意を引く。
「はい、プレゼント」
がっつり目が合って、寝起きのリゾットの"おまえは何を言っているんだ"感満載の眼差しが私を直撃した。そうだよね、そうなるよね。わかるわ。私もメローネが同じことしてたら大笑いするもん。26歳でこれはやはりダメか。
「……ごめん、今のナシで。ご飯つくるから頃合いを見て起きてね。無理に起こしてごめん」
しかもこんな遊びの為に。暗殺者の貴重な眠りを妨げて本当にすみませんでした。
なかったことにするために、その場でしゅるりとリボンをほどいて外してしまう。カーテンの閉まった薄暗い部屋でもピンク色は鮮やかな気がした。
それじゃあ、と朝食のメニューに思考を移して立ち去ろうとしたときだった。私が片手に持ち、まだひらりと宙に色の線を描いていたリボンの端がくい、と引かれたのは。
んん、と立ち止まると、リゾットが少し身体を起こした状態で手を伸ばしている。
「遊ぶのはもうやめるのか?」
「ちょっと痛々しかったなって反省したからね」
リゾットは"この期に及んで"みたいな顔をしてから手を離した。表情がわかりやすいのは寝起きでガードがゆるくなっているからかな。
「プレゼントも無しか?」
「欲しいの?」
「……そうだな、欲しい」
欲しいのか。ありがとう。
「でも今度ね。今はご飯ご飯」
質のようにリボンだけ寝起きのリゾットに押し付けてスカートの裾を翻す。リゾットがふっと吐息だけで笑ったので何かと思って二度見したが、彼は私には何も言わなかった。その横顔を見て、これまで後回しにして来たさまざまなものが溜まりに溜まっていることにようやく気がついてヤッチマッタと思ったんだけど、ここまで来てやっぱり今のナシ!マジ無理!ごめん!と土下座するのもどうかと考えそのまま部屋を出る。カード払いは常に一括なのになんでこういうのはツケちゃうんだろうね。大人の『今度』と『またいつか』は実現しないものだとよく言われているけれど、この場合もそうであることを祈るばかりだ。プレゼントは『一日俺に近寄るな券』だ、とか言われたら泣いちゃうかもしれないからね。


異色の?

とあるカフェに2人の男がいた。片方はピョンピョンと跳ねる黒髪。もう片方は短い銀髪。
出かけるとは言っていたが、まさかリゾットがナランチャと会っているとは思わなかったので、意外な組み合わせに足を止めてしまう。
あちらは私に気づかなかったようなので、予定もあることだしそのまま通り過ぎるつもりだけど、少し会話に耳を傾けてみるとしよう。
ナランチャはテーブルに広げた紙に顔を近づけてうなっていた。
「うーん……、ああー……、うー……、……5!」
「"3"だ」
冷静な指摘にナランチャが跳ね起きる。
「だってここだと5になってるだろ!」
「そうだな」
「でもこっちだと3って……。……アレ?もしかしてこういうことか?」
返事はせず、リゾットは騒ぎから避難させたカフェラテらしきカップに口をつけた。
ひとしきり問題文とにらめっこしたナランチャは、先ほどの大声はどこへやら、無邪気な顔でリゾットの気を惹く。
「なあなあ、これで合ってるよな?」
ペンも執らずに頭の中で確かめ算をしたリゾットは、今度は「合っている」と短く言った。間違いを指摘したときと同じトーンだったのでナランチャは一瞬身構えたようだったが、すぐに拍子抜けしてお茶菓子のジンジャーブレッドに取り掛かる。
食べ始めたナランチャの斜め向かいで、リゾットは静かに本を読んでいた。
もぐもぐと咀嚼しながら少年が言った。
「あんたって、モノ教えてる感じしねーな」
「間違えている箇所は言っている筈だが」
「でもそれだけだろ。フーゴはもっとテーネーにやってくれるから、なんか変な感じだ」
最終的にフォークで刺されてるけどそれは丁寧の範疇でいいのかな。
リゾットがそう疑問に思ったかどうかはともかく、ナランチャはアッと気づいたように言い添えた。
「大丈夫だぜ、オレも殴り返してるからさ!」
「……」
「え?」
「いや、何も言っていない」
この辺りで私の牛歩も限界を迎えた。でこぼこすぎるやり取りにくすくす笑いを残して目的地へ向かうことにする。
なぜこの組み合わせが仲良くカフェのテラス席に収まっているのかは、永遠の謎にするべきだろう。

待ち合わせの場所に着いたのは決めた時間より30分ほど前だったけれど、そこにはもうふたつの人影があった。
死角から様子を窺ってしまったのは、取り合わせがあまりにも異色だったからだ。自分で指定しておきながら笑いが止まらない。
イルーゾォとブチャラティはテラス席で、私が座る(ことになっているらしい)上座に当たる椅子を避けて向い合せに座りながら、しきりに街の方へ視線をやっていた。主にイルーゾォが。
気まずそうにしている。とても気まずそうにしている。
おさげの前にはアイスティー。ブチャラティの前にはコーヒーカップがある。どうやらカプチーノを飲んでいるようだ、と知ることができたのは、ぎこちない会話を聞いたためだった。
「あー……」
所在無げに紅茶をかき混ぜる26歳男子ネアポリス在住。
「何だ?」
対するハタチのブチャラティは余裕がある。海の色の瞳で真っ直ぐイルーゾォを見つめると、ネアポリスのカウンセラーの名をほしいままにできそうなほど穏やかな口調で続きを促す。
若人どころか他人との付き合いに慣れていないイルーゾォはたじたじである。
「いや……なんでもねえ……」
初っ端から負けている。勝負の土台にも乗れていなさそうだ。
「ここのカプチーノはうまいな」
そう言って話題を振ったのはブチャラティだった。独り言に似せた感想を呟くことで、相手が釣れるのなら良し、釣れなくても場をもたせることができる、攻守を兼ね備えた素晴らしい一手だ。そしてここまでされてまごついているのは沽券に関わると思ったのか、イルーゾォも必死になってその一本の糸に食らいついた。
「そ、そうだな。前に飲んだけど、うまかった。紅茶もうまいし……。お、……お前は……あわあわが好きなのかよ?」
「ん?フォームミルクのことか?好きだぞ」
「……」
26歳が死んだ。フォームミルクをあわあわって言う26歳初めて見たんだけど華麗にスルーするブチャラティにも笑かされる。
「あのバカ……早く来ねえかな……」
ぼそりとした呟きが風に乗って聞こえたので、物陰から出て何食わぬ顔で店に入り、2人と合流することにした。
私がテーブルに辿り着いた時の、イルーゾォの安堵した顔ったら。面白すぎたので本能に任せてけらけら笑ったら怒られてしまったし脛も蹴られたが、あわあわ発言の可愛さに免じて蹴り返すのはやめておくとしよう。