君ってすごく可愛いね

カワイイね、と言われるのはこれで六度目になる。
初めのうちは「あらあらありがとう」と満更でもなかったのだが、ここまで来ると怪訝さが立つ。
どうしたのか問いかけても、ホルマジオを筆頭とした『褒めちぎり組』はしらを切った。
「別にどうもしねェよ。ただ思ったことを言っただけだぜ。なァ、そうだろプロシュート?」
「あぁ、そーだな」
「ホラよ」
「"ホラよ"……じゃないでしょ。どう考えても可笑しいわよあんたそりゃあ」
あのプロシュートまでもが、私と目を合わせずに頬杖をついて、声音だけは真面目にこちらを口説いているかと錯覚してしまうような台詞を吐いたのだ。嬉しさよりも、ぞぞぞっと何かが背筋を這ったのは仕方がない。プロシュートが、あの真正イケメンが私の容姿に言及し、あまつさえメイクにも服装にも髪型にも肯定的な感想を述べるなんて、雨の代わりに空からチョコチップが降って来てもおかしくない事態だ。プロシュートは努力しない人間へのあたりがちょっぴり強い。自分が信念を持って生きているので、他人ならともかく、身近な人がテキトーこいているのに苛々することがあるらしい。生理の前、的な時期は特にそうだ。生理が来るはずもない男だけれど、感覚的なたとえとしてこれを挙げよう。
「いやあ、今更ポルポの可愛さに気づいたって遅いよな、ポルポ」
白々しく言うのはメローネだ。私の寄った眉根を指で揉み、笑顔が似合うぜ、と再三繰り返されたイタリア人らしくない下手くそな賛美を口にする。
「もちろん機嫌が悪いポルポだって好きだ。だけど俺は今、ポルポに笑ってほしいんだよ」
「何で?」
「ポルポの笑顔を見ると心が落ち着くからさ」
ぜってー嘘だな。私の笑顔を見て安心するのは本当だとしても、今は絶対適当なことを言っている。汗を舐めなくても尋問しなくても質問を拷問に変えなくても簡単に見抜けてしまうほど、メローネにありえないほど稚拙な組み立て方だ。
ホルマジオがメローネのフォローに回り、別の方向から私の服装について意見を述べる。いつも短いスカートだからよォ、と奴は言った。オメーがパンツ履いてっと特別な気分になるよなァ。本当にどうしたの?私を褒めて殺したいのかな。
穿った見方をしすぎなのだろうか。
素直に受け止めるべきか、悩んでしまう。
ここで答えがやって来た。メローネが私の顔から手を離し、にっこり微笑んで今度は指を握りしめる。
「なあ、可愛いポルポ。可愛いポルポと一緒にホテルのバイキングに行きてえんだけど、どうだい?」
「美人と一緒に高層階で食うメシはうめーに決まってるしなァ」
「前に言ってただろうが、あのホテルのビュッフェのフリーパスを貰った、っつうハナシをよ」
一瞬にして真顔になった私を宥めるように、後ろからイルーゾォがぼそりと言った。
「あー……、……」
「イルーゾォ、『オムレツ』『パンケーキ』『ローストビーフ』」
「……ポルポ、今日、……うぐ、……か、……髪型……似合っ……、……言えるか!!」
「童貞はこれだから」
「根拠のねえ罵倒はやめろよ!」
私をヨイショしまくっていた真剣(どことなく)な空気を放り投げわちゃわちゃ騒ぎ始めた彼らを横目に、スマートな端末をいじる。確かに取ってるメルマガ会社の経営者と会う機会があった時にお近づきの印として貰ったんだっけ。どうせだから彼らを誘おうかなと思い、そんなような話をしたかもしれない。
一抹の切なさと納得の気持ちを胸に抱き、褒められた髪型を手で整えた。
魔性の言霊を操らなくても、正面切って言ってくれたらいいのに。変なところで意地っ張りというか、まどろっこしいというか。
苦行を終えた修行中の僧侶みたいな顔をしている子たちを眺めながら、話題が途切れたと判断し、私はそのままスマホの画面をソシャゲに変えた。



魔法の呪文

人を一人殺してきたと見紛う形相の青年と、苦笑を隠さない男。横から青年を小突く私。そんな私の後ろでディスプレイされるスイーツを見つめて選ぶ金髪のイケメン。
4人グループはレジの前を占拠し、店員さんの苦笑を買っていた。
私の注文は決まっている。上にホイップクリームがたっぷり載った冷たくてシャリシャリした飲み物の、二番目に大きいサイズだ。
苦く笑って呆れているホルマジオは硬派にカフェラテ。健康に気を遣っているわけでもないだろうに牛乳をソイミルクに変えたのは、私が変更がタダになるクーポンを持っていたからだろう。こういうものにはちゃっかり乗っかるんだよね、この人。もちろん悪感情など湧き上がらない。むしろソイラテを飲むホルマジオの姿を想像して笑いがこみ上げるくらいだ。ソイラテ。そんな休憩時間のOLみたいな飲み物からは遠そうなホルマジオが。ソイラテ。カワイイじゃねーの。
メローネはカスタマイズまみれのどろっどろに甘くて脳みその覚醒に役立ちそうな飲み物を注文している。もはやベースのドリンクって何だっけかねと訊きたくなる程度には原形をとどめていない。
残る青年。
ギアッチョはカンペを見ることもできず、唸りながら前もって教わった呪文を必死に思い出していた。
この辺りで察しがつくとは思うのだが、私たちが異色のグループを組んでこのレジの前に立っているのは、もちろん罰ゲームのためである。ギアッチョがレースゲームで負けに負けたので、上位のメローネ、中位のホルマジオ、審判役という名の野次馬こと私が監視としてくっついてここにやって来た。
「う……」
「前見ろよ、ギアッチョ」
一発でカスタマイズの呪文を暗記したホルマジオに、ギアッチョの視線がちらちらと頻繁に向けられる。ニヤニヤといやらしすぎるチェシャ猫の笑みを浮かべたメローネにせっつかれ、ギアッチョは小動物をとらえ損ねたとらばさみのような顔をした。
「『ぐ、ぐらんで』、『あどしょっ……と』、『ヘーゼルナッツ』?『バニラ』……、……なぁ」
「『アーモンド』」
「『アーモンド』……、キャ、『キャラメル』……『エキストラホイップキャラメルソース』……」
しょーがねェなアという顔でホルマジオが所々ヒントをやった。レジのお姉さんも心なしか我が子の成長を見守るハラハラ感をはらんだ瞳でギアッチョを凝視している。お客さんが少ない時間帯で良かった。ギアッチョの苦労をプークスクスするメローネはまったく彼を助ける気はないし、私も静観を保つだけなので時間がかかりまくるんだわこれが。ギアッチョも暗記ゲーなら3回くらいで何となく形が読めて攻略できるのだろうけれど、まったく馴染みのないマジックワードをいきなり覚えて注文しろと言いつけられても、そこはさすがに対応しきれない。
ちょっと可哀想だったのと、いつブチ切れるかわからなくてドキドキしてきたので横から口を挟む。
「『モカソース』」
「クソッ……『モカソース』……、……『ランバチップ』! クソがッ、ランバチップって何だよクソッ!クソッ!」
すかさず店員のお姉さんが柔らかく説明した。
「ランバチップは特製のクッキーを砕いたものですね」
「ぐっ……」
こう柔らかく対応されると、相手が女性というのもあって手も口も出せなくなる。
苛々して爪先で床を蹴りながら続きに挑む、孤高を強いられた戦士ギアッチョ。どうでもいいけど私の見守りの視線が煽りに思えたのか、ものっすごい低い声で罵られた。でもほら、あと一息だよ、ギアッチョ!
「『チョコレートクリーム』『フラペ』……『チーノ』!!」
「おめでとうございます!」
言い切った瞬間盛大に祝われて拍手までもらった眼鏡の青年はうっすら青筋を立てて歯を食いしばっていた。しかし相手は女性。そして無関係の店員さんだ。何もできず、オウ、と顔を背けて答えた。
「おめでとうギアッチョ!マジにやりきるとは思ってなかったぜ」
「よくやるなァオメーも」
「じゃあここはおねえさんが奢るから席に戻ってていいよ」
ギアッチョは私たちにはブチ切れた。
「うるせええええ!おめーらふざけてんじゃあねえぞ!キャラメルフラペチーノを持ち帰りだクソがッ!!」
「えっグランデアドショットヘーゼルナッツバニラアーモンドキャラメルエキストラホイップキャラメルソースモカソースランバチップチョコレートクリームフラペチーノ飲まないの!?」
「おめーが飲んでろ!……っつーかなんで憶えてんだよ」
「いや、有名だから……」
ていうかキャラメルフラペチーノが飲みたいの?1,000杯買うよ。可愛すぎでしょ。クリームとソースマシマシにしてもらうからね。
意外にもきちんと罰ゲームを遂行したギアッチョは、肩を怒らせて店を出て行った。先に家に戻っているつもりなのだろう。
私は財布からカードを取り出し、店員さんに差し出した。合計5点の飲み物を持ち帰ると告げると、一人の雄姿を見届けた者独特の達観と感動を宿した店員さんは輝かしい笑顔で店内に響き渡る声量でドリンクの名前をコールした。
「まさか本当にやるとはね……」
「意外と律儀だよなァ、あいつよォ」
私たちは、心なしか、店内じゅうの興味と祝福を受けながら店を出る。ギアッチョは店舗の隣で私たちを待っていた。こちらを見ると舌打ちしたが、それ以上は何も言わず先を歩く。
「意外と律儀だよなあ、ギアッチョってさ」
メローネがホルマジオと同じことを言った。まったくだよね。なんだかんだで付き合ってくれるし。



手をつなぐ?

こちらへ、と男が言う。私は誘導されるまま人の波に流され、迎えにと横付けされていた黒塗りの車に乗り込んだ。ドアを閉めると、外の喧騒がうそのように思えるほど静かな世界に包まれる。
運転席にはホルマジオが。後部座席にはプロシュートとリゾットがいる。
私がシートベルトをつけたのを見て、車が静かに発進する。同じような黒塗りの車の群れをかいくぐり、一本通りを抜ければ、騒がしさなどどこへやら、いつもと変わらない夜のネアポリスが戻ってきた。
「首尾はよろしかったようで」
軽く振り返って言う。プロシュートがあっさり頷いた。
「まあな」
ちょっとした要人をひとり永遠に黙らせたとは思えない気軽さだ。
悪事に手を染めた人間をばっさばっさとなぎ倒す、という名目で始まったこのお仕事。もちろん投げ込まれる仕事は正義の名に基づいた清らかなものばかりではなく、相手も相手だけどお前もお前やろ、みたいなものがたくさんある。今回も、いやあんたの正義なんか知らんがな……と言いたくなる内容だったが、まあそれはいい。依頼メールの文面を印刷してみんなに見せたら大爆笑が生まれたのも余談に過ぎない。
こちらの条件とあちらの条件がぴったり合致したので、成功報酬もそれなりに良かったこともあり受理した依頼だったが、この調子だと難しいこともなかったようだ。危険はなかったのかと念の為に訊ねると、リゾットが短く否定した。一瞬だけ、"危険がなかったわけではないがいつものことだし比較的問題はなかった"、みたいな雰囲気が混じっていたけど、本人が大丈夫だと言うのなら大丈夫なのだろう。無理な時は無理って言ってねとお願いして了承も得ているので、多くの場合、言われない限り踏み込みはしない。
「運転手ってのも暇なモンだな。メシも食えねェし、見えんのは道と、似ッたよォーな車だけだぜ」
ホルマジオは大げさに肩を竦めた。2時間くらい待機してもらったので、そりゃあ暇だっただろう。申し訳ない。
「悪いわねえ。車変えたらお酒買いに行こう」
「変えの車っつーのは?いつもの所か?」
「今日はそこのパーキング。たぶんギアッチョが置いて行ってくれたと思う」
「ん」
大きくハンドルが切られる。後部座席でリゾットが低くプロシュートの名前を呼ぶ。バックミラーに目をやる。リゾットがプロシュートの手を握っていた。
反射的にダッシュボードを蹴る勢いで振り返ってしまい、反応したシートベルトに胸を思い切り締め付けられてむせこむ。げほげほやってる私を見ても、リゾットの手はそのままだ。待って待って、どういう流れ?なんで名前呼んで手握ってんの?え?どういうこと?訊きたいことがありすぎて整理がつかない。
プロシュートはスーツの中に突っ込もうとしていた片手を下ろし、リゾットの手をぺいっと振り払う。
「仕事は終わってんだから構いやしねえよ」
「喫うと車に匂いが移るだろう」
「どーせ乗り捨てだ」
「痕跡は残さないほうがいい」
このやりとりでようやく脳みそが回り始めた。ああ、煙草ね。
借り物の車で仕事終わりの一服を楽しもうとしたプロシュートをリゾットが止めたらしい。手を掴んで。手を掴んで。大事なことなので二度言ったが、どうやら『止める』と思った時にはスデに手が出ていたようだ。急に手繋ぐからびっくりしたわよ。
「繋いでねえよ」
「何だよオメー、俺にも教えてくれりゃあミラー動かしたのによォ」
「だから繋いでねえっつってんだろ」
信号待ちをいいことにクイッとミラーの角度を変えたホルマジオは、もう触れ合ってすらいない二人の手を映した。