ん?

棒状の物を口に突っ込んで動かし、最後には白いものを吐き出す。これってなーんだ。
以前出題したらメローネが躊躇なく王道の間違いを口にしたもんだから、あのイルーゾォがプッツンして殴りかかりかけていた。あわや乱闘騒ぎ。
いじわるななぞなぞの答えは『ハミガキ』だ。決して、某異議ありゲームのおデコくん版でプレイヤーに果てしないトラウマを植え付けた証人の名前ではない。
洗い物を終えて朝ご飯の後の歯磨きをしていると、遅れて来たリゾットが自分の歯ブラシを手に取った。鏡の中の自分と語り合いながら無言で歯磨きをする男女。女の方が軽く眠そうな顔をしているのがポイント。もうひと眠りしたい。
リゾットは普段通り、どことなくすっきりした顔でいる。早朝に起きてトレーニングに出かける健全な生活が効いているみたいだ。眠そうにしているリゾットってあんまり見ないし、私も運動を取り入れるべきかなあ。でも私の場合、きっちり運動してしっかりご飯を食べたら疲れちゃって二度寝しそうだしなあ。心地よい疲れのなかで眠るのって最高に気持ちいいじゃん。
口をすすいで歯ブラシを元の場所に戻す。
「……あ!そうだリゾット」
じゃあお先にー、と洗面所から出ようとして用事を思い出し振り返る。するとリゾットも私の方に顔を向けた。
「ん?」
「……」
ものすごい破壊力に、何も言えなくなる。
歯磨き中だから当たり前なんだけど、歯ブラシを咥えたままの姿で、くぐもった声で用向きを訊ねる、28歳。しかも、「ん?」って。ん?って何なのよ。ん?って。予想外に無防備。
「……あ、あとでいいや」
「ん」
喋れない状況なので、相槌だけで短く応じる。当たり前なのに、こうして聞くと本当に可愛い。イタリア人の可愛さバランス、ここに傾きすぎじゃない?大丈夫?



塗らない

「リゾット、口紅塗る?ちょうどダークな色があるよ」
「なにが『ちょうど』なのかが解らないんだが、急に何だ?」
「私の知り合いはみんな口紅が似合いそうだから、もしつけるとしたらどんな色がぴったりかなーってメイク道具探してたのよ」
「それで?」
「見っけたこの色とリゾットを見比べてたら、本気で映えそうな気がしてきて……。塗らない?」
「塗らない」
「じゃあこれを塗った私とチューしない?」
「答えづらい」
「あ!ずるい言い方だ!」



当たり

空気が乾燥していて喉が渇く。歩いているとすぐからからになって、喉に優しくて温かいものを飲みたくなる。
隣を歩くギアッチョも気持ちは同じで、こっそり自動販売機を探していた私に、どん、とぶつかり無理やり方向を変えさせると、そのまま公園の中に入っていってしまった。置いて行かれまいとヒールを鳴らして小走りで追う。
とっても珍しいことに(ありえないと言ってもいいほどだ)ここの自販機にはくじの機能がついていた。アレよ、あの、一本購入すると4ケタの数字がランダムに組み合わせられ、特定のぞろ目が出たらもう一本購入できる運試し。ジャッポーネとの繋がりが強い組織が権力を持つネアポリスではこの自販機の噂が広まり、人を楽しませていた。何時何分何秒にボタンを押せば必ず当たる、などというお約束の都市伝説まで出てくる始末で、ピザの自動販売機レベルの賑わいを見せることもしばしばある。たまにおつりが出なくて悲嘆を呼ぶのはイタリアクオリティ。
ギアッチョはその貴重な自動販売機に小銭を入れた。どうする、と光るボタンを見たまま私に問う。
「買ってくれるの?」
「俺はオメーに、『ナニがいい』のか『ナニも要らねえ』のかを訊いてんだよ」
「いるいる、いります。ミルクティーがいいな」
おしるこを選びたいところだけど、ここにはなかった。たぶん他の場所にもない。残念すぎる。おしるこって時々無性に飲みたくなるんだよね。おいしいから。あずきを最後まで食べられなくて上を向いたまま缶の底を叩くお約束も楽しい。そういえばあの粒を残さずに飲む簡単な方法があるって話を聞いたことがあるんだけど、結局私は試さずに死んでしまったな。今生で試したい。
ごとんと缶が落ち、ギアッチョが取り口に手を入れて取ってくれる。ヤンキー座りっぽくしゃがんだまま渡された。
次いで、ぴぴぴぴぴと軽い音がする。そして誰も期待していなかったのに、いや、期待していなかったからなのか、自動販売機の小さな画面が奇跡を起こした。
「……当たったね」
「当たりかよ……」
本当にあるんだね、当たりって。
私よりも当てたギアッチョが疑わしそうに顔を歪めている。当選を示すぞろ目の数字を点滅させ、飲み物を選べと自動音声で催促する自販機を睨みつける。ボタンを押したら爆発すると思っているのでは。
早くしないと無効になっちゃうよと背中を押すと、ギアッチョはコーヒーのボタンを押した。ジュースじゃないんだ?迂闊なことを言った私は鋭い眼光で射抜かれ両手を上げてお口にジッパー。ごめんよ、コーヒーが飲みたかったんだよね。
ごとんと缶が落ち、ギアッチョは再びしゃがみ込んだ。そしてまた数字が回転する。おめでとうございます!と自販機が喋った。二度目だった。
「……」
「……当たったね」
「何でだよックソがッ!!」
缶コーヒーを投げつけそうなギアッチョを宥めつつ画面を見る。明らかに当選している。こんなことがあるのか。聖人男子以外は連続では当てられないように設定されているのかと思ってた。今日のこの子は幸運の女神に気に入られてるのかな。
ギアッチョは聞えよがしに舌打ちし、経絡秘孔を見切った神拳の使い手がごとくボタンを一打した。どうせ自分は飲まないのだからと目についたボタンを押したようで、彼が拳銃を突きつけられても飲まないであろう『ふるふるトロトロでハートをキャッチ!イチゴの香りでハッピープリン!』なる珍奇な飲み物が取り出し口に落ちた。誰が飲むんだよこんなの。
ぴぴぴぴぴ。おめでとうございます!自販機がまたギアッチョを祝った。
「壊れてんのかオメーはァ!抽選すんならプライドを持てッつってんだよ!!あァ!?」
「どうどう」
「サポートセンターにぶち込むぞ!!」
ふるとろハッピープリンが地面に叩きつけられて悲鳴を上げた。拾って持っておく。どうせだからこれは帰ってからプロシュートにあげよう。なぜ彼かって、そりゃあこれをきちんと振ってから飲むイケメンが見たいからに決まっている。
鼻息荒く肩をいからせていたギアッチョは、最後に自販機を蹴ってから自分の缶コーヒーを握り直した。顎で道の先を示す。
「帰んぞ」
「これ買わないの?当たってるよ?」
「四本も要るかよ」
「偉いね君ね。私なら限界まで押しちゃう」
「オメーとはちげーんだよ」
むなしく当選を謳う機械を無視し、私たちは歩き出した。ミルクティーを開けてちょっと飲む。おいしかった。
喉が渇いているはずのギアッチョがちまちまちまちま、本当にちょっとずつコーヒーを飲んでいるので、もしかしてガチでコーヒーの気分じゃなかったのに私が硬派なミルクティーを選んじゃったから空気を読んでコーヒーに変更したのかな、とありえない想像で勝手にぐっとくるなどして遊んで歩いた。

少し行ったところで、しゃがみ込んでいるしっかりした身体つきの男性を見つけた。その隣にはすらりとした、シャツと細身のパンツ(イントネーションが大切だ)を華麗に着こなす金髪の美丈夫。遠目でもプロシュートっぽかったし、しゃがみ込んでいる方は、顔が見えなくてもはっきりわかるほどリゾットっぽかった。
躊躇わずにずんずん進んだギアッチョが彼らに話しかけた。
「ナニやってんだ? ンなトコで、男二人でよぉ」
「見てわかんねーのか?飲みモン買ってんだよ。……リゾットが」
ギアッチョはリーダーが大好きなので(あながち誇張でもない)プロシュートの不遜な表情がお気に召さないようだった。
「リーダーに払わせんのやめろよ」
しかしあちらも肩を竦めて、ギアッチョの言葉を流しもせず、受け止めもしない。
「こいつが払いてえって言うんだよ」
「言ってない」
「言ってねーじゃねーかよ!!」
言ってないけど払ったげてるんでしょ、私知ってるよ。
リゾットがプロシュートに缶を渡す。ギアッチョのものとは会社が違うコーヒーだった。どちらかというと、チープっぽい。缶コーヒーを飲むなんて珍しいなあ。普段は自宅で挽いた豆からしか飲まなくて、インスタントはおろかすでに挽かれた豆のパックですら家のどこにも置かれていないのにね。見かけにはよらず、よほどおいしい缶コーヒーなのだろう。
あ、そうだ、そういえばこれをあげようと思ってたんだわ。片手に持っていたプリンドリンクを渡した。
「あげる。おいしいよ」
知らんけど。
「うめぇなら自分で飲めよ」
「半分こする?」
「しねーよ。リゾットとやってろ」
ぴぴぴぴぴ。聞き慣れた悪夢に近い音が、間近で鳴った。ギアッチョがビクッと身体を震わせた。
「お、当たってんじゃねーか」
何も知らないプロシュートは面白そうにしているが、私の隣には動揺する眼鏡ちゃんがいる。良かったねリゾットと口先ではめでたがりながらも、私も彼らのあまりの強運さに震えそうだった。こんなにバンバン出ていいの?
リゾットは貴重な当たりに驚きつつも、落ち着いて無糖の紅茶を選んだ。これまた似合わない選択なような気がするけど、リゾットの方こそ、缶コーヒーは飲まないタイプなのかもしれない。彼の好みはハッキリしている。
ぴぴぴぴぴ。
「……」
取り出し口から缶を取らないうちにまた当たりが出た。プロシュートが黙ったまま炭酸ジュースを買った。ぴぴぴぴぴ。また当たる。私も『じゅわりと広がるオレンジの果肉!"たべる"ゼリー!』を押させてもらった。ソルジェラにあげよう。ぴぴぴぴぴ。
リゾットが呟いた。
「もうダメなんじゃないのか、この機械」
「ダメかもね」
「死んでるな」
「誰か会社に電話してやれよ」
しかし誰も携帯電話には手をやらず、もう一本紅茶を買った私たちは、むなしく当たりを告げる自動販売機を置いたままその場を立ち去った。最後の紅茶はプロシュートが私にくれた。
なぜかその流れで四人並んで公園を散歩することになり、帰る頃にはどの飲み物もぬるくなってしまっていたが、奇抜なぬるいドリンクはのウケはめちゃくちゃ良かった。笑い上戸二人にかかれば、味なんて有って無いようなものなんでしょう。