ひどいひとだと


上司部下時代の話
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たまに、「ひどい奴め」と罵倒されたくてたまらない時がくる。
別にそういう性癖があるわけじゃあない。ただ、思うだけだ。
今いる私は、自分の持っている記憶を頼りに、ズルをして歩いているようなものだ。全てが偽物で、ある時に何もかもを失ってしまうのではないかという恐怖。
なあんて、阿呆らしい。
理屈ではわかっている。私が記憶を持って生まれ直したのは私の責任ではない。利用をしているのなら、それを認め前を向き歩いてゆくだけだ。少なくとも彼らのことを道具だと思ったことなどないし、弄んだつもりもない。真剣に生きてきた。わかっているとも。
でも、なんとなく気が向いてしまった。生理でも来るのかな、珍しい。
「ねえ、フーゴ。ちょっと本気で罵倒して」
「気持ち悪いですよ」
そういうのじゃないです。でもありがとうね。
「私ってさ、物分りはいい方よね。素直だし、真面目だし」
「本当に気持ち悪いんですけど」
「まあ聞いてよ」
たぶん、疲れたんだな。仕事をしていて、たまにそうなる。
今はフーゴと二人暮らしをしているようなもので、ゆったりとした時間に彼が読書する姿を眺めていると心に隙が生まれる。だから、ちょっと柄にもないことを考えてしまっている。
「私ってひどい人間かな?」
「最悪な人ですよ」
フーゴはさらりと言った。本に顔を向けたまま、目も、すぐに行間に戻してしまう。
「金があればなんでも解決できると思っていますし、言動にも一貫性がない。一番可愛いのは僕だと言った口で、友人の可愛さを解説してみせるでしょう。誰だか知りませんが、どっかのオッさんの可愛さになんて興味はないんですよ。あなたが付き合っている人間は人として最悪な性格の人物が多いですし、友人を選ばないにも程があります」
立て板に水を流すようにとめどなく。
「僕を拾った時も、あのまま僕が拒んでいたら、放置するつもりだったでしょう。野垂れ死んだとしても、そういう運命だった、という言葉で済ませてしまえる冷酷さがある。他人と自分と身内を区別しすぎている。誰かの気持ちを慮っても、慰める方向は奇を衒うものばかりです。本当に欲しい言葉をよこすくせに、アフターケアはありません。手を伸ばせば受け入れるけれど、手を伸ばさなければ、本人の意思に任せる、なんて言い逃れをする。人はそこまで深く物事を考えてはいないんですよ。誰かにがむしゃらに手を伸ばしたくなることもある。そういう時に、本当に大切な人のそれ以外には、あなたは気づいても手を伸ばさない。求められない限り応じない。当たり前のようで、なかなかありませんよ、そんな非道な行いは」
まるで、台本を読んでいるかのように淀みがない。手元の冊子は私への罵りレパートリーブックか何かなのかな。
「あの、言い過ぎでは」
「数え上げればきりがありません。まだまだありますよ。ひと月も同居していないのに、こんなに出てくるんです。あなたの悪行にはほとほと呆れます」
フーゴはようやく、本を置いた。
「ですが、ポルポ」
こちらを見つめるフーゴは、とても賢そうな顔つきをしているなあ、としみじみ思った。
「本当に最悪で、ひどい人間は、そんな質問はしないものです」
「……」
「わかったでしょう?僕はあなたのいい面ばかりを見ているわけじゃない。僕はあなたのいいところよりも、悪いところを挙げる方がずっと楽です。だけど、こうしてあなたと……あんたと、一緒に暮らしてる。わかるだろ」
自分よりずっと年下の男の子に、バカな考えを慰められてしまった。とても優しい慰め方だ。
フーゴって優しいね。
率直に、バカじゃないですか、と言われるかと思ったが、フーゴは予想よりも丁寧な言い方をしてくれた。
「普段は食べ物のことしか考えない頭を動かして、錆はとれましたか?」
うん。あまりにも丁寧に批判されたものだから、何について疲れていたのかを忘れてしまうくらいだったわ。
きっと、そんなものでいいのだろう。



耳元でアラーム


私はちゃっちゃとシャワーを浴び、寝る前のリラックスタイムも置き去りにして二階へ上がった。リゾットにこう伝えることも忘れない。
「明日の朝はめちゃくちゃ早くに起きないと間に合わない用事があるから、申し訳ないんだけど、アラームで私が起きなかった時には無理にでも起こしてもらっていい?」
「ああ。何時だ?」
「四時。私が"あと五分……"って言ったら五時に起こして。大丈夫、何か耳元で愛でも囁いてくれたら起きるよ」
その一時間の誤差はセーフなのか、と言いたげな眼差しが向けられた。大丈夫だよ、朝ご飯をゆっくり食べる時間がなくなるだけだから。睡眠と食事、どちらに重きを置くかは明日の自分に任せるつもりだ。私はひどく寝起きが悪いわけではないし、むしろ夢うつつでぼうっとしている間に空腹に気づいてさっさと目覚めてしまう。明日もきっとそうなるに違いない。死活問題として、がっつり食べなければぶっ倒れてしまうわけだし。
リゾットの了承を得てから安心してもぐりこんだベッドは気持ちよかった。ただ、早寝をしよう早寝をしようと思えば思うほど眠れなくなる現象には困らされる。人肌欲しい。ちょっと行儀は悪いけど、リゾットをスマートな携帯電話でスマートにお呼び出しして五分くらいハグしてもらいたいわ。
体感であと十五分眠れなかったらお願いしよう、とひたすら一秒間隔で羊を数えていたところ、呼び出すまでもなく眠れるなと確信したので、携帯電話から手を離して毛布の中に引っ込めた。夢も見ずにぐっすり眠り、三時半くらいにぱちりと目を覚ましてリゾットの寝顔を見つめながらキスの一発でもかまして彼より先に朝食を作っていられたら最高なんだけどな。

もちろん私がそんな素晴らしい行動をとれるはずもない。
震えてうなる携帯電話のアラームを寝ぼけながら切る。起きなくてはいけないとわかってはいるものの、『準備の時に無理をすればあと一時間眠れる』という悪魔が私に囁きかけてきた。そうだね、あと一時間眠れるね、じゃあいいか。こういう甘えが起こるので、自分に優しすぎる人間は余裕を持ちすぎる時間設定をしてはいけない。人類は何度間違えれば気が済むのだろう。
身体の力を抜いて二度寝の体勢に入った私を、時間に正確なリゾットが軽くゆすった。
「四時だぞ。……わかっているとは思うが」
「ん」
軽く返事をして寝返りを打つ。リゾットの手を握ると、昨晩あんなに恋しかった人肌の体温を感じられた。
「あと一時間寝る」
「朝食はいいのか?」
「一時間寝てもたべられる……」
リゾットの声が聞こえた気がした。ならなぜ四時に時間を設定したんだ、と言いたげな空気だ。決まった時間に自分を律して起き上がれる人にはわからないでしょうね、この二度寝の欲望というものは。急げば何とかなる、という謎の余裕が私をダメにする。だって何とかなるように設定してるんだもん。ちょっと優雅じゃない朝食になるだけだよ。その為のネルフ、ならぬ携帯食糧です。
握りしめた手にさまざまな思いを籠めて、呼吸を穏やかにする。もう私の中で会話は終わっていた。最低な上司でごめん。いや、上司じゃないんですけど。どっちかっていうと上司、いや、どっちかっていうと、うーん、いや、上司なのかな。えっと、責任者、とかかな。まあなんでもいいや、最低でごめん。
リゾットはしばらく私を眺めていたようだった。空いているほうの手で、頬にかかった髪をすいてくれる。そのまま何を思ったか、こちらに近づく。気配が重なる。髪の毛が指でよけられ、晒された耳に吐息が当たった。
「ポルポ、愛している。起きてくれ」
低くささやかれ、一気に目が覚めた。くすぐったくてぞくりとして、反射的に手で耳を押さえる。悪い感覚じゃないところがまた恐ろしい。私今顔赤くないかな。耳が熱い。朝から私をときめかせてどうするつもりだこいつ。
「な、なに?えっ、……なに?」
完全に混乱している私とは対照的に、リゾットは冷静だった。
「本当に起きたな」
どういうこっちゃ。あの囁き声を鮮明に思い出してまた耳がむずがゆくなった。いやこれ引きずるわ。恥ずかしい。起きない方がおかしいって。
寝起きで精神が無防備な時に攻撃され、二度寝する気も吹き飛んだ。毛布を肩から落として完全に身体を起こすと、リゾットもベッドから降りる。関係ないけど、やっぱりこのベッドの配置おかしいと思うんだよね。ベッドの辺が壁にぴったりくっついているから、私がベッドから降りづらいというか、リゾットの睡眠を邪魔してしまうというか。足元の方から降りるかリゾットを乗り越えるしかないので、リゾットが出る分には問題ないんだけど、私が一人で抜け出しづらい。もしかしてこの人、それを狙ってんのかな。穿った見方だとわかってはいるけど、今までの言動を考えるとちょいちょい気になるところがなくもない。まあいいんだけどさ。ビアンカだったら自室に逃げるけど、相手はリゾットだ。ちょっと怖いアラサーネクロフィリアウーマンとは違う。死体にされる命の危機とか感じないし、寝ている間に手がよだれまみれになっている心配もない。あの子やるんだよ、そういうこと。おちおち昼寝もできないぜ。
さて。
愛を囁けばすぐに起きるよと笑って言った迂闊な冗談のことは忘れていたし、それがリゾットの好奇心を疼かせたとも当然思わず、彼も私の疑問をスルーしていたので、なぜ彼がこんな甘ったるい手段に出たのか、私は一時間たっぷり朝食をとりながらずっと悩むことになったのだった。時間には余裕で間に合ったよ。
また効果抜群なリゾットアラームをお願いしたかったけど、朝からこんなに興奮していては心臓に悪そうだ。