すっぴん


上司部下時代の話


メイクを落としてすっきり。
仕事の様相のままで眠るわけにはいかないし、シャワーを浴びたのならメイクだって落とす。たとえそれが部下の前であろうとね。上司の威厳よりも肌荒れ防止、寝心地を優先するのが私のジャスティス。
リゾットの部屋のドアをたたくと、彼は音を立てずにドアを開けた。
「お風呂お先にいただきました」
「ああ」
頷いた彼は、このアパートの一部屋の持ち主だ。私の部下であり、暗殺チームのリーダーである。
なぜ私が部下の前でこんなクソみたいなすっぴんを晒しているのかというと、話は簡単。家に帰れなくなったのだ。
話は数時間前にさかのぼる。
ホイホイと暗殺チームニャンコたちをお金と男気かっこ笑いかっことじで釣り上げた私は、釣った魚におやつをあげるべく今日も今日とて彼らの居城を訪ねていた。もはや日課ならぬ週課と化している。
おいしくカタラーナを突いていた私たち。そんな中、テレビのニュースでとんでもない事態の発生が報じられた。ネアポリスの交通マヒである。
どうしたものか、アパートのすぐ近くで大きな事故が起きたらしい。周辺の道路が封鎖され、一般車はおろか宅配便でさえも、もちろんタクシーなんかも動けなくなってしまった。
徒歩で帰るという選択肢もあったけれど、外は暗くなっている。時間が経てばおさまるだろうと予想し、夕飯までご馳走になってノンキに食っちゃべっていたのがあだになった。事は収拾がつくどころか、翌々日まで響く大惨事だ。
私の携帯電話も時折事故処理の問い合わせでベルが鳴り、まったく困ったことに食べる暇しかない大忙しっぷりだった。そんなこんなをしているうちに、時間は夜にもつれこんでしまったのである。
誰かが私を送ってくれるっつう心優しい話も出たけど、すべてはペッシの一言から解決へ向かって突っ走り出した。
「あの、リーダー。ポルポのことを泊めてあげてもいいですか?」
「ペッシ……!」
感動した私とは正反対の態度で、リゾットが沈黙した。
「俺は構わないが……ペッシ、お前の部屋は今シャワーが壊れていると言っていなかったか?」
「あっ!そうでした。ええっと、それじゃあどうしよう」
泊めてもらうなんて悪いよ、と言うタイミングは完璧に逃した。
「リーダーんとこに泊まればいいんじゃねえの。やったことあんだろ、お前」
それは風邪を引いた時のことを言っているのかしらね。アレは泊まったと言うよりぶっ倒れたと言った方が正しい。しかし、迷惑をかけたことに変わりはないので反論はしなかった。論破されるのは私の方だ。
「リゾットさえ良いなら、そりゃあお願いしたいんだけど。無理ならホルマジオよろしく」
「ダメたぁ言わねェだろ」
ホルマジオの言う通り、リゾットは許可の一言をくれた。
「部屋は空いている」
よかったあとなぜか私よりもペッシが安堵し、そして話は現在に至る。

男の人にすっぴんを晒しても、さほど抵抗はないものだな、としみじみ思う。これは私が化粧をしていようがしていまいが何の変わりもない女だってことなのかな。切なすぎる。
同じくシャワーを浴び、心なしか体温が上がっていそうなリゾットと向かい合ってお茶を飲みつつ、他愛のない話をする。
「私、リゾットくらいの年齢の人にすっぴん見せたの初めてだわ」
ははは、と笑い飛ばす。切なすぎる二十代前半の青い春。彩なんかありゃしない。
「そうか。……どういう気がするものなんだ?」
「んー」
リゾットをガン見して考えた。
「意外と何も思わない。そんなにメイクが上手くないからかもね。リゾットからすると、変わって見える?」
「比べると、気の抜けた顔をしているなとは思う」
え?罵倒された?部下に罵倒された?生まれ持っての顔つきは仕方ないと思うんだ。それは私の責任じゃないと思うんだ。
「んんん、リゾットのすっぴんはいつでも可愛いよ」
「……」
ウケを狙ったが、ウケてくれる人員は残念なことに誰も居なかった。
すっぴんでお茶を飲み干し、すっぴんで食器を片付け、すっぴんでベッドを借りる。すっぴんで朝食をとってから気づいた。この違和感のなさ、これもリゾットの母性の為せるワザなのでは……?
しっくりきたので、そっと菩薩の笑みを浮かべた。そうね、母性ね。リゾットお母さんが相手なら仕方ないよね。



「ねえねえ」


私ってリゾットに話しかけすぎじゃね。うるさがられてたらどうしよう。
心にもない相談を持ち掛けると、ペッシは真剣に悩み、ギアッチョはくだらなそうに目をじとりと細めた。意味のわからねえ話のネタで俺の時間を邪魔すんじゃねえよクソアマ、くらいは思っているかもしれない。そう言うなよ、ギアッチョだって3-2ステージに区切りがついたでしょ。ちょっと私に構ってくれたっていいじゃん。暗チちゃんのアパートにしかストックがない特別なインスタントラーメンを食べたくて(ストックがないのはほとんど全部をプロシュートとホルマジオがかっぱらって行っちゃったせいだ)三分待っている間、小さな話題が欲しいのさ。三分間だけでいいから。
ギアッチョは時計を見た。秒針が頂点を通り過ぎるのを待ち、体内時計で計る気満々な顔で私に顔を向ける。それでも携帯ゲーム機の蓋を閉じてくれるのは彼の優しさだ。ありがとうね、嬉しいよ。
「家で一緒に居る時は、結構な頻度でリゾットに話しかけちゃうのよ」
そこにリゾットがいるなら仕方がない、と自分に言い聞かせはしたけど、生来彼は静かなタイプに見える。ン、いや、アレッ、そんなこともないのかな。饒舌になる時もあるし、他のみんながぎゃあぎゃあ楽しそうにしていても気にせず会話に参加したり、ちょっと笑ったりしているし、静寂を好み閑と共に生きたいわけではなさそうだ。じゃあ面倒じゃないのかな。
自分の中で結論に達しかけたけど、ペッシの真剣な眼差しに心を打たれ再び不安が持ち上がる。でも、それにしたって何の得にもならない話をしすぎている気がする。どうでもいいよね、私がお肉屋さんに顔を憶えられている話なんて。おっぱいが柔らかかったり、可愛いインテリア雑貨を見つけたり、リゾットと一緒に落ち着く、なあんていう百万回繰り返した感想だったりなんて身にならないし、リゾットには迷惑だろう。優しいから黙っているだけだとすると胸が痛い。ご、ごめんね、本当。無駄話が長くなるのが私の悪い癖だ。
「リーダーは嫌がってるみたいなの?」
「うーん」
うるさいなあと思ったらしばらく近づいて来なさそうだ。一緒のソファに座って横並びで話を聞いて膝枕をしたりハグをしてくれているということは、ちょっとは面白いと思われているのか。そう思いたい。人をうざったがるリゾットも見ていて大草原ではあるが、対象が自分だと思うとやりきれなくて壁を殴ってしまいそうになるもんね。リゾットちゃんのやさしさで世界がヤバいはずなのにその広すぎる度量からはみ出しちゃってる自分。完全に救えない。
「オメー、実は全然うるさがられてるなんて思ってねーだろ」
六年間付き合った(……付き合ってもらった)経験からしてリゾットのことはある程度わかっているつもりだ。相手も同じく慣れているだろうけど、ちょっとは心配じゃん。実際にスルーしまくられた時期もあることだしね。
「安心してよ、ポルポ。これはテレビで見たんだけど、『ねえねえ』って話しかけて辟易されないうちは、何の問題もないんだ」
へえ、そうなのか。愛があるかないかの基準なのかな、実に文学的でロマンチックな表し方だ。私は好きだよ、そういうの。想像してみたところ、ディアボロに"なあポルポ"と何度も何度も話しかけられていたらいかに寛容な私と言えど(笑うところだ)いい加減にしてくれと肩を竦めそうだ。愛はないってことだと判断しよう。
「辟易されてるかどうかが気になるんだよペッシちゃん」
答えたのはギアッチョだった。
「知らねーが、リーダーはオメーがウザかったら黙れって言うだろ。メローネには言ってっし」
言われる時点でどんアウトだ。
しかし、こういう意味では胸を撫で下ろしておくことにしよう。心当たりはいくつかあった。無駄話で時間を取られたくない時は、そういえばフツーに止めて来るもんね。方法は時々によるけれど、私が口を閉ざすことに変わりはない。
ギアッチョはレンズの向こうで目を動かした。釣られて時計を見ると、三分以上経っていた。ハッと思い出す。
「ラーメン……!!」
「バカ女」
ひと言も反論できないのが悔しい。仕方ないから麺をごま油で炒めて具を入れ直して最後にスープを入れ煮詰めるとクソ不味い、みたいなどっかで見たジョークを実践したのち、あまりの不味さにソルジェラを召喚するしかない。彼らなら適当にアレンジしてくれる。たまにダークマターを食わせてくるのが難点だし、たぶんクソ不味い物体はダークマターにしか進化が許されていないんだけど。
でろでろのインスタントラーメンの蓋からお箸を除け、まずはスープを飲むことにした。猫舌にはちょうどいい温度だった。



生卵爆発事件


生卵を爆発させる奴を初めて見た。何してんの。その卵、さっき珍しくもプロシュートが買って帰って来たブツだよ。知られたら怒られるぞ、たぶん突発的に卵料理が食べたくなったのだと思うから、勝手に使うだけならまだしもドッカーンとやっちゃっては叱られない方がおかしい。可哀想なイルーゾォに頭の中で十字を切った。
「どうしたの、イルーゾォ。料理に挑戦するなんて珍しいじゃん」
珍しいと感想を言うには私たちの付き合いはまだ浅い。メンバーも揃わない中でちょっとしたお仕事のお願いをする為アジトにお邪魔しているだけで、今日のぶぶづけレベルで疾く帰れと雄弁に語るカモミールを飲み干そうかどうしようか悩んでいたところだ。リゾットが部屋から出てきてからの方が良いかな、手持無沙汰で待っていたと思わせるとちょっと申し訳ないし。
そんな時、イルーゾォがメインに使われる部屋のドアを開け、冷蔵庫から三つの卵を取り出した。何に使うのか訊ねると、ただ自分の住処に何も食べるものがなかったので小腹を満たしたいのだと答えがあった。それでよりにもよって卵を三つ選ぶところがイルーゾォの可愛い部分なのかもしれない。二つは予備で貰っておくんだとさ。爆発音がしたのは、部屋からリビングへ戻ったリゾットが案件の手続き終了を示した時だった。ガッシボカ、卵は死んだ。
爆発音がしたので振り返る。どんな小説家に任せたって行為と結果だけは変わらない。さてさて、私たちも完璧にシンクロした動きで反応したわけだけど、そこには地獄が広がっていた。リゾットが言葉を失う。まさか本当にやる奴がいるとは、という顔に見えた。私もそう思うよ。
イルーゾォは半泣きである。まだ若い彼は突然起きた謎の事態に対応しきれていない。混乱する気持ちはわかるけど、私はその惨事を招いたことがないのでちょっと共感しかねる。
「大丈夫?」
心に刺激を与えないように問いかけると、イルーゾォは文句も言わずにかくりと首を縦に振った。弱っている。
「……何をつくろうとしたんだ……?」
混乱しているのはこちらも同じだった。ひいい、可愛いよリゾット・ネエロ。仕事上ではどんな事態にだって対応できる適応能力があるのに、ある種の私生活での異常事態には沈黙してしまうネエロくん可愛いよ。頭が痛そうだ。
イルーゾォのお返事は実にわかりやすく、頷いてしまうものだった。
「ゆ、ゆでたまご」
わかるってばよ。あるよね、ゆでるのが面倒な時ね。レンジがあるんだからチンしたくなるよね。私もポーチドエッグ辺りは面倒で電子レンジに頼ってしまう。エネルギーの足りない朝に割って食べるのがおいしい。
「ゆで卵はゆでてくれ……」
リゾットのひと言にクソ笑ってしまって正気を取り戻したイルーゾォにめっちゃ怒られた。だって仕方ないよ、その言葉だけでご飯三杯イケるわ。ゆで卵はゆでて欲しいね。確かにその通りだ。ごもっとも。それ以外に言いようがない。ひいい。勘弁して。面白すぎ。暗殺チームって本当に面白いな。
ひいひい言いながら笑っている私と、とりあえず掃除道具を取りに出たリゾット。残されたイルーゾォはやはり半分べそをかいている形で、片付けようもなくておろおろしている。こんな現場に帰宅したプロシュートがキッチンの惨状に唖然とし、こめかみを揉んでから「イルーゾォ、テメーなァ!」と怒声で部屋を揺らしたのは言うまでもない。