失恋


「どうしたんだよ、落ち込んでるなんてあんたらしくないぜ」
ナランチャはお土産のショートケーキを開けて目を輝かせる。その片手間に私の様子を窺ってくれたが、正直に答えるにはちょっと恥ずかしい落ち込み方なので、言葉を濁して「うーん」と頬を掻く。
「ちょっと失敗しちゃったのよね」
何にかというと、選択肢の運び方についてだ。絶対にこうだと思った答えを選択したら、見事にルートから外れて失恋まっしぐら。おかしい、フラグは立てていたはずなのに。クイックセーブもオートセーブもない作品だったので、熱中する前に取っておいたかなり前のセーブデータから再開しなくてはいけない。
何の話かって、そりゃ、恋愛ゲームの話だ。
難易度はそれなりに高く、フラグ管理をちゃんとしていないとトゥルーラブなエンディングには辿り着けないと評判の一作である。私が本腰を据えてプレイをしていたのはフーゴもよく知るところだったし、呆れのため息もいただいたが、そんなことでは止まれない。
「何があったか言えねえようなことなのかよ?」
ミスタはフォークとお皿を運ぶ。
午後のネアポリスは陽気もうららか。しかし、秋独特の冷たい風が身に沁みますね。ある意味の失恋をした今となっては余計に。再プレイをするにはちょっと時間が足りなくて、徹夜の眠気を振り払って仕事に出た。おかげでセンチメンタルな気分を引きずっている。
「仕事の何かか?」
ブチャラティまでが身を乗り出してきた。恥ずかしくなってくる。ご、ごめん、おねえさんは逆にそんなことでは気落ちしないよ。
フーゴ一人が冷たい目をしている。
賢い少年は私を皮肉った。
「失恋したんですよ、彼女」
一瞬の沈黙ののち、護衛チームはほぼ全員が椅子から立ち上がって大音声に口を揃えた。
「失恋!?」
言い方が悪いよフーゴちゃん。恥ずかしくて本当のことを打ち明けられなくなっちゃったじゃないか。ゲームの中の出来事で一喜一憂しているなんてことを二次元から遠く離れて生きている人たちに白状するのがいかに苦痛を伴うか、まだ若くて健全な君にはわからないのだろうけど。
大したことではないのだと言っても、彼らは落ち着かない。色恋沙汰とは無縁で生きていた私から『失恋』という現象が飛び出すなんて、思いもしなかったのだろう。本当に居た堪れない。
「あのね、お遊びみたいなものだから……」
「物は言いようですね」
どこまでも冷ややかなフーゴに対し、ブチャラティは心配そうにする。
「フーゴ、何か知っているのか?あ、いや……詮索するつもりはないんだ、すまない。つい」
非礼だったと詫びてくれるけど、こればっかりは素直に甘えてしまう。詮索しないで、ゲームのことだから。
「懸念するようなことはありませんよ、ブチャラティ。彼女の言う通り、ちょっとしたゲームに負けたようなものですからね」
「なぜお前は知っているんだ?」
「僕もアドバイスをしたんです。従っているうちは良かったんですけど、目を離した隙に悪い方向へ転がったみたいですよ」
「そう、なのか……」
ブチャラティは深刻な顔で私を見つめた。
「落ち込んでいるポルポの横顔も綺麗だとは思うが、できれば今は笑顔が見たい。少しの間だけ『失恋』のことを忘れて、俺たちに微笑んでくれないか?」
年下のめっちゃんこなイケメンにこんなことを囁かれて転ばない私がいるだろうか。いや、いない。
私はぎこちなく笑顔を浮かべて、テーブルの下で小さくフーゴの手をつっついた。フーゴは隠しもせずに肘で私を小突いて、ふん、と鼻を鳴らす。
後からどうしてあんな風な言い方をしたのかと訊ねたところ、意訳ながら、大まかにまとめるとこのような返事が返ってきた。
「あんたがゲームにばっかりかまけているからいけないんですよ」
さみしかったのかな。次は気をつけるね。



電気でパチン


アパートの一室に入ると、人の気配がした。ジェラートは標的を見つけて笑みを浮かべる。
ソルベが車のキーに似た道具を放り投げ、隣に居るジェラートがそれを空中で受け取った。リビングへ踏み込むと、くっつけて造られたクチーナに女が立っていた。
「よお、ポルポ。今日はリゾットもメローネも、ホルマジオもイルーゾォも居ねえのかい?」
「リゾットは家。ホルマジオとイルーゾォは昨日飲み過ぎたんだってさ。メローネは後で起こしてほしいって言ってた」
合点した。リゾットはともかく、ホルマジオとイルーゾォに酒を飲ませて潰したのはソルベだ。メローネはおおかた、ポルポを部屋に誘い込んで何かと理由をつけ、殺風景な部屋に彩を加えて欲しいのだろう。ポルポがブランチでもつくってやると喜ぶに違いない。
誰も居ないのなら都合が良い。
ポルポがケトルにスイッチを入れた。ちゃんと手を離すのを待ってから、ジェラートは無造作に、ポケットから出すふりをして、手の中に用心深く握りこんでいたものを差し出した。
「これなんだけどさあ」
車のキーにそっくりなアイテムを、ポルポは何の疑いもなく手にした。金属の部分に指が触れた。ぱちり。
「ひああッ!」
弾かれたようにポルポが手を引っ込めた。
小さな音を立てて走ったのは電流だった。迂闊にもソルベとジェラートの罠にかけられたポルポを笑いが襲う。目を白黒させたポルポは二人を見上げた。
「な、ナニ?びっくりした」
「その通り、びっくりさせるためのアイテムだぜ。知らねえ?」
「ポルポなら知ってるかとも思ったんだけど、引っかかってくれてありがとな」
金髪の女は、ようやく理解した。確かに、そういう悪戯グッズがあるとは聞いたことがある。しかし、こんなものを本当に持ち出してくるやつがいるだろうか。朝っぱらから、なんということをするのか。
物言いたげな瞳が、より二人の笑いを誘う。彼女本人は、自分がどんなに憐れっぽい顔をしているのかわかっていないのだろう。
「まーまー、今度はポルポが騙す側に回ればいいのさ」
「手始めにギアッチョにでもやっとこうぜ」
「嫌だよ!一日二日は口をきいてもらえなくなるじゃん!」
ソルベとジェラートはげらげらと笑ってから、ぴたりと、思い出したように真顔になった。
ポルポが怪訝そうに眉根を寄せる。指先の痛みはもうどこかへ行っていて、ケトルはお湯の沸騰をしらせていた。
ソルベは真剣な顔に、悪戯っぽい色を含ませて、一息で言った。
「ポルポって案外可愛く鳴くんだな」
「咄嗟の時は、どんな女王さんでも可愛い声が出るっつうの?普段は『ウワッ』とか『ぎゃあ!』とかしか言わねえのにな」
「ぷくくく」
「電気は偉大ってか?」
再びの爆笑である。ポルポは、ジェラートの手からキーをもぎ取って金属部分を思い切り男の手に押し当てた。スイッチを入れ、間髪入れずに二人分の悲鳴が笑い声に混じった。



デート


デートに行こう。
寝る前に約束を交わして朝から出発。朝食を喫茶店で摂り、電車に乗り、少し遠い街を歩いてお昼ご飯。私のおやつはパフェで、リゾットはカッフェだけだった。また歩いて、買い物をして、お土産を見る。
ああ、そういえば写真は撮らないのよねえ。
私は街並みの写真をたくさん撮ったけど、リゾットにはカメラを向けなかったし、自分で自分を撮ったりもしない。自分の姿を見て喜ぶ瞬間を過ぎたというか、特にこだわらないというか。リゾットはほら、あんまりこういうのは好きじゃないかなあと私が勝手に推測しただけだ。護衛チームの写真はフーゴが送って来てくれるから「そんなもんかな」と思って大切にアルバムに収めているけど、暗殺チームはねえ。どうなんだろうねえ。指が映りこんでいたり、脚が入っているものはあっても、彼らがメインの写真って、ないんじゃないかなあ。家に帰ったら探してみよう。
「リゾットさん」
夕暮れの街並みに向けてぱちりとシャッターを下ろしてから、カメラをしまい込んでリゾットを呼ぶ。私を見ていたリゾットとすぐに目が合う。
「手を繋がない?」
デートだし。
リゾットはいつもと変わらない表情を少しだけ動かして、私の手を握ってくれた。うーん、デートっぽい。もうこれからすぐに帰りだけど。
「夕食は家にするのか?」
「どっちがいいかな」
「家でいいんじゃないか」
「じゃあそうしよう」
並んで歩いて、メニューを考える。あれこれ話しかけている間に、つい魔が差した。
繋いでいた手を離す。リゾットはすぐに離してくれたし、特に何も思っていないようだった。ドン引きされないといいなあと思いつつ、そのまま離したばかりの腕に抱き付いてみた。おっぱいを押し付けるのも忘れずに。
「……」
何も言われなかったので、そのままくっついて歩く。引かれてないといいんだけど。
まあ、たまにはこういうのもいいよね。