タコの煮込み


ペッシがにっこり微笑む。
「タコの煮込みを作ったよ!」
ありがたいけど、それは何か私に対するメッセージだったりするのかな。
湯気の立つお皿と、鮮やかな料理を見つめていると、ペッシの慌てた声が私にかかる。顔を上げると、照れて頬をかく青年の姿が。
暗殺チームの中で最も年若い彼は、料理の得意なソルベとジェラートや、粉モノの得意なプロシュート―――まったく意外よね。袖をまくって黒いエプロンをつける彼の姿は非常に眼福―――に調理方法のコツを教わっては新しい料理を披露してくれる。毎度毎度、必ずプロシュートがその食卓についているのは、もはや言うまでもないことだろう。わかるわかる、弟分の成長は逐一随時、こまめにチェックしておきたいよね。わかるよ。
「おいしいタコが入ったんだって。だからちょっと買って、この間教わった煮込み方で料理してみたんだ。ポルポが最初に味見をしてくれたら嬉しいな」
「ありがとう。だけど、どうして私なの?プロシュートに見てもらうんじゃ……」
そこまで言って、ああ、と自分の中で納得する。もしかすると初めて挑戦したので、兄貴の前に出すにはちょっぴり尻込みするものがあるのかもしれない。私で良いならいくらだって食べるよ。いい匂いがしているので、早速いただこうじゃないか。
「ありがとう、ポルポ!」
ぺかーっと輝く笑顔で私をテーブルにいざなったペッシは、どん、と皿を前に置き、シェフさながらにテーブルの横に立ちながら、わくわくとこちらの様子を窺っている。ぐにぐにとフォークとナイフを入れる。一口食べると、タコの弾力ある食感と具材の柔らかさが、バランスよく口の中で混ざり合っておいしかった。初挑戦でこれは凄いなあと感心する。こう言うのも何だけど、やはり『ペッシ』という名前だけに海鮮料理は得意なのか。いやいや、それはあまりにも失礼だな。ごめんね、その理屈だと私はタコ料理のエキスパートであるべきだ。胸の中だけでそっと謝っておく。
「おいしいよ」
正直に感想を伝え、ペッシの表情から緊張が抜けてゆくのを見る。
「兄貴にも出せると思うかい?」
「うん、喜ぶんじゃないかな」
プロシュートなら確実に喜びますよ。大丈夫大丈夫、そこのところは完全に安心していいと思う。彼がペッシの成長を、どんな形であれ、祝福しないはずがない。たとえこのタコが生煮えでも、あの男の性格なら、がーがーと文句をつけるのはすべてを平らげた後だろう。リストランテやバールなどの食べ物でお金を稼いでいる場所ならともかく、仲間の料理を無碍にするプロシュートではない。あっ、でももしかするとソルジェラの料理は残すかもしれないな。なぜならソルジェラの用意した食事がおいしくないのは、確実に意図的にタバスコを入れまくったか、ささやかな仕返しとしてボンゴレの砂抜きを一つだけ怠った場合だけだからだ。置いてあったジェラートのナイフで林檎を剥いてしまったホルマジオが、ちょっとした嫌がらせを受けている場面を見たことがある。得物を大切にするのは、まあ、プロなんでしょうかね。私にはよくわからない領域だが、パソコンを勝手に使われたと考えると理解できなくもない。使うのはいいけど私のアカウントはやめてくれ。ブックマークに何が入っているのかを見られたらとんでもない事態になる。人間関係は大切にしたいですね。
遅めのお昼ごはん代わりにタコの煮込みとパンを食べ、ごちそうさまでしたと手を合わせて食器を下げる。ご馳走になったから洗い物くらいはしようかと思ったのだけど、ペッシは私の手からスポンジを取ってこう言った。
「だって俺が作ったんだからね。後片付けもちゃんとしなくっちゃ」
そう言うのなら、お任せしよう。おいしかったよともう一度伝えて、オレンジジュースを飲むことにした。



ティッシュ


ああ、とホルマジオが顔を上げる。
「ティッシュひと箱持ってってもいいか?」
「いいよ」
みんなの住むアパートから私の家に向かう道すがら、彼はぽちぽちと指先で操っていた携帯電話を閉じて私を見る。ぱちん、と画面とキーがぶつかる音が秋の道に爽やかだ。踏めば滑ってしまいそうな大きな落ち葉をしっかり靴底で押しつぶす男は、見るからに「ああ、筋肉が重そうだなあ」とわかる身体つきをしている。毎朝きちんとトレーニングをしているんだってさ。他のみんなもそうみたいだけど、アパートの空き部屋でいったい何が起こっているのか、非常に気になるところである。二十代のしっかりした肉体がぶつかり合ってくんずほぐれつ鍛錬を繰り返しているのかと思うと、朝も眠っていられない。なんつって、グースカ眠っているんだけども。
ホルマジオはそんな身体をできるだけ小さく縮める。一瞬吹き抜けた秋風は、もう冬の気配を孕んでいてとても冷たかった。半袖のジャケットをやめればいいのに。
「ひと箱でいいの?……というか、帰りに買えば?」
昨日と今日は比較的安い値段で品物が売り出される日だよ。ひと箱じゃあ、そう長い時間は持たないだろう。さっさとまとめ買いをしてしまったほうがいいのでは。
ホルマジオは首を振った。
「オメーんちのティッシュ、柔らけェだろ」
「そうだね」
ちょっと花粉症のケがあったもので、鼻に優しい素材をチョイスしたおぼえがある。ストッカーに入れっぱなしだったのを、どうやら目ざとく見つけていたらしい。
「イルーゾォが鼻をグスグス言わせてんだとさ。うるせェから持って帰って来いっつってんだ、ギアッチョが」
「風邪かな?」
「カフンショウじゃねェの?」
「あらあら、そりゃ難儀。じゃあ、お茶を飲んだらすぐ帰る?」
さっさと渡してやりたいだろう。手早く用意できるお茶菓子があったか思い出そうとする私を遮るように、ホルマジオが首を傾げる。
「別に……待たせときゃあイイんじゃねェのか。ホットケーキが食いてェんだ」
また時間のかかるものを。仮にも同期をそんな酷に扱っていいのか。いいんだろうなあ、ホルマジオとイルーゾォだし。
二箱持たせてあげようと心に決めて、バッグから家の鍵を取り出す。ガチャリと開ける。北風から逃げるみたいにそそくさと靴の土を落とし、スリッパに履き替えたホルマジオは、家の奥にいるリゾットに向かって声をかける。
そんな様子を見ながら、私はぼんやり考える。何やらこのお茶の時間は長くなりそうだ。やっぱり、三箱持たせてあげよう。



ドーナッツ


組み立て式の箱にドーナッツが十個。軽く振ると、中でドーナッツがこすれあってぞろぞろと鳴る。
「まさか、四人とも買ってくるとはね」
初めにアパートを訪ねたのは私だった。元々部屋に居たイルーゾォが蜂蜜掛けのドーナッツをかじっているのを見て、アレ、と嫌な予感をおぼえた記憶は鮮明。すぐに視線を向けたテーブルの上には、私が持っているものと同じ形の箱があった。
かぶっちゃったね、なんて笑って、種類がダブってしまったものを遠慮なくいただく。メローネが二つ目のドーナッツに手をつけ、ギアッチョは黙々と生地をかじるまま視線だけをこちらに向けた。ニッコリ笑いかけると、ふい、とスルーされる。いつも通りだ。
次に帰って来たのはホルマジオだった。おかえりを唱和した私たちはほぼ同時に紅茶のカップを置き、そのままぴたりと動きを止めた。ホルマジオも気まずそうな表情になる。彼の手にはポップなマークの長細い箱が提げられていた。十個入りだなと察する。だって、みんなで十人だもんね。
多くて悪いことはない。もうすでに三人で五つを食べているので、ここには二十五個のドーナッツがあることになる。十人集まれば簡単に処理できるさ。
そう思っていた自分が、ドーナッツよりもロイヤルミルクティーよりも甘かったと気づくのに、そう時間はかからなかった。
最初にドーナッツを買って帰ったのはメローネとギアッチョなのだそうだ。そして二番目に箱を持ち込んだ私、三番目にやって来たホルマジオに続き、ドアを開けたプロシュートが絶句した。甘い香りがリビングルームを満たしている。すぐに事情を呑み込んだ兄貴は、片脚に体重をかけて額を押さえた。ドアに鍵をかけて廊下を進み来るリゾットに言う。
「俺たちで四人目だぜ」
「……そうみたいだな」
もはや驚くこともないだろう。二人もまた、私たちを喜ばせようと気を回したのだ。彼らの気持ちをありがたく思い、ほんわかする。リゾットとプロシュートが並んでドーナッツショップの列に並んでいたと想像すると最高に気分が良くなる。
少し食べておいたとはいえ、合計四十個近いドーナッツを前に、思わず顔を見合わせて笑う。まさか四人とも買ってくるとはねえ。
「これでソルベとジェラートも買って戻って来たら、大変なことになるな」
リゾットの珍しい冗談に、場がドッワハハ状態。しかし内心では、笑いながらも全員が首を縦に振り同意していた。本当にね、大変なことになるよね。