チョコレート


チョコレートが食べたい。
唐突に切り出すと、イルーゾォがつれなく言った。
「食えよ」
冷蔵庫を指さされる。
私は冷えたチョコレートが好きなので、冬でも夏でも構わずにすべてを冷蔵庫に突っ込んでしまうたちなのだが、今はそういう話じゃあないんだ。私は、もっとこう、高級なやつが食べたい。
「リーダーに電話して買ってきてもらえばイイんじゃねえの?」
「えーっ、それはなんか申し訳ないよね」
「んじゃあホルマジオは?」
"んじゃあ"って言うところにイルーゾォとホルマジオの気安さが見えてとてもベネなんだけど、こんな私のわがままに他の人を付き合わせるのは悪い。自分で買いに行きますとも。
お財布をバッグに突っ込んでいそいそとコートを着込むと、イルーゾォはいつも通り変わらない、あのちょっと暖かそうな格好でぶるりと身を震わせた。
「マジに行くのかよ。寒くねえの?」
「だって今食べたいんだもん」
「食い意地張ってんな……それでもお前26かよ」
聞こえない。26歳だってチョコレートが食べたい衝動に駆られることはある。
そんなに言うならイルーゾォには買って来てやらねー、とそっぽを向くそぶりをすると、彼は嫌そうに立ち上がった。チョコレートが欲しいわけではないけれど、私を一人にしておくとそれはそれで面倒なことになる、と言いたげだ。
渋々コートを着てマフラーを巻き手袋を装着しポケットにホッカイロを忍ばせるひょろっちい男。ジャケットの上から腕を揉んでみると、まあ、筋肉はついているんだけど、やっぱりホルマジオやリゾットやプロシュートの硬さには及ばないか。
「俺はそこまで肉体派じゃねえんだよ、ほっとけ」
「何も言ってませんよ」
「目が言ってた」
これは失礼。私はそんなイルーゾォも大好きなんですよ。
「あっそ。……ほら、さっさと行って、リーダーが帰って来ねえうちに戻るぞ」
「なんでリゾットが帰って来ちゃあいけないの?」
「リーダーに頼みゃあ良いのにわざわざ自分で出てるって、取りようによっちゃあ厭味ったらしくねえ?」
「おお、そういう発想はなかった」
スゴイなイルーゾォ。普段そんなこと考えながら生きてるの?
「なんで俺が悪いみたいになってんだよ!?あるだろ誰にだって!」
いやいや悪いなんて言ってないよ。あと、リゾットはたぶん何も気にしないと思う。イルーゾォは気遣いができる男の子だなあ、私も見習わなくては。

冬の道をざくざく歩いて白い息をはふはふ吐き出し、私とイルーゾォはチョコレートのお店へやって来た。専門店というやつだ。イタリア製といえば、日本じゃあ一瞬「おお」と感心を集めてしまうかもしれないブランド力なのではなかろうか。まあ私だけかもしれないけど、昔はね、日本人だった頃はね、憧れたものよ。格好いいじゃん。
しかし今の私はそんな『イタリア製』に囲まれまくって、むしろ日本のものが懐かしい。ポッキーとか食べたいよ。安っぽいブロックチョコレートが食べたいよ。お餅とチョコレートを混ぜたいよ。
「お、これ美味そう」
私がお行儀悪くポケットに両手を入れてショーケースを眺めていると、イルーゾォもなかなかに乗り気になって来たようで、私の横で背を丸めて下のほうの段を吟味している。
「バナナ味のチョコレート……は、お前は食わねえんだっけ」
「あー……そうねえ」
本当は食べられるんだけどね。バナナ断ちをしていた時期がかなり長かったものだから、もう私イコールバナナ嫌いみたいなイメージがついてしまっているよね。食べられるんだけど、じゃあなんで今まであんなに食わん姿勢を貫いていたのかと問われると答えられないので黙っておく。
三日月の形をしたチョコレートが半分に切られ、試食品として渡される。ビターチョコが真ん中にぎゅっと詰まった目玉商品だそうだ。
「おいしいね」
「ん」
イルーゾォが数種類のチョコレートを注文する。彼がお財布を出そうとしたので、私は自分のカード入れに手をかけた。
「おいポルポ、これくらい自分で払える……って何だよこれ」
「ポイントカード」
「金出すんじゃねえのかよ!俺の気持ちを返せよ!」
出すわけないだろ、チョコレートくらい自分で買いなさい。私は今度君たちにバレンタインで別の贈り物をさせていただきますからね。
でもちょっと誤解しないでほしいんだけどねイルーゾォ。ぺらりと二つ折りのカードを開いて中のスタンプを見せる。すべてたまっているので、一つ好きなチョコレートがオマケとしてつけてもらえるんだよ。
「お前が使えよ」
「だって悩んでたじゃん。私は悩んでないし、食べたいもう一種類も特にないし」
二種類のうちどちらかで悩んで、両方とも食べられる手段があるんだったら、両方とも手に入れた方がいいじゃん?
「ん……それなら貰うけど。お前ってそういうトコあるよな」
「優しさで泣きそう?」
「押しつけがましい」
「うわっひでえ」
愛が欲しい。
「リーダーに言えよな。……俺はスイートとマーブルで」
店員さんはケースからチョコレートを取り小箱に詰めると、ニコリとした綺麗な笑顔で首を傾げた。
「プレゼント用にいたしますか?」
「……あー……」
イルーゾォが少し悩んだ。結局、首を振ってしまう。自分用だもんね。
「私はマーブルと苺とココナッツとカフェラテ味、プレゼント用で」
「自分にだろ」
「うん」
ここのお店はプレゼント包装が可愛いんだぜ。

帰り道、シックな紙袋を引っ提げて歩いていると、イルーゾォがふと顔を上げた。寒さ対策でマフラーに埋めていた顔は、鼻と頬が赤くなっている。
「なあ、ちょっと考えたんだけど」
「うん」
イルーゾォはまったく油断していた私に向かって、とんでもなく可愛いことを言い放った。
「このチョコレート、俺らだけの秘密にしねえ?」
興奮しすぎて爆発するかと思った。一気に身体がポカポカして、一も二もなく頷いてしまう。いいよいいよ、秘密にしよう。理由なんて聞かないよ、あんたが言うならなんだって秘密にしようじゃなイカ。
「バッカ、変な理由じゃねえからな。ただ、……二人で並んでチョコレートを買いに行って、お前のチョコレートだけ包装してあるっつうのがさ、パッと見て意味がわからねえ状況だろ」
「まあ、普通は自分用に包装なんてして貰わないわよね。人と一緒に行ったなら尚更」
「そうだよ」
「イルーゾォが私にプレゼントしてくれたみたいよね」
「そう見えるよな!?違えけど!違えけど!」
そこまで力いっぱい否定しなくても。
「じゃあ、イルーゾォんちに寄らせてよ。で、イルーゾォは自分のチョコレートを家に隠す。私のやつも隠しておいてよ」
「……」
「食べに行くから」
曲がり角で立ち止まってアパートの方に身体を向けると、イルーゾォはポケットの中でホッカイロを握り直した。こくりと頭が縦に動く。
「まあいいけど……」
じゃあそうしよう。
でも、この子、アレはいいのかな。思い浮かんだことには蓋をする。
もしもリゾットより早く戻れなかった場合、二人してどこに出かけていたのかと訊ねられるのは確実だろう。その時にイルーゾォは咄嗟に嘘を吐けるんだろうか。なんかこの子、動揺しちゃいそうな気がするんだけどな。



ネイルサロンに行った話

@memo


ネイルサロンに行って爪を綺麗にしてみた。珍しいことをしてみると気分も持ち上がる。特にへこんではいなかったけれど、人生は楽しいに越したことはない。

「見て見て、可愛くない?」
フーゴちゃんに見せびらかすと、じっくり観察した後に、「そうですね、あんたにしては良いチョイスなんじゃないですか」と褒められた。とても珍しいことでこちらもまじまじとフーゴちゃんを見つめてしまう。なんです、と怪訝そうにされたので、気を損ねないように丁寧にお返事をした。
「ありがとう、ネイリストのおにいさんがお勧めしてくれたんだよ」
爪が割れてしまった時、ケアの仕方を質問するためにビアンカに紹介してもらったネイルサロンだったけれど、そこの店長さんがとてもきさくでいい人なのだ。オカマだけど。
どうして私の周りにいる男性は一癖も二癖もある人ばかりなのか。たまには普通の男の人と会話をしてみたい。大学の教授もオカマだったし、パーティで意気投合したニーチャンもペドフィリアだったし、変態は数えきれないし、ブラスコとも交流は続いているけどあんなダルダルなギャングが『ふつう』の枠組みに入るわけがない。なんだろう、類は友を―――……いやいや、考えるのはやめよう。
職業柄、仕方のないことなのだろう。

そんなようなことを考えていると、フーゴちゃんがむすっと唇を引き結んだ。ナニ?
「だけどどうしてその色なんです?」
どうしてって、お勧めされたからだけど。
私の爪先を彩るのは、グラデーションのかかった、少し薄いピンク色だ。怒られるような色じゃないと思うけどなあ。
もしかして年甲斐がないと言いたい?いいじゃんピンク。可愛いじゃんピンク。26歳だけどまだまだ許されるよピンク。
「……あなたなら、誰かに合せた色を選ぶかと思ったのに。言いなりですか」
またまたこの子はツンツンと可愛いことを言ってくる。狙っていないのだから恐ろしい。これで私よりずっと年下なんだぜ。記憶のぶんではめちゃくちゃ勝ってるけど精神的にはどちゃんこ負けている。可愛さでも千倍負けている。
手を伸ばして頭をナデナデすると、ぶっきらぼうに顔を逸らされた。耳が赤い。ウーン、ピュアでかわいい!
「じゃあ次はそうするね。フーゴちゃんの色がいいかな?」
「僕だけなら不公平です。ブチャラティと、ジョルノと、まあ、ミスタとナランチャとアバッキオも入れてもいいんじゃないですか」
「それ六色ですけど」
「手一つにつき一色なんて誰が決めたんです?四本が余りますね……端から一本飛ばして色を入れて、間は……」
真剣な表情で私の手を取って配色を考え始めてしまった。
まあ、時間はたっぷりある。ゆっくりと考えてもらおう。
「だけど、お茶が飲みたいから手は離してもらっていいかな?」
「見ていた方がイメージがしやすいんですよ」
「えええ?ちょっとだけ。片方だけ。今このクッキー食べたら戻すから」
食い下がった私に冷ややかな視線が突き刺さる。
視線の温度は、瞬きとともに変化した。
「僕はこうしていたいんです」
いじらしい言葉だ。私が逆らうわけもない。可愛いね君本当に可愛いねと口にしながら一も二もなく手から力を抜く。わざとそういう台詞を選んだと理解していたけれど、その台詞をチョイスしたフーゴちゃんが愛おしかったからオッケー。足元に虎ばさみがあっても、目の前に可愛いにゃんこがいたらあえて踏んで駆け寄るわ。
その結果はさみはガチャンと閉じた。フーゴちゃんがフゥ、と短く息を吐く。
「あんたって人は成長しませんね」
我々の世界ではね。ご褒美ですから。