アバッキオの災難

パーティーが終わった。
こういう場に出られる人間は、ジョルノを除けばブチャラティか俺か、かろうじてミスタしかいない。ナランチャはまだ勉強の最中だし、育ちも良く躾もきちんとされているフーゴは、一見まともだが、もしブチキレでもしたら目も当てられない。単純な引き算の結果だ。俺にとっては、迷惑きわまりねえ話だがな。
俺のパートナーはトリッシュで、ポルポのパートナーはリゾットだった。

このアホがアホらしく、アホなことを言い出したのは、休憩部屋で水を飲んでいた時だった。トリッシュとリゾットは、それぞれジョルノと、帰宅用のタクシーの手配の電話をしていて席を外していた。
「このワンピース、突貫で用意したから胸がきついんだよね。アバッキオ、ちょっとファスナー下ろしてくんない?」
「はあ?」
「ファスナー、下ろして、ほしい」
聞き取れなかったワケじゃねぇよ。ナメてんのかこいつは。
椅子から立ち上がったポルポは、少し壁に近寄ってから俺に背中を向けた。
確かにこいつのワンピースは、その体型(主に胸部)にはきつそうでは、ある。
薄いカーディガンが脱がれた今は、よりそれがわかった。背中から回った布は胸元でV字をつくり、開いた谷間は不自然にならない程度に隠されている。脚を長く見せたかったのか、忙しい中で購入したサイズの合うものが偶然そのデザインだったのか、胸の下は軽く絞られるような形だ。
こいつのことだから、できるだけ胸のサイズに合わせた結果だろう。基本的に服を選ぶ時はそれしか考えていなさそうだ。バカだから。
絞られているせいで、肝心の胸に余裕がなくなっているのだろう。そこも考えて買えよ。バカか。
「お願いしますアバッキオ先輩……!」
テメエの方が六も年上だし、確実に五年は任期に差があんだろうがよ。つーかもっと歳上らしく振る舞えねえのか。
こっちを見たポルポに、ケッと吐き捨てる。くだらねえことに巻き込むな。
「着た時と同じように自分で下ろせよ」
「着た時はリゾットが上げてくれた」
「ならそいつを待てバカ」
えええ、とポルポが肩を落とした。
「脱衣トランプの時はあんなにイキイキしてたじゃん?」
「テメエを脱がしてたワケじゃねえよブチャラティ狙ってたんだよ」
「その気持ちを思い出して!ちょっとでいいんだ。だから余計に届かなくて……」
ポルポはまた壁の方を向いて、手を背中にまわした。確かに、微妙な所で届いていない。関節を痛めそう、では、ある。

このクソバカのためにそこまでする義理はねぇ。ねぇんだが、このまま問答を続けているのも面倒だし、パーティーの最中に時折そうしていたように、伸びない生地を緩めようと指で引っ張っては諦める、あのガッカリした顔を見ているのも不愉快だ。隣に気落ちしてるヤツがいると気分が悪い。もちろん、相手がこのバカじゃなくても同じだ。ミスタが消沈してるとウゼエし。いや、どうでもいいだけか?

とにかく、ここはちゃっちゃと終わらせるほうがいい、と俺は判断した。どうせ無駄口を聞くなら、笑い話の方がまだマシだ。
立ち上がっても、椅子の脚は鳴らない。絨毯っつーのは便利なモンだ。
俺を見て、ポルポが顔を輝かせた。さっき立食にポルチーニ茸のピッツァが出た時も同じ顔をしてた気がするんだが、俺は食いモンじゃねぇぞわかってんのか?
「おら、もう少し向こう行け」
しっし、と手で追いやると、バカは素直に数歩進んだ。こいつはあまり、本気で文句を言わねえ。
「ありがとう、アバッキオ。助かるわ」
そして時々、バカっぽい声から、年齢相応な声に変わる。最初っからそうしておけばいいだろバカ。
アップにされた濃い金髪は、手で避けるまでもない。
ポルポは無防備に、少しこちらを振り返って、俺の動きを待っている。
大人の女の、半分剥き出しになっている肩に手をかけてワンピースを押さえ、ファスナーのつまみに触れた。どのファスナーにもそうするように摘み、チチ、とエレメントを開く。
その細い音が、静かな部屋でやけに大きく聞こえた。
布を食わねぇように、そっと、ゆっくり引き下ろす。
ガチャリ。
半分の半分あたりまで下ろした時、ポルポのオーケーの寸前、扉が押し開けられる音がハッキリと聞こえた。
はっ、と咄嗟にそちらを見た俺とは逆に、ポルポは、おぉ、と至って普通の様子だった。
「お疲れ様、リゾットちゃん、トリッシュちゃん」
そう、扉を開けて入って来たのは、電話を終えた二人だった。
見慣れない組み合わせを揶揄する前に、今の体勢を思い出した。なぜ自分がはっとしたのか、その理由に気づいた。
俺は今、ポルポの背後から、そいつの肩に手をかけてファスナーを下ろしている。当然距離は近ぇし、絵面として、明らかにフツーじゃない。
さらに俺の頭に、立ち止まったまま俺たちを見ている二人のステータスが浮かんだ。どちらもこのバカを大切にしている。友人と、恋人だ。当たり前だ。そして、トリッシュは近距離パワー型のスタンド使いでその破壊力は高く、リゾットは射程数mとは言え、血中の鉄分を操作できるヤバイスタンド使いだ。俺はムーディブルース。攻撃も、防御も不可能なスタンド。このバカは数に入らない。
「……」
二人の、鋭く細められた冷ややかな眼差しに、一瞬死を覚悟した。


「一気に雰囲気が怖くなったからビビったよ。ごめんねー。私がお願いしちゃったの」
「テメエはさっさとそいつを説明しろバカが!」
「あたしも驚いたわ。アバッキオの罵りはポーズだったのかしらって」
「……」
「ンなわけねーだろーが……。こいつは俺に面倒事しか運んでこねぇな……」
「すまんアバッキオ。でも、リゾットもトリッシュちゃんも、アバッキオが本気でツンツンしてるって知ってるでしょ?」
「知ってはいるが」
「驚くものは驚くのよ、ポルポ」
「そうですか……すみません」
「百回土下座しろよテメエは」
「誰に?」
「俺に決まってんだろバカが!」
「胸元はもう緩めなくて大丈夫なのか?」
「あ、うん。おかげさまで」
「あなたが胸とか、胸の下着に頓着しないことはこの数ヶ月で充分わかってるけど、あぁいうことは家族とか、恋人にしか頼まないものよ、ポルポ。頓着しなさすぎ」
「恋人はいい?オッケー?」
「ダメなんて言ったらリゾットさんが泣くわよポルポ」
「泣かない」
「ダメなんて言ったらリゾットさんが残念がるわよポルポ」
「……」
「(こいつ……残念がるのかよ……)」
「(残念がるの……?)」




飴玉

アホなことを思いついたのは、私がアホだからだろうか。
飴玉を取り出して、ふとリゾットを見たら、リゾットがこちらを見ていた。いつも通りだったのだけど、それがきっかけだ。
「舐める?」
「今はいい」
「おっけー」
食に積極的ではないことは知っている。いらないなら、この大きめの飴玉は私がいただこう。ひとつ、悪戯を添えて。
立ち上がる。
向かいに座って新聞に目を通していたリゾットに近づくと、リゾットは私を目で追った。
「えい」
リゾットの唇に飴玉を軽く押し付けて、すぐに離す。
「間接飴です」
アホらしすぎたか?
ころん、と口に飴を入れると、ちょっと照れた。あっこれな。やっておいて何だけど、これちょっと恥ずかしいな。ベタすぎたな。リゾットが黙って私を見ているというのもつらい。心にダメージを負う。
「す、すみません……」
「……何かを読んだのか?」
「そういうわけでは……。飴があって、リゾットがいたので、ちょっとやりたくなってやりました……」
リゾットは短く、そうか、と言って新聞に戻った。何事もなかったようにしてくれるみたいだ。血迷った同居人にも優しいリゾット。



夕方、公園、ブランコにて

ブランコかー、何年ぶりだろう。子供のころには勢いに任せてぶんぶん揺らしていたけど、この歳になって、昼間から児童にまぎれて公園でブランコに乗るというのも考えものだ。子供は逃げるし、場所が場所なら通報される。
今は夕方。もう子供達の影はなく、日も落ちかけている。石造りの街の向こうに消える時は近いだろう。人影のない公園で大人がブランコに座っていても、なんの問題もないわけである。

ぼんやりと公園を眺めて待っていると、なんとなく、気配を感じた。声をかけられる前に振り返って、なんてことはないんだけれど、笑顔が浮かぶ。
「任せちゃってごめんね、ありがとう」
短い草を超えて砂地に踏み入ったリゾットは、ブランコの鎖の隣までやって来て、これで良いか、と缶を差し出した。
あったかくて甘いやつ、とアバウトすぎる頼み方にも関わらず、いくつかの中でこの紅茶を選ぶところがスゴイ。前に飲んで気に入ったやつです。
憶えていたのか偶然なのか、それとも、いくつかのボタンを同時押しして出て来たのがこれだったのか。なんでもいいやリゾットだし。でも同時押しするリゾットは可愛いし、リゾットの同時押しはマジで寸分も狂っていなさそうだから、私が自動販売機だったらクラッシュする。
「うん。ありがとう」
雑念を感じさせない返事ができたと思う。
缶は熱く感じるが、リゾットにはそれほどでもないようで、彼の片手には自分の缶がある。全然熱そうじゃない。コールド?それは冷た〜い方?
「リゾットはカッフェ?」
「あぁ」
舌の肥えたイタリアーノに、缶コーヒーは果たして合うのか、ちょっと気になる。私はカッフェよりラッテが好きなので、真実カッフェの味を知っているわけじゃないのだ。ニワカ乙。すみません。
プルタブをプルして、紅茶の熱さを逃がす。
立っているリゾットを見上げると、リゾットは缶を見ていた。タブをひっかけて、引いて、カシュ、と音がする。
「(カッケエー!!)」
ただ缶コーヒーを開けているだけですよね?ものすごく絵になっていますよ君。
例のコートじゃなくて、タートルネックの上に普通の、一般的な、マジで、普及しているほうのコートを着ているからか、今のリゾットは仕事の合間に休憩している若い課長とかに見える。
次の会議のこととか考えてるんでしょ?ポケットから出した時計をパチンと畳んで、すっかり冷めた最後のひと口を飲み干して缶入れに捨てて、この休憩の時間に見せた気を抜いた姿なんてなかったような足取りで社に戻るんでしょ?わかる……。
「……飲みたいのか?」
缶をわずかに傾けるリゾットを見つめていたせいで、気を遣わせてしまった。ごめん。
「大丈夫。リゾットちゃんを見てただけです」
それはそれでダメだろ、と、言ってから気づいた。むしろこっちがダメな方だ。隠すべきはこっちだ。
「そうか」
そして一言で終わらせるリゾット。この淡白さ。他人に興味なさげ。害がないならどうでもいいという表情。
「(絡みたい)」
ものっすごく絡みたい。ひとりで缶コーヒーを飲んで考え事をしていたいであろうリゾットちゃんに、この、こっちをスルーしているリゾットちゃんに色々と話しかけて煩がられたい。
普段は、煩く思わせたら悪いなあとか、喋りすぎかなあとか、気づいたら控えることにしているけど、今はものすごく喋りかけたい。意味なく話しかけてオチのない話をしてその思考を邪魔したい。そしてその、両足に均等にかけられた体重の比重が片足に傾く瞬間を見たい。
「(しかしホームズ)」
そんなことをして嫌気を差されてしまうとつらいので、理性でグッとこらえるべきだ。
飲み物で流し込もう、この煩悩を。
幾分か冷めた紅茶を飲んで、けど、やっぱり目はリゾットに釘付け。
リゾット、こっち見ないかなー。
「(……ん!?今ナニ考えた!?)」
小っ恥ずかしいことを思わなかったか?
「(……こっち見ないかな、とは……、つまり、まさか今までの欲求は)」
リゾットに構ってもらいたい、という。
「(馬鹿な…………今いくつだ私は……)」
数えかけて、やめた。世の中には数えなくていいものもある。
リゾットは特に変わった様子もなく、立ったまま、表記されている原材料を読んでいる。そういうところこそサッと読もうよ。どこにじっくり読み込む要素があるんだ。暇なの。もしかして暇を持て余してるの。もしそうなら、暇ならさ。
「(うわああこれはつらい、……でも……)」
くっつきたくて仕方がなくなったので、ブランコから立ち上がった。鎖が鳴って、リゾットがこちらを見るのがわかった。私は、自分のやっていることに多大なる羞恥を覚えていたので、顔を上げなかった。
リゾットとは反対の方向を向いて、リゾットの腕に自分の腕をつける。リゾットは缶を持っていたけど、持ち替えて、私に面しているその手を下ろした。これが釣り糸だったら私は一本釣りされてた。
手は釣り針じゃなかったし、私の顔は、もう沈む夕陽のせいにできないくらい赤かったけど、リゾットからは見えていないだろう。
リゾットの下ろされた左手を、左手で握った。
「……」
「(うう……)」
心臓がうるさい。喉が渇いたけど、手と、リゾットに意識が集中しすぎて飲みづらい。
「(ごめんリゾットごめん!私気持ち悪くてごめんな!)」
千回謝れば何とかなってくれるかな、なんて、恥ずかしさと申し訳なさで混乱する脳みそでトチ狂ったことを考えていた私は、手を握り返されて、安心と、激しく逃げたい気持ちに襲われた。
リゾットが今の間にナニを考えて、ナニを思って握り返してくれたのかがわかんないしこれがドン引き、からの仕方ねえな、だったらあっもう私は。えっそれはご褒美なの?それすらもわからない。
世間話。なんてことのない世間話をしなければ。この不自然な空気を流さなければ。
「きょ、……今日ちょっと、寒かった、ね?」
秋と冬の境目だからか、もう長袖と上着は必須だ。これから冬に入れば、上着はもっと厚くなるだろう。
「そうだな」
リゾットは、なんてことない声で同意した。手が、つなぎ直される。
「今はそれほどでもないが」
「(ちょ)」
おま。……え?今のって、どっち?
確かに風が吹かない分、さっきよりは寒くない、気がする。
でも、この状況で、私は違う答えを想像してしまった。ナニがいけないの。私がいけないの。
「そ、……そうですね、寒くないですね」
缶に口をつけた私にはわからなかった。
リゾットがちょっと、ほんのちょっと笑っていたことも、足にのせた体重の比率を私に近いほうに傾けたことも、私にはわからなかった。
「……おいしいね」
「……よかったな」
だんだんと落ち着いて、お互いの飲み物が減っていく。
それにつれて呼吸も重なって行ったのは、なんとなく、わかった。



体力がないゆえに

「(うう……眠い、ものすごく眠い。これは種の生存本能として、生物の本能として仕方ないことなんだよ、仕方ないんだよ、でも眠気を感じる余裕があるのはいいこと……!ふわっと起きたらリゾットが見てるとか回避……!)」
嫌じゃないけど申し訳ない、そして居た堪れない。当然なんだけどリゾットはパジャマ着てて私は全裸とか居た堪れない。君着せるスキルあるじゃあんとか思ったこともあったけど私は元気です!着せてもらってるほうが申し訳ないわな。

お察しの通り事後だ。寝落ちしなくて済みました。最近体力ついたのかもね。鍛え方には疑問を感じるけど。実地すぎる。
安心しすぎだろ、と毎回思うんだけどね、なんかね、体力がなさすぎたから寝てしまう、の、だよね。ごめん。よく愛想つかされないな。リゾットさんの懐。その優しさが深い。
「起こしてもらわなくても良くなってきたと思いません?」
水を飲ませるために起こしてくれることが多いんだけど、最近はね。起きてるよ?
この人、私が勝手に起きるの待ってることのほうが多いけど。面倒なのかもな。わかるよ、私も私の目の前で私が寝こけてたら起こさないもん。
あとたまに目覚めると抱き枕になってるけど。リゾットが私の抱き枕の時もある。どっちにしても、ああ落ち着くわーずっとこのまま寝てたいわーと考えてるのは私のほうだ。何に転んでも私が得する。
「そうかもしれないな」
「うん」
こうもあっさりとした口調で流されると、気のせいだったかと思ってしまうな。気のせいなのかな。
「……特にそんなことはない?私の気のせいかな?」
「頻度としては多くなってきた」
「(よ、よし)」
何がベネなのかは自分でもわからない。
「……」
しばらく、思いついた話をしていて、ふとあることに気づいた。
「(もしかして、今まで脱処女とか泥酔やらうんにゃらかんにゃらと短い期間に色々ありすぎただけで、私が特別睡眠に貪欲というわけではない……?)」
この二ヶ月の間に、およそ一般人が一生経験することのない出来事に見舞われすぎている私たち。主にヤナギサワのせいで。
「こんな感じで穏やかに行きたいね、人生ね」
しみじみとした声になってしまった。嫌じゃあないけど、寝ちゃう、というのはね、あと筋肉痛な。なんで筋肉痛が起きるんだよ。普段使わない筋肉を使ったからですねってやかましいわ。
リゾットは私を見た。その視線はどこか面白げだった。
どうしたの、と問いかけようとした私から、つ、と目を逸らしてグラスに唇をつける。少し離して、頷くこともなく、返事をした。
「そうなるといいな」
「……」
それ、同意?