視覚的にクル5題



1.シーツにひろがる髪


肩をおさえてベッドに押し倒してみたものの、リゾットの髪はシーツに広がるほどに長くはない。それくらいは私にもわかっていた。わかっていてもやりたいことが人間にはある。人間全体でくくらなくてもいい。私にはあった。
「……もういいか?」
「そうねえ……」
いわゆる"充電中"だった相手がいきなり自分を寝転ばせたというのに、今までじっと黙っていてくれたリゾットはどれだけ優しいんだろうね。
不躾なまでに、リゾットの姿の輪郭をなぞるように視線を動かす。私に動くつもりがないと知ったのか、投げ出されていた手が持ち上がって、私の髪に触れた。そうです、その髪の毛がきっかけだったんですよ。
"かわいい"と、理由もなく簡単に口にしているわけじゃあない。心の中には確かに感情の出所を説明する用意があるのに、喉に通すと言葉の順番がごちゃごちゃになってしまうだけだ。だから今日も私はただひとつの"かわいい"を呟いた。
「かわいいね、リゾット」
口元に締まりがないのも、声がだらしなく甘くなったのも、まあ全部リゾットのかわいさが悪いわけで。
「すごくかわいいなあ……」
「お前はよくそう言うな。他に言いたいことはないのか?」
呆れられてしまったかな。大人としてね、語彙が少ないのは致命的だもんね。
一般的に、成人してだいぶ経つ男性に対して使う形容詞ではないことも理解しているのだけど、黙ってきいていてくれるから甘えてしまうんだよな。
「ごめんね。好きだなって思うと、ついかわいいって言っちゃうの」
「……、思った通りの言葉で言え」
「(うお)」
あざとい方向から攻めようと思ったらカウンターを食らってしまった。もちろん本心だけど、この状況でこの台詞というのはフェアな言い訳の仕方とは言えない。
ひねくれているわけではない、と自分では思う。自分が真正面から自分の感情と向き合って、相手に愛を伝えることはとても難しい。私にとってはね。
「…………好きです」
顔が赤かったら恥ずかしいな。どうしたらいいんだろう。気持ち悪かったら申し訳ないな。全然慣れないってどういうことなんだろう。このシチュエーションで改めて言うことになったから緊張しただけで、普段はもっと素直に伝えられているような気がする。
肩から滑り落ちている私の髪の毛に触れていたリゾットの手が頬を掠めて、伏せを覚えた犬を褒めるのと同じように、前髪ごと私の額を撫でた。一瞬逸れた視線がまた合って、薄いオレンジの明かりを受けた紅い瞳に込められた光を真っ直ぐに受け取る。気恥ずかしさを吹き飛ばしてくすぐったくなるほどの形のないものを。





2.のけぞる背


大きく伸びをすると、メローネがひと言「そのまま」と私を止めた。言われた通りに腕を上げたままにしていると、椅子ごとこちらを向いたメローネはおもむろに私の背中に手をやって、背もたれの外からスッスッと上下に空間をなぞった。
「ここ。ここの反ったラインがイイよな」
こちらを見ていた数人が、興味を失ったように視線を外した。私も手を下ろす。
「ポルポ、もっかいやってくれよ。もっと腰をこう……」
ご丁寧に椅子の上で実演してくれているが、私はこれからおやつを食べたいんだ。わかるかな、メローネちゃん。
「女体はS字が一番映えるのに……」
そうだとしても私が君の要求にこたえる必要はないだろ。





3.紅い所有印


どう指摘すればダメージが少ないかを考えた。誰にとってかと言えば、ポルポにとっても、イルーゾォにとっても、である。これは諸刃の剣だ。イルーゾォはそう思った。

イルーゾォを迎えたのはリゾットだった。
廊下を進むとちょうどポルポが二階から下りて来る。気安い挨拶を交わして持参した手土産を開けてフルーツタルトを見せると、普段と変わらず気だるげだった女の瞼がぱっちりと開く。トッピングされたピンクグレープフルーツに似た色の瞳が輝いて、やったあ、と大げさに両手を上げて喜ぶ女の姿に、自然と苦笑が浮かんでいた。悪いため息ではなかった。小さく肩をすくめる。
何気なく落とした視線がシャツの袖に留まった。両手を上げた拍子にずれたようで、少し捲れて二の腕が見えている。はしゃいでんじゃねえよとたしなめようとして、喉まで上がった言葉が事故を起こした。何も言わないままもう一度確認して、錆びついた機械のように顔をそらす。そらした先にいるのは、トッピングされた苺よりも濃い色の瞳を持つ男だ。男はイルーゾォの視線には振り向かず、カッフェを入れるケトルを温め始める。
"見間違いでなければ"などと前置きをする必要もない。イルーゾォは訓練された自分の目を信じていたし、信じていなかったとしても二度見れば充分に理解ができただろう。クチーナに入ったポルポに話しかけられて、会話を交わしつつも彼の視線はリーダーであるリゾットから外れない。
あえて言おう。イルーゾォは正確に思い出すことができる。"見間違いでなければ"、ポルポの腕にあったものは、うっ血痕だった。その正体が何かなど、考える必要もない。
「(確かに俺らがこっちに来る時は連絡なんかしねえし、わかるわきゃあねえけど)」
平均して一週間で四日は出入りの変化があるのだから、予想しないはずもない。
ペッシならまだしもイルーゾォはこの程度のことで照れたりはしないし、口を出したいことでもない。そんな趣味もないし興味もない。いや、興味はあるが、その矛先は目を離せない同い年の"いもうと"分が周囲にいかなる影響を及ぼし、いかなる被害をもたらしているのかというところだ。あれやこれやといちいち注意を促していては身が持たないし、さすがにそこまでケアをする義理はないと思っていた。どちらに対する義理かというと、どちらに対してもだ。
正確に言うと、義理があったとしてもイルーゾォはやりたくなかった。何が悲しくて同い年の女と二つ年上のリーダーの行く末に気を揉まねばならないのだ。この数年で、揉めるだけの気は揉んだ。もうあとはなるようにしかなるまい。

等分されたタルトを皿に移し、席に着く。リゾットとポルポは向かい合い、イルーゾォは彼女の隣に腰を下ろした。
左利きのポルポは、利き腕同士が干渉することを気にしていつも人の左側に座る。イルーゾォもそれに倣って、席を並べる時は彼女の右側に回ってやっていた。両方の腕に利のあるイルーゾォたちはどこに座ろうと問題を感じなかったが、彼女がそうしたいと考えるのならあえて水を差すこともあるまいと沈黙している。
さて、どう伝えるべきか。あるいは伝えずにいるべきか。
見なかったふりをすることが正しい、とイルーゾォの冷静な部分は言っていた。イルーゾォ自身、大部分でそれに同意している。だが待てよと声をかける自分もいる。
「(こいつ今日、買い物に出るっつってたし……)」
秋の陽気はまだ暖かく、上着は羽織らずに出るだろう。何かの拍子に手を上に伸ばすことがあれば、もしかするとそれが誰か知らぬ者の目に留まるのではないか、と心配をしたのだ。
「……」
どう切り出すべきか、イルーゾォの頭は空転する。フォークで機械的にタルトを食べ進め、カッフェを口にしたところで思い切った。ポルポに心持ち身体を向け、「シャツの袖ほつれてねえ?」と箇所を隠す布を指さそうと息を吸い込み、くらりと眩暈を覚えた。
「(もう知らねええええ)」
張り出した胸のために開けられたシャツの襟ぐりには、お互いに何の意図もなく、まったくの偶然によって視界に入り込んだ小さな違いが見つけられた。ポルポは気づいているのだろうか。気づいていてこの平静でいるのだとしたら、イルーゾォはポルポの認識を改めるだろう。
すべてを認識したうえで締まりのない表情を浮かべてこちらを見つめているのか。イルーゾォが一人、他愛のない話の裏で悶々とお前を案じていることすら知りながらニヤニヤと傍観しているのか。裏も表もないように見えて、彼女はただあけすけなだけの人物ではない。イルーゾォは今度は言葉を飲み込まなかった。
「こぼしたらどうすんだよ、ボタン閉めるか前掛けしろ」
「イルーゾォ……」
ポルポの視線が自分の皿に動いて、またイルーゾォに戻った。何か言いたげだ。あぁわかってるよ。そのタルトは二切れ目だって言うんだろ。わかってんだよ。今の今まで決心がつかなかっただけだよ。
ポルポは、言外に何か含むものがあると察したようだった。そういうところは敏い女だ。首をかしげてから、素直に頷いてきつそうなボタンを閉める。
再びフォークを手に取った女を置いて、イルーゾォは向かいの男に唇だけで問いかける。
「(もしこのままこいつが出てってたらどうすんだよ?)」
口の中をカッフェで流したリゾットは、ポルポが自分の紅茶を注ぐタイミングでイルーゾォに答えた。
「(特にどうもしない)」
「(あんたはそうだろうよ!!!)」
真面目すぎるのだと笑われたのはいつだったか。イルーゾォの脳裏に、ポルポの言葉が蘇って消えた。




4.こぼれる涙


手を強く目に押し当てたのを見て、リゾットは彼女の手首を取った。抵抗するのを無理やり剥がして、目元をあらわにさせる。
きつく目を瞑ったままのポルポは、気を紛らわせるものがなくなったことで堪らなくなって、せめて強い刺激を逃がそうと小さく瞬きを繰り返した。じわじわと滲んでいた涙が睫毛を濡らす。
「今、私がつらいのわかってて見てるでしょ……」
「もちろん」
リゾットとてつらくないわけではない。ただポルポよりも、逃れ難い痛みに慣れているだけだ。生理的に目は潤むし、眩しすぎるものを見た時のように鋭く痛む。比較すれば非常にささやかな痛みだが、アリルプロピオンには逆らえない。しかしこのアリルプロピオンによって、血も傷も悲鳴もなく、平穏な涙を浮かべるポルポが見られるというわけだ。
「玉ねぎいたいよー……」
つまり、そういうことだった。





5.震える腰


腰のラインというものは素晴らしい。ましてやそれが筋肉で引き締まった鋼のような肢体だとしたら、たとえその筋肉の使い道を知らずとも、見ているだけで目の保養になるのではないだろうか。私は、なる。

手の届く場所に綺麗な腰があったので触ってみた。
何の注意も払っていなかったのか、指の背でするりとくすぐるように手を動かすと、ぴくりと腰が小さく震える。
え?今震えた?この人くすぐったくて震えた?
思わず枕から頭を浮かせてしまうほどの驚きだった。
リゾットの顔を見ると、リゾットもちょうど私に視線を移したところだった。ちらりとこちらを見て、すぐにふい、と目をそらす。一瞬止めた手を動かして、ベッドサイドに置いてあるグラスを手に取った。
枕に頭を戻して、リゾットを見続ける。震えたよねこの人。くすぐったくて震えたよね。
「(くすぐったさを感じたのか……)」
萌えの前に安心が来てしまうあたり、私がリゾットという人物のステータスをどれほど大きく評価しているかがお解りいただけるだろう。暗殺チームのみんなにも感じてることだけどね。みんな仕事柄、弱みの隠匿が上手すぎるよね。
「くすぐったかった?」
グラスに口をつける寸前だったリゾットは、またちらりと私を見て、そうだな、と言った。
くすぐったかったのか。
もしかしてこのままくすぐっていたら、"くすぐったくて笑ってしまうリゾット"という、何巡した世界で見られるのか訊きたくなるような姿をゲットできるのかな。
邪なる思いを胸に宿した私。水を飲むリゾットの、やはり無防備な腰に再び触れた。私のものとは違う、鍛えられた男性特有のどこか硬質さを感じさせる肌を、私なりに丁寧にくすぐってみる。やり方が甘いと言われたことがあるけど、容赦のないくすぐり方とはいったいなんぞや。どこで学べるんだ、そんなの。
横顔を見つめながらやっていると、すぐにリゾットに手を掴まれた。そのまま持ち上げて、掛け布団の上に戻される。
「(やめろということ?)」
くすぐったいのか?口で言ってくれ。できれば、"くすぐったくてやめてほしいです"感を出しながら言ってくれ。速攻でやめるよ。そして胸を焦がす感情に打ち震えるよ。
腕を伸ばしてグラスを置くために、私の手からリゾットの手が離れる。そして再び、いや三度私の目の前にさらけ出された腰。触らいでか。
「……ポルポ」
指の腹で輪郭をなぞるようにくすぐってみると、とても低く名前を呼ばれた。あれっ、怒られる?
身体を戻したリゾットがスッと目を細めたのを見て、反射的に手を引っ込める。リゾットの手が伸び、私の頬を指で軽くぐにぐにとつまむようにいじった。抗議のつもりなのか。可愛すぎるだろ。
「ゆっくり眠りたいなら大人しくしていろ」
「あ、……はい」
どういう意味かな、とわずかに戸惑って、間もあかずに気づくことができた。その台詞、私はとてもよいと思うよ。具体的に何がよいかと言うと、ちゃんと通知してくれる辺りが。優しいね。
さっきまでゆっくり眠らせてくれなかったのは君じゃないのかな、とは言わなかった。藪蛇だ。




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