29 偽物さん


お土産買ってきたよー、といつものようにリゾットの借りている部屋のドアを開けて遠慮なく廊下を進むと、そこには私がいた。な、何を言っているかわからねえと思うが私も何が起きているのかわからなかった。え、今時間飛んだ?これは未来の私?キングクリムゾンしたの誰だよ!ボスか!?いやまさかんなわきゃあない。

"私"は私の定位置のソファとは違う、キッチンに近い食事を摂るテーブルの椅子に座っていて、向かい側にはリゾットがいる。リゾットの隣にはメローネ。何その並び。私のいるリビングダイニングへの入り口、そのすぐ横のテーブル側の壁にはホルマジオがもたれかかっていて、ソファの方を見ると、ソルベとジェラートが仲良く隣り合ってソファに腰かけ、その背もたれに後ろからイルーゾォが腕をついていた。ギアッチョはローテーブルの前、ソルジェラと反対側にあるひとり掛けの椅子に深く座ってガッと膝を開き、その上に肘をついている。あれ、プロシュートとペッシがいないな、と思ったら、キッチンカウンターの内側から音がした。あ、そこにいるのね。

全員集合なんて珍しいじゃん。感想を口にする前に、ホルマジオがすぐ隣にいる私の肩を強く掴んだ。イテエよ。
「ったく、こんなお粗末なスパイも珍しいぜェー?なにせ本物がいるってのに、恥ずかしげもなくやってくんだからよォー」
椅子に座っている"私"は、驚いたように立ち上がったっきりふるふると震えている。怯えているように見える。大丈夫?と思わず訊ねたくなって、自分で自分を慰めているような気になってあんまり気持ちよくないなと思い直した。
「変装はそれなりに完ぺきなんだけどな、ポルポらしくねえんだよなあ」
「そーそー。俺から見ても変装はバッチリなのに、残念すぎるっつーか」
「なー。計画を練って来たのにねえ。こんなところで頓挫しちゃって残念でしたー」
ソルベとジェラート、メローネまでが揶揄するように笑った。しっかり私を見ている。それなりに完璧ってナニ?イタリア語?
ふむふむ、つまり私にスパイ疑惑がかかっているのか。私、本物なんだけどなあ。自分が自分であるという証明なんて難しいよねえ。
おおよその事情を把握した私は、ホルマジオの手を振り払った。ちゃんとお土産の紙袋は被害がないように床に落としたよ。
「ふはははは、ばれてしまっちゃあ仕方がない!少々計画とは違ったが、ここで、えー、……何しに来てんの私?」
「ぶはぁッ!!」
「ソルベ、耐えろって」
ジェラート、小声だけど聞こえてるよ。カウンターテーブルに手をついたプロシュートが、キッチンから出て面倒くさそうに首の後ろに手を当てた。
「俺らがポルポの信用のおける部下だっつー話をどっからか聞きつけて、ポルポの弱みを探りに来たんだろーが」
ナイスアシスト。ん?アシストしてくれたわけじゃないのか?とはいえ、笑いを噛み殺しているソルジェラも、手を振り払われたホルマジオも、プロシュートもギアッチョもイルーゾォもメローネもリゾットでさえも何も口を挟んでこないので、私はぽんと手を打った。私が偽物だって疑惑は晴れている、というか最初からかかってなかったっぽい。みぬかれた?
「なるほど!!そう、そうそうそう、つまり私の、あっ私じゃねえや、えー、ポルポの!弱みをね!よし、ポルポ!今が年貢の納め時だ!ありったけの夢を集め、じゃなくて、そのファンタスティックでマーベラスなおっぱいに詰まった秘密をすべて吐け!」
「な、何を言ってるのこの偽物!?堂々と開き直らないでよッ!」
誰も取り押さえに来ないんだから仕方ない。いつまでこれ続けんのかな、と思いつつも、私はめったにない修羅場にテンションが上がってきたので、よし、と腰に手を当てた。スパイにしてはエラそうかなあ?
「えー、わた、……ポルポの信頼のおける優秀なる部下たち!ひとりにつきひとつ、あたためているポルポの秘密を喋れ!」
「ちゃっちいスパイだな……」
聞こえてるぞイルーゾォ。びしりと指先を向けてターゲットを決めると、悩んだイルーゾォは、ああ、と声をあげた。
「ポルポが入ったあとのトイレはトイレットペーパーが三角折りされてるよな。あれなんかこだわりなのか?」
「それ秘密かなあ?人んちのトイレ借りてるから、とりあえず綺麗にしてみようって心配りだよ」
「へえー。まあ俺らトイレペ使うことなかなかねえけどな」
「そうだね、便利なモンついてるもんね」
「そこまで言えとは言ってねえよ」
呆れられてしまった。直接的な表現ではなかったと思うんだけどなあ。あと、一応、私がスパイってことにしてるんだから私に聞くなよ。
次にソルジェラを指名した。
「そこの、ソルベが攻めなんだかジェラートが攻めなんだかわからないノッポふたり!いちゃついてないで情報を吐け!」
「どっちも攻めじゃねえよ」
「えっ」
「両方受けとかそういう意味じゃねえからビビんなよポルポウケる」
びっくりしたわ。ホモじゃないって意味ね。オッケーオッケー。了解の意を示すと、ふたりは顔を見合わせた。
「秘密ってもなあ。……あー、こないだ俺らの部屋来た時、パンツ見えたぜ」
「確か、ピンクのレース、だったよな?結構似合うなって思ったぜ。ポルポ、ピンク系似合うから次もそういうの選べよ」
「え、や、やだ、ごめん……、パンツ見せるのは好きな人の前だけだって決めてたのに……もう、ソルベの顔もジェラートの顔も見られないよ……」
「表情が言葉についていってねえぞ」
演技の経験ないからな。でも恥ずかしいのはマジだよ。胸はよくてもパンツはダメ。イエスおっぱいノー股間。ちょっと違うか。
次は誰にしよう、とぐるりと見回して、面白そうだったのでプロシュートにした。
そこの、もはや呪われていると言っていいほどカッコいいイケメン!と呼びかけただけであぁ?とプロシュートが返事した。ソルジェラがとうとう噴き出した。いいと思うよ、カッコいいって自覚してる兄貴。カッコいいし。
「テメー秘密なんかあんのか?」
「あるよ!いっぱいあるよ!女は秘密を着飾ってうつくしくなるんだよ!」
「じゃあテメーは一生そのままだな。ペッシ、なんかあるか?」
「あ、あ、俺はあります!ポルポって、昼寝とかで寝ぼけてる時、声かけるとビクッてなって『なんだ猫か……』って言うよね。相手がリーダーでも言ってたから俺びっくりしちゃった」
私は寝ながらにして死亡フラグを立てていたらしいですよ奥さん。マジで?そうなのポルポさん?
私が"私"に訊ねると、ね、眠ってる時のことなんて知らないわよ、と焦り気味に返された。この三文芝居、いつまで続けるのかな。
「じゃあ、そこでリンゴジュースを飲んでいる眼鏡のもじゃもじゃの可愛い子ちゃんは?」
「リンゴジュースじゃねえしもじゃもじゃ呼ばわりすんじゃねえよ!!」
グラス投げられた。おい中身入ってんじゃねえかよばかー!
内心で罵ると、ホルマジオがひょいっと私を引っ張って避けさせてくれた。ありがとうマジオ、君はできる子だと思ってたよ。あと、この割れたグラスと汚れた廊下の掃除は誰がするんだろう。ごめん。
「チッ。……ベタベタしてくる癖に攻められるとクッソ弱え」
「それ秘密っつーか、ポルポがあえて目をそらしてるとこじゃねェか?」
「こいつが隠してえことなんだからそりゃ秘密だろ」
やめて!それを言わないで!だって恥ずかしいだろ。大学のゼミぐらいでしか若い男と接触する機会はなかったし、ギャングの幹部ってだいたいオッサンだし、たいてい私のことを気に入ってくれる人って壮年から老年の男性か女性だし、免疫がないんだよ悪かったな。モテねえんだよ。
「次、次だよ!メロー……じゃなかった、金髪が綺麗で端正な顔立ちをしている妖艶なイケメン!」
「そんなふうに思ってたんだ。そーだなあ……色々あるけど、基本的に両利きの俺たちの真似して右手で字を書く練習をしてることとかかな?」
「ぎゃああああやめろおおおおお!!」
今までの中で一番心に効いた。
ちょっとした遊びのつもりで持ちかけた私の弱み暴露大会だけど、これ、私が大怪我するだけじゃないか。今さら過ぎる。もうやめられない止まらないかっぱえびせん。
「く、メローネ覚えてろ……。次!ここの!剃り込みがいかつい酒好き野郎!」
「俺の形容詞ひどくねェ?んじゃあとっておきのやつな。オメー、だいたいどんな時でも足首握ると動かなくなるぜ」
「な、なんだってー!?それまさに私の弱みじゃん!っていうか、そうだったの!?」
「おう。あとでやってやるよ」
「マジかー……その癖直さないとアドバンテージ取られまくりじゃん……」
はっとそこで気づいた。やばいやばい、今私はポルポじゃなくてスパイなんだっけ。設定忘れる。ていうか"私"が唖然として動かなくなってる。ポルポさん大丈夫?さすがに心配になって問いかけたら、真っ青な顔してぶるぶるさっきより震えはじめた。視線を色んな人に彷徨わせて、私をキッと睨み付ける。
「私人を睨む時にこんな顔してるのか……」
「人睨んだことなんてあんのかよ?」
「うーん……まあ20ン年いきてるんだから、なくはないんじゃないかなあ」
「思い出せねーならねえんだろうな」
あるだろ。一度も人を睨んだことがない人間ってどんな人だよ。私はそんなに善人じゃないぞ。あ、もしかしたらソルベとジェラートは笑顔で人を追い詰めるタイプだから睨んだことないかもしれないね。
私はごくり、とつばを飲み込んで、指を指そうとしてやっぱりリゾットに指さしたりしたら殺されるかもしれないな、と思い直して手を下ろした。
「完璧な腹筋を持ったこのチームの母親的存在!オオトリを任せる!」
「母親リゾットヤベエエエ俺もう無理」
「俺らさっきから無理だっただろぶひゃはあは」
「ご、ごめん母親は言い過ぎたかも。あの、怒んないでね」
「怒ってはいない」
じゃあ何で目を細めるんだよこわいよ。
椅子を引いてリゾットが立ち上がったので、私はビビりあがって一歩後ずさった。首絞められるか、はたまたメタリカか!?と身構えた私から視線を外して、向かい側に、震える脚を突っ張って立っていた"私"に近づく。がたんと椅子を蹴って、恐怖で顔を染めた"私"は、素早くこちらに顔を向けて、そして床を蹴った。
ホルマジオの前を風のように通り抜けて私の首に腕をかける。あれ、これ私人質?
"私"が袖の中から出した折り畳みナイフを私の首筋に突きつける。危機的状況、のはずなんだけど、ホルマジオがあえて彼女の行動を見逃したんだろうなあと察せる私からすると、彼女にものすごく同情してしまう。とりあえずそれっぽく両手を胸の高さに上げてから、あのさあ、と後ろに向かって声をかけた。
「どなたか知らんけど、ここは私を人質にするよりも、早めに逃げた方がいいと思う」
「うるさい!組織のあぶれ者は黙ってろッ!誰も近づくな!あたしに近づこうとした瞬間、この女の喉元掻っ切って殺すぞ!」
「こわいよこの子」
あぶれ者って言われちった。あながち間違いでもない。
私のすぐ隣に立っていたホルマジオが、彼女に指示されて両手を挙げながら部屋の奥に歩いて行く。おお怖えなあなんて身震いして見せているが、どんなお芝居やねん。私よりちょっとうまいのがまたイラッとくる。このイラッとくるっていうのはしっくりくる表現がなくて使っただけで、実際に怒っているわけではないのであしからず。
「茶番はもう充分!さあ、今度こそこの女の、財産の在処を吐きな!女、あんた、死にたくなかったら部下に任せてないで自分で告白した方がいいよッ」
「うわあみんな笑っててこわい。君本当に逃げた方がいいって。逃げる前に所属を教えてくれると助かるんだけど、まじで逃げた方がいいって。やばいって。これやばいって。イルーゾォが笑ってるのまじやばいって」
「お前それしか言えねえの?俺だっておもしれーと思ったら笑うよ」
「あんたのへらっとした笑顔、トラウマしか残ってないんだよ!!」
普段ツッコミ役に徹している同年の男がへらへら笑ったのを初めて目にした時は、とても驚いた。そして次の瞬間、普段は私へのツッコミとまともな正論しか吐きださない唇から殺意に満ちた毒が吐きだされて耳を疑った。なまじっか笑顔なのがより恐怖をあおる。今の笑顔はどっちなんだか判別がつかない。でもこの程度のことじゃあれほど怒らないかな?怒ってないといい。
「無駄口叩いてんじゃねえッ!!脅しだと思ってんのか?こっちは本気だよッ!」
ぐ、と押し付けられた鋭利な刃が横に引かれた。痛ッ、と声が出た。冷たい感覚と、そのあとにじんわり広がるかゆみに似た痛みが、心臓の鼓動のリズムに合わせてどんどん増していく。
「今切っ、本当に切っ……痛いしなんかぬるい。血か。久しぶりに感じた……いっつうたたた……マジかー……」
優位に立ったような声音で高らかに脅し文句を口にした"私"は、異様ともいえるこの場の空気に言葉を失った。上司が人質に取られ、本気を示すために傷まで負わせたというのに、半数以上が笑みを浮かべている。
「誰がやるんだよ、これ?」
口元に笑みを刻んだまま軽い口調でホルマジオに訊ねるイルーゾォ。
「一番近くにいんのはペッシか?でも向いてねーもんなァーオメー」
ペッシを見て苦笑するホルマジオ。
適材適所、ペッシには別ンとこで役目があんだよ、とペッシを慰めるように言ったプロシュート。
「俺がやりたいのは山々なんだけど、俺も向いてないんだよなあ」
残念そうなメローネ。目が笑ってない。
「おい、シャツの襟染まってんぞ」
まったく関係のないところに着目するギアッチョ。そういえばちょっと潔癖症のきらいがありましたね君ね。私もできるなら血を止めたいよ。
「やっぱりリゾットじゃね?」
「リーダー的にさあ」
ソルベとジェラートの言葉に、返事をするようにリゾットが軽く頭を傾けた。私は咄嗟に両手を前に突き出した。
「リゾットちゃんはゆるして!!」
メタリカ間近とか最悪だろ。しばらく口の中に硬いものを入れられなくなるわ。
わかりやすく、腹のあたりまで上げかけられていた手がすっと下りた。同時に、私をおさえつけている"私"の手と刃先が、今までになく震えはじめた。プロなのかは知らないけど、スパイをするだけあって場数は踏んでいるんだろう。この場のアカン空気に気づいてもう戻れないと察してくれたらしくて何より。でも私の言う通り逃げておけばよかったのにね。まあ、逃げられなかったと思うけど。
「くそっこのおん――」
言葉が途切れた。
ぐらりと後ろにあった気配がゆらぎ、床に大きく倒れる音がする。さっき割れたグラスの破片がじゃりじゃりと音を立てた。
私は首を押さえながら振り返って、後悔した。わあ、血が出てるよ。"私"の腹から滲んだ血が、"私"の服を汚していく。結局俺かよ、とぼやいた声に、なるほどこれがホルマジオの仕業であると思い至る。リトルフィートの刃って、ただ突き刺すだけでも使えるんだあ、へえ。真後ろで人が死んだという事実から現実逃避。
「ポルポ!首、大丈夫か!?」
女が倒れる寸前から立ち上がっていたのだろう、メローネが私に飛びついた。うおっとよろめいたら血が飛んだ。
「すまん、掃除が面倒くさいね」
自分でも場違いなことを言ったなという自覚はある。イルーゾォが笑った。
「こいつも処理するんだから手間は一緒だろ。……こいつ誰が引き取る?」
「俺」
「メローネ、お前えげつねえんだもんなあ。ま、同情はしねえけど。自業自得だ」
何が業なのか、あえて問いかける必要もあるまい。上司が攻撃されたら報復する、なぜか彼らの中ではそれが当然の了解としてまかり通っているらしい。どこまでが攻撃の範囲なんだろう。悪口とかまで含んでいたら範囲広すぎるよね。
「ごめん、ポルポの手当したいんだけど、こいつの世話しないといけねえからさ。刃物傷に慣れてるリーダーにやってもらって」
世話って。なんかの隠語ですか。それとも心底からそれを世話だと思っているのか。まさかそんなはずはないから、ちょっとした暗殺ジョークなのだろう。その証拠にソルジェラもホルマジオもプロシュートもちょっと笑っていた。
「お、おう。……あの、メローネ」
「うん?」
夕食のメニューなにがいい?まるでそう訊ねる時のようにきょとんとした顔で首をかしげられて、私はそっとメローネの肩を叩いた。
「なんかわかったら、教えてね」
「当たり前だろ?夕食までには全部済ませるよ」
夕食の時間まであと3時間程度なんだけど、全部ってどっからどこまでだろうね。ギャングが怖ろしいというより、このチームの実力がマッハ。敵に回したら速攻で死んじゃうな。
服が汚れんなぁー、と愚痴をこぼしながら私の姿をした女の身体を肩に担ぎあげたメローネの体幹どうなってるんだろう。筋肉はあると思っていたけど、もしかしてお姫様抱っことかも余裕なんだろうか。
ひらひらと片手を振って扉の向こうに消えた背中を見送って、私は改めて首の傷に触れた。傷は深くないけど、場所が場所だからか、ちょっとかなり血が多くそれなりに出ている。ぬるっとした。
「誰か絆創膏ください」
「絆創膏で済むかバカ。おら、リーダーんとこ行け。まあそこでもカンケーねーだろーが、急にやられるとオメービビんだろ」
いったいなにを急に始めるというのか。不思議がりながらリゾットの前に立つと、その手が私の首に触れた。
「うおっ、汚れるぞリゾットちゃん」
ぴりっと痛かったのもあって逃げようとしたらそのぶん近づかれた。つつつ、と指で傷をなぞられて、すぐにリゾットの手は離れた。
「血は止めた。ギアッチョ、棚から消毒液と包帯を取ってくれ」
「おう。……そこまでリーダーがやんのか?」
「この間俺らが怪我した時は放置だったのになー」
「なー」
顔を見合わせて冗談めかして笑ったソルベとジェラートだったが、リゾットに真顔で振り返られて頬をひきつらせた。
「やってほしかったのか?」
「いや……」
「いいよ、マジなんかわかんねえからやめようぜ」
リゾットの治療ってそんなに荒いの?確かに今、こいつメタリカ使って止めたかな、みたいな気はしたけど、普段からそんなことしてるの?今私の鉄分どうなったの?もしかしてちょっと使い方を間違えられたら、私傷口からカミソリ出してた?
椅子に座らされて、消毒液を含ませた脱脂綿を傷口にじゅわっと当てられ、自分の想像に慄いていた私は不意打ちに負けて悲鳴を上げた。染みる、ものすごく染みます。ついでにプロシュートから投げられた濡れタオルでリゾットがかいがいしく血の跡を拭いてくれて、これは笑うところなんだろうかと真剣に考えた。真顔で上司の怪我を手当てする部下。それだけなら問題ないのに、私とリゾットであるということを思うととたんに不自然。手つきが乱暴じゃなく、むしろ優しいことも不自然。もっとガッとしてギュッみたいな感じかと思ったんだが。
治療のあとにくるくると包帯を巻かれた。包帯を巻くととたんに重傷に見えるよね。実際、どれくらい切れていたのかは見えなくてわからなかったけど、そんなに深い傷じゃなかったはずだ。痛みに弱くてぎゃあぎゃあ言ってしまったけど、たぶん暗チからすると擦り傷レベル。
リゾットの顔を見ながらそんなことをつらつらと考えていて、はた、と気づいた。全員、どこかしら身体の一部をむき出しにする服を着ているけど、そこに傷跡がないのって、この職業についているなかでは凄いことなんじゃないだろうか。思わず目の前にあったリゾットの腹に触った。
「ぶっ」
横でプロシュートが笑いを堪えきれず噴き出して、あちらからでは状況が見えないソルベとジェラートが色めきたった。なになに、俺らにも見してくれよ。
「ちょっとまって今真剣に……」
ないな。コートをめくった。やっぱりないな。ていうかこれ素肌か。素肌にコートか。オシャレ上級者すぎる。反対側もめくって、手を差し込んで、抱き着くような形になりつつ背中の方も探っていたら、がっしり腕を掴まれた。
「何をやってるんだ」
「ちょっと調べもの……」
「食べ物なら持ってないぞ」
リゾットちゃん私のことをなんだと思ってるんだろう。
違う違う、と首を振る。
「リゾットちゃんって前、ガッ、て出してるけど、傷跡とかないじゃん。それって、気づかなかったけど凄いことなんじゃないかなと思ってさ、本当にないのかなって気になっちゃってつい。ごめん。好奇心に負けた」
「あー、リーダーはそうだよなあ。ギアッチョも俺もプロシュートもそうだけどさ。考えても見ろよ、そもそも俺ら、ターゲットに近づかねえもん」
「なるほど!」
射程距離がそれなりにあるからですね、納得しました。5m〜10mって言っても、スタンド使いにとっては短くても一般人からしたらそれなりの長さだもんね。ギアッチョは鎧着てるから怪我のしようがないってことか。
「スタンド使いってスゴい。改めてそう思った」
「オメーもだろ」
戦闘向きじゃないからねえ。

銀食器を並べていると、ガチャンとご機嫌な音を立てて玄関の扉が開いた。足音を消す努力もせず、メローネがリビングに飛び込んでくる。
「全部終わったぜ!ひっさびさにあの部屋使ったから、なんか腹減ったなー」
あの部屋ってナニ、とは訊かなかった賢明な私。
胃のあたりをさすりながら席に着いたメローネは、私の首を見てちょっと眉根を寄せた。やっぱりもうちょっとやっとけばよかったかもな。
ナニを、とは訊かなかった賢明な私。
曖昧に笑って、お疲れさんとねぎらいの言葉を伝えると、メローネはニッコリと微笑んだ。
「喋ってくれた情報、飯食いながらでもいいかい?」
「あ、うん、メローネがそれでいいなら」
軽く了承してしまったことを、数十分後にちょっぴり後悔した。巧みすぎるホルマジオの相槌により、メローネが可哀そうな彼女にナニをしたのか、あまりにもキワどい詳細まで聞く羽目になってしまったのである。こりゃお肉が食べられなくなるかなと懸念したけど、試しにナイフを入れて口にしてみたら、普通においしかったので安心した。プロシュートに、テメーの長所はそれだな、と褒められた。食への執着が激しいってことだよね、わかるわ。
スパイを差し向けてきたチームに関しては、直属の幹部に圧力をかけて笑って済ませた。それなりに良心的な人だったので、すまんかったと裏で謝罪された。奴らビビりまくって使いものにならなくなっちゃったんだけどお前ンとこの部下なにしたの?と訊かれて、何したんでしょうねあはは、としか答えられなかった。本当に、ナニをしたんだ。