25 彼女がそれから手を引いた理由


え?いや、自分の身が危なくなるし、そんな収入なくてもやってけるからだよ。刑務所とか入りたくないし、危ない橋を渡って死にたくないし。ボスに怒られた時はおっこりゃ死んだなと思ったけど、サバスたんのおかげで生き延びられてるしね。
え?正義?いやいや、別に、そういうわけじゃないよね、なんか、雑草があったから抜いてみた、的な。え?私の判断が間違えていたこと?いっぱいあるよ。数えようか。とりあえずこの人生に生まれてきたことからして間違えてるし、前世も換算したら死因に窒息死を選んだところもそうだし、数年前のあの時裏道を通ったのも間違いだったわ。ギャングになってからも判断間違えまくって死にかけたりしてるしマウントで殴られそうになったこともあるしやばいよ。ボスの娼婦って言われた時は腹抱えて笑った。ボスのwwww顔もwwww見たことねえwwww
まあ知ってるんですけどね。


ポルポから託された書類を、ポルポいわく「なんかつっかかってくるんだよねえ」、フーゴいわく「あいつら調子に乗ってるんですよ」、ナランチャいわく「よくわかんないけど喧嘩売られるから買う」、そんなチームのリーダーに手渡したあと、ブチャラティはすたすたと廊下を歩いていた。長居するつもりはなかった。他チームの本拠地は、同じ組織に属す人間どうしであっても居心地のいい場所ではなかったし、それでなくとも彼らはこちらへの当りが強い。
面倒なこと任せちゃうけど、ごめんね。
ブチャラティに直接、書類の入った茶封筒を預けたポルポはへんにゃりと眉を下げて両手を合わせた。否やはなかったし、実際に訪れてみて、ポルポがこの場に居なくてよかった、とブチャラティは数回思った。直属の部下であるというだけでブチャラティにも心無い野次や揶揄が飛んだのだ。ジョークの皮をかぶった毒は、フーゴがポルポに向ける毒とはまったく種類が違う。女であるということから始まり、金を持っていることへのやっかみ、地位を実力ではなく金で買ったという嘲笑、ポルポの姿を見たことのあるというチームリーダーは、彼女の身体的特徴を揶揄してひどく下劣な言葉を吐いた。ブチャラティが感情を抑えたのは、もめ事を起こすと、なんら落ち度のない自分の上司に迷惑がかかるだろうと考えたからだ。つけいる隙を与えるわけにはいかなかった。
とはいえ、冷静ではいられない。ふう、とため息を落として精神を整える。別段意識しているわけではなかったが、あまり立たない足音と、黙っている時はすぐ近くにいるとびっくりすることがある、と言われる周囲に溶け込む才能が彼の気配を薄くしていた。
「ポルポだったか?あの女もバッカだよなあ」
一歩、踏み出しかけた足が止まる。気づかれないようにそっと爪先を引っ込めて、ブチャラティは聞こえてきた上司の名前に耳を澄ませた。

曲がり角の向こうの廊下には、どうやらここを拠点としているチームのメンバーがふたりいるようだった。声の種類と気配の数から、それ以上はいないことを察する。
男たちは、その名前が自分たちよりも上にある幹部の名であることに頓着していないようだった。ここは彼らのホームなのだから、それも当然かもしれない。
「またなんかやったのかよ?この間はガキ拾ったんだっけ?それもかなり若えの。ペドフィリアかっつーの」
若いガキとは、フーゴのことだろうか。ブチャラティは最近加わった部下を思い浮かべた。ポルポが拾った子供というと、彼以外にいない。
「それがよォ、まーうちの上司にとっちゃウハウハなんだけどさア、あいつんとこのヤクのルートがさあ」
Drogaという響きを耳にしたブチャラティの目が見開かれる。噂は知っていた。パッショーネの資金の大半は、武器や麻薬の密輸にかかわることで手に入れているのだと、そういう噂なら。けれど、まさかポルポの管轄であるネアポリスでそれが行われていたとは、ブチャラティは知らなかった。嫌な記憶がよみがえって、心臓がうるさく鳴り始めるのを感じる。まさか、ポルポが、麻薬の密輸に―――。
その時ブチャラティの心を掠めた感情は失望だったのかもしれない。それが何に対しての失望だったのか、ブチャラティには判別する余力がなかった。組織に対してなのか、あるいは。
信じたくない気持ちと、彼女が他人に対して冷酷になれる人間であるという既知の事実がぐらぐらとブチャラティの脳を揺らした。
そうとも知らず、男のひとりが耐えきれないというように笑いをこぼした。

「あいつ、とうとう全部手放しちまったんだってよ!」
「マジかよ!?ネアポリスっつったら中心地だぜ!ンなことできんのか!?つーか、なんでそんなことする必要があんだよ?こっちとしちゃあ面白かねえけど、それ持ってたらかなり金入ってくんだろ!?」
「臆病風に吹かれたんだろ。あいつが幹部になってネアポリスを管理するようになってから、どんどんルート潰していって、……こりゃただの噂だけどよォ、ボスにかなり絞られたって話だぜ」
ポルポの愚策を笑い、男たちがげらげらと声を立てた。彼らが何を言ったのか、一瞬理解できなくて、ブチャラティは進む会話に耳をそばだてながらゆっくりと言葉を脳内で噛み砕いた。
麻薬のルートをつぶしていったポルポ。ボスにかなりきつく叱責を受けた、というのは本当だろうか。彼女は何も言わなかったし、何も察させなかったから、ブチャラティは何も知らなかった。ポルポが幹部になってから数年が経っている。深く根を下ろした汚い取引にメスを入れることは、一歩間違えばポルポの命を危うくさせることだったはずだ。ポルポはどんな思いでそれを成し遂げたのだろうか。数年をかけて、誰にも言わず、ひっそりと事を進めたポルポ。補佐をするあの女性にも、全容は知らされていなかっただろう。
どこからか噂が漏れ、組織の中で変人と称され、徐々に孤立していっても、きっと彼女は変わらなかったのだ。スタンドと金にしがみついたはぐれ者の幹部だと言われても、口にするのも憚られる下品な揶揄を受けても、ただいつものように胸を張って立ち続けていたのだろう。それはなぜだろうか。なぜ、ポルポにはそれができたのだろうか。ブチャラティはその理由が判るような気がした。ポルポの行動にはいつも理由がある。
ブチャラティが振り込まれる成功報酬の多さに、上司としてそれはどうなのだと苦言を呈しても、私はこれくらいが妥当だと思うから払ってるんだけどねえ、とけろりとした表情で首をかしげるすっとぼけた表情のなかで、つやりと輝く夕焼けのような瞳が何よりも雄弁に語るのだ。ポルポは自分の信念に基づいて動く。自分が正しいと思ったことは貫き通し、間違っていると感じたことは修正する。その判断が誤ったことは、今のところ、ブチャラティは見たことがなかった。
「全部は潰しきれなかったみてーだけどなあ。ま、身の程知らずだよな。それでも幹部でいられるって、やっぱ色んなとこに股開いてんじゃねえのかねえ」
ブチャラティは眉間を揉んだ。そういえば、めったにないことだったが、ポルポの前で険しい顔をしていると、彼女はよくブチャラティの眉間を揉んだ。ふいにそのことを思い出して、細く息を吐きだす。スタンドの使えない彼らにうっかりスタンドで殴りかかってしまわないように気をつけた。
「かもな。……そういや、あの女の部下、今こっち来てんだっけ?このこと知ったらどう思うんだろうなア。自分たちに降りてくる金ががくんと減るんだぜ?やっぱ金で繋がってんだろうし、叛逆されたりしてな」
「変人だし、人望なさそうだもんな。給料上げまくってゴキゲン取ってるらしいじゃん?」
「金だけなら俺もおこぼれに預かりてえもんだな」
ばしん、と軽い音がした。男のひとりが、もうひとりの肩を小突いた音だった。
「バーカ、変人の下に就かなくても、あいつが捌ききれなかったルートがこっち回って来てっから、これから給料増えるって」
「そっか。こういうのなんつーんだっけな。ナントカを寝て待つってんだろ?ま、今晩辺りリーダーが宴会すっかなー」
それは果報だ、とは言わず、ブチャラティは自分と反対の方向に男たちの笑い声が消えていくのをじっと待った。完全に気配が遠ざかってから、いつの間にか壁に預けていた体重を戻して、まっすぐに立つ。やはり、居心地のいい場所ではなかったな。
ほんのわずかな足音を残して、ブチャラティはその建物を後にした。