20 彼の名はミスタ


へえ、若者が銃で撃たれて殺されたんだ、物騒な世の中になったもんだなあ。
物騒な仕事についている私が抱く感想ではないかもしれないが、私は新聞をたたんでオレンジジュースを飲んで、いつも通りに仕事に取り掛かった。

電話がかかってきたのはお昼のことだ。そろそろランチに出かけようかなあと椅子の上で伸びをしたら、机の端に置いてあった携帯電話が鳴りだした。もしもしハロー。
電話をかけてきたのはブチャラティだった。珍しいこともあるもんだ。
どうしたの、と用件を聞くと、今から会えないだろうかとお伺いをたてられた。じゃあご飯でも食べようか、とお互いの距離の真ん中ら辺にあるリストランテを指定して電話を切った。
「誰からなの?」
「ブチャラティだよ」
私に上着を羽織らせたビアンカは、私の答えを聞いて、私の上着ごときつく手を握りしめた。整えられた爪が白魚のような手にくいこんで痛そうだ。傷つくからやめな、と手をほどかせると、ビアンカは私の背中に抱き着いて後ろからおっぱいを揉みだした。アホか。
「わたくしも行くわッ!あの優男とあなたをふたりっきりになんてッ」
「いいけど、ちゃんと言ったらふたりっきりにしてよ?重要な用事かもしれないんだから」
「えぇ。その時はポルポが命令してくれるでしょう?」
「そんな安売りしちゃっていいのかなあ、命令……」
もう、目がきらっきら輝いている。それにしても、私が目を覚ました時にハンカチを差し出されてから、ビアンカのブチャラティに対するあたりはかなりきつい。ツンデレなのだろうか。いそいそと私の右手を優しく握ったビアンカは、道を歩く間ずっとその手を離さず、指でスリスリと撫でさすってきた。ゾクゾクするからやめてもらいたい。
あいにくの曇天だったが、雨を予感させるというよりも、肌寒い季節特有の太陽を覆い隠すヴェールのような雲だ。薄く伸ばされた綿のような雲の隙間からは時々光が射し込むし、街もそれほど暗くない。時々吹き付ける冷たい風が首筋をヒュオオと通り抜けてひやりとするが、それくらいだ。チョーカーは巻いているが、それで寒さをしのげるはずもない。
ああ、ストールを巻かないのはビアンカから懇願されたからだ。私のデコルテラインが見えないのは人類の損失なんだってさ。誰がどう見てもビアンカの趣味です本当にありがとうございました。
待ち合わせであることを告げると、もしかしてとウエイターは奥の席を示した。そこにはブチャラティが座っていて、こちらに気づいた彼は軽く手を挙げた。ウエイターの案内を断り、女ふたりでヒールを鳴らして近づくと、ブチャラティは立ち上がって私たちに席を勧めた。
「悪いね。ご飯食べたらビアンカは先に帰らせるから」
苦笑すると、ブチャラティは首を振った。いつも穏やかに引き締まった表情で落ち着いているので(アルカイックスマイルならぬブチャラティスマイルとでも名付けよう)、どう思っているのかはわからないが、ブチャラティはいざという時はハッキリと要求を伝えて来るので心配はしない。
「気にしないでくれ。……何を頼む?」
「ポルポ、わたくしが食べさせるから、好きなものを頼んでいいのよ」
私の右側に座ったビアンカは、問題のない右手を思わしそうに指の腹でつつつとなぞりながらなよやかに言った。唇にのせられた厚いグロスがぷるりとため息を拾い上げて、甘い毒のような響きをまとわせる。私は使えない左腕をテーブルに乗せ、差し出されたメニューのページを見た。食べさせてくれるという彼女には申し訳ないが、そろそろ右手だけでの生活にも慣れてきたので、あまり激しい動きを必要としない食事を選ばせてもらおう。

三皿分の料理をゆっくりと食べ終えた私は、かいがいしく濡れ布巾で私の口元をぬぐってくれるビアンカにストップをかけた。息が荒くなってきて怖い。
「ビアンカ、あの、もういいよ、とれたよ、ありがとう」
「はあ……ポルポの唇をぬぐった布巾……あぁ……」
「ちょっやめて!それを自分の口につけないで!!さすがにない!ないよ!」
慌てて右手で阻止。なんつうことをやらかすんだこの子は。私より本当に6歳年上だろうか。あっそういえばこの三人だと順繰りに6歳ずつ違うのか。面白いことに気づいたけど、今はどうでもいい。
ブチャラティが問題の布巾を受け取ってビアンカから遠ざけてくれたので、ビアンカのきつい睨みがブチャラティを貫いただけで事が済んだ。よかった。ごめんねブチャラティ。
「ビアンカ、先に戻ってもらえるかな」
「ポルポ、わたくしに命令して……」
「なんて命令してほしいのよ?帰ってちょうだいなってお願いしてるじゃん?」
ビアンカのうつくしすぎる唇から、おおよそ素面の女から飛び出していいとは思えない言葉が飛び出したので、私はとうとう頭を抱えてため息をついた。この子、どんどんエスカレートしていく。そろそろ首輪をつけたい。言葉の綾だよ。マジでつけたら喜ばれちゃうだろ。
「ビアンカ、いい子だから、先に戻ってね」
ハグのように顔を近づけて、ビアンカの頬に頬をくっつけてちゅ、と音を立てる。ビアンカは満足したようにうなずいて、ブチャラティにきつすぎる視線を向けてから軽やかに席を立った。
「……」
その背中が見えなくなるまで見送ってから、私はようやくブチャラティに向き直る。
「ごめんね、待たせて」
「大丈夫だ。……彼女、だんだんひどくなっていないか?」
「……やっぱりそう見えるよね……」
なってるんだよ。やっぱり左手負傷が痛かったね。私がひとりで生活しづらいと知って、その、責任感と変態度に火をつけてしまったようでな。
それより、とブチャラティの用事を問うと、彼はジャケットの内ポケットから折りたたんだ新聞の切り抜きを取り出した。カップをソーサーごと避け、皿のなくなったテーブルにそれを広げて、私に見えるようにするりと上下を変えた。若者が銃で殺されたという、ネアポリスでは珍しい事件の記事だ。
「あ、これ朝に読んだわ。この子すごいよね、全弾命中でしょ?」
「知っていたか。彼の供述はわずかしか書かれていないが、……ここに、'被告の撃ったものではない銃痕は道路に複数残っていたが、被告自身の身体にはひと筋の傷もなかった'とある。つまり、このグイード・ミスタという青年は、撃たれながらにして冷静に拳銃に弾を込め、そのすべてを相手に命中させた、ということだ」
「才能かねえ」
「裁判ではその供述を有り得ないこと、あるいは偶然だと切り捨て、彼の残虐性のみが取り上げられているが、いくらなんでも彼の供述を無視して懲役15年から30年というのは不当だ。俺にはこれが有り得ないこととも偶然とも思えない」
じっと見つめられて、あ、そうかい、と頷いた。グイード・ミスタ。なるほどなるほど。うっかり読み飛ばしていたが、ブチャラティがこういうふうに言ってくるというのなら、彼はその彼なのだろう。
「好きにすればいいんじゃない?拳銃使い、今までうちにいなかったもんね。保釈金、決まったらあとでこっちに請求して」
あっさりとブチャラティに賛同すると、彼は少しためらった。
「彼を引き取りたいと考えたのは俺だ。保釈金も自分で用意できる。それくらいの蓄えは、ポルポ、君からの充分すぎる給料のために揃っている」
硬いというか、礼儀正しいというか、生きづらそうなことを言う青年だなあ、と思った。貰えるものはもらっておけばいいのに、そうしない気高さがある。私はどちらでも構わなかったし、遠慮がちに礼を言うブチャラティも、躊躇いがちに自分の決意を瞳に宿してこちらを見つめてくるブチャラティもどちらも好きなので、そうするんならそれでいいんじゃない、と受け入れた。
「でも、お金払って、身柄を引き受けても、私の試験で死ぬかもしれないけど大丈夫?」
「……それについては、保釈の前に彼に面会して説明するつもりだ。だが、たとえそうなったとしても俺は金を無駄にしたとは思わない」
「そう。それなら、私はそのミスタくんが来るのを待ってるわ」
さて、セックスピストルズはちゃんと目覚めてくれるだろうか。
伝票を取ろうとしたら、ブチャラティがすでに会計を終えていてびっくりした。どんどんスマートな行動をとるようになっていくなこの青年は。イケメンとして順調に羽ばたきかけているようで何よりでござる。

リストランテでの相談事から数日して、ブチャラティからまた着信があった。ミスタの保釈が終わって、今一緒にいるらしい。いつなら私に時間があるだろうか、と訊かれたので、今日の午後にしようかと言った。
そして今、私はあの小部屋の中で青年と向き合っている。
「グイード・ミスタくんでふぁいなるあんさー?」
「え、あ、はい」
「いいよ、いつも喋ってるみたいな喋り方で。あ、こっちの美人は無視していいよ。みんなにこうだから」
ぎりぎりと歯を食いしばって怒りかなにかよくわからん激情に耐えているビアンカはスルー。
ミスターミスタは私が投げかける他愛のない話に気を緩めたのか、はたまた隣にブチャラティが立っているからか、だんだんといつも通り、らしい元気を取り戻していった。わずかに緊張して強張っていた肩がすとんと落ちる。
「(4って数字が嫌いなのはいいけど、この子、ブチャラティチームの4人目の新入りだよな)」
大人なので、そこは黙っておいた。
「ねえミスタくん、君さ、本当にいいのかな?このままだと君は9割死ぬよ。釈放してくれたブチャラティに恩を感じてここまで来たのなら、やめたほうがいいと思うけどな」
軽くゆさぶってみる。待った!心の中の新人弁護士が叫んだ。Xボタンで私も叫ぶよ。
ミスタはうーん、と悩むように眉根を寄せた。悩むと言っても、自分の命を天秤にかけているというより、どんなふうに説明したらいいか、それを考えているような顔だ。
「俺はとにかく、毎日を楽しく過ごしたいんだよなー。いいな、と思ったことはやりてーし、反対に、これはぜってー許せねえって思ったら絶対に妥協しねーことにしてるんだ」
ざっくりしてて判りやすいね。身振りも大きくてかわいい。たぶんこの子に「爆発を表現して」ってお題を出したら中腰から一気に立ち上がって腕を大きくウワッと広げてドーン!!だと思う。
「けど刑務所に入れられてよォ、信じられねえって思いながら、これじゃあ俺は死んでるのと同じだって感じた。俺は人を殺したけど、そのことを後悔はしてない。正しいことだと思ったからだ。それを抜いても、認めたくねーくらいの悪人とおんなじ独房で、15年も、30年も暮らすなんて耐えられない。そこには俺の好きな自由も、楽しいこともなにもねー。青春全部を無駄にして、出所したあとも犯罪者として世間からつまはじきにされて生きることになる。もう二度と、オンナノコをナンパすることも、映画を見ることも、音楽を聞くとも、楽しい気持ちでできねーんだ。それって死んでるのとどう違う?そう思わねーか?」
「そうだね。今の私の立場から言うと、全面的に同意はできないけど、昔の私なら同じように感じたと思うよ」
なんつったって今の私には浴びるほど金があるからね。全部お金の力で揉み消しちゃうしね。そもそもギャングだしね。むしろ刑務所の中の方が安全だっていうね。泣けてくる。
でも、大学生だった私としては、とてもよくわかる。一度しかない人生(もっとも私にとってはそうじゃなかったけど)、楽しんで生きなくちゃ損だ。楽しいと感じることがすなわち生の実感につながるなら、それを奪われてしまったミスタは耐えられなかっただろう。
「だから、俺を助けてくれたブチャラティには恩を感じてる。もう一度生きるチャンスを貰ったからな。俺はその恩を返したいと思って、ここにいる。けどよォ、もしここであんたの試験を受けないで逃げ帰ったら、ブチャラティに何にも返せずに、俺はやっぱり後ろ指さされながら、死んだように生きてくことになるワケだ。そんなの、俺自身が許せねえよ。だから俺はあんたの試験を受けることを戸惑わない」
「なるほど、ありがとう。そこまで決めているなら、私がこれ以上突っつきまわすのは野暮ってもんだよね」
「野暮とまではいかねーけど」
「あはは」
へたくそなフォローがかわいい。いくつだっけ、ミスタって。来年に18歳だから、今は17歳か。高校生か。私より――いや考えるのはやめよう。8歳差だけど。考えちゃったじゃんかバカ。
私は椅子から立ち上がった。ブチャラティがミスタから距離を取るように、横に退いた。ビアンカが、私の左半身を支えるように駆け寄ってくる。
「最後に何か言いたいことは?なんでも聞くよ」
ミスタは首をかしげた。
「そーだなァ……、ポルポだっけ、あんたっていくつ?」
「25歳だよ」
「へー……。んじゃあ、合格したら一緒にメシ食いにいかねえ?」
あれ、今人生初めてのナンパされてる?ビアンカ、支えてもらっていて言うのも何だけど、肩を掴んでる手、爪が食い込んでる。
「ナンパされたの初めてだわ」
「マジで?よく見るとキレーなのにな」
「ポルポはよく見なくっても綺麗なのよッこの野良犬!ポルポの魅力もわからないくせに口を叩かないで!優男ッ、シツケをなさいシツケをッ!!」
首を伸ばして私をまじまじと見て感想を漏らしたミスタに、ビアンカが即行かみついた。私もちょっと今のは失礼だと思ったけど、まあ美男美女の多いイタリアで埋没する程度の容姿だというのは自覚があるので特には何も言わない。
「誰が野良犬だっつーんだよ!ポルポに隠れて後ろっからキャンキャン言ってんのはテメーのほうじゃねーかッ!テメーこそ犬だろ!ポルポの反応も見ねーでさっきからイライラしやがってよォー、飼い主の言うことを聞けてねーのはどっちだ、あァ!?」
あっ、ブチャラティの飼い犬扱いは別に気にしないのね。優秀なわんこですね。ちなみにどっちの飼い主も一瞬めまいを覚えたと思うよ。私は覚えた。
ビアンカはふるふると震えて、きいいと高い唸り声をあげた。
「わた、わ、わたくしが、わたくしがポルポの意思を無視しているって、あなたはそう言うのッ……!」
「おうよ!見てみろポルポの顔をよォ!完ッ全にテメーの扱いに困ってる顔じゃねーか!今までずっとこーやって困らせてきたんじゃねえーのか?スピッツかよテメーは」
ミスタの言うことはかなり図星をついているので私としても否定のしようがない。困ってきたんだよねえ。でも、これ以上ヒートアップされても困るので、隙を見て割って入ることにした。
「こら、ビアンカそろそろ落ちつッ………う……ぎああああッ……」
叱りながら、飛びかかりそうになったビアンカを押さえようとして、うっかり左腕をビアンカの身体にあててしまって悶絶。思わずうずくまって涙目。
「大丈夫か!」
慌ててブチャラティが駆け寄ってきて、気を紛らわせようと背中をさすってくれた。
「おい、ダイジョーブかよ?その腕、さっき包帯が見えたけどそんなにイテーのか?」
「ああぁあポルポ!わたくしのせいでごめんなさい!その痛みをわたくしが引き受けられたらいいのにッ!わたくしの咎よッ」
はらはらと涙を流し出すビアンカ。君の涙腺は私が絡むとかなりゆるむね。
「これもスタンド使いの医師に手当を受けた傷なんだ。骨以外のすべての組織がえぐれて、こうして刺激を受けると、いっぺんに痛みを受けるらしい」
「……ま、まじかよ……」
「こ、この話やめよ、ごめんね、ちょ、ちょっとまってね、すぐ試験するから」
ビアンカがめっちゃ落ち込んでブラックホール生み出すんじゃないかって気が気じゃない。
ミスタはブチャラティと同じようにしゃがみこんで、私の顔を覗き込んだ。大丈夫か、と訊ねられて、あんまり心配そうな顔をしていたので、つい笑ってしまった。会ったばかりの年下の青年にこんな心配をかけてしまうとは、年上としてどうなんだろう。
なぜ笑われたのかわからず、困惑した表情を浮かべたミスタの頭を、右手を伸ばしてナデナデした。ナデナデシテーと全身で訴えてくるビアンカは悪いけど無視。ちょっと撫でるとファーブルスコファーも目じゃないレベルでエクスタるからな。
「な、……なんで撫でんだよ……」
「かわいいなあと思って……ごめん」
「い、いや、悪かーねーけど……」
久しぶりに、正統派な照れ方をする青年に出会ったのでテンションが上がる。私の周りにはバイオレンスか変態しかいないような気がしてね。いや、まともな人もいるけど、そう言う人はそもそも撫でさせてくれないか、あるいは全然反応がないからね。イルーゾォとかリゾットとか。ブチャラティはパッショーネの良心。ちなみに変態っていうのはイタリア語でトラスフォルマッツィオーネというんだってさ。
「よし、治まった。お待たせ、ミスタくん。じゃあ行くよ」
「オウ。……呼び捨てでいいぜ」
「オッケー、ミスタ。じゃ、来世か、すぐ後に会おう」
サバスたんが貫いて、死んでもいないのにぱっくんちょくんをスタンバイさせていたビアンカが落胆に沈むまで、そう時間はかからなかった。