ウインクぱっちん!


イタリア人にとって"愛してるゲーム"はあまりにも簡単なもの。酒の余興には物足りない。あと、男女の比率が9対1というボケナス具合なので提案しても総すかんを食らう気がする。そもそも今は人数がめちゃくちゃ少ないし。
おつまみが途切れお酒のストックもなくなったからと各々が席を立ち深夜近くでも営業しているお店へ仲良しこよしでおつかいに行ってしまうと、当然室内は静かになる。のちの手間を減らす為に要らないお皿や食器をちゃちゃっと洗って乾かして、それでも時間が余ったらまあ、暇つぶしの方法に想いを巡らせるわよね。私ならそーする。たぶんリゾットもそーする。時間を無為に過ごすのはもったいないからね。もったいないおばけとしまっちゃうおじさんは万国共通、老若男女を問わず魂に刻み込まれた存在なのだ。
なお"もったいないおばけがくるよ!"って脅かして冷ややかな視線をもらった私のフラジャイルなメンタルには消せない傷が刻み込まれた。定期的にあのアブソリングビームを思い出して心がしくしくするので今月のポルポさんは早急にこの悲しみの息の根を止めてくれる人を募集しています。やりがいのあるお仕事です。

アルプスの雪解け水よりも冷たい目で私を見た男は、ほろ酔い状態で買い物に連れて行くとぐだぐだ言ってめんどくせェからよォーと明朗な理由でお留守番に回されている。わかるわかる。絡むんだよね、イルーゾォ。気を許してる人が相手だからだと思うけど、一緒に買い物に行くと本当に『面倒くさい彼女』みたいになるんだよ。これが欲しいあれが欲しいでもお前の選んだやつは気にくわないからやっぱりこっちにいやちょっと待て全部まとめて買おうとするなよ俺は真剣に考えて選んでんだぞ面倒がってんじゃねえよ、なんて具合に。そのときはプロシュートがうるせーなテメーの意見なんざ知らねえよその辺にあるチョコでも食ってろ酒乱野郎(直訳)とブチ切れていた。後日私はスニッカーズを買った。あいつ酒飲むとめんどくさい彼女みたいになるんだよ、ほらスニッカーズ。いつかイルーゾォに食べさせたい。
仮にもマジにも女である私に夜道を歩かせたくはないから、なーんて感じの紳士な言葉はギアッチョが発したものである。実際には歯に絹を着せるどころかエナメル質ごと剥ぎ取った不器用な言い方だったけれど私は魂で理解しているよ。
ひとりぼっちにすると死ぬと思い込まれている私は、酔ってぐだぐだになったイルーゾォと、我らが頼れるリゾットちゃんと、なぜか単体なソルベ(私の困惑が伝わって欲しい)とテーブルを囲んでテレビを眺めていた。まあ、布陣としては定石に則った良いメンバーなのよね。
私は非戦闘員かつ、最優先で守らないといけない存在。イルーゾォはスタンドを利用して搦め手で敵を倒すタイプ。ただし現在はほろ酔いでデバフがかかった状態。
リゾットちゃんも隠密メインで接近せずに相手をどうにかこうにかできるけど、おそらく私から離れずいざとなれば諸共逃走する係。
んでもってソルベは近接特化の戦闘スタイルで、笑いながらワンパンか蹴りかを繰り出してチーム内で一二を争うえぐいマウントの取り方をするおにいさんだ。足止め役としてもワンパン役としてもうっかり誰かさんに切り飛ばされた敵の頭部をボールに見立ててゴールにシューッ!!ぐらいはやってのけても納得できる。
いやホント、『たべる』コマンドしか使えない上司で申し訳ない。初見で川下りに失敗される率が半端ねえバナンさまでもせめて『いのり』コマンドを持っていたのに私というやつは。タコですみません。
「なあポルポ」
骨ばって筋の目立つ手が、ちょいちょい、と私の注意をひいた。目を向けると、ソルベは耳に当てていた電話を指差して、少しだけ受話器の口をずらした。
「買い物組から。なんか要るモンあったら頼まれるってよ」
「んー、私は良いかな。リゾットは?」
「特に思いつかないな」
「イルーゾォは?」
「あいす」
「アイスだって」
「はいよ。……聞こえたか?アイスだってさ。え?ポルポじゃあないぜ。イルーゾォ。そーそー、イルーゾォがアイス食いてえんだとさ。味?訊いてねえからわっかんねーや。まあ何でも良いんじゃね?」
「ぺすか」
「何でも良いっつってる。じゃーな」
「おい」
不満げなイルーゾォを尻目に、ソルベはぱちんと私にウインクした。たぶん"希望を伝えたところでどうせイルーゾォはただ冷たいモンが食いたいだけだから何を買ってもぶちぶち言いつつ結局受け入れるからこれで良いんだぜ"みたいな意味のウインクなのだろう。情報の圧縮率が高すぎる。あとウインクが上手すぎる。私もばちこーん!とウインクを返した。ウインクに全力を傾けすぎて脳みそがなんにも働かなかったから、どうか秘められし意図を読み取ろうとしないでほしい。
「ソルベってウインク上手いけど練習したの?」
気障っぽいのに嫌味にならないその仕草は、なかなかに難易度が高そうだ。
「もちろん。男は年頃になったらウインクの練習をするもんなんだぜ」
「鏡の前とかで?」
「あとはダチの前とかかな?まあ、俺の場合は右目だけ逆さまつげが酷くてよ。仕事の都合で両手が汚れてるモンだから擦れもしねえで、ほっとんど毎日ぱっちんぱっちんやってたらいつの間にか……」
ここでソルベはぱちんと器用に右目を閉じた。
「……上手くなってたってワケさ」
なるほどわからん。逆さまつげってそんな頻繁になるものなの?いつの頃かは知らないけどもあんたの両手を塞いでた"汚れ"って普通の砂埃とか土とか海水とかそういうのを想像して大丈夫?だいじょばない場合はやけに頻発する逆さまつげに何らかの高次な意志を感じてしまわなくもないぞ?逆さまつげ×ソルベ。自分のことに頓着しないソルベくんをこの世界につなぎとめるためならわたし、何度だって抜けてもいい……!
「純愛じゃん……」
「相変わらず急にナニ言ってんだい女王さん?」
「ごめん私にもわからない」
一件目から非常に特異な例を突き付けられてしまったせいで脳みそがバグった。
私もソルベを真似て、表情の崩れないウインクをしてみせる。一瞬だけならできるんだ。はい二人組つくってー的な感じでレンズ越しにウインクを求められると笑顔が引きつるから普段はやらないものの、私はそれこそうら若きおませな幼女だったころに窓ガラスを口説きまくって経験値を溜めたからね。親父よりは上手くできる。嘘ごめん誇張した。シルバ・ゾルディックのウインクがめたくそ上手だったら穴掘って土下座するからまもって守護月天。
リゾットは私のウインクを無感動に眺めるだけでひと言もくれなかった。
「あれ?できてない?」
「できている」
「可愛かった?」
「そうだな」
「可愛すぎてきゅんとした?」
「そうかもしれないな」
「言葉も出ないほど感動してる?」
「ああ」
「わーい」
残っていたおつまみをもぐもぐ。ソルベが笑いの衝動を殺すためにテーブルに額を打ち付けた。額かテーブルか、絶対にどちらかが割れた音がした。何故かどちらも割れていなかった。
びっくりしたのはイルーゾォだ。
テーブルに突っ伏してむにゃむにゃしていた彼は突然の爆音に飛び起きた。
「ふざっけんなよソルベ!!」
「悪ィ悪ィ!今のは俺が悪かった。半分はポルポとリゾットがワリィけど俺も悪かった!」
「え!?私とリゾットは欠片も悪くなくないか!?」
「いやいやポルポ、笑い上戸って判ってるやつの前でおもしれーやり取りするってのは未必の故意を疑われても仕方ねぇぜ」
「面白いやりとりかどうかの捉え方は人それぞれだと思います。裁判長、ここで新たな証人を訟廷しても宜しいでしょうか!」
「俺を見るな」
「つーか誰が誰が弁護人で誰が検事で誰が裁判長なんだよ。被害者が俺で検事がソルベで被告人がこいつならこいつはなんで自分の無罪を自分で証明しようとしてるんだよ。弁護人つけろよ」
「世の中には自分で自分を弁護する弁護士もいるんだよ」
逆に考えるんだ。自分の無実を知っているのは自分だけなんだからぼっちでも良いさと考えるんだ。
私の胸にはボール紙のバッヂよりも強いおっぱいがある。こんな戦い、私にとってはへの河童、ちゃんちゃらおかしい朝飯前よ。
「……」
「……」
ネエロ裁判長にウインクして見せると、彼は短く「却下」と言って私の口に冷めきったフレンチフライをぶち込んだ。却下されたらもう無理じゃん。二コマ即落ち有罪決定。迂闊にもリゾットを裁判長に任じてしまったものだから私だけがムショ入りだ。こんなの絶対おかしいよ。
「裏切ったのねリゾットちゃん!私たち、一蓮托生……同じウインクを背負った仲なのに!」
「そうだったかもしれないな」
「許せないわリゾットちゃん!今すぐ私にウインクして見せてくれないと、狭い檻の中で厳重に軟禁されながら悠々自適なご隠居生活を送ってやるんだから!そんなことになったらどうなるかわかってるの!?」
「どうなるんだ?」
「寂しくて泣いちゃうでしょ!!」
「誰がだ?」
私に決まってるだろ。
「くっそウケる。確かに女王さんめっちゃ悲しい顔しそうだよな。ブタ箱にぶち込まれるよりもリゾットのウインクを見逃したせいで人生を悔やみそうだしいつでも出られるムショの中で寂しがってリゾット欠乏症に陥ってそう。フヒッ、わかる。これがアレだろ?ポルポの言う"ワカリミガアリスギル"だろ?」
気づかないうちに日本の俗語を習得してるソルベが怖い。ちゃんと使いこなしてるのもまた怖い。私の獲れたてぴちぴち鮮度満点な妄想を呟くために新しい言語を習得する必要性が生まれてきた。
「リゾット、ポルポにウインクしてやれよ。ポルポのウインクが、ヒヒッ、可愛くっ、フフ、可愛くてめろめろになっちまっ、フ……なっちまったんだろ?」
「笑い挟むとこおかしくない?」
「わりーわりー」
爽やかな笑顔で女心を一蹴するな。
もっとも、ソルベの提案自体に否やはない。さっきまでソルベの理不尽な暴虐にむくれていたイルーゾォもチコッと興味ありげに視線を彷徨わせている。
だがリゾットは目を伏せてさらりと言った。
「得意じゃない」
いやいやちょっと待ってよリゾット・ネエロくん、わかってない、君はわかってなさすぎるぞ。それが良い。むしろそれだから良いんですよ。恥じらい気味にへたっぴなウインクを披露してうっかり両目を瞑ってしまいキャッと頬を赤く染める女子高生の微笑ましい桜色な青春を物理で殴り飛ばしてなお余りある成長性Aの破壊力、それがリゾットのウインクである。秘密が女を美しくするのと同様に、不得意なウインクはリゾットちゃんの可愛さをしこたま限界突破させるんだぞ。
有り余る情動を言葉にしてぶつけようとして一瞬、日本語とイタリア語のどっちで喋ればより明確に伝えられるか考える。
戦場ではこの一瞬が命取りだ。

がちゃ、と玄関の鍵が開いて、ドアが大きく開かれる。
外気の渦巻きがあけっぱなしだった部屋の扉を動かした。
蝶番がきしむ音を打ち消す"ただいま"の混声合唱が私たちの意識を柘榴色から逸らさせた。
「ドラゴンフルーツがあったから買ってきたぜ。ソルベ、軽くやっちまおうや」
「お。そんじゃあ缶詰の果物も使うか。シロップは前に作ったのを凍らせてあっから良いよな」
「もちろん、ちゃーんと"俺"も買って来てるぜ」
「さぁっすがジェラート、愛してるぜ」
「なになに、ナニ作んの?」
「俺らの気まぐれフルーツポンチ。ジェラート付きだぜ」
「テメーら、わかってるたァ思うが甘さは控えめにしろよ」
「りょーかい。プロシュートのジェラートは別添えにしとくからな」
わいわいがやがやと楽しそうに荷物を開けては広げる面々に、リゾットがぴしり、リーダーの指導力を垣間見せた。
「お前たち、荷物を置いたら手を洗って来い」
指導力っていうより母性だったかもしれない。
個性豊かに元気なおへんじをして洗面所へ向かう大男たちの背中を見送る。うがいもするんだよーと言うと「っるせぇなアー」と憎まれ口をたたきながらもちゃんとがらごろうがいの音が聞こえた。本当に可愛すぎてどうしよう。
うちの子(たいそうな語弊がありますことをここに謝罪いたします)が可愛すぎる件について議論しようとリゾットちゃんに向き直る。
ソルベとジェラートはクチーナへ。イルーゾォは二人の様子を見に。他のみんなはカルガモのように洗面所へトコトコと。
いまここで、私たちには誰の注意も払われない。もう危険なんて、存在しても無意味と同義なのだから。
「リゾットちゃんの喋り方がめっちゃんこかわ」
可愛すぎて、と動かしかけた口がかたまった。
無音で行われた、ひそやかな行為。
白銀の、長いまつげが左頬に濃い影を落とす。わずかな瞬き。試すように首を傾げた、空気の一筋すら揺らさないような秘め事が、彼の左目の赤色を隠す。唇にうっすらと笑みが刻まれた。
気づいたら私はリゾットちゃんに抱きついていた。
何を言っているかわからないし私も何が起こったかわからないしたぶんリゾットちゃんはスタンド使いだったんだと思う。ウインクをすると相手を自分に抱きつかせる能力を持ったスタンド使いだったんだと思う。そうじゃないと私がリゾットちゃんに抱きついて首筋に頬をこすりつけ愛してる愛してる最高もうやばい本気で食べちゃいたいくらい可愛いやっばい無理無理こんなの雌猫不可避じゃん私いま超絶に逆さまつげの気持ちがわかったうわああああって口走ってる説明がつかないもん。逆さまつげの気持ちがわかるって何だ?魂で理解してしまったせいで脳みそがついていかない。
すわ事件かと駆け戻ってきた面々にはリゾットちゃんが「病状が悪化した」と説明した。全員が納得したらしく、白けた空気が漂った。
なお、台所では爆笑しすぎて崩れ落ちた某二人のせいでカットフルーツと炭酸ジュースと冷凍のシロップとゼリーが床に散乱する大惨事が発生した。
誠に遺憾ながら、責任を取ってお掃除を手伝わされた。
嫌な……事件だったね。スプーンがまだ一本見つかってないんだって?ホントだよ。食器棚を動かさなきゃあいけなさそうだから、これは明日リゾットに頼むとしよう。え?今頼めば良い?ふざけるな松田誰を撃ってる。今の私がリゾットちゃんを直視して興奮せずにいられると思うのか?ステンレス製のスプーンより先に私の鼻血がメタラれるわよ。
というわけで、ほとぼりが冷めたころにお願いします。