使えるものは使う女


暴力沙汰なんて無いに越したことはない。ノーモアバイオレンス。平和が一番である。
とはいえこの業界でそんな発言をすれば集中砲火で嘲笑を浴びせられる。罵声ではなく嘲りだというのが掃き溜めらしくて高得点だ。
まあ、やわでナヨナヨした立ち回りばかりのくせにそれなりな地位を獲得し優遇される人物を見れば苛立ちも湧くだろう。組織や上司に忠誠を誓い、与えられる任務に誇りを持つなら尚更だ。
常であれば放送禁止用語による煽りにも"気に入られるおっぱいを手に入れてからおとといおいで"などと穏便にお返事ができる訓練された私であるが、要約すると"臆病者が粋がってんじゃねーよ"というような肩パンを受けた雨の日は、ちょっと事情が違っていた。

チームの子たちが怪我をした。
いや、正しく言おう。"させられた"。
わざと誤った情報を渡され、裏づけにまで手を回してあたかもすべてが正しいかのように思わせ、肝心な部分で手のひらを反す。
もちろん見抜ききれなかった私も失敗の原因の一つであるけれど、ちょっと待っていただきたい。そもそも喧嘩を売ってくるほうが悪いだろ。開き直りと笑わば笑え。
怪我をしたリゾットを、プロシュートを、ギアッチョを目にした私がどんな表情を浮かべたのか、私はよくわかっていた。私の顔を見た彼らがまるで鏡のように眉根を寄せたから。
「大した傷じゃあねえ」
誰よりも早くギアッチョが言った。早口でまくしたてて喋り続けないと私が自殺しちゃうんじゃあないかって感じの焦り具合だった。
「俺たちに手の出せる領域を超えてた。それだけだ。情報なんざ所詮は参考程度で、現実ってのは読めるモンじゃあねぇだろ。未来視でもできりゃあ別だがよ。オメーにも俺たちにも未来視はできなかった。それだけだ」
「ありがとう」
どうしても声が固くなる。頭がくらくらした。どうせくらくらするなら色ごとでくらくらしてえわ。
「でもごめん。私の不手際で君たちに迷惑をかけた」
「要らねぇっつっても反省したがるんだろ、テメーは。やりたいだけやっとけ。……こんな時ばっかり面倒くせえ性格していやがる」
「プロシュート……」
「だがその前にやるべきことがあるってのも、わかるな?」
血のついた自分たちをぐっと親指で指し示し、つんと顎を上げる。土埃で汚れた靴が胸を締め付けた。えいえいっ。おこった?
おこったよ。
「オッケー。仕返ししてくるね」
「病院の手配だろーがクソバカ女」
あっそうだった忘れてた。

怪我人を三体、パッショーネの息がかかった病院にぶち込んでから三日後の真昼間、霧雨はネアポリスの窓をしとしとと湿らせていた。
抗議を決めたはいいもののどうすれば効果的だろうかと考えを巡らせながら幹部会の会議場をうろついて歩く。
見たまんまのとおり私は穏やかで安全な人間なので、物騒なインスピレーションはなかなか降りて来ないのだ。一応、ここは笑うところじゃないんだよ。パッショーネに私以上の穏健派とかあんまりいないからな。その証拠に、私は我が部下の中で良心と常識が最も欠落していると思われるビアンカ様にまだ泣きついていない。いよいよもってノーアイディアが極まったら諦めるけど、ビアンカに頼むとイコールで人間が物理的にこの世から消えてしまうからな。最終手段が過ぎる。
「おやおや?誰かと思えば……」
加減ってやつを知らないんだよね、ビアンカちゃんは。証拠が一つも残らないからちょっぴりわがまま殺人ガールズモードでプレイを楽しんでもいいかなって思ってるふしがあるでしょ彼女。
「おい、無視してんじゃねえよ」
証拠が残らないと言えばやっぱり私も証拠を残さずやりきるべきよな。うんうん、難易度が上がったぞぅ。
しっかしこの場合、証拠の範囲にあるものって何だろう。まずそこから考えないといけなさそうだ。うーん、別に人を殺したいわけじゃないから密室やらトリックやらは頑張らなくていいけど、書類仕事でも電子系でも履歴が残ると面倒なのは同じだなあ。
「おいッつってんだろ!!」
思いっきり肩をどつかれた。よろめいた拍子に窓枠にぶつかり目を瞬かせる。いつの間に私はこんな隅っこへ。どうやら自然と壁際に寄って歩いていたようだ。この人を避けたのか。染みついた習慣って無意識でも働くから凄いわ。
見上げた先で、男は苛立ちを隠さず舌打ちした。態度悪いぞ。
「すみませんがどちら様で?」
「なあ、お前ンとこの仔猫ちゃんたち、怪我したんだって?」
「ん?」
なんの話だ。猫?うちペット禁止なんで飼ってないですけど……。
ぐっと顔が近づいてきて、甘ったるい煙草の匂いが鼻先をかすめる。
「かわいそうにな。猫ちゃんたちに罪はねぇのに、お前の部下だったってだけでさ」
「……」
「ま、三匹で済んで良かったと思えよ」
肩をつかむ手に力が込められた。
「お大事に」
低い笑い声を含んだ声が、すうっと遠ざかる。
あれっ。
身体が勝手に動いた。
たとえば向こうから人が来て、何も考えずに道を譲るような、反射的な動きだった。
煙草の匂いが染みついた手をつかむ。男は機嫌が悪そうな顔で振り返った。
「いやちょっとすみませんけど、今、うちの猫の話した?」
聞き間違いかなあ、いやいや悪意まみれの声音を聞き間違えるほど私の耳はポンコツじゃない。
「あ?」
「ごめん唐突だったよね。もっかい言うわ。うちの可愛くてたまらない猫ちゃんたちのお話をしましたかって訊いてるんだけどどう?」
「……ああ、したぜ。ドジった上司の巻き添え食ってずたぼろになっちまった仔猫ちゃんの話だろ?」
仔猫ちゃん。仔猫ちゃんね。
可愛い言い方だし私もよく使う表現だ。はわわかぁいいよぉ食べちゃいたいなぁお持ち帰りぃ、なんて頭の中が雛見沢の夕焼けでいっぱいになることもままある。
しかし不思議なことに今は聞くたびに頭の芯が冷えていく気がする。
「計画が上手くいって嬉しくなっちゃって、こんな所まで追いかけて自慢話でもおしゃべりに来たのかな?」
「癇に障る言い方しやがるな。だったらどうするよ?ボスに言いつけるか?お涙頂戴の寝物語だ」
これがラップバトルだったらオメーは初戦で脱落だ。どうせ挑発するなら見せてみろよお前のリリック。私は使うぞ最強の権力。
私の握力は運動場の鉄棒で懸垂もできない数値だが、片手を大きく振りかぶることくらいはできる。
言うてド素人のビンタなんざお遊びみたいなものなのは百も承知なので、あっけなく避けられた手のひらは無視して高いヒールで相手の足を思いっきり踏んだ。たぶんだけど私が今日6センチのヒールを履いてたのはこの瞬間の為だわ。人生ってあとから思えば何だって伏線になりうるわよね。きっといつか今朝目玉焼きを焼くのに失敗してフライパンが黄身で焦げ付いた悲劇もなんやかんやで超絶デカいエピソードに繋がったりするんでしょ。知らんけど。
つぶれた悲鳴を上げた男から素早く離れがてら、ちょっと手を伸ばして髪の毛をいただく。ノーモア暴力。ノーモアDNA泥棒。だってこいつ名乗らへんねんもん!私の名前と立ち位置とにゃんこちゃんのことは知ってるくせにこいつひと言たりとも自分の話せんねんもん!気になるだろ!!仲良しの違法科捜研に流してデータベースに検索かけるぞ!!
「何処の誰かは知らないけれど」
誰もが知ってる謎の人、じゃあなくて。
ハンドバッグを抱えなおして逃走準備。
「お望みどおり、ボスの耳元で甘く囁かせてもらうね!人生おつかれ!」
アディオス!!

死の追いかけっこでも始まるかと思ったが、どうやら足へのダメージが大きすぎて動けなかったらしい。
追手はなく、念のため頼んだ迎えでも「不審な影はない」と太鼓判をいただけた。謎の高性能索敵能力を持つリゾットたんのこと、好きだよ。