賄賂


ノックの音で目が覚める。答えを待たずに客は来た。
「チャオ、女王さん。今日のおめざは最高だぜ」
「何せジェラート特製の手搾りグレープフルーツジュー、……」
「……」
「……」
中途半端に言葉が止んだので、私は寝ぼけ眼をこすってドアのほうに視線を遣った。背の高いおなじみの二人組みが、なかなか見ない表情でぽかんと口を開けている。なんぞやと訊く前に起き上がりかけてハッとした。
あれっ、私パジャマ着てないぞ。
寝るときはブラをつけないタイプなので胸元がすかすかと解放的なのは構わんのだけど、普通はパジャマを着て眠る。色気より健康が大事な職業だ。まあほら、色気はないけどたとえばリゾットちゃんを誘惑したくなったときはあの男に媚薬のひとつでも嗅がせればいいんですよ。もちろん色んな意味で差しさわりがあるんでやらないけど。
確かにパジャマを着ていたはずだぞと思いベッドの周りを見れば、薄手のそれらはボタンも取らずくしゃくしゃに脱ぎ捨てられて悲しそうに落っこちていた。
「ソルベ、見張ってろ」
「了解」
ソルベは滑るように廊下へ出てドアを閉めた。ジェラートが腕を組んで、形容しがたい、"あー首の後ろが痒いのに両手が塞がっていやがるぜ"みたいな顔で首を傾げた。
寝起きでボケていた頭が徐々に覚醒し、ふっと視界の端に入り込んだ肌色に引っかかりをおぼえる。肌色。なんで肌色。私の肌色とは違うしここは私の部屋だし昨日はリゾットちゃんのベッドをお借りしてないしお招きもしていないし、それじゃあなんで私のものじゃない肌色がここにあってその肌色の面積がいやに広くて薄いかけぶとん的シーツの中に筋肉質な肉体の質感があって、っつーかなんで目が合うんだ?なんだ?人間か?誰だお前?
「……」
「……」
「……ホルマジオだー!!」
「うおわあああああアアア!!」
今週で一番デカい声が出た。ホルマジオも一気に目を覚まして謎のパワーに吹き飛ばされた感があるスピードで私のベッドから飛びのき床に転げ落ちた。めっちゃ痛そうな音がしたが腰大丈夫か?ていうかなんで半裸なんだ?私がキャミとショーツのみを装備したぬののふく状態かつホルマジオがボクサーパンツのみを装備した50G状態で同じベッドに入ってたって事実やばくない?どういうことだ?
ソルベとジェラートの微妙な表情とわずかな焦りの理由がようやく脳にしみこんだ。そりゃあ見張らせるわ。この家にいる我々のうちの特定の一人が来るか来ないかを見張らせるわ。私でもそうする。誰だってそうする。
「ナニ?私たち一線超えた?」
「縁起でもねェことを言うんじゃあねーよ!!オメーと超えるならリーダーと超えるわ!!」
「ちょっとそれ詳しく」
「そこはいいだろどうでもよォ!」
よくないだろ。
「いやあ、今日ばっかりはどうでもいいぜ女王さん」
ジェラートに言われた……。なんだろうこのショック。
適当にしゃがみ込んだ彼は脱ぎ捨てられたパジャマに隠れる紙袋をひっぱり出した。がらんごろんと中身が耳障りな音を立てる。中を検め、立ち上がってぐるりと部屋を歩き回ると大きなため息が落ちる。私はこの六年間と少しの時間を思い返し、自称おにいさん役のジェラートって本当に年上だったんだなあと久しぶりに"おにいさん感"を感じて打ち震えた。
「飲みすぎとちゃんぽんと徹ゲー。タイマーで切れちゃあいるがエアコンが暖房になってたんで暑かったんだな。画面は落ちちゃあいるがテレビの電源もつけっぱなしだ。ベッドに寝そべりながら映画を観ててそのまま寝落ちってとこか」
「さすがジェラート先輩」
「そーいやア観てたな、アラビアのロレンス」
アラビアのロレンスだったかあー。あれは覚悟して挑まないと寝るわ。少なくともべろべろに酔っぱらった状態でオフトゥンに入りながら見る映画じゃあない。
良かった良かった、私たちは潔白だ。これで大手を振って素知らぬふりができるわ。うん。ホルマジオが洩らすわけがないし、ソルベとジェラートもこんな不発弾には触れたくないだろう。うんうん。何もなかった。怖い事件だったね。ほんとにな。
矢避けの加護でもついてたのかな?ってくらい順調に無実が証明された私はパジャマを拾い上げてからジェラートを見上げ、――――心の底から嫌な予感をおぼえた。
ジェラートは笑っていた。
「ポルポ、ホルマジオ」
「はい……?」
「……オウ」
「事故らなくても、無免許運転っつうのは犯罪なんだぜ」
偽造免許しか持ってないやつには死んでも言われたくない台詞だ。

服を着た私とホルマジオは、カーペットの上でジャパニーズSEIZAを強いられていた。左右には仁王像がごとくソルベとジェラートの"おにいさん"コンビが控え、正面には軽く腕を組んだリゾットがいる。土下座じゃないだけましだ。反射的にゲザろうとしたら「いい」とひと言で却下されて余計な恐怖を味わう羽目になった。
「何か言いたいことはあるか?」
その言い方はずるいよなと私は常々思っているわけだ。私自身も使う文言ではあるけれど、これを突きつけられるとどんな正論を述べたってすべてが言い訳に聞こえてしまう。もうちょっとこう、新人のドジっ子そばかす系メイドに少し年上のおっとりした丸ぶち眼鏡な先輩メイドが言うみたいに言ってほしい。そして最終的に百合を咲かせてほしい。
などと考えていたら「ポルポ」と短く名前を呼ばれた。全然違う世界に思考を飛ばしていたのが完全にバレている。ラケットヘッドが30センチくらい下がっていたのかもしれない。
「何もないです」
「ホルマジオ、お前はどうだ?」
「二日酔いがひでェ」
「確かにあんためっちゃお酒くさいわ。今気づいた。もしかして私も?」
「鼻が麻痺してっからわかんねーな……。だがよ、俺の酒臭さがわかるっつーこたぁオメーは酒臭くねェんじゃあねえか?」
そうだといいな。何にせよ最終的にはファブらなきゃあいけないけど。
こそこそ話す私とホルマジオの首元に、スッ、と手が近づけられた。反応が早かったのはホルマジオで、正座を崩して膝立ちになり僅かに後ろへ背をそらした。私は普通に捕まった。
少し顔をそむけてホルマジオのほうを見る。そして私は世界に感謝した。こんな状況だけどありがとう、今日という良き日に大感謝。
とどのつまりは私とホルマジオが叱られている場面にもかかわらずこそこそと内緒話(全然隠れてなかったけど)をしていたことへの無言の注意が行われた。ただそれだけだ。リゾットは私たちの視線を自分のほうへ向けるため、私たちのおとがいを捕まえてぐいっとやりたかった。やろうとした。しかし相手はホルマジオ。プロフェッショナルであるホルマジオくんは、リゾットちゃんのお説教から逃げるとヤバいとわかっていても本能的に手を避けてしまった。
そのせいでリゾットの手は中途半端に男の喉仏をなぞり上げ、つ、と人差し指だけが顎下に添えられることとなったのである。
知らず冷や汗をたらし息を詰めるホルマジオパイセンには悪いけど、私が世紀末を生きて北斗七星とかの証を背負っていたらこの時点で全身の筋肉が躍動し自動的に服が弾け飛んでいたと思う。
叱られていることへの恐怖はどこかへ行った。すまないけどリゾットへの申し訳なさもどっかに行った。
しかしさすがにこの瞬間に余計な発言をしたらシリアスやってるホルマジオが可哀想だと配慮した優しい私は、"リゾットちゃんありがとう本当にありがとう今月いっぱいこれで生きていけるよやっぱり暗殺チームって最高だね世界の宝だ"という気持ちを込めて、顎先に触れているリゾットの手に自分から頬をこすりつけた。ルーブル美術館でモナ・リザを見たってこんな感動は得られまい。見たことないから想像で言ったよ。
「はー……最高」
ソルベが肩をすくめた。
「まーた女王さん自己完結してるよ」
リゾットの手の位置がちょっぴりずれて、猛るハートをよりぶつけやすくなる。
「いわゆる賄賂って感じか。こいつは一人勝ちだな。頑張れよ、ホルマジオくん」
ジェラートも相棒そっくりに肩をすくめた。

ちなみに、ホルマジオにはあとでちゃんと謝ったよ。輸入ビール五ダースを要求されたから、よっぽどヒヤヒヤしたんだろうなとそっと察した。