ジェラシー



重たい。身体が重たい。
風邪をひいたってわけじゃあない。私はいたって健康体で、なんとなく熱を測ってみたくて差し込んだ体温計は面白くない数字を光らせた。具合なんてかけらも悪くないんだから当たり前だ。熱っぽさもだるさもくしゃみ鼻水鼻づまりも乾いた咳もちっとも出ない。こうも健康体だとたまには風邪をひいてみたくなるな。縁遠い苦しさとうなされて起きる不自由な数日は、私のように平和な日常をダメな具合に謳歌する人間にとってのスパイスだ。ハンバーグでいうナツメグ。ポテトサラダでいう玉ねぎ。まあ私は玉ねぎ派ではないけど、入っていたら入っていたで普通においしいなと思う。ポテトサラダはねー、たまごとマヨネーズをこれでもか!と混ぜ混ぜするのが楽しいんだよね。マッシャーなんて使わねえ。私は腕一本、指先に全霊の力を込めてフォークを持ちすべての具材を粉みじんにしてやるぜ。ワイルドでしょ。
さて、そんな指先まで健康体な私がなぜ身体全体にとてつもない重みを感じているのかというと、そいつぁ話は簡単だ。上に誰かがのっているのである。心霊的な意味じゃなくて良かったと思うが、スタンドに慣れた我々にとってはむしろ『悪霊』のほうがなじみがあって落ち着くかもしれない。無感情無感動無味無臭な眼差しで両目を貫かれることに比べたら安いもんよ。
かたい親指が、ぐり、と私の喉元を押した。綺麗に切りそろえられた爪は食い込まず、ただ圧迫感のみを感じる。ぐえ、と低い声が出た。おさえられているのは、どれだけ時間が経っても痕が消えないフーゴたんとの愛の証だ。切り傷の線を親指でなぜる動きがひたすらに煽情的で、私が悪いギャングだったら妖艶に微笑みそのままベッドにシューッ!だから君は私に感謝しないといけないよ。少なくともそんな目で私を見るな。怒られるようなことしたかな。リゾットに買ってきたバレンタインのチョコレートを耐えきれず"味見味見"とかほざいて全部たべちゃったのを怒ってんのかな。いや、それで怒るリゾットめっちゃ可愛くない?食べちゃったのは私が悪かったけどそんなチョコでリゾットちゃんの新たな一面を知ることができるならショーケースごと買うわ。
事態をさっぱり呑み込めていない私に、細めた赤色が突き刺さる。思い出せと言わんばかりに圧力をかけられるが身に覚えはまったくない。仕事はしてるし(サボってないとは言ってない)、洗濯物も取り込んだし(たたみ損ねて靴下を一足オシャカにしたことは黙っておく)、ゲームや漫画や小説の読みすぎで徹夜するなんてこともここ三週間は禁欲中。来週発売される新作のゲームを一気に全力で遊び倒す為の正当なる準備だ。ここ数日はちゃんと人間の生活をしていたからと主張して三日くらい引きこもらせてもらうつもりだから。
その計画がバレたかともよぎったが、その程度でリゾットがおこになるか?冷静沈着で他人に流されないリゾット・ネエロが?笑うところかなこれは。
もはやリビングルームの定位置と化した大きなソファに組み敷かれる。電源がつきっぱなしのテレビからは、録画した番組が流れている。リポーターが大きく手を広げて世界の遺跡の解説をしている。私はポンペイ担です。紙面を思い出すと無性にイルーゾォを撫で繰り回したくなるけど。
ふかふか、しかしぱりりとシートの張られたソファは寝心地がよく、私は頻繁にリゾットの膝を拝借しながら午睡にふける。そのときにふくらはぎを投げ出してのせるひじ掛けに私のふっわふわして落ち着きがない金髪が散り、居心地も寝心地も悪くて寝返りを打ちたくて仕方がなかった。うん、でもそれ無理。なんてったってリゾットだ。私を組み敷くように、絶妙に関節をかためて動けなくしてくださっている。そういうプロテク、今は活用しなくていいのではないかな。もっとこう、ハニートラップを仕掛けてきた敵対組織の女スパイを逆に篭絡しようとするときとかに使うべきだ。あるいは拷問ね。質問はいつの間にか拷問に変わっていたりする変幻自在な一面を持っているから世の中の全スパイは気をつけてほしい。特にこの男たちに手を出すときには。
大きな手が私のシャツに伸びる。胸元は編込みになっていて(アバッキオ先輩をリスペクトした)紐をほどかれると襟が大きく開く。案の定、ぐいと引っ張られて、自慢だけどすべすべな肌が露出した。いやこれ本当に自慢なんだけどね、マジであのボディクリーム素晴らしいね。脈絡がなさ過ぎてイルーゾォに何の話だとツッコミを入れられそうだが、聞いてくれ。貰い物のボディクリームが非常に優秀なんだよ。
薬物系はメローネの専売特許かと思っていた私は、トリッシュからプレゼントを渡されて首を傾げた。ひわいなものであるはずがないのだけども、黒いギンガムチェックの紙袋で差し出されたらちょっとビビる。
彼女曰く、注文したけど桁数を一つ間違えて大量に届いてしまったから配り歩いているとのこと。人脈をコツコツと広げつつある彼女にとって、笑い話のタネになり、かつ自然な形で相手に好印象を植え付けられる良い手段が手に入ったとしたたかな一面も見せていたが、私には無償で渡してくれた。そのあと全力でハグした。可愛すぎるよトリッシュちゃん。
んで、そのボディクリームは実に実に素晴らしい出来だった。ポンプのないボトル状だったから初めて出す際に勢いあまってエロ漫画みたいな有様になってしまったのはご愛敬。面倒がってお風呂上がりにテキトーなアレソレしかしてこなかった私に、オールインワンのクリームはちょうどよかった。香りも、落ち着いたハーブの匂いがしてさわやかな気分になれる。
さてさて。
リゾットは身をかがめ、私の肩口に顔をうずめるようにした。触れそうで触れない唇と呼吸のリズムがくすぐったくて声が裏返った。私がくすぐったがりだって知ってるのにあえて忘れるのやめてください。
すぅう、と息を吸い込んだ彼にビビッて押しのける。なんで匂い嗅いでんだ。やめろ。お洒落な香水とかつけてないんだよ。
こっちの腕を押さえなおしたアサシン属性星五レア出現率0.4パーセントのイタリア人は、少々いささかほんのちょっぴり、わかりづらく眉根を寄せた。
「ジョルノと同じ匂いがする」
「待って、落ち着かせて」
いろいろと衝撃がデカい発言きましたわ。え?ジョルノの匂いとかどの機会で嗅ぐの?しかも憶えてんの?どんだけ印象に残ってんだ。ジョルノと同じ匂いがする、ってひと言で私の脳内がポイズンでラリホーでメダパニです。マジで待ってくれ。ジョルノの匂いを嗅いでジョルノの匂いを憶えているリゾットヤバいでしょ。これは現実かな。私はいま起きながらにして夢を見ているのでは。
「なんでジョルノの匂いを知ってるの?」
「挨拶で香った」
「あ、ああ、そうね。そうだね。私が悪かった」
激しく動揺したのは秘密にしておこう。おはようーっつって顔を合わせて自然な流れで軽くハグするのはおかしいことじゃあない。私がけがれていたんだ。
「……ッた」
懺悔の思考が途切れた。
こいつ、この男、前触れもなしにがぶりと噛みよったぞ。しかも結構強く噛んだぞ。
ついでに歯形からいくらか離れたやわい皮膚にちくりと痛みが走る。うわ、キスマークまでつけたか。そこにつけるのやめようや。髪の毛アップにできないじゃん……。
「なんで……」
「……」
「……」
我に返ると同時に、私は気づいた。
――あ、お前、ジョルノと同じ匂いがしたからジェラシー燃やしたんだな。
気づいてしまえば納得が極まる。うむうむ、なるほど。なるほどね。ふぅーん。相変わらずリゾットちゃんは可愛いな。ジェラシーを表す方法がもうチコッと穏便だといいなとは思うものの。
「(たぶんフーゴもトリッシュもビアンカも同じ香りだと思うけど)
言わんでおくのがいいだろう。