愛の妙薬


下品です





さしこんだ舌が甘いカカオの味を拾う。逃げた相手を追いかけるように体重をかけると、ソファがぎしりと音を立てた。質のいいソファなのにこの程度の暴虐で悲鳴を上げるとは情けない。私が王様だったら50ゴールドときのぼうすら奪って野原へ放り出すところだ。
私を乱暴に押しのけるのには多少の抵抗があったのか、大きな手はこちらの肩にあてられただけで力はこもっていない。いや、どっちかって言うと、"力をこめられない"ってのが正しいのかしらね。
リゾットの全力は自分の理性をつなぎとめることに注がれていて、私のほうまで意識が回らないのだ。つまり後回しにされた。どうせ私にゃあなんにもできねえと思ってんでしょうね。薄い本が本棚に並ぶ私のことをなめてもらっちゃあ困るんだが、確かに普段の私ならちょっとしたセクハラを仕掛けて『訴訟だけはやめてね』とハートマークをつけるだけで看病に専念する。指先は邪な雑念に突き動かされてちょっぴりイタズラをするかもしれないけれど可愛いものだ。
けれど今は違う。
私は明確な意思をもって、リゾットを苛んでいる。

三行で言うとリゾットが媚薬を飲んだ。
チョコレートに混ぜられたそれを食べさせたのが事の始まりだ。なんで私がそんなモンを持っていたかと言えば、これも話すと長くなるので省略するが要するに全部ヤナギサワが悪い。日本におわすサブカル繋がりの友人が胡散臭そうな占い師から買った『愛の妙薬』を面白がって私に送ってきた。そんなのがなくても我々はラブラブですよと誇張しておいた。無視された。ひどいやつだ。
怪しげな小瓶に入った"いかにも"な液体に興味はある。でも自分で飲む勇気はない。だって私のカラダが火照ってにゃんにゃんなことになっても誰も得しないだろ。
ということで、我らがお色気担当のリゾットに事情を説明してみた。
「飲んでくれない?」
「嫌だ」
即答だ。そりゃあそうよね。自分が嫌なことを人にやらせるなと某ナレフさんも言っている。
「ひと口、いや、ひと舐めでいいから!」
「自分で舐めたらいいんじゃないか?」
「なにかあったらどうすんの」
「その台詞をそっくりお前に返す」
だよねー。私は肩をすくめて諦めた。――ふりをした。
冷蔵庫からひっぱり出したチョコレートにひとふり。お覚悟、リゾット。
まずは自分が(何もないものを)食べてから、リゾットにひとつ渡す。リゾットは胡乱な目で私を見てから、チョコレートに何の細工もされていないことを確認するように素早く視線を走らせた。一見してわからなかったようで、そのまま口に運ぶ。勝った。
第三部、いや、本番ははこれから始まる。

「どうしてわからなかったの?ナニかされてるとは思ってたんでしょ?」
「夕食のスープに混入されるよりは、チョコレートで済ませておいたほうがマシだと判断しただけだ」
「なるへろ納得。私ならあるだけまるまる入れるもんねえ」
たったひと口でここまで力を削がれる妙薬だ。スプーンですくって何度も口に運んだらどうなるかわからない。リゾットの判断は正しかった。
くらりとめまいを起こしたように額をおさえたリゾットを観察し、ここだと思ったタイミングで覆いかぶさるようにのしかかる。ナニかを堪えてぎゅっと寄せられた眉根がどうしようもなく色っぽい。やっぱり私たちのリゾットちゃんは最強なんだな。
私からキスすることはかなり稀であるが、据え膳食わんギャングはギャングとして認められない。よぉしパパ頑張っちゃうぞぉ。
シンプルなタートルネックの襟元を引き下げて、わずかにむき出しになった肌色に唇を寄せる。すうううと変態みたいに息を吸い込むと("みたい"とか言ったけどまぎれもなく変態なんだけどな)、使っているシャンプーと彼の体臭が混ざったスッとする匂いがした。リゾットちゃんは空気清浄機だったのか。料理も暗殺も空気清浄もできる男ってハイスペックすぎて怖いわ。
自分がよくやられるように、角度をずらして耳の下に口づける。ちょうピュアなこと言うけど私、他人にキスマークつけたことないんだよ。あ、いや他人じゃなければつけたことあんのかって言われるとそうでもないんだけど、つけ方が気になって自分の腕で実験したりするのって思春期にはよくある遊びじゃん?そうだね、ごめん、普通はないよね。私にはあったんだよ。
で、つまり、うまくつけられるかがわからない。
仮にも攻めチックな体勢で部下を、じゃあなかった、恋人を押し倒しているのだからここはスーパーなスキルを見せつけたい。見栄っ張りと笑わば笑え。譲れない戦いがここにある。
バトル映画ばりに深く息を吐き出してから、一戦挑む。
唇を押し付け、圧迫するように一瞬だけ強く吸う。おっしゃイメトレ完了。いくぜ怪盗ギャングポルポさん。
「ッ……」
リゾットの肩がぴくりと跳ねた。少し身を離して確認すると、下手だが形にはなっている。ほらな、私は本番には強いんだ。ノーマークだっただろ。乾先輩でも集めきれなかったと思うよこのデータは。あと、どうしたリゾット。
顔を窺い見ると、彼は責めるように私を軽くにらんだ。ガチで睨まれたら即行でソファから飛び降りるジャンピング土下座を披露するところだが、この様子だとそこまで怒ってはいないらしい。それどころかむしろ、どちらかと言うと。
「……えー、その……、媚薬、効いてんの?」
「……一滴で"これ"だ。使い方には気をつけたほうがいい」
「そうね」
トイレに流そうと決めた。仕返しされたらヤバい。
冷静な内心とは裏腹に、相槌を打った私の表情はとろけていた。
だって落ち着いて考えても焦って考えても、こんなリゾット、見たことなくね?
抵抗の気力も湧かないほど内面の己と葛藤し、私から与えられる理不尽な責め苦を受け入れるしかない状態で、見よう見まねでつけたただのキスマークひとつに肩を跳ねさせて反応している。なぁにこれ……天使が舞い降りた……。
冷え性とは無縁だが、暖房のきいたリビングでは少々つめたく感じる手を服の裾にかける。薄い布の感触をめくり、ズボンに入るぬくぬく効果満載の肌着を引き出して中に指先を滑り込ませた。私いまめっちゃ悪い顔してる。仲間同士を殺し合わせる成金クズみたいな顔してる。この表情で興奮してくれるのはビアンカくらいなものだろう。
かたい筋肉の形をなぞるように進むにつれ、シャツがめくりあがり、素肌があらわになっていく。立てられた膝がもぞりと動いたが私には関係ない。下腹にまたがる私を小鹿のようにか弱く震えるリゾットちゃんがあんよでどうにかこうにかできるはずがないのだ。
辿り着いた胸をまさぐる。胸筋たまんねえ。いい加減怒られそうだし手で手首をつかんでステイを命じられた。でもリゾット、人間の手ってなんで二本あるか知ってる?片方を封じられてももう片方で君をいじるためだよ!!
「リゾット、君いまスゴク可愛い顔してるよ」
「……」
「"あとで憶えてろよぶち殺す"」
「"いいからどけ"」
「あちゃー、読み間違えた」
リゾットリーディングのランクが落ちてしまう。それもこれも全部煩悩と冬のせいだ。冬って罪だね。暖房とみかんとこたつとリゾットは人を狂わせるよ。冬装備のリゾットとか最高じゃね?フードにもこもこがついたコートを着て白い息を吐き出しながら歩くんだぜ。やばいよ。国宝だよ。私がファラオだったらピラミッド建設させるわ。
「でもそんなんじゃだめ。そんなんじゃほら、おねえさんがもっと興奮しちゃうだけだよ」
「……」
罵られても縋りつかれても興奮する面倒くさいおねえさんですまんな。出会ったときからこうだったか、それとも私の心が日々進化しているのかはわからないが、みなぎるパッションは収まらない。
つつつつつ、と指を滑らせてわき腹をくすぐってから、腰を浮かせて、思い切ってガッとズボンのベルトに手をかける。手をかけてから軽く"なんかそろそろ照れてきたな"と冷静になりかけたが、そんなときはリゾットの赤い瞳を見つめて心を奮い立たせた。こんなときに根性を発揮しなくていいだろと突っ込まれそうだ。
宝石のような瞳。それは落陽よりも濃く、血よりも深い。その光の中に一点の染みに似た揺らめく妙薬の影を見つけて、口角を持ち上げる。あっそういえばリップ塗り忘れてた。今気づいてもどうしようもないしめっさ関係ないな。
立てられていた膝をとうっと押しのけて伸ばさせ、ずりずりと下がって座りなおす。よーしいい子だ落ち着いてろよ。ぶっちゃけ私もやめ時を見失ったというか楽しくてここまできちゃったけどズボン脱がせてどうすんの?って自問してるっていうか、いい感じの幕引きを頑張って考えてるっていうか、雑念が増えてきたんだけど口をつぐんでいればわからないだろう。あとバックル外しにくいです。
「うまく取れん」
親父ならもっとうまくやるんだろうな。知らんけど。誰が一番リゾットのベルトをうまく外せるか大会とか開くか?私も妙薬の余波を食らって頭がすっとぼけてきているのかもしれない。それともデフォルトでこれかな?なんてキツイ女なんだ。新年会のときはプレゼントを奮発しよう。この思考がすでにダメか。お金で何でも解決できると思ったら大間違いですよポルポさん。すみません。
とかなんとか考えている間にも私の口からは「うへへおにいちゃん可愛いね」やら「口ではそう言っていても身体は正直だ」やら「上司にこんなことされてどんな気持ち?ねえどんな気持ち?」やら「媚薬ってぶっちゃけ勃つの?」やら「勃ってたら私どんな反応したらいいのか考えとかないとな……」やら「ねえまじでバックル外れないんだけど何このベルト!?最後の砦!?」やら止めどない言葉が流れている。
すると、聞くに堪えかねたのか、リゾットが脚を動かした。背もたれ側の脚の膝を思い切り立て、荷物を振り落とすように軸をひねる。彼の太ももに腰を下ろしていた私は斜めにバランスを崩して倒れこむ。踏ん張り切れず「おあっ!!」と可愛い声かっこわらいかっことじを出してソファから転げ落ちた。座面は高くなく、リゾットの手がこちらの頭を守るようにあてられていたため、痛いのは打ち付けた骨盤あたりだけだった。でも結構痛い。洋画チックに撃たれたふりをしてうめいて遊びたい気持ちがわいた。
リゾットがそっと手を離す。
床に横たわったまま彼を見上げると、少々乱れた格好のまま無感動に見下ろされた。
「……」
「……」
効果が切れるまで何分って書いてあったかな。
「あのね、私も考えたのよ。このパターンあるかなーみたいな察しくらいはついてたわけ。これまでの経験を顧みるに最終的には私がネコってるじゃない?まあタチれないから当然と言えば当然なんだけど」
「……」
「でもリゾット的にもそういうの、いわゆる『マンネリ』なのでは?毎回私の遊びに付き合ってくれたりうっかり地雷を踏ん……でしまうのは私が悪いんだけどまあ君の地雷がよくわからないっていうのもあるっちゃあるけどそれは置いといて……、たまには別の方法もありなんじゃないかなって思うの」
「……」
「その目怖いんだけど」
「ただ聞いているだけだ」
そうかな。しつこい格下に絡まれて喧嘩売られたときみたいな眼差しだけど私の錯覚か。
私はローテーブルに置いた自分のケータイ電話を恭しく手に取った。画面を見せるふりをしながらそっと身体の重心をずらして、立ち上がる準備をする。
「その画期的な方法とは、古き良き時代から伝わる例のアレ」
こちらに手が及ばない素晴らしい文化。
「そう、テレフォンセックス!!」
素早く立ち上がって二階へ逃げる。長いおみ足が私の膝をひっかけた。崩れ落ちてしたたかに両膝を負傷。
「痛い……これが上司にやることなの……?」
「それが部下にやることか?」
「ウーン、どう反論しようか考える時間を要求する」
「要求だけは自由だ」
許可は下りなかった。