好きと嫌いと


昨日まで『お前は切腹が趣味だった』と言われても、受け入れられる人は少ないんじゃあなかろうか。腹に切り傷もない状態では余計にさ。切腹が趣味なやつなんていないだろ常識的に考えて。いや、いるのかもしれないけど。いるとしてもそれは私じゃあない。
と、いう現象が今まさに私を取り巻いている。
リゾット・ネエロは私の部下である。それ以下でもそれ以上でもない。まあ、どちらかというと私は彼を嫌いなほうだ。それも結構な勢いで嫌っている。
ボスといい勝負かな、みたいな苦々しい気持ちが眉間に宿ってしまったのだろう。自然としかめてしまった眉を見て、もの言いたげな眼差しが向けられた。顔の整い方はなかなか極上。上玉お嬢ちゃんおきれいなツラ、で言うとおきれいなツラ。しかしどこまでも理不尽に腹立たしさが沸き上がる。
私は彼を好きで、恋人として付き合っていたらしい。へえ、ふうん、そうなんだ。処女すらささげたらしい。あ、そうですか。なんでだよ。好きだったからだと説明されれば納得するしかないのかもしれないが、今の私は彼のことをまったく好きではないし魅力も感じないし、単に有能な部下だとしか思わない。っていうか、前述したがむしろ嫌いだ。なぜ嫌いなのか。自分でもよくわからんから、これは生理的な嫌悪と名づけるべ感情か、あるいは。
「スタンド……ねえ」
「好意を反転させる能力があるそうです」
「じゃあ私はジョルノのことも嫌いになってないとおかしくない?」
「好意にも種類がありますから」
「というと?」
「特別な執着がなければ効果はない、ということです」
まるで私がジョルノたちを放置しているかのような、大切ではないと考えているかのような、ちょっと嫌な響きである。
ジョルノは否定するように首を振った。
「ポルポは僕たちを……、そう、どこか『独立』したものだと考えているふしがあった。だからでしょう」
「ふむ」
言われてみればおっしゃるとおり。言葉では説明しがたく、だからこそジョルノも口ごもったのだろうけれど、言ってしまえば私はジョルノたちを『愛する』というよりは『好き』でいる。私は暗殺チームの九人を『愛して』いたのだろう。ゆえに今、蛇蝎のごとく嫌っている。もうこんなに嫌った人間なんていないんじゃあないか?ってレベルで考えるだけでおぞけが走る嫌悪具合だから、相当に心を注いでいたということになるが。
「(嫌いなもんは嫌いよねえ……)」
たとえそれがウイルスのせいであったとしても。
切腹の趣味があると言われて、アッそうなんですねじゃあ今日も切腹しなきゃ……とは、私はならなかった。


事情を説明しに人を遣ろうとしたジョルノの好意を断って、自分で行くことにする。さあレッツゴー、よくわからない旅へ。ポルポさんの胸の車窓から見える景色はいったい何色なのかな。意味のわからんポエミーな気分で街を歩く。
そりゃ、嫌いなもんは嫌いだ。
しかし私が面倒を見てきたというのなら本人が赴いて説明すべきだろう。こちらがあちらを愛するようにあちらもこちらを愛してくださっていたらしいが、まあ問題はあるまい。リゾット・ネエロは敏い男だ。何かを察してすでに仲間へ報告しているかもしれないし、話は早く済むだろう。なにせ私は今朝彼の隣で目を覚まし、よくわからないままに、こちらを見下ろすあの顔へ激しいおぞましさを感じたのだから。バレるっしょ。ウイルスの存在は知らずとも私の状態が異常だとは伝わったはずだ。まあ、私からしてみりゃあ全然異常じゃないんだけどね。生まれたころからあんたらのことは嫌いだったわ!!みたいな感じなんだけどね。無駄に冷静に考えちゃってダメだな。
合鍵でドアを開け、「邪魔するね」と声をかける。奥から笑い声が聞こえ、何人か、あるいは全員がここに集まっていると知った。
廊下を進んで中扉をくぐり、挨拶をする。
椅子に腰かけたメローネが笑顔の残滓を表情に残したまま「ちょうど今あんたの話をしてたんだ」と立つ私を仰ぎ見た。目が合って、反射的に「そう」と笑いかける。もはや癖になっている社交辞令的なアレである。語彙が死んでまったく何も伝わらないけど要するにスマイルイズインポータント。それもベリーベリー。
だってのに、メローネの、綺麗すぎてなんかむかつく瞳が大きく見開かれた。こちらを見ていた数人も顔を見合わせる。なんだよ、と眉根を寄せると、唐突に皮手袋に包まれた手が伸びてきてとっさによける。空をかいた指先を、金髪の彼は呆然と見た。
「……あれ?……いま、あんた俺のこと避けた?」
「そうね。リゾット・ネエロから聞いてない?ていうかどこまで聞いた?一から説明が必要なら、ジョルノが用意した資料もあるけど」
「……」
そんな話はどうでもいいと言わんばかりに、視線をつないで凝視される。その糸をばっさり切り落とすと、視界の端でホルマジオがざりざりと自分の頭を触った。面倒な事態が発生したときの癖だったか。面倒。確かに面倒よね。昨日までは自分たちを好きだった(信じられんわ)上司が、急に手のひらを返したんだからさ。どこの不良乙女ゲーよ。


ポルポの姿に普段との変わりはない。いつもどおり、ブラウスとスカートとハイヒールを身に着けて、ゆるくうねる金髪をふわふわさせ、けだるそうな赤い瞳で周囲を見回している。
空気の変質に気がついたのは、――というよりも『理解』したのは、メローネへの対応がポルポらしくないものだったせいだ。それがなければ、そしてリゾット・ネエロと彼女が同居し、特別な関係になければ、あるいは誰も気づかなかったかもしれない。そして初めて知るのである。彼女は演技こそドヘタだけれど、躊躇なく嘘をつける人間であると。
衝撃はまだ消えずにあった。
メローネからの接触を拒むポルポなんぞ見たことがない。初めから彼女は彼らの味方だったし、彼らは彼女の身内であったから。
あのね、と腰に片手を当てた姿勢で、勧められた椅子にも座らず丁寧にあたりさわりなく拒絶してから口を開く。リップクリームの塗られた唇から毒が吐き出される。九人の心にしみいる、鋭い毒が。
「どうやら私はウイルスに罹っちゃったらしいのよ。そのウイルスっていうのが……、リゾット、ジョルノから連絡はあった?」
「いや、何もない」
「そう。そのウイルスっていうのが、『好悪を反転させる』ものらしくてね。私はあなたたちをとても好きだったようだけど、今はそれが反転しちゃって非常にワンダフルな事態になっちゃってるの」
冷静に見えて、ポルポも自分の感情に多少振り回されている。客観的に見ても主観的に見ても気にする箇所はそこではないのに、こんな一言を付け加えた。
「数日で治るらしいから、それまで仕事は休業ね。あ、解体については安心して。最後まで責任は持つつもりだから」
瞳に迷いはない。
これがポルポのはずがない、と何よりもよくわかる二分間だった。
偽物の可能性を疑ったが、リゾットはゆるく首を振る。おそらく本物のポルポだろう、と視線だけで彼女の首筋を示す。チョーカーの付近だ。プロシュートが目を凝らして、ようやくそこに肉体の証拠を見つけた。小さなあざは数日前からまだ消えずにある。少なくとも肉体的には本物だった。ここまで完璧な変装はソルベのスタンドでもないと不可能だろうと判断する。
「ほかに質問ある?……なければ今日は積みゲーでも片付けたいんだけど」
あまりの衝撃に誰もが言葉を失っていたが、ぼそりとギアッチョが呟いた。
「どれくらい嫌いなんだよ」
「うん?」
「俺たちのことをどれくらい嫌いなのかって訊いてんだ」
声を荒げもしないで低く問う。彼の心のうちでは、ぐるぐると理不尽な感情がまわっていた。
手を伸ばそうとする自分が悔しい。
嫌われたくないと思う自分が愚かしい。
嫌われるということは愛されているという証明であるものの、納得できない。
ポルポは、会話するときの癖としてきちんと目を合わせた。つまらない感情だけが流れ込んできて、ギアッチョは大きく顔をゆがめる。
「どれくらいって言われてもねえ」
適当な尺度が見つからない。
問いかけたギアッチョも、明確な答えがほしいわけではなかった。ここにつなぎとめておきたかったのだ。出ていけば、二度と戻らないような気がする存在を。二度と向けられない昨日までの笑顔を。
助け舟を出したのはプロシュートだった。
「話してるのも苦痛か?」
「ぶっちゃけると疲れる」
「ぶっちゃけすぎだろ!!」
「悪いね」
「……」
さしはさまれたイルーゾォの言葉にもこの対応。ツッコミを入れた本人が気まずくなって黙り込む始末である。
とにかく早く終わらせたいのだと察した九人は、顔を見合わせて順繰りに視線を交わした。
そんな彼らに、ポルポも問うた。
「ただの興味だけど、逆に君たちは私のことをどれくらい好きなの?」
間髪入れずに答えたのは、リゾットだった。
「お前を嫌えば、二度と会わないよう姿を消す程度には好きなんじゃないか?」
「うわー……。朝起きたら部下が全員いなくなってるとかマジ悪夢じゃん……逆でよかったなー私……」
「いや、俺たちにとってはどっちも最悪だから」
全員が肩をすくめてため息をついた。
このくだりで空気がゆるんだことにより、彼女はこのアパートから自宅へ平穏に戻って悠々自適な数日間のゲーム生活を送れるようになったのだが、それは九人以外誰も知らない話なので特筆はしない。


数日後、完治したポルポはからりと笑って言った。
「いやほんっと、人ってあんなに他人を嫌うのね。初めて知ったわ。私あんな感情で皆に嫌われたら死ぬと思うんだけど」
メンタルが、と続ける。
「お前のメンタル、トーフだもんな」
「そうそう、豆腐メンタル」
「こっちも死にそうだったぜ、約一名」
「違うよ、俺は殺しそうだったのさ」
「え!?私をか!?どんなヤンデレだよ」
「いやいやいや、スタンド使いをだって。ポルポを殺したって何の解決にもならないし意味がねえだろ?俺のことをそんな過激派だと思ってたのかい」
「かなりヤバい人だと思ってたし今も思ってるよ」
「ひでえよポルポ!」
げらげらと笑いが湧きおこる。
その陰で、十人全員が再びのため息をついた。
「(あっぶな……)」
「(あぶねェなァ……)」
「(過激すぎるだろ……)」
「(さすがに俺らも殺さねえよな、ソルベ)」
「(せいぜい両方を確保しておくくらいだよなあ、ジェラート)」
「(珍しくリゾットがジョークを言うくらいだったからな)」
「(お、どんなジョークだよ)」
声は出さずに唇だけを動かす。
「(『毎日の食事が通夜だった』)」
「ぶひゃっはあっははははは!!あひゃはひゃ!!」
「うわっびっくりした!!」
ソルベとジェラートがフォークを放り投げて笑い転げ、見事に椅子から転落した。