嫌いのなかの好き


野生のスタンド使い様様というか、何してくれるんじゃいと食って掛かるべきか。うん、食って掛かるべきだね。大事な人に手を出されたわけだからね。
リゾット・ネエロはとある仕事中にとある事情によりとある敵と戦ってとあるスタンド攻撃を受けた。その攻撃というのが恐ろしいもので、なんと。
「……聞き覚えのある話だわ」
好意を嫌悪に反転させてしまう、そんな効果があるのだとか。
スタンドのエフェクトって一体につき一種類なんじゃないの?結構類似してるけど大丈夫か?大丈夫だ問題ない、あれはアレでこれはコレ。反転してしまうのは『愛』だけである。アイシテルのアイだ。しかもこの場合は家族愛でも親愛でもなく、恋愛のそれ。相手に恋い焦がれ深く愛すれば愛するほどゲージがどどんと反対側に振り切ってマントルを突っ切るというわけである。
私は頬杖をつきながら足を組み、つま先をプラプラと揺らす。少し緩い靴のかかとが抜け、ハイヒールがすっ飛んだ。ころころと床を転がった靴は、黒い靴のそばで止まる。
黒の男はハイヒールを見下ろし、私に視線を送った。拾えと言えば拾うだろう。他の誰かに頼めば、放置するだろう。私がけんけんぱで取りに行くならそれはそれで、手は貸さずに場所だけをあけるだろう。まるで従順なイヌのように。
……いやあ、私のリゾットちゃんってばポテンシャルヤバいわ。軽く興奮したもん。ごめんな邪な上司で。ってか邪な恋人で。でもこれは興奮するでしょ。大興奮不可避よ。はらはらした目で見てくるイルーゾォを目くばせでなるたけ安心させるようにしてから、薄く笑みを浮かべる。どちらかというと勝手に頬が緩んだのに近い。
彼は初期の、まだ出会ったばかりでこちらに慣れず手負いの獣のようにキレキレな赤い瞳を光らせた青年と同じ顔つきをしている。この六年間の記憶はあり、すべてがスタンド攻撃のせいでこうなったと理解したうえでも隠し切れない警戒と嫌悪。生理的に無理ってやつだ。わかる。私もついこの間似たような症状を引き起こされて人間関係が崩壊するかと思ったわ。みんなありがとー!ポルポちゃんのファン、これからもやめないでね!
「リゾット、悪いけど拾ってくれる?」
「……」
リゾットは非常に緩慢に、無感動な動きで靴を拾い上げた。私の近くまで歩んで近寄って、足元にそっと立てて置く。私はつま先を差し出した。
「履かせて」
"あの"ソルベとジェラートがひゅっと息をのんだ。気分は完全に女王さま。まさに彼らが普段言うそれそのものである。
笑みはいやらしくなっていないだろうか。なっているに違いない。整った冷酷な無表情の下を奔り抜ける銀河のような嫌悪の光。ばちばちと火花を散らし燃える吐き気に似た感情が如実に伝わってくる。
リゾットは膝をつき、こちらの足を支えながらつま先を靴に差し込ませる。手つきが意外にも優しくて、何かの残滓を感じさせた。ふむ、と一人で感動した。
「お前にこういう趣味があったとはな」
「恋人を跪かせて『靴を履かせろ』って命じる趣味?そうね、六年間隠し通してきたからね。知らなくて当然だわ」
「……もういいか?」
「ええ」
気分は完全にギャングの悪女。イケメンを侍らせて高笑いだ。
スタンド攻撃は、食らってからきっかり96時間で解除される。別に字幕モードをオンにしても右下にカウントダウンやカウントアップは出ない。
なので普通に解決を待っていればいいのだが、なんとなくいじりたくなってしまうから私という女はダメなんだよなぁ。ほんとね、ダメだよそういうことしちゃ。リアルに嫌われるから。禍根が残るから。
「ありがとね、わ、た、し、の、リゾットちゃん」
「……」
ふいっとそっぽを向いてしまった。慣れないニャンコそっくりだ。こっちを威嚇するように鋭く一瞥してから元の位置に戻ってしまう。笑みは深まる一方だ。得体のしれない怪しげな表情を浮かべる上司にドン引きする部下が数人、私から距離を取った。コワクナイヨー、ダイジョウブダヨー。まあ私が彼らだったらドン引きしているだろうなとは思うけれども。
お前なァ、とホルマジオが言いかけたとき、世界屈指の美声が大地讃頌をイタリア語で歌い始めた。それは私の携帯電話の着信メロディで、容姿のみならず喉までも天上から恵みを与えられたとしか思えないビアンカに頼んで録音したものだ。画面を見ると相手はジョルノ。彼から電話がくるということは、この事案について何か新情報が入手できたか、もしくは興味本位、じゃあなく心配してくれたかのどちらかだろう。イエスイエススピーキン、もしもしジョルノ。なになにふむふむはてさてなるほど。
ジョルノとの電話を終えても、耳に電話を当てた姿勢のまま視線で虚空を撫でまわす。どうしたものか、漏れ聞こえるはずもなかった会話にそわそわと落ち着かないそぶりを見せるイルーゾォを無視してひとりごちた。彼らは私の自問の答えを待って言葉を一つも発さない。なんか面白いこと言ったら一斉にずっこけてくれないかな。
リゾットの瞳は相変わらず私を嫌がっている。自分でも、理屈は理解できるのに感情の制御が利かないというのがもどかしいのか、眉間にしわも刻まれていた。あとになっちゃうからやめなよと言うつもりで私が自分のそこを指で揉んでみせると、彼はまたぷいっとした。
怜悧な横顔は初めて見たときよりもずっと深みを増し、凛々しさのなかに雄々しさがあるというか、わあこいつ攻めだなあ、みたいな空気があるというか、個人的にはきみが受けでもやぶさかではないよと菩薩の微笑みで伝えられるような切れ味が目立つ。端的に言っちゃうとベネ。
その顔に冷たく見下ろされるのも悪くはないが、96時間はちょっと長いかもしれない。
「ねえリゾット。私のこと嫌い?」
「……」
「いいよ、正直にどうぞ」
「……」
「なるほどね」
沈黙は何よりの答えである。
音を立てないように椅子から立ち上がる。立てたってべつに誰も構いやしないのだけれど、これはマナーのようなものだろう。立てたいときは立てるとも。盛大に、わざとらしくね。床下に味方が潜んで、私の合図を待っているときなんかにはさ。
手を差し伸べると、身がひかれる。追いかけることなく手のひらを見せ、「行こう」と個室を親指で指した。さあさあ仔猫ちゃん、暗いところで湿っぽい話をしようじゃあないか。
リゾットは少し迷った末、大きな手をこちらの手にのせた。
私はみんなに片手を振って、迷える仔猫ちゃんを2LDKの一室に連れ込んだ。

扉を閉めると部屋は暗くなる。外の声も聞こえない。明かりをつけようとしたリゾットを、手を軽く握ることで制する。
さてお立合い。呪いを解く方法なんて、古今東西どこでだって決まっているのだ。
暗闇のなか、私は顔を上げた。感情の読めない、ガラス玉のような瞳がぼんやりと光って見える。ちらつく濁った血の色が綺麗だった。芸術品だねこりゃ。幻影旅団が見逃さないに違いない。
ぐい、と手を引っ張る。
彼は靴を履かせてくれたときのように、どこか従順に、心を殺したような不自然さで背をかがめた。その耳元に顔を寄せて問う。
「ねえリゾット。私とキスしない?」
リゾットは何も言わなかった。ノーセンキューともオッケーカモンとも返事はなく、黙ったままだ。抵抗の様子を見せないのなら、私は都合よくとらえて無理強いをするけど構わないよね。
だってさあリゾットちゃん。そんな目で見られるの、意外とさみしいもんなんだぜ。
手を離して、すぐ近くにある顔に添えなおす。潤いのある肌は触り心地がいい。たまらんね、この質感。あとでもうちょっと撫で繰り回させてもらおう。足りなくなったリゾット成分を補うおりにでもチョイっと、こう、だね。たぶん合法だから大丈夫だ。合意の上なら裁判に勝てる。最低な理屈だが今は構わん。
「……」
顔を近づけて、しかし不意に、やっぱ96時間待ったほうがいいかな、と躊躇う気持ちが生まれた。よく考えなくても全然合意の上じゃあないし、苦痛を感じた記憶を残させることもない。好悪が反転した期間の思い出がすっぽり抜けるならまだしも、そういったことはないようだし。なけなしの、いや、ありありの乙女心から言っても、私とのキスを『嫌だったもの』として認識されるのはどうなんだ?
「ちょいごめん、やっぱしやめよっ、……」
逡巡した私の思考は止まった。思い切り腕を引っ張られ、たたらを踏んだ足がバランスを取り戻す前に強く壁に背を押し付けられる。おい今ばきっつったぞ。運動不足だから肩の関節がいい具合に気持ちよく鳴っちゃったじゃん。
しかし音によると時は止まってなさそうで、ぱちりとまばたきをしてから、ん、と喉を震わせる。リゾットを押しのけてよくわからんと事情を聴こうとしても力ではかなわず、ただタイミングを計り損ねて開きかけた唇に熱が加わるだけだった。
あれ?これ私が襲われてね?
壁に体を縫い止められて、言うなればがぶがぶと食われている気がする。
待て。お前は待て。どういう方向の嫌がらせだ?エーット、ナニ?恋人に嫌われちゃって傷心の私を、私を嫌っている恋人が私を嫌ったまま襲って身もふたもあられもなく痛々しい行為を遂げることによって私の心をずたずたに……みたいなそういう面倒くさい復讐方法か?外にいる部下に聞かれてもいいのか……?みたいなセリフくる?いやそんなアホな。
がり、と軽く相手の舌をかむ。リゾットは可憐でか弱い私のささやかな抵抗にようやく気がついた。
「リゾットちゃん」
「……すまん」
「すまんで済むけど驚かせないでよ」
「……」
「具合は?」
「大丈夫だ」
「そらよかった」
リゾットの手をにぎにぎして、きく。アホなセリフは全然こなかったしもう正気っぽい。正気。正気ね。
「……どの段階で大丈夫になったの?」
「……、……どこだろうな?」
リゾットはガチで不思議そうに首を傾げた。
口づけを交わした瞬間と考えるのが妥当だろうが、どう考えても先にキスしてきたのは彼なような気がする。私の誘い方にメロメロになっちまったか?私ってば罪な女。あとリゾットわかんねー!嫌いな女にあんな誘われ方してキスするか!?やっぱ嫌がらせだったんじゃねえのか。面白いやつだな……と心の中の生徒会長がイケボを披露した。
まあ、結果が一番ですからね。深く追及するのはやめておこう。
私も何も言わずに、そっと口元を指でぬぐった。