喫煙すぱすぱ


ぶらぶらと散歩をして、お、いいなと思った靴を試着してみる。うまい具合にフィットしたので即行でお買い上げだ。私の家の靴箱はね、そりゃあもうウォークインクローゼットかってくらい大きいからね。いくら買っても今のところは問題ないのだ。今回はこれからの季節へ向けてのショートブーツを一足。ワイン色っていうの?接客してもらったときはもっとおしゃれな言い方を聞いた気がするんだけど、お店を出て三歩歩いたら忘れてしまった。そういうもんだよね、人生って。記憶力が紙で切ない。ん、いやしかし紙だったら記録ができるな。記憶力が豆腐とかにしておいたほうがいいか?真っ白なところとメンタルの弱さをひっかけてうまい具合にシャレが思いついたらいいんだけど。
紙袋を持って、またぶらぶら歩く。歩道で人にぶつかってお互いに謝り合う一幕もあった。さすがイタリア人は顔の造形もイケメンですなあ吾輩大興奮でございますよと思いつつ何気なくぶつかったほうのカーディガンのポッケを探ってみたら小銭入れが消えていたけどご愛敬。うん、知ってた。みんなはポッケにお金とか入れちゃだめだよ。へこむわー。
全然へこんでないけど、癒しを求めて足の向きを変えた。こつこつとヒールの音を立てながらなじみの道を行く。この先には私の元部下、現ちょっと部下の住まうアパートメントがある。元部下かつ現部下って意味わかんないね。私もどう説明したもんか迷うから、初対面の人には"身内です"って紹介するんだけどどう言えばいいんだろう。こないだはソルベとジェラートを連れて依頼人との顔合わせをしたとき、二人が息ぴったりで私の世話をしてくれるものだから、こっちの対応にむかっ腹を立てていたらしい依頼人に"犬のしつけがお上手ですな"とか言われたんだけどそりゃあもう誰もいなくなってから三人で腹を抱えて笑ったもんだわ。犬。やべえ犬。個人的にはにゃんこちゃんだと思いますけどね。ちなみにガチで笑いの渦に巻き込まれたソルジェラは一時間経っても正気に戻ってくれなくて帰りの運転で事故るんじゃねえかってくらいハンドル揺らしてて後部座席でひやひやした。幸いなことに生きている。
そんな愉快なにゃんこちゃんたちがいる大部屋のドアを勝手に開ける。合鍵は持っているからチェーンロックがかかっていない限り簡単に入り込めるんだけど、今日はいつものごとく鍵すらかかっていなかった。身内以外の人間がここに入ることはないし、だとするならいちいち施錠するのはめんどくさい。留守にするときはかけるものの、在宅中なら侵入されたって対処できるからモーマンタイということで、一見不用心な男所帯ができあがっている。
何人在宅しているかはわからなかったのでとりあえず九人分のお菓子を持ってきたが、入った瞬間に香ったいい匂いからして、今日はソルジェラがパウンドケーキでも焼いたらしいとわかった。奴らの前では市販品などただのおやつよ。あの人を狂わせるおいしさを誇る料理を生み出すソルベとジェラートという氷菓子コンビに、大量生産された食品がかなうわけがない。
「たのもーう」
さっくり声をかけて廊下を進んだが、誰もいない。ただ、テーブルにグラスがあったりカップがあったりソファに座ったあとができていたりと生活の痕跡は見られるため、室内に姿がないだけで誰かはいるのだろう。茶器の数と柄からして、リゾットとプロシュートとソルベとジェラートの四人に違いない。何してんだろうね、この年長組は。
荷物を置いてベランダを覗き込む。あちらは私が入ってきたことに気づいていたらしく(ま、当り前よな)、ソルベが「女王さん、お疲れ」と明るい笑顔を浮かべた。ジェラートも続いて私をいたわる。遊んできただけだから全然疲れてないんだけどありがたくちょうだいした。
すん、と鼻をひくつかせると、鼻先をかすめた匂いが強くなる。
身を乗り出して「おっはよー」と挨拶するモロバレな演技とともに視線をやると、思い思いのラフな格好で室外機にもたれたりしゃがみこんだり手すりにもたれかかったり壁に背を預けたりするイケメンたちの手元からは例外なく細い煙が漂っていた。
ちょっとびっくりしたが、さりげなく手元を隠そうとしたリゾットちゃんに気づくと笑みが浮かぶ。
「あー、いっけないんだー。先生に言いつけちゃおーっと」
プロシュートが細く煙を吐き出す。
「うるせえな。ガキじゃあるまいし、モクふかそうが勝手だろ」
「そりゃあそうなんだけど。男四人で喫煙しながらナニで盛り上がってたのか知りたい。エロ話?」
「バカか。仕事の話だよ」
「仕事の話?おいおいプロシュート、嘘を言っちゃあいけねーよ。さっきまで女の胸と尻の話してただろ?」
「そーそー、ジェラートの言うとおり。俺たちはポルポには到底聞かせられないような猥談で盛り上がってたんだぜ」
「ありもしねえ事実をねつ造するんじゃあねえよ。話してたのはテメーらだけだろうが。俺とリゾットは黙ってふかしてた」
「ご静聴たまわりモールト・グラッツェ!」
「ウヒャヒヒヒヒ」
「おいリゾット、うるせえからこいつら叩き出せ」
「いつものことだろう」
私まで釣られて笑ってしまった。ソルジェラがうるさいのはいつものことだっていう認識はあるんだね。叩き出さないリーダーは優しい。そこにつけ込む成人したいたずらっ子は色んな意味でツラの皮が厚くて結構。
ところでリゾットってタバコ吸うの?今まで見たことなかった気がするんだけど気のせいか?なんか知らん場所では吸ってたのかしら。家にはシガレットのシの字もなく、ライターすら持っていなさそうなのに、灰を灰皿に落とす動きにはよどみがない。とん、とふちを叩いてやりやすくしてから、まだあまり吸い切れていない一本を皿の底に押し付けて火を消した。私に遠慮したのか見られたくなかったのかはわからないが正直もっとやってくれ。健康に害のない範囲でやって。頼む、かなり興奮したんだ。
「私邪魔だった?」
「いや、もうやめるつもりだった」
「あんまり喫うとプロシュートと同じ香りになっちまうもんな」
「気持ち悪ィ言い方をするんじゃねえっつってんだろうがよ」
「移し火までしといてナニ言ってんだか、なあソルベ?」
「自分から誘ったのになあ、ジェラート?」
話の流れは読めないが理屈抜きで心がわくわくするんだけどごめんそのあたり詳しく教えてもらってもいいかな?プロシュートがリゾットをベランダに誘って、誘いに乗ったリゾットに煙草を一本差し出して、ライターで火をつけたところちょうどリゾットのぶんのオイルが足りなくなって火花しか散らなくなったせいでリゾットはプロシュートの煙草から直接火をもらわなくてはいけなくなったって話をしてる?ごめんね、おねえさんの理解が追い付かないんだけどつまりそれってシガレットキスか?どうした元暗殺チーム。どうしたリゾット。どうしたプロシュート。一緒に煙草喫いたかったの?
そこに登場してプロシュートのシガレットケースから煙草を盗んだソルベとジェラート。テメーらに火はやらねえからなと言われたらしくて私の心の中のオーディエンスが総スタンディングオベーションした。ゲラ二人はキッチンのチャッカマンみたいなやつで火をつけたとさ。色気ねえだろって言われたけどそれはそれでディ・モールト有りだと思います。
「プロシュートくんは私には勧めないの?」
「あ?」
「ごめんて。プロシュートは私には勧めないの?」
めちゃくちゃ不機嫌そうに睨まれた。呼び方が気に食わなかったか。難しいお年頃だからね。
プロシュートの親指が吸い口を撫でた。それから吸い込んで、フゥ、と優雅に吐く。わっか出してって言ったらジェラートが出してくれた。無理なのはわかってるけどなんかこのコンビなら煙草の煙で文字とか書けそうだなって思った。小学生並みに夢のあふれる妄想だ。
「テメーには向いてねぇよ」
「ソルベ翻訳にかけまーす」
「任せとけ、女王さん。つまりプロシュートは"ポルポの綺麗な身体を毒素で冒したくない"って言ってるんだよなー」
「ツンデレってやつさ」
ときめいたわ。プロシュートにそんな台詞を言われた日には雌猫が五匹は死ぬ。私も心に雌猫を飼っているので素直な気持ちで愛してるって言った。ふざけてんじゃねえよって叱られた。自分に正直になると怒られるなんてこの業界はシビアだなあ。
「俺の隣に誰がいるのか見えねえのか?その眼は節穴か?あん?」
実力でのし上がってきたギャングって感じがひしひしする声だ。ドスがきくってこういう音なんだろうね。私も生涯で一度は出してみたいもんだけど、なかなか難しそうだから誰かに修行をつけてもらえると嬉しい。頼んでみようかな、アバッキオとかに。でも自分より年下の青年に"人を脅せる声音を伝授してください"って頼む元上司とか超絶意味わかんないよね。ちなみに隣に誰がいるかは見えてるよ。
「じゃあナニか。プロシュートは目の前に恋人がいるからって"あの女性の歩き方は良いな"って言ったりしない、……わね。しないわ。ごめん。私が間違ってた」
私はするけど常識的にはしちゃいけないんだろうなって思いなおした。
「初対面のときから思ってたが、やっぱりテメーは狂ってんな」
「やったー褒められたー。リゾットちゃん、褒められたよ」
「良かったな」
見よ、そして聞け、この心底からどうでもよさそうな表情と相槌を。なんか私とプロシュートが抱き合おうが無視すると思うんだけど。ていうか突っ込んでよ。放置は悲しいから。二十六歳もイイトコだけどそういうの悲しいから。
ソルベとジェラートのタバコがぎりぎりまで燃え尽きて、二人も灰皿にそれを捨てた。ギャングみてーに手で揉み消すのもかっけーよなあとか言ってたけど火傷するからやめたほうがいいぞ。しないのかな。スタンド使いってすごいし。
プロシュートはもう一本取り出した。人の健康は心配するくせに自分の健康はいいのか。まばゆいイケメンだから体内に超強力な自浄機能とかが備わっているのかもしれない。イケメンはずるい。
しばらくそのままベランダで外の景色を見て、焼きたてパウンドケーキがいい具合に落ち着くころ、ソルベとジェラートがお茶の時間を提案した。
私とリゾットは一も二もなく頷いて、プロシュートも緩慢な動きで火の始末をする。
片づけが終わるころ、テーブルには新しい紅茶とケーキが揃って並べられていた。
煙草のあとでは味が変わったりしないのかと未知の感覚について質問攻めにしたが、全員が気にならない組に入ったので正確な答えは得られそうにない。気になるかならないかじゃなくて変わるのか変わらないのかを聞いているんだぜ。仕方ないから今度ホルマジオに聞いてみようと決めた。