魅惑の彼シャツ


慌ててホルマジオの家に入る。扉を閉めると、ざあざあと降り続く雨の音が遠くなった。
「あー、災難だったぜ。とんでもねえ土砂降りだ」
私は洋服屋さんからの帰り道。ホルマジオはスーパーでビールをしこたま買い込んだ帰りだった。ふたりとも重い荷物を抱えたまま、突然の大雨にどびっくりして、ホルマジオは自分のアパートに、私は近くにあった彼らのアパートに。それぞれ走って向かったところ、アパートに続く一本道ではち合わせた。顔を見あった私たちは即断即決でホルマジオの部屋に逃げ込んだというわけだ。
濡れた髪をかきあげる。服も何もびしょびしょだ。買ったばかりのものもしばらく乾かないだろう。
「透けブラしなくてごめんねー」
「おうおう、そーだな」
「ピンクだよ」
「うるせェよ」
ホルマジオはブラジャーにはあまり興味がないらしい。その下に隠れるお肉が好きなのかな。いや、なんかこいつはお尻のほうに目が行っていそうなイメージがあるな。どうなの、と確かめてみたら「嫌いじゃあねェよ」と答えられた。イエスでもノーでもない曖昧な答え。大人ってずるいなあ。
はっくしょん、とくしゃみがひとつ出た。びしょ濡れのままじゃあそりゃあ冷えるだろう。ホルマジオはてきぱきと上着を脱ぎ、身体を拭いてタオルを首にかけた。私にもタオルを投げてくれる。受け取って肌を拭いたが、このままでは風邪を引いてしまいそうだ。こちらも濡れてはいるけど、買った洋服にでも着替えようか。
そこで、あ、と思いつく。
「悪いけどホルマジオ、シャツ貸してくんない?」
「イヤだよ」
「やっぱり?」
他人に服を貸すのには抵抗があるのかな?勝手に納得しかけたところでホルマジオが首を振った。
「そういう意味じゃあねェよ。ただ俺はリーダーを敵に回したくねーんだ」
「回らないでしょ」
「濡れたオメーが俺のシャツを着てたらヤバイだろ」
「服が乾くまでホルマジオの家にいさせてくれたらいいじゃん。誰にも見られないよ」
「ウーン、そりゃあそうなんだがなァ」
いたいけな上司が風邪を引いちゃうよ。人助けと思ってここはひとつ犠牲になってくれ。
「……まァ、見られなきゃあイイよな」
「うんうん」
テキトーに頷いてシャツを借りた。私が服を脱いでいるときにはちゃんと視線を外してくれた優しいやつだ。「ピンクでしょ」って言ったら「レースが多くねーか?」って言われたけど紳士的だね。顔を逸らすフリすらしない子もいるなかで、良心的な元ギャングじゃないか。
まあ容易に想像できることだったけども、予想通り筋肉男の服はデカい。巨乳は強調されているが肩も袖もぶかぶかである。これはいわゆるさあ、などとその辺の椅子に腰掛けて言う。
「彼シャツ?」
「お、そう言われっと味があんな」
「萌える?」
「下も脱いでからが本番だろ」
「あー、そっち派?風呂上がりに彼シャツ一枚で微笑んでくれるカノジョが」
シャワーを浴びてほてった頬を照れくさそうにタオルで押さえつつ、寝起きの男ににっこりして「朝ご飯は何にする?」とかなんとか訊いてくれるやつでしょ。そんなん私だってグッとくるわ。太股の付け根がぎりぎり隠れるか隠れないかってぐらいの丈が好きだよ。手を上げるとチラチラと下着が見えそうになってもどかしい、という。なぜだろうね、私も同じような格好をしているのに、『下にスカートを履いたポルポ』というだけで扱いが悪くなるのは理不尽な気がする。
ぐだぐだとダベりながら買ったばかりのビールをあける。乾燥機で上着がいい気分になっているうちに気晴らしの酒盛りをしてしまおうって魂胆だ。
ひとのつまみをヒョイパクと口にする。半分も飲めば、笑い声も大きくなる。お互いの不運を大げさに嘆きつつげらげらと声を立てていると、ドアチャイムが来客を報せた。
「宅配か?」
「何頼んだの?」
「ンな記憶はねーんだがなァ」
ホルマジオの記憶にないのなら宅配なんて頼んじゃあいないんだろうな。彼の記憶力に私は絶対の信頼を置いているので(置かざるを得ないよね)確信できる。じゃあ誰だろう。
ホルマジオはひとりの名前を呼んだ。
「あん?メローネ、何か用事か?」
「楽しそうな声が聞こえたからさあ。誰かいるのかい?」
「ポルポがな。この雨だろ?ちょうどそこで会ったモンだから、どうせだっつって雨宿りさせてんだよ」
「ふうん。上に行けばいいのに」
上は二部屋をぶち抜いてつくった集合部屋のようなもので、だいたいみんなそこでだらだらしている。そこに行けばいいというのだ。まあそりゃあそうよね。
「……あー、まァ、今もう飲んじまってるし」
「上にも酒があるじゃん」
「んじゃあ、服が乾いたら行くからよォ」
「へー。服、濡れてんだ」
メローネはガタイの立派なホルマジオの肩越しに部屋の中を覗き込んだ。玄関のほうを見ていた私と目が合う。さりげなくホルマジオが視線を遮ったが、時すでに遅し。普段通り、目元を布で隠したメローネの眼差しがゆがんだ。
「ふうーん」
声がニヤニヤしている。
嫌な予感に襲われたホルマジオが問答無用で扉を閉める。が、一足早くブーツの爪先が隙間に入った。鈍い音を立てた攻防は一瞬で決する。動揺したホルマジオが後手に回った。勢いよく力任せに扉をこじ開けたメローネは、半身を部屋にねじ込んで手を伸ばし、フラッシュをたいた。携帯電話のシャッター音が無情に落ちる。
「もしかしてこれであんたを一生脅せる?」
「オメーはホントに厄介なことしかしねェんだな。わかっちゃあいたが、オメーの良心に期待した俺が間違ってたぜ」
悲惨な未来が見えたのか、ホルマジオは扉を閉めることを諦めてメローネの胸をどんと押した。
「あれえ?そんな扱いをしてもいいのかい?俺がこれを添付したメールをうっかりリーダーに送っちまったらどうなると思う?なあポルポ」
急に振らないで。私に「風邪を引かなくて良かったな」って言うんじゃないかな。
「だよな」
リーダーってみんなのこと大好きだから、ホルマジオが想像するほど怖くないよ。
「わかっちゃいる。わかっちゃあいるが削除しようぜ」
「俺が飽きたらね」
「いつ飽きんだよ」
「この飲み会に参加できたら飽きるかもしれないぜ」
「しゃーねェなー。さっさと入れよ」
招き入れられたメローネは、楽しそうに私の隣の椅子を引いた。騒がしくなりそうな部屋の様子を見て、ホルマジオが雨への文句を呟いた。

「あ、手が滑った」
「は?」
「え?」
缶ビールが二本あいた頃、無邪気な声はそう大きくもなかったのに、話題に一区切りのついた空間に響きわたった。
ケータイ片手の美青年が肩をすくめる。
「ギアッチョとソルベとジェラートに送るつもりだったんだけどさあ、うっかりBCCにリーダーのアドレスも入れちった」
ホルマジオと顔を見合わせた。わざとなのかうっかりなのか、咄嗟に判断できない事案だ。メローネって単語登録でアドレスを短縮して打てるようにしてるらしいから、打ち間違いとかがさ、あるのかもしれないよね。本当に打ち間違えていたとしたらそのうっかり具合がめちゃくちゃ可愛い。
「……送っちまったのか、オメー……」
「うん。ワリ」
「オメーは……本ッ当に……」
「あはは」
「でもそんなに悪いこと?」
「男ってやつはなァ、そそると同時によォ、なんで俺のシャツじゃあねえんだ?ってモヤモヤするモンなんだよ」
「へえ」
私はメローネの前からビール缶を遠ざけたホルマジオを笑った。そして笑いながら気がついた。
「これって怒られるとしたら私じゃない?」
「うん。ポルポもごめんな」
可愛らしく、私の手を握って首を傾げるように謝ってきたので、私は反射的に許しの言葉を口走っていた。満足げに携帯電話を置くメローネが小悪魔にしか見えない。
「……優しいから怒らないよね?」
「って、さっきポルポは言ってたけど」
「……ちょっと帰りたくないな」
「俺も帰したくねェよ」
「その台詞、もっと情感込めて言って」
「うわ、録音しとけば良かった」
私の前からもビール缶が消えた。
「やっぱりオメーらさっさと帰れ」
リゾットに怒られる前にホルマジオが青筋を立てる。きゃあ怖いとうそぶいてメローネの手を握りしめて反応を見たら、ぱこんと空っぽのビール缶でこめかみをたたかれた。