ブチャラティと風邪


電話を受けて驚いたのなんのって、思わずだらだらと打ち込んでいた依頼主へのメールを放置して立ち上がってしまったほどだ。慌てず騒がずCtrl+Sで下書き保存をしたうえで、改めて聞き返す。ブチャラティが風邪をひいたって言った?
電話の向こうでフーゴは頷いたようだった。
「ジョルノのところからこちらへ戻ったと思ったら随分顔色が悪いものですから、問い詰めたんです。そうしたら昨日から具合が悪いのだと言って。熱を計ったら8℃5分もあって」
「さんじゅうはちどごぶ」
高熱じゃん。すげー高熱じゃん。何をやっているんだブチャラティは。誰も気づかなかったのだろうか。気づいて指摘されたのに硬派な表情で"少し睡眠不足で"みたいな下手な言い訳を使って追及を躱していたのかもしれない。そこまでして仕事に打ち込む真摯な姿勢がぐうたらしまくっているこの私にはちょっと理解できないんだけど、ブチャラティは真面目だからそういうことをしてしまいそうだ。
今はジョルノ除く護衛チームの全員によりアジトにあったベッドに寝かされ布団で簀巻きにされているようだ。このベッドは出番がない時はナランチャとミスタの上着掛けになる優れものだ。ここに掛けられた上着をブチブチ言いながら片付けるのが、後から入室したチーム構成員の日常らしい。だから誰もナランチャとミスタより後に集まろうとはしない。先に部屋に居れば、彼らが入って来た時に注意できるからね。チームとして仕事をする機会は減っているけれど、変わらず仲が良くて何より。
もちろんアジトに風邪薬や冷えピタなどが常備されているはずもなく、それらは今、アバッキオが買いに出ているとのこと。
「一応、元上司ですから。あなたにも報告しておかないといけないと思って」
「そりゃあありがたいけど……、お見舞いとか、行かないほうがいいかな?迷惑になる?」
これほどの高熱だ。余計な来客はないほうがいいかもしれない。気持ちとしてはとても心配なのだけど、こういう時どんな顔をしたらいいかわからない。なにせ数年一緒にいたけど弱ったブチャラティの姿なんて数えるくらいにしか見たことがないのだ。治りかけた頃に訪ねるべきかもしれないな、と思ったところで、フーゴは意外にも色の良い返事をした。
「いえ、来てください。うわ言であなたの名前を呼んでいるんです」
「え!?行く行く今すぐ行く!!」
「冗談ですよ」
「知ってた」
だよねわかるよ。そんなことがあるわけない。でも今から行くね。
待っています、とだけ言ってフーゴは電話を切った。私も子機を置いてクローゼットの扉を開く。私なりに手早く着替えながら、どんなお見舞い品を持って行こうか考える。定番は花束やフルーツバスケットだけど、花を贈られても困るだろうし。ここは無難に果物を買うとしよう。お財布と携帯電話、ハンカチちり紙、ナイフ、ランプをカバンに詰め込んで父さんが残した熱い思いを胸に出発。もちろんナイフとランプは持っていないよ。ラピュタはあるかもしれないけど銃刀法で捕まるのは勘弁だ。
階段を下りる前、リゾットの部屋をノックしてブチャラティが倒れた旨を(誇張だけど)伝えると、彼も目を丸くして驚いたのち(誇張だけど)見舞いの言葉を預けてくれた。しかと承って外へ出る。いい天気だ。ていうかやばい太陽の光とかまともに浴びたの4日ぶりかもしれない。最近は天気が悪くてあんまり外に出てなかったからな。引きこもり稼業はサイコーだ。

歩くこと15分、町はずれのマーケットで果物を買う。日本の感覚で『お見舞い品』といえばメロンなのでメロンを買ってみたが、ビジュアルがかなり異なるので何となくしっくりこない。ついでに生ハムでも買って生ハムメロンにして差し出そうかな?病人をいたわる気がさらさらない見舞客ですみません。
慣れた道を進んで特に隠れることもなく建屋に到着する。階段を上がってチャイムを鳴らしてしまってから、あ、起こしちゃうかもしれない、と気づいて自分の気配りの足りなさに愕然とした。これだから私は。まったくもう。大人ってなんだろうね。
出迎えてくれたのはアバッキオだった。簡略化された挨拶のハグをしたあと、無言で道を開けられたのでお邪魔しますと言って敷居をまたぐ。広い部屋は静かで、個室のように仕切られている奥の空間でブチャラティが眠っているのだとジェスチャーで示された。ああ、うん、やっぱりチャイム鳴らしてごめんね。
ナランチャは音漏れしないように気をつけながらヘッドフォンで音楽を聴いていたが、私を見るとニッコリ笑ってそれを外した。
「やっぱりフーゴの言ったとーりだ」
「ん?何が?」
部屋にいる全員が私の手元を指さした。今まさに、アバッキオに手渡そうとしていた紙袋を。ぎっしり詰められているのは、甘い香りを放つ色鮮やかな果物だ。一拍、顔を見合わせた後、もしかして、と気づく。
もしかしてこいつら、お見舞い品目当てで私を呼んだんじゃないだろうな。外れていることを願う。
ナランチャの発言は自分の為にも突き詰めないことにして、アバッキオに重たい果物を渡してしまって、空いていた椅子に腰かける。ちょっとぬくもりが残っていたので、もしかしたら誰かが座っていたのかもしれない。そしてその誰かっていうのは順当に考えるとアバッキオなんだけど、彼は何も言わなかった。優しさか、ツッコミを入れてやり取りが進行して最終的に大声で私を怒鳴る結果が見えて指摘するのをやめたのかもしれない。どこまでもブチャラティ思いな男よ。それが貴様の弱みだ。残念だったな、30分くらい歩いて疲れたからもう私は立たないぞ。
別の席に腰掛けたアバッキオは、いつもの通り低い声、しかしどことなく抑えた調子で私の来訪を型通りに歓迎した。ありがとう。彼の後ろにはフーゴが紙袋を漁り、食べやすそうな果物を選ぶ姿があった。手に取られたのは林檎と桃だ。そうだね、早めに食べないと傷みそうだし、そのふたつは比較的消化によさそうだ。風邪っぴきの人へのお約束というとすりおろした林檎をスプーンですくってあーん、ってやつだしね。桃はさー、ホントのことを言うと私は風邪の時には桃缶のシロップ漬けを食べたいタイプなんだけど、今回は熟れ方のいい桃があったから生にしちゃったんだ。缶詰のやつのほうが好きだったらごめんな。まあここのみんなはお行儀がいいからそんなことは言わないだろうけど。どうでもいいけどメロンもオレンジで桃も黄桃ばっかし、ってイタリアの果物は目にも鮮やかよね。
「それで、ブチャラティは?大丈夫なの?」
「寝てますよ。さっきアバッキオが走って買いに行った薬を飲んだから、起きた時には熱も下がってるんじゃないですか」
「だといいな。あんまり風邪をひかない人がたまに風邪に当たるとかなり苦しいって話も聞くから心配」
寝てる時もあのスーツなのかな。しわになるからってパジャマとか着てるのかしら。そのパジャマはどこから現れたんだ?これもアバッキオが買いに?いや、全裸という可能性もある。それは風邪が悪化しそうなので一枚くらいは着てもらいたいんだけど脳内の何かが私の良心を妨げる。
「パジャマで寝てるの?」
「ええ」
「ここにあったの?」
「あんた、ここをどこだと思ってるんです。ホテルですよ」
ちぇ、備え付けか。
彼らは足がつかないよう(さすが、危険な職場)、アジトを一か所に構えないようにしている。普段はみんなジョルノが坐す建屋に――言い方はおかしいけど――出勤するような形を取っているから全員で改めて集まる機会も少ないし、無防備に空き家を持っておくよりはこういう所が身軽でいいのだろう。
ホテル備え付けのパジャマを身につけるブチャラティを見たい気持ちは抑えきれないほど高まっていたけど、さすがに病人の部屋に入り込んでベッドのわきに立ち布団をはぎ取るわけにはいかない。どんな鬼だそれは。私の血は赤色なのです。
簡易キッチン、それから当然のように果物ナイフまで備え付けてあるホテルの一泊あたりの値段がいくらなのか、小市民根性から言うと想像したくない。しかもナイフはちょっと装飾が豪勢だ。お洒落なペーパーナイフと言われたら騙されてしまいそうなデザインであり、するするとリンゴの皮がむけて螺旋が生み出されたりしなければ私も信じられなかっただろう。こんなお洒落な果物ナイフがあっていいのか?いいんだろうなあ、イタリアだから。あと、さすがにおろし金はなかったようですりおろし林檎はつくられなかった。
ミスタはどこからともなく取り出した自分のナイフで、もう一つの林檎をむき始めた。それ今ブーツから出さなかった?大丈夫?心配になったが食べるのは私ではないので自己責任ということでやってもらおう。良いと思うよ、暗器で無造作にフルーツの皮をむくって、私は支持するよ。日常の中に非日常的スパイスが加わってすごくギャングっぽいし。
手先が器用なミスタは林檎の皮を菱形に切り取り、残った部分を果肉から浮かせるように軽く刃を入れた。ウサちゃん林檎の完成だ。可愛いねと言ったら差し出されたので「今お腹いっぱい」と言って断ったら場が一瞬ざわついた。嘘だよ。ただブーツから取り出した刃物がちょっと怖いだけだよ。心配そうにされたので心が咎めて受け取ってしまい、食べなければならなくなったが、食べてみたら普通の味だったので安心して飲み込めた。偏見は良くないってことかな。でも引くだろ常識的に考えて。リゾットが自分の血で作った抜き身の刃で林檎をむくのよりは怖くないかもしれないけど。
フーゴも皮をむきがてらこぼれた欠片などをシャリシャリと音を立てながらかじっており、なかなかにアットホームな空気が漂っていた。みんな小声で喋ってはいるものの、普段の明るさは戻ったようだ。ブチャラティがひとり倒れるだけでこんなにも動揺が走るのだから、どれほど彼が愛され、頼られているのかがわかるというものである。ちょっと仕組まれた感のあるお見舞い品だったけど、話題のタネのひとつにでもしてもらえたならよかった。林檎もおいしかったしね。
「そろそろ喉でも渇く頃でしょうし……。じゃあこれ、持って行って様子見てきてください」
「私が?」
「アバッキオにやれって言うんですか?」
「それはそれで」
「うるせーよさっさと行け。ブチャラティが寝てたら起こすんじゃねぇぞ」
ブチャラティに関することには狂犬のように噛みつくアバッキオ先輩にせっつかれ、皿を持ってブチャラティの眠る寝室へ向かう。
そこは少し空気がこもって、病人特有の乾いた熱気が浮く空間だった。サイドテーブルに皿を置き、ブチャラティを見下ろす。貼られた冷えピタは整えられた前髪でも隠れ切れていなくて、いつも凛とした彼にはアンバランスだった。ぶっちゃけたいんだけど可愛い。すげえ可愛い。普段きりりとして崩れないクールな表情が熱に浮かされて幼く見える。
唇は、熱で少しかさつく。うるうる愛されモテ系の唇がもったいない。
首筋に手を当てると、まだ熱かった。私は冷え性とは無縁だ。そんな私の手でもかなりの熱を感じるということは、やはり苦しみの中にあるのだろう。
見つめていると、青年が薄く瞼を開いた。ふてぶてしいのだけど、起こしてしまった罪悪感は不思議となかった。
「ポルポ、来てくれたのか……」
「フーゴから電話を貰ってね」
「起きられて良かった。すぐに帰ってしまうんだろう?」
「まあ、長居することもないし。林檎食べる?食欲ない?」
だるいだろうに、ブチャラティはゆっくりと身体を起こした。私が枕を壁に立てかけると、それを背もたれにしてふぅと力を抜く。浮いた汗を、用意されていたタオルで拭う。私が風邪をひいた時は身体にもべったり汗をかいて気持ち悪い想いをするので、できれば服の中に手を入れて胸元とか背中とかを拭いてあげたかったんだけどそれはさすがに自重した。絵面的にヤバい。風邪で弱って動けない幹部を元ギャングの巨乳女が手籠めにしようと逆に襲い掛かったようにしか見えない。そしてそういうシーン、薄い本でよく見る。だいたい幹部の相棒が駆け込んできて元ギャングの巨乳女を追い出すのよね。アバッキオが乱入してこないとも限らないし、怪しい行動は控えるべきだ。
水を飲んだブチャラティに、もしかするとナランチャの血を浴びたことがあるかもしれないフォークで林檎を刺して差し出す。ブチャラティは重い手でそれを受け取ろうとした。しかしかなり弱っているようで、取り落としそうになってしまう。これは。
「あーんしてあげようか」
千載一遇のこのチャンス、どう考えても逃すべきじゃない。
ブチャラティがぱちくりと目を瞬かせる様子はとても可愛らしかった。その一瞬の間隙にフォークを奪い取り林檎を彼の口に触れさせる。
私に遠慮する気がないと知ったブチャラティは、機械的な動きで口を開けて林檎をかじる。ひと口食べると気力が湧いたのか、今度は緩慢ながらも意思のある瞳で食べ進めた。
「おいしい?」
「ああ、とてもおいしいよ。ポルポが食べさせてくれたから、かもしれないな」
で、出た、イケメン発言。風邪をひいていてもブチャラティのイケメンぶりは健在か。こんなブチャラティ担の女子の七割くらいが一度は言われてみたいと思っている台詞をこやつはいともたやすく。いや、七割は少なすぎたかな。私はいつか夜道でネアポリスのブチャ担女子に刺されるのではないだろうか。
そっかよかった、ともうひとつ食べさせる。今度もまた、熱で味覚がやられているだろうに「うまい」と微笑んだブチャラティはイタリア男の鑑だ。いっぱい食べて精をつけようね、ブチャラティちゃん。
お皿にあったすべての林檎をほぼ無理やり(元上司命令、みたいな気配があるじゃん?)胃袋に流し込ませて、ひと息ついたブチャラティをすぐさま横たえ布団を肩まで引き上げる。
「ゆっくり寝てね」
「ありがとう。わざわざすまない。来てくれて嬉しかったよ。なんだか……」
なんだか、とブチャラティは枕の上で首を傾げた。
「きょうだいみたいだった」
「……ああ……なるほどね」
そういえば、前にそんなやりとりをしたっけ。あの時は私が言い出したような気がするんだけど、今回はブチャラティがそう感じてくれた。こんな姉で大丈夫か?
うん、問題ない。ブチャラティがそれでいいって言ってるんだからいいんだよ。私はブチャラティが『カラスは白い』と言ったら金を払って世界中のカラスを白く塗るタイプのモンスターギャングだ。もちろん冗談だよ。
優しい気持ちで、布団越しに胸のあたりをぽんとたたいた。
「そうそう。リゾットがブチャラティに"お大事に"って言ってたよ」
正確に言うともう少し違う言い回しだったんだけど、それはまあいいでしょう。
リゾットからのお見舞いの言葉を聞いて笑いが気管に詰まったのではないだろうけど、ブチャラティはごほごほと咳き込んでしまう。おろおろと肩をさすっていると咳がおさまり、彼は心なしか涙目で口角を上げた。
「じゃあ、グラッツェと伝えてくれ。俺の"義兄さん"に」
私のほうが爆笑に気管をやられてげほげほ噎せた。わ、わかった。伝えておく。
こんな時でもお茶目を忘れないブチャラティに安堵して寝室を後にできたので、もしかしたらあの発言はブチャラティなりの気遣いだったのかもしれない。そう気づいたのは帰り道でのことだった。6歳の歳の差があるのに、私は到底彼に敵いそうにない。風邪で彼が弱っていなかったら膝に矢を受けてやられていたに違いない。
でも、早く元気になるといいなあ。
お天気の空を見上げて祈っておいた。