行為の代償


アルコールは人を変える。ペッシのように元の性質に加え更に良いように変わる人もいれば、イルーゾォのようにマイナス方向へくだを巻いてしまう人もいる。プロシュートは気持ちよく酔うと饒舌になるし、ソルジェラはたぶん沼。ホルマジオはゲラゲラ笑って豪快だ。メローネはちょっぴり静かになる気がする。ギアッチョはあまり飲まない。
では、リゾットは。
チームリーダーとしての威厳を保つ為か隙を見せない為か、リゾットがぐでんぐでんになった姿を、私は今まで一度も見たことがない。六年だぞ、私たちの付き合いは。六年間も一緒にいてお酒を飲んで、若かりしリゾットのあんな恰好やそんな恰好やドジっちゃった瞬間を目撃している私が、一度たりともリゾットの泥酔したとろんととろける表情を見たことがない。これは由々しき事態だ。
もちろん、泥酔はよろしくない。内臓に負担がかかるし、まともな思考が働かなくなって翌日つらい思いをするのだ。二日酔いとは魔の響きである。チャンポンは本当にダメだ。ワイン飲んでビール飲んで日本酒飲んで焼酎飲んでチューハイを飲んだ日には翌日起き上がれない。通常はそこまで飲まないし飲めないんだけど、一度だけやってしまったことがある。肝臓の働きを良くする合法なドリンクをパッショーネの開発部から分けてもらった時、全員で試飲をしたのだ。シャレではないが、これが死因だった。自宅のリビングに積み重なる屍の山。リゾットとソルジェラだけは正気を保ちみんなの世話をしていたらしいけど、こっちはぐだぐだ。イルーゾォあたりは翌日、真っ青な顔でトイレに駆け込んでいた。たぶん、当日にも吐いてた。私も吐いたのかと訊いてみたら、ソルジェラがケロッとしながら否定してくれて安心した。二十六歳で泥酔嘔吐は怖い。介護者が三人に対して返事のない屍が七体。分が悪い。
いつだって冷静にこちらを助けてくれるリゾットを酔わせたい。翌日起き上がれなくなるまで、とは言わない。言わないとも。ただ、ほろ酔いで頬を赤く染め瞳を潤ませる様子くらいは心のアルバムに保存しても構わんだろう。そんなリゾット、普通はコラじゃないと手に入らないだろ。頬染めコラの威力ったらもう。実際にこの目に焼き付けられたら、どんなに幸せな気持ちになることか。
誰にも協力は仰がなかった。これは私一人で挑むからこそ意義のあるミッションだ。一週間を準備期間としてしこたま酒瓶を買い込み、冷蔵庫に隠したり自室に保管したり小細工を仕掛ける。そしてとうとう、決行の日を迎えた。

夕食の席から頻繁に杯を勧める。自分も飲んでいるふりをしてチマッチマチマッチマ舐めるようにグラスを傾け、リゾットの方にはまあまあお代官様お飲みくださいとニコニコしながらいっぱい注いだ。律儀に飲んでくれるリゾットは優しいが、その優しさが命取り。私の完璧で完全な計画かっこ穴だらけかっことじから逃れられると思ったら大間違いだぜノンノンノン。
「やけに飲ませるな」
「そうかな?おいしいでしょ?」
そういやあ私もこんな口上にのせられてぐでんぐでんになるまで酔わされた思い出があったっけ。恨みと表現するには結果オーライすぎる一日だったが、まあ大義名分として『仕返し』の文字を掲げておこう。シチリア生まれに対してのヴェンデッタって完全に詰んでるけどね。
お皿が綺麗になっても、私の手は止まらない。微笑みを浮かべてリゾットのグラスに絶え間なくワインを注いでいく。ソルジェラ曰く、リゾットは決してザルでもワクでも沼でもないとのこと。人よりは強いが、酔わないわけではない。うんうん、それならその限界値を突破させるだけだね。お酒の貯蔵は充分だ。どうしてソルジェラがそんなことを知っているのかはあえて訊かなかった。もしかしたら悔しすぎて枕に顔を突っ込み溺死する羽目になるかもしれない。
リゾットは私の狙いに気づいている。確実に気づいている。しかしあえてノッてくれているのは、こちらも多少お酒がまわって気が緩んでいるからだろうか。願ってもないわ。もしかしてメタリカで酔いも何とかできるのかなと不安になったが、ソファに隣り合って腰掛け、さりげなくそっと握ってみた手がぽかぽかしていたのでホッとする。よしよし、順調に血行が良くなっている。すり寄ってみるとかすかにアルコールの匂いもする。よしよし、イケるイケる。
「……」
リゾットは、ある時からふと喋らなくなった。無口になるか饒舌になるか、どちらかであることはわかっている。今日は無口になる方だなと判断するけど、これからもっととろとろに酔わせてしまえば呂律の回らない口で饒舌に語り出すリゾットというエンジェルが見られるのかもしれないとすぐに気づいてやる気が漲ってきた。低く落ち着いた声をふやけさせるリゾット。アッアーッ、ヤバイ。『興奮しそう』と言った時にはスデに興奮しているんだ。興奮した。完全に興奮した。興奮しすぎてワインを注ぐ手が滑って、ちょーっと多めにいれちゃったけど許してくれ。実は私も、チェイサーと合わせてはいるけどそれなりに飲んでいて気持ちがよくなってきているんだ。興奮の度合いが大きいのはたぶんそのせい。瓶だけは落とさないように気をつけます。
グラスを半分ほど空けた彼は、「ポルポ」と私を呼んだ。はいはい、なんでしょう。
「もう……満足したか?」
やっぱり気づいていたっぽい。そりゃそうか、あからさま過ぎたよね。でもほら、リゾットの全身にワインをぶっかけて偶然の粘膜摂取を狙うわけにもいかないので正攻法でいくしかなかったんだ。
彼の声は少し掠れていた。醸し出されるあまりの色気に目が眩んだ。うおっまぶしっ。思わずもういいよありがとう愛してるよ可愛いよアアアアア、と感情のままにリゾットをいじくり回したくなったけど、もう数分だけ心を鬼にしよう。酔い潰れて眠るリゾット。ほんっとごめんな、こんな上司で。いや、こんな恋人で。最低な実験に付き合ってくれてありがとうございます。今度、何でも言うこと聞くからね。髪を指で梳きながら謎の取引を持ち掛けておいた。
「このグラスだけ空にして、そしたらおしまいにしよう。ごめんね、リゾット。どうしてもリゾットを酔わせて、近くにいる私に甘えて欲しかったのよ」
言い換えればまあこんなところですよね。ほんっとごめんな、リゾット。
グラスをローテーブルに置き、ほぼ空になった瓶からも手を離す。リゾットは目を閉じて下を向いていた。飲ませておいてアレなんですけど、お水とか持って来ましょうか。
「ああ……。その前に、少し手を繋いでくれないか……?」
一瞬呆然としたあと、今日最高の笑顔が浮かんだ。
「は……、……はい!!」
よっしゃあああああああ。私内心大喝采。最高だ。あたたかいリゾットの手。最高だ。握る力が案外弱弱しいところも最高だ。こ、これが見たかった。私はこの姿が見たかった。手なんかいくらだって握るよ。本当に可愛い。本当に。アッー、可愛すぎてどうしよう。抱くしかない。
すごくすごく、隙間がないくらいぴったりくっついて笑みが止まらない。止める気もない。私、リゾット好きだわ。ヤバいわ。これ予想以上に破壊力ヤバいわ。このカードが出たらデュエル強制終了ってレベル。
頼られた気がした嬉しさもある。まあ隣にいたから偶然って説もありますけど、前向きにとらえよう。

こちらもぼうっとお酒の余韻を楽しみながら目を閉じていたんだけど、あることに気づいて顔を上げた。アレだけ飲めば当然だけど、興奮が治まり緊張がほぐれるにつれ、お花を摘みに行きたくなってきた。生理現象には勝てなかったよ。二コマ目即堕ちだ。
リゾットに握られている手を引っ張って外そうとする。ちょっとごめんねーと声をかけながら立ち上がると、驚愕の力強さで手を握り直された。寝ぼけているのかと振り返るが、リゾットは俯いたまま動かない。手の力だけが緩まない。えっと、あの。
「あの、ちょい席を外したいんだけど……」
酔う二十八歳は無言だった。ぐいぐい引っ張ってもまったく抜け出せない。あの、ちょっと。私はトイレに行きたいんですよ。ちょっぴりの時間で戻るから離してくれないかな。言葉を尽くして説明しても一向に事態は好転しない。それどころか、気づいてしまった生理的な衝動が強まって嫌な予感に襲われる。もしかしてわざとやってるんじゃあないか。私に対する、これこそ仕返しなのではないか。
「リゾット、その……あの、この節は実に申し訳ないと思っていて……」
完無視である。力でリゾットにかなうはずがなく、私はその場に立ち尽くした。マジ勘弁。マジ。マジ勘弁。こんなところで社会的な死を迎えるなんてご免だ。くそ、やっぱりリゾットに悪いことをするのは良くないんだ。一つ賢くなったので離してください。もうしません。
「ごめんね、本当にもうやらないよ、本当だって。ねえ、リゾットちゃん、あの、ほんとに……あの……、ちょっと……うあああリゾットさんすみませんでしたうううあああ……、お叱りは受けます。トイレ行った後に受けますから。今は三分間だけ私を待ってて。ちょっと。ねえ、聞こえてる?起きてる?……ん、んんッ、離れねえ!何者なの!!暗殺者か!」
あっ、暗殺者だったわ。
半泣きで湿った声を出して懇願していると、涙目で「あうう」と言いかけたところでするりと手が離れた。あっぶね。あううとか言うところだった。二十六歳であうう。これは自分で自分を許せなくなる。ふええじゃなくてよかった。
冷え切った身体を宥めながら安寧の地へ向かい、全世界のすべてに感謝する。もう二度とこんなことはしないと誓おう。自業自得とはいえ、もう、なんていうか、過酷だった。
心底安堵してソファに戻ると、リゾットは自分で汲んだ水を少しずつ飲んでいた。動けるも起きているのも知っていたけど、こちらはこちらでホッとする。
「ほんと、すみませんでした」
さすがにゲザるわ。躊躇なく膝をつけるほど恐ろしい体験だった。
リゾットは私の頭を軽く撫で、ソファの背もたれに体重を預ける。珍しく脚を組んで、ふう、と色気ある吐息を溶かした。
「"何でもする"……そう言っていたな。楽しみだ」
「……あっ……、え、ええ……まあ……。ははは……」
恐怖しかねえよ。