もういやだ


私はすべてが嫌になった。なぜ、こんなにも神経をすり減らさねばならないのか。なぜ、こんなにも追い詰められなくてはならないのか。私が一体何をした。生きていくこと自体が罪なのか。人が命を燃やす中でいくつも岐路と苦悩を重ねなければならないのなら、さっさとまともな道をすっ飛ばして外れて布団に入って一日中携帯ゲーム機を弄っていたい。仕事なんて嫌だ。人生は楽しいけれど、仕事なんて嫌だ。
決して嫌いな作業じゃあない。パソコンを使って書類をつくったり連絡を取ったり窓口になったりコネクションをコネコネしたみたり、地道なことでもルーチンとして処理しているし、時にはユーモアのあるメールにゲラゲラと笑ったりする。仕事をしていると見せかけてネットサーフィンに励むのもまた一興。二窓で必ずSNSに常駐している私を暇人と笑わば笑え、これが自由業というやつの一片だ。
それでもうんざりすることはある。例えばクソみたいな文章でクソみたいなメールをクソみたいなウイルスと共に送り付けられたりした時だ。炎の壁がうなりまくる。言葉が汚いなんて言ってられない。口には出さないがそっちのパソコンもナイトバロンに冒されてアボンすればいいのにと数時間恨んだ。黒の組織やっちゃってよォ!その間仕事がストップだぜ。ポケットなモンスターをあれこれ育てる冒険が進むわ進むわ。
レポートを一瞬で書き上げた主人公を見て、なんだかフッと嫌になった。なぜ、私は今仕事をしているんだったかな。役割期待の肯定か、人間としての承認欲求か、動いていないと死んでしまう魚なのか。働くとは何ぞや。私は真面目に働いているとは言えないし、おやつの時間だってとっているし、何時に仕事を始めて何時に終えようがタスクさえこなせば誰も文句は言わない立場で悠々自適に暮らしている。貯金もそれなりに結構メニーにあるので、一生遊んで暮らせるのにね。なんで仕事をしているんだろう。偉くねえかな。私、偉くねえかな。
徹夜のせいで思考がラリっていたのかもしれない。完徹かつ暗チ成分不足かつクソメール。これがすべて悪い。
暗殺チームのみんなも忙しくしている時期なので、頼るわけにもいかない。負担になりたくない気持ちも、示しもあるし。リゾットも出かけていて居ない今、私にできるのは、炎の壁がウイルスを焼き払ったついでについさっきまでのデータをもなぎ倒してくれたデスクトップパソコンを眺めながらコイキングに名前を付けることだけだ。このコイキングはペッシちゃんにしようね。すぐに進化させてあげるから可愛く跳ねて待っててね。あっでも逆に。逆に進化させないままでも可愛いな。
目が疲れたのでぱたんとゲーム機を閉じてパソコンの再起動を待つ。更新プログラムをダウンロードしているようで、ずいぶん時間がかかりそうだ。ファンがうなる音を聞いていると、だんだん眠気を思い出して来る。
ちょっとだけ寝よう。
確か、コーヒーを飲んでから十数分眠ると、カフェインが効いて来てスッキリ目覚められるのだとかなんとか、どこかで誰かが言っていた気がする。仮眠には最適じゃないか。
ベッドに入ったら一発で昏々と夢に落ちてしまう自信があるので、飲めないコーヒーを淹れる為にリビングへ下りた。ポットのスイッチを入れてお湯を沸かす。マグカップにインスタントコーヒーの粉を入れて、もちろん茶せんで混ぜたりはしないので、スプーンも用意しておいた。
暗い部屋でソファに座って待つ。テレビをつけようかと思ったが、やめておいた。今は音も聞きたくない。たぶん疲れてるんだよな。突然何もかもが嫌になるなんて私らしくねえもん。仕事したくないよお。
いつもリゾットが座るところにクッションを置いて、ぱたんと倒れる。身体がぎしぎし言ってるよ。ずっと机に向かってメモをとったりサインをしたりメールを書いたり、ちょっとだけブラウザゲームに励んだりしていたからかな。なぜ脱衣ゲームはあんなにも時間を吸い取るのだろう。気づいたらメーラーに十通くらいレスが溜まっていてびっくりしたよ。
つらつらと余計なことを考え、眠らないようにしていたんだけど、どうやら無駄な努力だったらしい。
ポットの中身がごぼごぼと沸く音と、ぱちんとスイッチが自動で切れた音がした。まるで水底からそれらを聞いているような気分で、重い瞼が自然と閉じられていく。これ絶対、風邪ひくわ。最後に抱いたのはそんな予感だった。

眠りはあたたかくて心地よかった。
深く眠っていた私は意識が浮上するにつれ、ずいぶんと身体が軽くなっているのを感じた。目を開けたくはなかったし、このまま二度寝をしたかったけれど、ソファで寝たままでは本当に風邪をひいてしまうと自分を奮い立たせる。この書き入れ時に風邪なんかひいたら大変だ。
「うう……」
起きたくない気持ちがもろに声に出た。呻いて手を動かすと、何かにぶつかる。あったかくて弾力がある。
そういえば、ソファにしては柔らかい寝床だ。気づかなかったが、上に何か掛けられてもいる。寝ぼけてかすんだ目で見て一瞬混乱した。
ここはどこだと景色を反芻して、あれ、リゾットの部屋じゃんと気づく。ついでに、手をぶつけてしまったものはリゾットの身体だった。
「(なんだこれ……)」
ソファで寝たはずなのに、なぜ私はベッドに居るのだろう。リゾットはいつ帰ってきたんだ。
仕事で疲れている彼を起こさないように、寝返りも打たずに凝視する。マジで気づかなかった。そういえばコーヒーはどうなった。あと、更新プログラムをダウンロードして再起動しっ放しのパソコンは。部屋に行かなくてはならないのでは。メールが詰まりすぎてメーラーが爆発していたらどうしよう。世界中からクソみたいなメールが、いや、言葉が悪いな。決して得にはならず労力を浪費するだけのメールが届く時期なので冗談ではなく心配だ。まあ爆発はしていないだろうけども、確認が面倒で面倒で仕方ないんじゃよ。
どうやって運ばれたのか(想像はつくよ)、なんでリゾットの部屋のリゾットのベッドだったのか(彼も疲れているし、のびのびと寝た方がよかったのでは)、今は何時なのか、疑問はいっぱいある。
とりあえず時間を確認する為に身を起こすと、リゾットが目を瞑ったまま言った。
「寝ていろ」
有無を言わせない声だったので、私は黙って枕に頭を戻した。仕事があるんで、なんて突っぱねられない雰囲気だった。物理的に沈められたら怖い。