くんかくんか


帰宅したリゾットが珍しく、上着をソファに置いたままシャワーを浴びに行ってしまった。いつもは二階の部屋にきちんとしまってから動くのにね。たまにはそういうこともあるだろう。疲れていたのか、汗をかいたからさっさとお風呂に入りたかったのか、それとも。
ふと思いついてお風呂場に向かい、ドアの向こうに声をかける。あのコート、クリーニングに出します?
リゾットは短い言葉で肯定した。なるほど、やっぱりそういうことでしたか。それじゃあ私も、クリーニングに出したい洋服を引っ張り出してまとめてしまおう。
了解してリビングに戻り、何があったかな、と記憶のひきだしをがしがしと開けまくる。真冬のコートはもう着そうにないから、出しちゃっていいだろう。もこもこのマフラーも出してしまおう。どうせクリーニング屋さんに行くんだったら、隣にある靴屋さんで靴も綺麗にしてもらおうかな。ついでに向かい側にある季節外れのジェラート屋さんでジェラートを食べよう。そういえば、ブチャラティもジェラートを食べたがっていたっけな。誘ってみようか、それとも場所だけ教えてあげようか。その話をした時はお店の存在をすっかり忘れていて、教え損ねてしまったのよね。
あれこれ考えながら、紙袋を持ってきて床に置く。リゾットのコートを手に取り、きちんとたたもうと広げたところで、なんとなく邪な想いが湧き上がった。
誰も見ていないのはわかっている。今、家に居るのは私とリゾットだけだし、リゾットはお風呂に入っているからだ。
しかし念の為、きょろりと辺りを見まわしておく。壁に耳あり障子に目あり。やっぱり誰も居なかった。
ごくり、生唾をのみこむ。猛烈にいけないことをする気分だ。アホなことはやめようかなとも思ったんだけど、思いついちゃったからには、もうね。ガイアが私にそうしろと囁いている。
ええい、ままよ。私はコートをぎゅっと抱きしめた。
激しい精神的疲労と多大なる充足、そして圧倒的達成感が私を満たす。一度はやってみたかったんだ。まさかブチャラティやジョルノやフーゴのコートで試すわけにはいかないので、ちょうどよかった。ちょうどよかったんだけど、欲望に負けた敗北感もおぼえるな。本能を制せなくて人間を名乗れるだろうか。
それにしても、このコートの手触りって意外と良いなあ。デカいから重みもあるし、夏にこの恰好をしているリゾットはいったい何者なのかとも思っていたけど、この季節だと安定感がある。まあ、夏にこの恰好をしているリゾットはいったい何者なのかとは今でも思うけど。大事なことなので二度言うよ。
外の雑多なにおいに混じって、リゾットの匂いもする。ちょっと煙草っぽいのは、プロシュートと一緒に居たからかなあ。人が着ていたコートが脱ぎ捨てられて私の手の中にあるっていうのは不思議な気分だ。改めて腕に力を込めると、程よい厚みが心地いい。馴染む、馴染むぞ。普段はリゾットの身体なんて抱きつぶせないけど、コートだったらギュッとすりゃあギュッてなるから余計に気持ちがいい。今の、めっちゃ頭悪そうな感想だったな。小学生以下である。
一種のミッションをやり遂げた気分で機嫌を良くし、コートに埋めていた顔を上げる。面白かったな、この遊び。意外と癒されたことにびっくりした。
立ったままぱたぱたとコートをたたみ、紙袋に入れる。
さて、私も自分の服を取って来よう。
振り返って、死を覚悟した。シャワー上がりのリゾットが居た。
あっ、社会的に死んだな、と確信する。同時に、良かったあ余計なことを呟かなくて、とも思った。あとついでに、舐めたり頬ずりしたりあーんリゾットたん可愛いよおスハスハスハスハかりかりもふもふきゅいきゅい、とかなんとか狂ったことをしなくて良かった、とも。抱きしめて匂いを嗅いだのは八割アウトだとわかってはいるが、ギリギリのボーダーラインで生き残った感も否めない。
笑顔が引きつっている自覚がある。
「……ご、誤解なのよ」
「何がだ?」
間髪入れずに問いかけられて、これには私も苦笑い。誤解じゃないよね。全然誤解じゃないよね。ありのままの姿を見ちゃったよね。
「引いた?」
「特には」
ほっと安心したのもつかの間、リゾット・ネエロから手ひどい発言が飛び出した。
「いつものことじゃないか?」
こ、こいつゆるさん。でも否定できない。いつもごめんね。