暗殺チーム、観覧車に乗る


早朝に起き出した健康的な元ギャング男士たちは、私たちの部屋を突然に訪問した。
鳴らされたチャイムに反射的に起き上がりかけるが、身体の中に石を詰めたような『疲れ』という名の重みが私を強く引き止める。
まつ毛の一本一本が鉄の糸に変わってしまったみたいにまぶたが上がらない。頼んだ、リゾット。心の中で空想のリゾットにバトンを渡し、身じろぎもせず呼吸を寝息に錬成しかける。
意外や意外、私から(頭の中で)バトンを投げつけられたリゾットは、こちらもしばらく動かなかった。衣擦れの音は彼が一度軽く寝返りを打ったことを示しているが、身を起こそうとはしない。明らかに無視する気でいっぱいだった。逆にそれにびっくりして起きかけたわ。寝たふりかよ。可愛さここに極まれり。
秒針を沈黙が追いかけてしばらくすると、私たちのどちらも反応するつもりがないと知った敵がえぐい安眠妨害を仕掛けてきた。ピンポン連打である。くそおおお誰だ。こんなん自宅でだってされたら怒るわ。いや、言わなくていいよだいたい犯人わかるから。ソルジェラは余ってます、大丈夫です、浄水器も要りません。
他所の迷惑になるからなと諦め、枕から頭を離す。リゾットもちょうど面倒くさそうに首を振ったところだった。
「まーこんな時間に誰かしらねー」
決まりきった答えを期待しているわけじゃない。時計を確認すると、まだ空が白み始めていくばくもしないうちだった。
「早すぎでしょ……」
殴っていいよな。
「……そうだな……」
リゾットが寝起き特有の低くかすれた声で同意を表した。普段はこのくらいの時間でもぱっちり目を覚まして活動できるはずなのだが、これはリゾットも多少は疲れているということでいいんだろうか。
「……」
二人して顔を見合わせる。
廊下に立つ招かれざる訪問者はしびれを切らし、とうとう空間を区切る扉を拳で軽く叩き始めた。ホントもう絶対殴るからな。絶対だぞ。
仕方なく手櫛で髪を軽く整えスリッパを引きずってドアに向かったが、少しも歩かないうちにベッドから降りたリゾットに呼び止められる。ん、と振り返ると、彼は指をベッドの方へゆるく向けた。
「お前は出るな」
寝乱れてるしノーブラだしね。上着は羽織るつもりだったけど、それでもあまりよくないことだとはわかる。じゃあリゾットちゃんよろしく。
善意にあぐらをかいてベッドに戻り、途端に襲ってきた眠気に負けて二度寝を貪ろうとした私に情け容赦なく太陽の光を浴びせたのは、ずかずかと男女の泊まる部屋に進み入って来たソルベとジェラートの二人だった。
「よぉリゾット!グッモーニンカリメーラグーテンモルゲンブォンジョルノ!」
「良い朝だぜ、ポルポ!ブエノスディアス ボンジュール!フーテ・モルヘン ボケルトフ!」
「ぎゃー!」
シャッと勢いよく引かれたカーテンから強烈な朝陽が部屋に入り込み、悲鳴を上げる私がひとり。溶けちゃうから開けないで。布団を頭の上まで引き上げ防御したが、情けない呻きは陽気なギャングの愉悦をくすぐってしまったらしい。一度食いついたら離さないのはスッポンとソルジェラとよく言われるように、ひょろい彼らはリゾットの呆れとうんざりした視線をかいくぐって私の掛け布団を剥ぎにかかった。つうかさっきの何語だよ。ボンジョルノっつった?おはようじゃないよいま何時だと思ってんの?太陽が昇っていたら何でも許されると思ったら大間違いだからな。
意地でも布団を奪われまいと踏ん張るも、肉体派の野郎どもに敵うはずもない。寝乱れたパジャマとか洗ってもいない顔とか、私的にも(たぶん)リゾット的にもかなり気になる部分はあるのだが、もう諦めたのかリゾットは自分のベッドに腰を下ろして携帯電話の充電を確かめている。
「いーやーだー。寝かせてよー」
「いいかい女王さん」
神妙な顔をつくったジェラートに、死守した枕に顔を半分埋めながら視線だけ向ける。
ソルベがジェラートのまだ口にしない言葉にウンウンと適当に同意して頷いた。
そんな相槌を打つソルベの首に腕を回し、ジェラートが笑顔でひと言。
「陽が昇ったら、朝なんだぜ」
「そーそー。諦めて起きようぜ、ポルポ。リゾットは起きたし、俺が鳴らしまくったケータイの履歴を一括消去する作業に没頭してるぜ」
「鳴らしてたの?全然気づかなかった」
「電源を切っていたからな」
「あったまいい!」
事態を見越しすぎでしょ。私のケータイは充電が切れたままコードにつないだので黙ったままだ。ぽちりと電源ボタンを長押しすると、数秒の処理の後、何度か小刻みに機体が震えた。着信履歴のバッジが30を超えているのを見て寒気がする。き、切れててよかった。
戦慄する私から完全に布団を奪い去ったソルベは、取り返されないようリゾットのベッドに羽毛布団をのせた。寝乱れた姿を晒す女に向ける視線はニヤついたものだが、そこに愉悦以外の感情はなく、助かるような悔しいような複雑な気持ちになる。貴様らはそれでもイタリア男子か。いやあポルポの寝起きとか超今更だしー、じゃあなくて優しく上着を羽織らせるくらいのサービスはしてくれてもいいんじゃないの。あとあんたらの前ではそこまで寝てないでしょ。声震えてないよ。
うーん、と伸びをしてスリッパに足を入れる。
「で、ナニ?何の用事?」
答えたのはソルベだ。しなだれかかるジェラートの腰を支えてやることにまったく疑問を抱いていない様子で、空いている片手をひょいと窓に向ける。私が指先を追うと、すぐに戻してくるりと宙に円を描いた。
「ここに来る時に見かけたんだけどよ。観覧車があるだろ?」
「イタリアにも"あるんだかないんだかわからねえ観覧車"はあるかもしれねえが、あそこまでデカいのってなかなか見ねえから乗ってみたいんだよ」
「で、誘いに来たってワケ」
「朝陽が昇った時間に誘われても、公園どころか朝食バイキングだって開いてないわよ」
「そこはそれ。アレはアレ」
ナニがだ。ただ単に起こして遊びたかっただけって可能性がかなりの率を占めている。
ベッドから下ろした足をぶらぶら揺らす。
確かに観覧車はある。来る時の車窓から圧倒的存在感を放つ円を見かけたのも確かだ。俄かに場がざわついたのも憶えている、ような気がする。
乗ってみたいのか。
ソルベとジェラートがここまで直接的な要求をしてくることは、かなり稀だ。私たちの空気をしっちゃかめっちゃかに引っ掻き回してゲラゲラ笑っているから主導権を握りがちだと思われているけど、基本的には火に油を注ぐ係りである。火種は別にある、……ことが多い。二割ほどは手榴弾のピンを抜いてお手玉をしているけれど。
彼らがこう要求してきたのだから、本当に乗ってみたいのだろう。ふむ。
「午前中は予定もないしね。夜は飛行機に乗らなきゃいけないからアレだけど、早めに出かけて乗ってこよっか」
「さっすがポルポ!話が分かるぜ」
喜色満面で手を打ち鳴らす。別の誰かが正反対の方向に行きたがらないことを祈っておこう。

ハイテンションで叩き起こされた私とリゾットは二度寝する気も吹き飛ばされてしまって、どこか時間を持て余し気味にテレビを眺める。早朝なので面白い番組は多くない。ニュースと天気予報をチェックして、日本語まみれの空間でイタリア語のやりとりをする。この奇妙さが面白くて内心でくすくす笑う。日本に居るんだなあ、と疲れが取れて心が浮き上がった。どんだけ日本が好きなんだよと言われそうなので黙っておくが、私は最初から今までずっと大はしゃぎだ。お饅頭とか買って食べてるからね。リゾットがシャワーを浴びる間隙にトレンディドラマを横目に見つつタックスフリーなお饅頭にこっそり手を出してるからね。説明するまでもなく興奮とワクワクの程度を誰にだって理解していただけると思う。
「ねえ、リゾット。朝食バイキングって和食もあったっけ?」
「あるらしいな」
「リゾットはどっちメインにする?」
少し悩んでいた。
「和食……だな」
おおっ。
やっぱり日本だもんね。私たち、洋食は食べ慣れてるし。
問い返されなかったのはたぶん、答えがわかりきっていたからだろう。ええもちろん、私は両方食べますとも。
「玉子焼きが出るといいなあ。あとソーセージ」
納豆はちょっとした都合によりやめておく。果敢に挑んだ数人の戦士が撃沈していたので、彼らの前で封を開けるのは少し可哀想かなと思ってさ。
お味噌汁はワカメかな。数種類あると嬉しい。豆腐とお葱やあぶらあげが入ったものも飲みたいなあ。豚汁とかも。そうそうそれからカレーライスも定番だ。いくらか食べていてお腹も膨れてきたかなって時に発見してスパイシーな匂いに惹かれ、ついついよそってしまう魔法の食べ物。そしてカレーライスは連鎖を起こす。ひとりが食べていると"アレ……なんかおいしそうじゃね……?"と自分からカレーライス行き復路ナシのベルトコンベアに乗り込み、カレーライスの待機する沼にどぼんと落ちてしまうのである。カレーライス、恐ろしい子。
考えながらごろごろしている間にテレビ番組は朝の連ドラに突入していた。時計を見るまでもなく時間がわかる素晴らしい番組だなと思いながら立ち上がる。
ぷち、とゆったりしたつくりのパジャマを脱ごうとボタンをひとつ開けたところでハッとした。ここで着替えちゃダメなんじゃないか?あまりにもリゾットが自然体で居るものだから頭から抜けていたが、こんなところで脱ぐものではない。
「私、今日えらくない?」
「何がだ?」
あまりにも脈絡がなかったせいで怪訝な顔をいただいてしまった。

着替えを終え、皆との待ち合わせを済ませると、待ちに待った朝ご飯だ。エレベーターで上階にのぼり、眺めのいい席をキープしてからトレーを手に取る。皿を何枚か載せてひょいひょいと食べ物を選んでいく。
「俺もそれ食おうっと」
「自分で取れよ」
「いいじゃん、取ってくれよ」
「オメーで流れが詰まっちまうから早くしろよ」
「なんで俺が悪いみたいになってんだよ……」
後ろで繰り広げられるこんな会話もまた楽しい。どれを食べたかったんだろう、とちらりとメローネのお皿を見ると、切り干し大根がのっていた。まさかのチョイスに噴くかと思った。私は魚の照り焼きを取る。これは何だろう、鯖かな。
オレンジジュースをグラスに注いで、一発目はおしまい。
早速玉子焼きをフォークで刺して食べ始めたホルマジオの向かいの席を取る。とりとめのない話をして、私もお味噌汁を箸でぐるりとかき混ぜた。ワカメと豆腐の味噌汁だ。残念ながら、豚汁はなかった。
「あのよォ」
「んん?」
呆れ声にはお味噌汁を飲んでから返事をする。
「オメーのチャワンに乗ってんのは何だ?」
「炊き立てのお米だよ」
「だよなァ。んじゃあ、そっちのは何だ?」
「カレーライスだよ」
「よく食うなァ」
「カレー、ひと口食べてみなよ。絶対ホルマジオも取りに行くから」
「食ったことはあっから味は知ってる」
「ああ、そういえば家で出したわね」
「オウ」
日本から送ってもらって作った記憶がある。嬉しいことに大好評だった。
私がカレーをスプーンですくった頃、大きなイタリア男が何人もぞろぞろと戻ってきた。迎えると、テーブルは一気に賑やかになる。
皿の上には彩り鮮やかで個性豊かな食べ物が並んでいて、大体の人が和食のおかずを取っていたが(やはり日本に来たからには、という想いがあるのだろう)主食はお米ではなくパンが多かった。煮魚と白パン。焼き鮭とクロワッサン。生姜焼きとくるみパン。最後のは何となくおいしそうだけど、それでいいのか元暗チ。
日本語まみれの朝食ビュッフェで、このテーブルは一際目立っていた。イタリア語が飛び交い、たまに日本の慣用句が上る。片言からペラペラまで様々で、耳をそばだてていれば言語の嵐に翻弄されてしまいそうだ。頭の切り替えがめまぐるしいのに全然辛そうにしていないところが、彼らのチート具合を表している。
「今日はカンランシャに乗りてえんだけど、いいよな?」
「決めつけてんじゃねぇよ」
「あっれえ?嫌なのかよ、プロシュートちゃんは」
「イヤとは言ってねぇだろ」
「そう聞こえたぜ。なあジェラート」
話を振られたジェラートは、ソルベの狙い違わず真っ直ぐプロシュートを突いて見せた。
「もしかして……プロシュートちゃんは高い所が苦手なのかい?」
髪型が崩れると言ってジェットコースターに乗らなかった彼の姿は全員の記憶に鮮明に残る。しかしここまで切り込んでいくとは思わなかったのか、全員が3人のやりとりに目を向け、食事の手を止めた。
プロシュートは欠片も動揺しなかった。
「高い所が苦手で仕事がデキるか?ただ手間なだけだ」
「へえ」
「ああ?ナニをニヤニヤ笑ってんだテメーら」
「なあ女王さん、プロシュートが高い所が苦手だって知ってたかい?」
え、いや知らなかったわよ。ていうか苦手なのか?本当に苦手なのか?やけにソルジェラが食い下がるし、プロシュートもピリッとガチギレしそうになってるけど苦手だと判断するには証拠が弱い。
「苦手じゃねーよ」
「じゃあ乗ろうぜ」
「朝っぱらから面倒くせえなこいつら……」
これには同意する。朝っぱらから面倒くさかったよこの男たち。
「俺、カンランシャ乗りたいです」
「"兄貴"と、だろ?ペッシ?」
「お、押さないでおくれよジェラート……」
「俺も乗りたーい」
「ポルポも乗りたいって言ってたからリゾットは自然とコッチ派だろ?ここは多数決で行こうぜ」
アレ?私乗りたいって言ったっけ?まあ乗ってみたいから良いんだけども。リゾットを巻き込む手慣れた手腕が腹筋を黄泉へといざなった。
ギリギリ勝利したソルジェラはぱちんとほぼ同時に指を鳴らしお互いに擦り寄った。こちらの様子を窺っていた宿泊客が一斉に視線を逸らすところを見てしまった私は心の中で合掌する。付き合ってないんですよ、この人たち。
騒動をスルーして生姜焼きをかじっていたリゾットはソルジェラの絡みにもつれない塩対応で、「好きにしてくれ」と席を立った。ヨーグルトを取って来るらしい。要るか、と訊かれたので頷く。彼は歩き慣れた道をゆく猫のようにススス……と遠ざかっていった。
戻ってきた彼は手にヨーグルトとジャムとグラノーラののったトレイを持っていて、そのうち半分以上を私にくれた。関係ないが、にゃんこが人に食事を分け与えるっていうのはとっても重要なことなんだよ。本当に関係なかったわごめん。私が要求したんだよな。グラノーラヨーグルトに蜂蜜を落としたもの、おいしいです。

「準備はいいかな、野郎たち!」
「Va benissimo!……だよ!」
「Va benone!」
「オールグリーンだぜポルポ!」
元気よく答えてくれたのはペッシとソルベとジェラートだ。
「大丈夫だぜ」
「問題はねえけどソルベとジェラートがうるさい」
「荷物預けんのはここで良いのか?」
私たちはホテルをチェックアウトした後、荷物をまとめて電車に乗った。朝の駅は少し混んでいたが、私たちとは反対方向、今し方抜けてきた夢の国に向かう人が大半のようで、乗る電車は空いていて席に座る余裕もあった。
荷物はイタリアから日本へ飛んだだけあって、コンパクトに準備したとはいえ、持ち運ぶには少し重たいし邪魔っけだ。なので目的地のコインロッカーに預けてしまうことにする。
何度か目にしてはいるもののまだ慣れないのか、日本のコインロッカーに興味津々な男たちは自分の財布から小銭を取り出し、小型のキャリーケースならば収められるくらいに大きなボックスに荷物を詰めていく。途中で手順を間違えたホルマジオが小銭一枚の行方に嘆いていたので鍵を開けてごらんよと促すと、やってみた彼は目を丸くして驚いた。受け皿に、入れたばかりの小銭が戻って来たのだ。
「ほォー……」
「便利だよね」
抜き取ったコインロッカーの鍵はバッグの分かりやすいところに入れておく。大事なもの、と意識しながら普段と違う場所にしまうと後から困ることが多いので(取り出す頃には場所をすっかり忘れていて、もしかして失くした!?と焦っちゃうのよ)普段レシートなどを保管しておくチャックつきの内ポケットにするりと落とした。バッグのストラップを肩に引っ掛け直して、さ、と9人を見まわす。
「行こっか」
「ん」
短く言って頷いたイルーゾォの横をすり抜け、引率するように前を歩く。もっとも、私もここに来た記憶があるのかないのかも曖昧で、右も左もわからないのはみんなと同じだ。恥をかかないうちにそっと後ろに下がり、楽しそうにするソルジェラとメローネ、心なしか浮足立つギアッチョが青空の下に躍り出たのを止めることなく見送った。
広い公園に解き放たれたケモノたちはうんと身体を伸ばし、少し冷たい空気を吸い込む。これからもっと陽が高くなれば、空気もあたたかくなるだろう。そうなったら私はあそこの売店で売られているソフトクリームとモナカアイスを食べよう。
モナカに挟むアイスクリームを遠目から吟味していると、ぐい、と強く腕を引かれた。顔を向ければそこにはリゾットが居た。
「はぐれるぞ」
「え……、ってもうみんなあんなトコまで行ってんの!?」
早えよ走ってんのか。ほんとにはぐれるところだった。
「ありがとね、リゾット」
にっこりすると、どういたしましてに近い詞を言ったリゾットがこう付け加えた。
「あれだけ目立つ集団から、本当にはぐれられるとは思えないがな」
「確かに」
すっげーテンションの高いイタリア人の塊を見つけられないわけがない。
リゾットの隣を歩いて、彼らを追いかける。
私たちが遅れていたと気づいたイルーゾォが、軽く片手を上げてみせた。私も手を振って応え、元気だね、と呟く。その声音は自分でもびっくりするほど柔らかかった。
日本を少しでも好きになってもらえたら嬉しいなと思っていたけど、あの調子だと大丈夫そうだ。ずっと楽しそうにしてくれていたし、上司(私だ)の接待というわけでもないだろう。そう疑うことすら憚られるはしゃぎっぷりだ。
追いついた私にプロシュートがこう言う。イケメンな角度で。
「食いモンなら後で死ぬほど買ってやるからよ、今はあいつらに付き合ってやれ」
貴重な一瞬過ぎて眩暈がするかと思った。知らぬ間に首が勝手に動いて頷いていた。満足そうに口の端を持ち上げる仕草で更にくらりと来たので、硬いヒールを鳴らして遠ざかる。ハイヒールとまではいかないけど、少し踵の底が厚くてしっかりした靴を履いているので、動くと低い音が立つのだ。
よろめいた私の様子が音で分かったのか、耳をそばだてていたメローネが笑いを噴き出した。
「弱いなあ」
「イケメンはそこにいるだけで人を惹きつけるのよ。微笑んだりしたらもう宇宙のどこかで小惑星が一つ誕生するんだからね。私が転んだとしても何にもおかしいことはないわ」
「ふーん? じゃあ俺が微笑んだら宇宙が誕生しちまうな」
宇宙と来るか、と自信満々すぎる言に笑いかけたけど、プロシュートとはタイプの違う格好良さがあるのは否定できない。メローネの可愛さでリアルに宇宙がヤバい。

チケット売り場に並ぶ人はまばらだった。指さしていけば数えられるくらいだ。
その列に加わり窓口に枚数を伝えるのは、日本語がぺらぺらに話せる私とリゾットとメローネだ。ひとりでもいいと言ったんだけど、実際に見てみたいんだってさ。窓口のおねえさんが『英語で来るか!?』と身構えたところを見てしまって申し訳ない気持ちになる。日本語で話しかけた時の安心した表情で更に苦い笑いが漏れた。そうだよね、私も日本人だった時に同じ状況に置かれたらテンパっちゃったはずだ。怖いよねえ。ここは比較的外国人観光客が多いとはいえ、実際に来られると頭の中が混乱してしまうのは仕方がない。
チケットを10枚買い、戻る。待機していた7人は自分の携帯電話で写真を撮ったりパンフレットを眺めたりどつき愛を確かめたり楽しそうに時間を潰していた。
いざ乗るぞ、と紙を分配する。ソルベとジェラートが高揚を隠し切れず口笛を吹いた。写真をお撮りしましょうかと近づいてきたスタッフにも元気な笑顔を向け、イタリアで最近流行しているポーズをとる。私たちも引っ張り込まれ、2枚目の写真は全員の集合写真になった。
階段を上ってもぎりの人の所まで行き、「いってらっしゃい」と気持ちのいい挨拶を受ける。ちょうどやってきたボックスからは誰も降りない。この時間帯の観覧車は空いているんだなあ、と、辺りを見てぼんやり考えた。前にも後ろにも人が居ないので、貸し切りみたいでちょっと面白かった。
ゆっくり搭乗口を通り過ぎようとする機体に乗り込む。ここに来るまでは、4人掛けだろうから3組くらいに分かれるのかなと予想していたんだけど、想像以上に大きかったこの観覧車のハコは、イギリスの『ロンドン・アイ』よろしく10数人が乗り込める仕様だった。間近で見て反射的に「デカ!!」と叫んだのは私だけではない。
ぞろぞろと10人で乗り込み、閉められた扉の音にビビる私を余所にして、空に滑り出していく機体の中で集団がばらける。
窓際に駆け寄ったのは『はしゃぎ方が大きい組』だ。『静か組』は大人しく座席に腰掛け、脚を組んだり外を眺めたり、大人しく上昇に身を任せている。
「すげえ!昇ってるぜ!なあポルポ見てみろよ、人が……」
ゴミのようだ、と続くかと思いきや、意外にもメローネは穏健派だった。
「人が豆粒みてえだぜ!」
そうだね。
私も窓に近づいて、手すりを掴んで身を乗り出す。スピーカーから安っぽい音声で景色や観覧車の歴史についての説明が流れているのだが、ホルマジオとリゾット以外は耳を傾けていないようだった。
はしゃぎ方が大きい組にはイルーゾォとギアッチョも混じっている。他の人に比べれば静かだが、目が輝いて見えるのは、私の見間違いじゃあない。
けれどここで声をかけたらツンツンして離れてしまうかもしれない。視線を外し、ソルベの方へ行く。
外の景色に感嘆するふたりの間には割り込まず、横からそっと声をかけた。
「どう?期待にそえた?」
振り返ったソルベは、高い背をかがめて私の瞳を覗き込み、きつめの目元と唇をにんまり笑みの形に緩める。予想以上だぜ、と彼は喜色を隠さなかった。
「見ろよ、ポルポ。空が近い。どんどん地面が離れてく。風を感じられねえのが残念だけどよ、あそこなんてほら、ビルの屋上だって見える。あっちは俺たちが行った『夢の国』だよな?」
特徴的な建物は、確かに夢の国のものだ。楽しかったねと言えば、背筋を伸ばしたノッポさんは大きく頷いた。
「なあ、あそこ」
隣から、ジェラートが指先をボックスの一角に向けた。ん、と軌跡を追う。
なるほど、床が透明になっているのだ。気づいているのかいないのか、そこに立っているのは怖いもの知らずのギアッチョだった。
「見てろよ、女王さん。『騎士』がちょっとした余興をお見せす、ぷす、ぷふ、く、ヒフッ、フゥ、するぜ」
シー、と人差し指を唇の前に立てたくせに張本人が早速声を堪えられていない件についてはのちのち法廷で議論するとして。
ジェラートは気配を殺し、真剣な顔で抜き足差し足忍び足を駆使しギアッチョににじり寄った。私とソルベとジェラート以外、誰もその様子に注意を払わない。
ジェラートの手が伸びる。あ、と言うよりも動きが早かった。彼はギアッチョを、窓に向かって突き飛ばした。
「う」
突き飛ばされたギアッチョは、不意を突く動きに対応しきれず前につんのめる。咄嗟に手すりに縋りついても身体の傾きは戻らず、全面に張られたガラス窓にグッと顔が近づいた。そして体勢を立て直そうと顔を動かした彼の視界に飛び込むのは透明な板がはめ込まれた床と、その下に広がる観覧車の骨組みだった。目に映る景色は、落下しているそれのようで。
「ウッワアアオアアアア!!」
機体を震わす叫びだった。
「……ッめえええェこのバカどいつだクソがッ……ジェラートォオオ!!」
「ぎゃっはははははは!!」
「ぶひゃー!!ギアッ、ギ、ギアッ、あっひゃはは、ヒィィ、あひ、ぎゃっひゃひゃひゃ!」
「そっちをガラスブチ破ってこっから突き落としてやろうか!?あ!?」
「ひええー!ひへへへえ」
壊れたラジオのようにノイズじみた笑い声しか発しなくなったソルジェラの悪戯を受け、頭の血管が切れそうなほど怒り狂ったギアッチョが揺れるのも構わず広い箱の中を走り、さっさと逃走したジェラートを追いかける。ちょっと怖いからあんまり激しく動かないで。止まっちゃうから。観覧車止まっちゃうから。
襟首をひっつかんでがくがく頭を揺らされても、犯人の笑いは治まらなかった。終息するどころか激しくなる。貰い笑いでホルマジオとプロシュートも腹筋を痛めていた。
「ギアッチョ、大人しく動かないと揺れて止まるぞ」
「リーダー、あんたも見てたなら何か言えよ!!」
「そこまで怒るとは思っていなかったんだ」
「怒るだろおおおがよおおお!!常識的に考えろよリーダー!」
これで私も決壊した。あーあーやっちゃったなあこりゃ怒られるぞホラ怒られた、と他人事で呆れていた傍観者のはずだったのに、まさか伏兵のリゾットに殺されるとは。
奇跡的に停止することなく頂上を迎え、通り過ぎて元の高さまで帰ってきた箱の中は笑い声という名の騒音で満たされており、中でもソルベとジェラートのひきつけ気味の爆笑がひどかったものだから、扉を開けた係員の人は目を白黒させて「お、おかえりなさい……」と外国人の理不尽なパワーに気圧されながら見送ってくれた。
帰りの階段の直前に、行きで撮ってもらった記念写真を売っているスペースがあったので、腹がイテエ腹がイテエと自業自得で涙目になり、がんばって喉の奥に衝動を抑え込むソルジェラを放置して購入する。ソルベとジェラートのブロマイドはともかく、集合写真を欲しがったのは私とペッシとホルマジオと、それからメローネだった。ギアッチョは買うのが恥ずかしいらしいから、俺が買ってプレゼントするのさ。そう言っていたけど、本当にギアッチョが欲しがっていたのかはわからない。真実を話すとは限らない金髪の代弁者は、張本人の眼鏡くんにアイアンクローで沈められていたから。
微妙に過呼吸っぽかった笑いの症状から回復したソルベとジェラートに話しかける。
「楽しかった?」
これで楽しくなかったって言われたらびっくりしすぎて穴掘ってブラジルまで到達しちゃいそうなんだけど、幸運なことに、彼らは素直に首肯してくれた。
「これ以上ないほど楽しかったぜ」
「後でリゾットたちにも言っとくけどよ。ジェラートの分まで先に言わせてくれや。ありがとな、ポルポ」
「ソルベの分まで、俺からも言うぜ。ありがと、女王さん」
「どういたしまして」
特に何もしていないけど、感謝の言葉は拒絶しないのが一番だ。
無邪気な顔をする暗殺者、アラウンドびぃえるおにいさんたちの大人しい笑顔を見て、胸もぽかぽか、あたたかくなったことだし。