ザ・カラオケ


大人数用の部屋と言っても、スペースには限りがある。店員さんをして「ま、間に合うかな」と呟かせた元暗殺チーム(比較的大柄)+私(比較的おっぱい)の10人は、そこはかとなく漂っていたハラハラ感と不安を乗り越え、なんとか一室に収まることができた。必要のなさそうな丸椅子や傘立てなどを取り除いてもらうと視覚的にも広々とする。一部の2人組は好んで密着しているし、これでぴったり落ち着きそうだ。
安心した私と店員さんが次に行った作業は、ピッとタッチして曲を選択し機械に送る、電子端末の設定だった。部屋に備え付けられている2台だけでは心もとなかろう、とバックヤードからもう2台出動させセッティングをした店員さんはきらきら輝く笑顔でファーストドリンクのオーダーを取った。私はオレンジジュースを頼み、リゾットとプロシュートはまさかの緑茶チョイス。ホルマジオとソルジェラがアルコールを注文し、イルーゾォとペッシはうんうん悩んだ末にそれぞれ烏龍茶とレモンスカッシュを指さした。メローネとギアッチョは仲良く(無理やり)お揃いのヨーグルトドリンクでキメる。飲みたくねえよヨーグルトなんてよぉ、と呟いたギアッチョの肘がメローネのどこで買ったのかわかんないけど異様に格好いい上着に押し当てられた。
席順は決められていないので、自由な合コンよろしく各々が好きな時に好きな場所へ移動できる。私は一応リゾットとホルマジオの間にいるけれど、内線から遠い位置なので、そのうち席を替わるつもりだ。
飲み物を運んで来た店員さんが笑顔で部屋の扉を閉める。途端に抑えていたものが解放されたのか、空気には好奇心と高揚と楽しさが渦巻き、嵐を止める術はどこにもなくなる。
「これがジャッポーネのカラオケ……!!」
「バカな……『いちごミルクヨーグルトドリンク』が……うめえ……!?」
「俺の烏龍茶どこだよ?」
「これか?」
「ん、グラッツェ……って緑茶じゃねえか!!暗くてわかんねえよ!」
「わかってんじゃねーかよ」
「香りだよ!!」
「うるせェなぁーオメーはよォー」
まあ防音だし大丈夫大丈夫。と、口では大らかなことを言いつつもイルーゾォの前からマイクを除けるようこっそり指示をする。エコーをきかせたツッコミが炸裂したら、ちょっと耳が痛くなりそうだ。同じように考えたらしいプロシュートが呆れ顔でマイクを私の方へ流した。
黒い柄を掴み、考える。まずやるべきは、脳内の持ち歌がこの日本のカラオケマシンに登録されているかどうかの確認だ。マイクを除けて、端末を引き寄せた。リゾットが少し興味ありげに覗き込んできたので、心持ち彼の方にも画面を向ける。
ぴ、ぴ、ぴ。電子音は部屋の喧騒に紛れて誰の耳にも届かない。
「(この戦い……我々の……勝利だ……)」
あった。私が知ってるアニソン、あった。いっぱいあった。嬉しい。なぜか涙が出そうだよ。リゾットぉ、あったよぉ。
「お前は何よりも先に『アニメソング』のランキングを見るんだな」
無垢な感想が心に刺さった。

意外にも最初にマイクを握ったのはソルベだった。単独で歌うのか、とまずそこに驚いてしまったのだが、流石に失礼な驚愕だっただろうか。でもびっくりするよ。急に洋楽のラブソングの名前がテレビ画面に表示され、誰が入れたのかと周りを見回したところでひとりマイク片手に立ち上がったのがソルベだったら、私でなくてもびっくりするよ。
ぽかんとした私の鼓膜を震わせたのは、低く、静かで、普段の彼からは想像もつかない声で囁くように愛を歌う旋律だった。
「ねえちょっとソルベ上手くない?」
「オウ。ビビったぜ」
小声でホルマジオとやりとりする間にも、愛の歌は止まらない。画面を見ていたソルベは、サビの最後でくるりと振り返りジェラートにウインクをした。
「相手がいると迫力が違うってハナシだろ」
「相手」
「今、ウインクで仕留めただろうが」
ジェラートの隣で大きく脚を組んで煙草を吸おうか吸うまいか逡巡を繰り返すプロシュート兄貴によると、これはソルベによるジェラートへのアピールだそうなのだが、はたして。
曲が終わり、文句なしにぱらぱらと拍手の音が上がる。プツ、とマイクのスイッチを切ったソルベは、気安い笑みを浮かべソファに腰を下ろす。
「じゃ、次は女王さんな」
ふええ急に言われても思いつかないよぉ。
急にボールが来たので思わず避けてしまったが、一回の拒絶くらいではめげないのがネアポリス在住イタリア人暗殺チームが誇る殺人キックマッシーンのソルベ氏だ。彼はテーブル越しに身を乗り出し、私の前で休眠している端末を無理やり目覚めさせると、開きっぱなしだったアニソンランキング画面から適当にひとつ選んで勝手に送信してしまった。私が知らない歌だったらどうすんだ。幸か不幸か、知っている歌だったけれど。
一番手のソルベが立ち上がって歌ったためか、歌う時は起立すべし、という空気が私にまとわりついてくる。うう、結構きついなこれ。ひとりカラオケだったら好きな体勢で歌うし、立つ時もあるかもしれないけど、皆と一緒の時にひとりで立って(錯覚も含むけど)全員の視線を集めるのって小心者にはつらいよ。皆今すぐ携帯電話を見て。一斉にメールが届いたかなんかのどうにもできない理由ゆえに5分くらい携帯電話に夢中になっていて。
しかし、流れ始めたイントロを聞けば、そんな躊躇いは消えてしまう。
「二番手!私!いきます!」
心なしか、ソルベを称賛した時よりも気合の抜けた拍手が私を奮い立たせた。今はそれでいいけど、歌い終わったら全員スタンディングオベーションで迎えろよ。
気合は充分。ひっさしぶりに日本のカラオケでマイク使って日本語で日本のアニソンを歌ったなあと思いながら歌詞を追う。当たり前だろと思わなくもないが、この感動ったらないよ。下手か上手いかは関係ないのだ。こういうのは魂なのだよ。そうでしょあずにゃん。
また、こちらも幸か不幸か、この中で日本語をほぼ完ぺきに理解できるのは数人だけだ。おっ際どいかな、みたいな歌詞でもアニソン特有の巧みなボカしが利いているので安心してすべて歌いきれた。その"理解できる数人"こそが一番知られたくない人物だというのは置いておく。
ふぅ、と息をつく。人前で歌ったのとか、まじで何年ぶりだろう。もしかしてポルポさん、イタリア人人生の中で今ハジメテの体験をしているんじゃない?やだ何それこわい。ち、違います、友達がいないんじゃなくて、こういう機会がなかっただけで……。
誰に弁解しているのだろう。心の中の天使と悪魔を物理で沈黙させ、私はオレンジジュースで喉を潤した。
「なあポルポ、次はもう少しキーの高いやつを歌ってくれねえ?」
「うん?」
いいけど、何で?
メローネはニコリとした。
「高音を出す時の苦しそうな顔と声がそそるから」
「……」
「あ、そう……」
「"あ、そう……"じゃねえだろ!?」
どう反応したらいいのかめちゃくちゃ困惑したんだけど、そういう見方もあるのか。えええ、じゃあこの人たちが歌う時はこっそりピッチを上げちゃえば私も手軽に全員の苦しそうな顔と掠れ気味でともすれば引っくり返ってしまいそうな危うい声をゲットできるんじゃないですか。なんて合法的でスマートで禍根の残らない犯行なんだ。メローネがやり口を全員に暴露さえしなければ完全犯罪が可能になっていたのに。
「で、ポルポ。次ナニ歌う?」
メローネはギアッチョのアイアンクローを食らい痛がりつつも、くじけず私にこう訊ねた。よって私もこう返す。
「宇宙戦艦ヤマト」
「曲名からして低音なんだけど」
ランキングに入っているものから攻めていこうと思ってね。それならまだ「あ、これランキングに入ってたからさあ」と、"別にこういうのをよく見ているわけじゃあないけれど知っているから歌ってみたかったんだよ"アピールができるじゃん。


全員が飲み物を四回おかわりした頃だ。プロシュートでさえ歌った今日、一度も立っていない人がひとり居た。その名はリゾット・ネエロ。この中で一番何を歌うのかよくわからず、うっかりつつくと真顔でABCのうたを歌い出しそうで怖い人物である。いや、いいんだよ、歌ってくれていいんだけど、なんだろうな、いいんだよ、いいんだけどね。
リゾットって何を歌うんだろう。
9人の疑問は一致していた。先陣を切ったのはホルマジオだ。
「リーダーは何か歌わねェの?」
勇者か。私はホルマジオを心の中で絶賛した。
「俺、リーダーがどんなふうに歌うのか気になるんですけど……」
二撃目はペッシが繰り出した。
この言葉にリゾットは驚いたようだった。
「……まさか、聴きたいのか?」
「まさか、聴きたいって言ったら歌ってくれるの!?」
どうやって懇願して足を舐めようか迷っていたのに、頼めばマイクを握ってくれるのかよ。なんだよそのトラップ。危うく跪いちゃうところだった。
私の掴みかかりそうな勢いにドン引きしたのか、リゾットは"余計なことを言った"みたいな顔で黙ってしまう。そして閉じた貝を放っておかずいじりまくるのが、我らがトリックスター、ソルベとジェラートなのである。
「くっ、くふ、ふ、聴きてえなあー、リゾットちゃん」
「全員が聴きたいぜ、なあ『リーダー』さ、ッブフ、んよ、ふひ、ひ」
「……」
心底面倒くさそうな表情は緑茶のカップで隠された。
「う……、俺も聴いてみてえ、けど、その、リーダーが嫌なら……」
「え、嫌でも歌わせようぜ」
「オメーはいちいち過激なんだよ」
すぱん、と頭を叩かれたのは安定のメローネだ。でも正直に言うと、私も嫌々ながら歌うリゾットを見たくないわけじゃない。もちろん、気持ちよく歌ってもらえるのが一番だけれど。
端末を構えてじっと見つめていると、リゾットは諦めたようにタッチペンを手に取った。電子音が、今度は明瞭に響き渡った。
入れられたのは英語の歌だった。私は洋楽には詳しくないが(笑うところだ)、それが誰もが知っている曲だとはわかった。
落ち着いた声が、メロディとリズム、音程に合わせて色を変える。曲のキーの上昇ボタンを連打して高音に苦しむリゾットを見たい気持ちが襲ってきたが、心の落としぶたで思い切り押しつぶした。無言で『原曲キー』を押して歌い直すリゾット、想像余裕です。
歌の途中、ちらりと横目で見られたのに気づき、あっはい、と反射的にニコッとした。ちゃんと聴いてるよ。たまに『え、こんな英単語あったっけ……やべえ忘れてるっていうか知らないっていうか……』って思えるくらいにはちゃんと聴いてるよ。うう、だって私が一番得意なのは日本語なんだもん。ほんとだもん。
背景の謎のドラマが曲に合わせて進み、やがて終幕を迎える。すうっとのびたリゾットの歌声の余韻も、画面の暗転と共に消えていった。
「……」
上手かった。文句なしに上手かった。辛口で評価するならば、プロシュート以上メローネ未満と言ったところか。ちなみにイルーゾォはマイクを離さないタイプの軽い音痴だ。
無言で『リゾットの歌唱姿』の残像を噛み締めていた私たちに、当の本人からの胡乱な視線が突き刺さる。
「これでいいか?」
良くないって言ったらもっかい歌ってくれんのかな。それとなく訊いてみたらこう言われた。
「そんなに価値があるとは思えないんだが……」
「ナニ言ってんの!?」
思わず日本語が出そうになった。
あるよ、どう考えてもあるよ。あるに決まってるじゃん。時が時ならリゾットの歌声の為に国が一つ傾くレベルだよ。ていうか私が国主なら国の一つや二つは傾けちゃってるところだよ。
今まではリゾットに歌を歌ってもらう、という発想すらなかったものだが、こうして一度聴いてしまうと二度三度と求めたくなるのが人の性。ところがここでがっつくとするりと水のように逃げてしまうのがリゾットという人だ。
「……じゃあ、デュエットしてって言ったらしてくれる?」
「……」
リゾットちゃん、いや、リゾットさん?
「しない」
「え!?」
話が違うよ!?特に何の取り決めもしていないけど裏切られた気分。
あからさまに動揺した私の肩を、背後のホルマジオがポンと叩いた。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」
なんでそこだけ流暢な日本語なんだ。

それから終わりの時間を何度も延長し、私たちの財布からは単なる『旅行の途中にカラオケに立ち寄ってみました』というだけでは済まない額が飛び去ったが、あれきりリゾットは一度もマイクを取らなかった。さり気なく勧めたりエビバディセイッと合の手を求めたりにじり寄ってごまをすったり、手は尽くしたのだが残念なことに実りはなく。
しかし私たちは心地よい疲労と楽しかった思い出を胸に、店員さんの素晴らしい笑顔に見送られ、キラキラしいカラオケ店を出たのだった。

あ、そういえば(メローネに)許可を得て録音させてもらったギアッチョの歌声があるんだけど、これはこっそり携帯電話のアラームに使わせてもらうとしよう。バレた時に凍らされる可能性には目を瞑る。ギリギリで駆け引きをしていると『生きてる』って感じしない?ハハハ。